その2

国家立法府、国会内の一室。壁は全て白く、ガラス製のテーブルと赤い二人掛け用のソファーがテーブルを挟んでふたつ置かれている。防音性が高いのか外部からの音は全くもって聞こえてこなかった。

 アリスはソファーの真ん中に座り、ロザリーは彼女の斜め後ろに立っていた。

 彼女たちと対するソファーに腰掛けているのは、若く顔立ちのいい少年と、女装した変な男。

 少年は隣にいる男に少なからず圧倒され、体を硬直させチラチラ視線を向けていた。

 アリスは女装した男を目を細くして凝視。一見女に見えなくもなく、色々と騙される者は後を絶たないという。

「紹介しましょう」

 顔と声のギャップに、アリスは身震いを起こした。

「こちら、ルイ・セラフィム様。今回の依頼主よ。で、あの小娘が先ほどお話した悪魔祓い師のアリス」

「私が小娘なら、お前はキメラでしょうねマリア」

 口を引きつらせながらアリスは言い放った。

 23歳の男が女装趣味で、尚且つ自分に仕事を与えてくる上司とは異色すぎる。

「依頼内容を聞いたら、さっさと仕事に移るから早くして頂戴」

 アリスの態度にマリアは溜息をつき、

「いいわ」

 マリアは足を組み、

「今回の依頼、外部に漏らしては駄目よ。絶対に」

「極秘ねぇ…」

 絶対に外部に漏らしてはいけない、というマリアのセリフはいつも言っている事で、マリアの目上の人間の極秘依頼。

「1週間前から、夢に悪魔が出るそうよ。引きずり込まれたり、殺されそうになっている。誰かからの差し金という可能性もなくはない」

 私は今、お前のせいで悪夢を見ているわ。と、心の中でアリスは呟いた。

「セラフィム家はね、国家にとってなくてはならない一族。絶対に守り通して頂戴」

「…」

「地獄に落とされても這い上がってくる覚悟はあるんでしょう?」

 アリスはその一言で不満の色を表情に露わにした。

「アリスならやってくれるわよね」

「えぇ。バケモノより、悪魔のほうがまだ可愛げがあるもの。やるわよ」

「…死んでも、お願いね」

 言葉を強調しながらマリアは立ち上がり、

「それじゃあ私は行くから、後はお願いね」

 口角を上げ手を軽く振り、マリアはヒールを音を鳴らしながらアリスを横切っていき部屋から出て行った。

 アリスは目を閉じ、今、自分の中で蠢いている感情を抑えた。

 ゆっくりと瞼を開き、目の先にいるルイを凝視した。

 金色の猫毛、宝石のような綺麗な青い瞳。色白の肌。まるで人形のような整った顔。美少年図鑑に載っていてもおかしくはないだろう。年齢はアリスと一緒くらいだろうか。だが、ルイのほうがどこか大人びていた。

 ずっとアリスに熱い視線で見つめられているせいか、ルイは困ったように視線を外した。すると、ガタッ、とアリスは立ち上がり、両手を腰に当てて顎をクイッと上げた。

「そう怯えなくても宜しくてよ」

「え…」

「安心なさい。私がいればあなたは死ぬことはないわ」

「…えーとぉ……」

 ルイは苦笑。

 アリスは真顔で眺めているが、小さな鼻の穴からは一筋の血が垂れている。

「お嬢様」

 と、そこにロザリーが近づき、胸ポケットからハンカチを取り出しアリスの鼻に当てる。そして、そっと耳打ちをした。

「よからぬお考えはお止め下さい」


 国家立法府を出て、アリスたちは天郷領域区も飛び出しシリル国裏路地区に来ていた。古く錆びれた建物が並び、ほとんどの店が看板を下ろしている訳は風俗専門の店ばかりだからだ。シリル国唯一の治安の悪い区域である。

 石畳の道路脇に馬車を止め、ロザリーとルイを取り残してアリスだけ外に出ていた。

 『極楽女神』と書かれた看板の店の中はまだ開店前であり、スタッフが店内を清掃している姿や、売り子の女たちがカウンターに集まって雑談をしている。アリスは周りを見渡し、顔見知りの店員を発見すると足を進めた。

「――げぇ」

 と、頭ボサボサの店員はアリスが近づくと、明らかに嫌そうな顔をして両手で動かしていたモップを止めた。

「店長は今外出中なんだけど…」

「そんなの関係なくてよ」

「…どうしてもか?」

「私が何のためにここに来ていると思っているのかしら」

「何てーかさぁ、俺が勝手に開けちまうと叱られるんだぜ?」

「叱られて喜んでるじゃない」

「う、うるせーなぁ! 店長は美人だからしゃーねぇだろっ!」

「よかったわね、またお仕置きされるわよ」

「くっ、そぉ……」

 握り拳を作り、店員は悔しいながらもどこか嬉しそうでもあった。持っていたモップを壁に掛け、アリスに向かって顔を横に1回振り、ついてこいと合図を送った。

 カウンターを横切ると、売り子たちはアリスに向けて小さく手で挨拶をし、「見てみて、またアリスの言いなりになってるわよグレン君」「よっぽど店長にお仕置きされたいのね可愛いぃ」と、クスクス笑いながら売り子たちは話していた。

