第33話 病院編 2 認知症

 ボケちゃった爺さんがやって来ました。

 私は正直嫌な予感がしました。

 家族の姿がないのです。

 世間では家族の介護をするのが当たり前という風潮があります。

 でも実際はプロに頼んだ方が共倒れにならずにすみます。

 私はその辺の現実はわきまえていたので「家族は来るべき」とは言いません。

 でもなんだか嫌な予感がしたのです。


 それは夜でした。

 どうやら受験勉強をしていた私は寝落ちしていたようです。


 どすーん!!!


「ほわッ!!!」


 隣で大きな音がして私は飛び起きました。

 腕とノートにだらしなくよだれをたらしていました。


「うう……ううううう……」


 うめいています。

 時計を見たら午前2時。

 なにがあった!!!


「あのー大丈夫ですかー?」


 一応声をかけました。


「うううう……ううううううう……」


 うめき声が聞こえます。

 明らかに尋常ではありません。

 困りました。

 ここでナースコールをすればいいだけですが、それをしたら負けのような気がします。

 自動的に爺さんの世話係にされそうです。

 そんなの嫌です。

 私はここに病気を治しに来たのであって、老人介護の実習ではないはずです。

 私は辺りをうかがいました。

 良く見ると他の二人も電気をつけてました。

 同じ事を考えてやがる!

 ここにいる三人は全員がほどよくクズでした。

 放っておくほどは鬼畜ではないけど面倒は嫌なのです。

 要するに普通の人だったのです。


 『関わりたくない。誰かがやってくれればいいのに』


 そういう緊張感が場に流れていました。

 私はため息をつきました。

 しかたがない。

 こういうときは若輩者が泥を被るものなのです。

 私はナースコールのボタンを押しました。

 なぜかほっとしたようなため息が聞こえたような気がします。


「はい藤原さん。どうされました?」


「隣の人がベッドから落ちて動けないみたいです。うめき声が聞こえます」


「はいー」


 これ以上休めないようだったら、病院から出ますから。

 私は心に誓いました。

 眠れなくなった私がゲームで遊んでいると、看護婦さんがやって来ました。


「はいはい。藤原さーん。どうしましたー?」


 だから私じゃねえっつーの。


「いえ隣の人がベッドから落ちてうめいているので連絡しました」


「え? ほんと? XXさーん」


 看護婦さんがカーテンを開けました。


「XXさん! え? ちょっと! たいへん!!!」


 看護婦さんが携帯で仲間を呼びます。

 召喚魔法ですね。

 って、ちょっとたいへんな事態じゃないですか!

 そのあとは大騒ぎです。

 何と表現すればいいのかはわかりませんが、簡単に言うと爺様は落ちて怪我をしました。

 骨を複雑とか粉砕とか開放とかもの凄い単語が飛び交ってますが、私は知りたくありません。

 絶対に知りたくありません。

 知ったら嫌な気分ではすみません。


 なんかストレッチャーの音とかしてますが何も聞こえません。

 社会的に何も聞こえないのです。


 いつまにか私は寝ていました。

 寝ている私の肩が何者かに叩かれました。


「あの藤原さん……」


「寝てますよー!」


「起きてるじゃないですか」


 あー! もう! やだやだ。

 私は体を起こしました。

 テーブルの上にエロ本を開きっぱなしにしていたのを発見しました。

 どうやら(病院で買える程度のライトな)エロ本を読んでいて寝落ちしたようです。

 よりにもよって看護婦さんネタのページです。


 うあああああああああああああ!(頭を抱える)

 ごろごろごろごろ(悶絶)


 完全に黒歴史です。

 今思い出しても死にたくなります。


「ちょっと詳しい話を聞きたくて」


 エロ本を見なかったことにした看護婦さんが何事もなかったかのように言いました。

 その優しさがツラい!!!


「あ、明日じゃダメですかね?」


 完全に不審者です。


「いえ……ちょっと……すいませんがご協力ください」


 時計を見たらもう5時でした。

 少しは本当に寝ていたようです。


「ナースステーションかデイルームでいいですか?」


「あ、すいません。行きましょう」


 私はナースステーションに行って同じ話をしました。

 音がして、うめき声が聞こえて、ナースコールをした。

 私の知る事実はこれだけです。

 あとは意図的に頭に入れませんでした。

 人間は知らない方がいい情報に囲まれて暮らしているものです。

 自分の未来とかですね。

 とにかく私はそういう情報は頭に入れないようにしています。

 それが底辺校での生きる知恵です。

 『好奇心は猫を殺す』でしたっけ?

 つまりそういうことです。

 好奇心を持つ必要のないことも世の中にはあるものです。

 私は証言をして開放されるともう何度目かわからない眠りにつきました。


 起きるとナースステーションに朝食があるとの書き置きが置いてありました。

 時間を見るともう昼でした。

 私は尻をかきながらナースステーションに行きました。

 もうね。

 寝たはずなのに疲労度マックスです。

 特に精神が!


「ちーっす」


 私がナースステーションに行くと看護婦さんがにっこり笑いました。

 嫌な予感がします。


「ごめんね藤原さん。またお話聞かせてくれるかな?」


「えー……」


 今度こそ私は露骨に嫌な顔をしました。

 だってもう関わりたくないもん!

 疲れすぎて朝食と昼食を半分も食べられずに返すと、今度は背広の人が来ました。


「あの藤原さん。別室でお話を聞いてもよろしいでしょうか」


 よろしくないです。

 というわけにもいかないので話をします。

 音がして、うめき声が聞こえて、ナースコールをした。

 完全に同じです。


 もうね!

 何度も言いますが私はここに体を治しに来てるの!

 証言も爺さんの世話も嫌なの!!!


 だんだん腹が立ってきました。


 なんでこうなった!

 さてさて、一通りムカついてから病室に帰ると、爺さんは帰ってきてませんでした。

 今日はよく眠れそうです。

 よかったですね!

 ですが人生とはそんなに上手くいくものではありません。

 爺さんは数日で帰ってきました。

 そこからがもうたいへん。

 今度は一日中うめき声を上げるようになったのです。


「うううううう! うが! うがああああああ!」


 正直言って頭がおかしくなりそうでした。

 一日中うめいているのです。

 まさに地獄です。

 ぜんぜん眠れません。

 昼間こそデイルームにいればいいのですが、夜はどうにもなりません。

 なにせ爺さんは昼も夜もうめき声を上げ続けるのです。

 同室の人たちも一晩でやつれました。

 なんたって酒も飲みに行きませんもの。

 さてさて、その後何日か爺さんは騒ぎ続けました。

 何日かというのは記憶が曖昧という意味で、もしかすると一日だったかもしれません。

 寝不足によって我々はどんどん弱っていったのです。

 そんな地獄のような日はある日突然終わりました。

 それはある日の朝でした。

 うめき声が全く聞こえなくなりました。

 そのとき機械が鳴っていたような気もしますし、鳴らなかったかもしれません。

 心配になった私はナースコールをしました。


 看護婦さんが来てすぐに爺さんをストレッチャーで運んでいきました。

 ……まあ……結論から言いますと爺さんはいなくなりました。

 帰ってこなかったのです。

 何がどうなったなんて聞きませんし、知りたくありません。

 おそらく亡くなったのだろうと思います。


 正直言って迷惑でした。

 でも思うのです。

 人間の終焉は穏やかに迎えることは非常に希なことで、私たちもまた最後はこうなるのではないでしょうか。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る