 グレンと言われた店員の男は目元を引きつらせながら、店内奥の、従業員以外立ち入り禁止と書かれたプレートの部屋へと進んでいく。従業員部屋なのか、アリスには不向きな艶めかしい衣装が何着も壁に掛けられており、売り子の化粧台や、着替え室等があった。グレンはさらに奥へ進み、店長と書かれたプレートの部屋の前で立ち止まり、一瞬躊躇いを見せたもののノブに手を回し部屋へと入り込んだ。

「ほれ」

 グレンはドア近くに置いてあった椅子に座りながら言った。

 部屋の中には拳銃や剣、斧や盾、はたまた十字架などがショーケースの中や壁一面に飾られていた。アリスは部屋の中にあるものを物色し始めた。


 ルイは変な緊張感に襲われていた。

 初めてこのような場所に来るからなのか、それとも、何も語らないロザリーが怖いのか、膝の上で両手を握りしめ顔を下に向けていた。アリスが出てからすでに30分は経とうとしていたが、それまでふたりの会話は一切なかった。

 ルイは考えた。気まずい空気を作っているのではないかと。なにか、交流の取れる話題はないのかと脳内をフル回転させた。

「――どうか、されましたか?」

「えっ!」

「難しそうな顔をされてましたが?」

「い、いえ、何でもないです…」

 自分の笑顔が引きつっていることを、ルイは分かっているのだろうか。

「…お嬢様は変態ではありますが、仕事は手を抜かないのでご安心を。それから、ひとつ、よろしいでしょうか?」

「何でしょう…?」

「わたくしの遠い記憶のことなので、確かな情報ではないかもしれませんが…」


 天使の名が消えるようになったのは、定かではない。ただ、自然と消えていった。神に仕えていた天使は、この世界で身を潜めながら人間と共存するようになっていった。天使の中には、神の卵を宿す者がいた。卵は孵ることはないが、天使の名として、宿命名を授かることになっている。それは、地獄と天界の秩序を保つための必要な事であった。この世で表向きにされないのは、国家が世界秩序を守護するため、天使の名を受け持った者を匿うため貴族の一員として保護しているからだという。

 そして、近々、宿命名を授かる者が出た。という噂の流れをロザリーは聞いたらしい。

 ルイは体を強張らせて、ロザリーの話を聞いていた。

「セラフィムとは、天使階級最高位の名。ルイ様が宿命名を授か――」

「あ、あのっ」

 ルイの手が微かに震えている。

「…宿命名は、確かに僕が授かることになってます。でも、こんなことになってしまって、いや…本当に僕でいいのかどうか……」

「ルイ様以外、誰がやるのですか? ルイ様ならお嬢様より堅実でしょうから、運命に身を委ねてもいいでしょうね」

 ロザリーのセリフに、ルイは肩の力を抜いた。

「…ロザリーさんって――」

 と、外のほうが騒がしくなり、ふたりは窓を覗いた。大きな黒い袋を抱えたグレンと、腕を組んでこちらに向かってくるアリスだった。

 近くまで来るとアリスはドアを開け、グレンに指示を出した。

「そこに置いてちょうだい」

「へーへー」

 半分身を投げ込み、抱えていた袋をロザリーの隣に置くとグレンはルイの顔を見るなり眉を寄せては、

「こいつ女か?」

「馬鹿ね! 男よ!」

「ふぅん」

 グレンは体勢を戻し、ロザリーへと顔を向けた。

「ロザリー、何とか言ってくれよ。こいつ、片っ端から店長のコレクション持っていきやがってさぁ」

「それはそれは…だいぶ失礼なことをしてしまったようで、申し訳ございません。でもグレン様、お仕置きされたかったのでしょう?」

「ちげーよ!」

 アリスは馬車に乗り込み、

「少しは開店時に来いよな。店長が喜ぶからよ」

「…分かったわ」

「あと、お前もな」

 ルイを指さしてグレンは言った。

「可愛い子そろってるからよ!」

「え、あ、はぁ…」

 親指を突き立てるグレンに、ぎこちなく頷くルイ。アリスがドアを閉めると、馬車はゆっくりと走り出した。

 座席一人分を埋める黒い袋に、ロザリーは飽きれてため息をついた。

「お嬢様」

「余計なものは買ってないわ」

「買ってますよね」

「買ってないわよ!」

 と、いつものことながら2人の口論が始まった。ルイは唖然とし、身を狭くして流れる外の景色を眺めた。

 天郷領域区とは違い、大きな屋敷もなく静けさはなかった。喫茶店のオープンテラスでお茶会を開いている夫人たち、道端で布を敷いて骨董品を売る老人や、子供たちが駆けっこをしていたり、普段見ることのない景色にルイは魅了されていた。

 馬車の揺れ、心地よい気温にルイの瞼が徐々に下されていく。アリスとロザリーの声が遠退いていくのが分かる。そして、何かに引きずり込まれる感覚。

「………………て……」

 アリスはその消える声に振り返った。

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