悪魔祓い師のお嬢様と、その執事、悪魔

猫眼鏡

その1

「――で、お前は何をしているの?」

 眠りから目を覚ましたアリスは、目と鼻の先にいるロザリーへと怒りの言葉を投げ放った。少しでも顔を動かしたら接吻する距離に、彼は眼を光らせて凝視している。そして、ロザリーはその美形たる顔に笑みを浮かべ、スゥッ、と離れていった。

 また、美少年を食らう夢ですか? と言わんばかりに、アリスの口元に付着した涎を眺めていた。

「おはようございます、アリスお嬢様。随分と幸せそうな寝顔でしたので、つい、手を出しそうになっただけでございます」

 アリスは彼の言葉に、ハッ、とし口元を手の甲で拭い取り、

「そして、いいかげん、起きてください」

「今日は予定など入ってなかったわよね。なんで早く起きなきゃならないのよ。もう少し寝かせてよね、徹夜で眠いの」

 ふん、と鼻を軽く鳴らして再び布団を被るアリスに、ロザリーは優しい笑みを消し去り目を細めた。すると、フッ、とアリスの体や布団、枕が宙に舞いあがる。ロザリーは自分の前に宙ぶらり逆さまになった不服な彼女の顔を見詰めた。アリスはネグリジェの袖を両手で押さえながら、

「で、何なの?」

「確かに今日は予定はありませんでしたが、つい先ほどマリア様からお電話をいただき、国会まで来てほしいとの連絡がございました」

「だからって、この私に対する仕打ちはどうかしら」

 ロザリーはどこからともなく、アリスの目の前にとある雑誌や本を差し出した。アリスは目を丸くして、その本たちを奪い返そうと両手を伸ばした。ハラリ、とネグリジェの裾が垂れ、下着姿が曝け出すがなぜか色気など微塵も感じさせない。

「かっ返しなさいっ!」

「何ですか、これは?」

 奪い返そうとするアリスの細い腕を綺麗によけながら、ロザリーは顎を少し上げアリスを見下す。

「私の楽しみを奪うというならっそれなりの覚悟をなさい!」

「覚悟ですか? それはこちらのセリフです。何なんです、これは? 週刊美少年? 癒しの猫系美男子写真集? これが徹夜の原因ですか? 国家勅令の悪魔祓い師というお方がこんなもので――」

「こんなものですって! 私にとって唯一のストレス発散の本なのよ!」

 誰のせいでストレス溜まってると思ってるのよ! とアリスは心の中でロザリーに向け叫んだ。

「だからと言って、寝坊していいわけではないでしょう」

 アリスとロザリーはしばらく睨みあい、

「燃やします」

「ちょっと待ちなさ――」

 その掛け声と同時に、アリスの目の前で青き炎が燃え上がった。数冊の本たちは瞬時に灰と化し、空気を舞う灰は跡形もなく昇華された。


 ティファレト家は、代々悪魔祓い師として国に仕えてきている。国家勅命で、不可解な事件等が起こるとティファレト家は容赦なく駆り出されることになっていた。立て続けに仕事が入ったり、約半年も仕事のない時もある。はたまた、他国からの依頼で遠出することもしばしば…。不定期な仕事に慣れているのか、高収入のためなのかアリスはさほど文句はないようだ。

 マリアからのお呼び出しの時は確実に仕事の依頼だ。女装趣味のマリアに、アリスは毎度悪夢を見ているような感覚に襲われるため、依頼を引き受けるまでは憂鬱だという。

 ガタガタと揺れる馬車。穏やかなシリル国の街並みを、アリスは不満そうに足を組みながら眺めていた。

 肩下まである癖のある銀髪。濃いカナリア色の瞳にローズピンクの唇。細身の体。フリルのあしらった白のワイシャツに、黒のベストにスカート。17歳でありながら、3年前からこのシリル国家に務めている。最初はひとりで行動をしていたのだが、いつの間にか、ごく自然と彼女の隣に1匹の悪魔、ロザリーが寄り添うになった。彼はアリスを殺すつもりもなく、ただ彼女の身の回りの世話をしている。狙いの分からないまま約1年、共に過ごしていた。

 ロザリーがいることで、悪魔祓い師の名を貶してしまう、そして、国家から追い出されることがアリスの日頃の悩みであった。

 胃がキリキリする。

 アリスは溜息を吐き、お腹に手を当てた。

「――太りましたか?」

「お前のせいよっ!」

「おかしいですね。食事管理が怠っているはずがありませんのに」

 アリスの心を読んでいるのか、ロザリーは棒読みで返した。

 ロザリーの執事能力はとくに文句はなかった。掃除はまめであり、庭の手入れも慣れたものだった。料理はアリスが認めるほど美味しい。そして、美形。だけど彼は悪魔だ。

 馬車はテンポに合わせて閑静な並木通りを抜けていく。先ほどまでの賑やかさはなく、どこか高圧的な雰囲気を漂わすこの場所は、国家貴族たちの住む天郷領域区。一般市民の出入りはなく、役所で通行許可を取らないと入れない閉鎖区域だ。

 この天郷領域区の奥に、国家立法府がある。国の総べてを決定する、まるで神に近い場所だ。そんな場所にこの悪魔は堂々と入り込むこの理不尽さ。

「――ロザリー」

「なんでしょうか」

「変だと思わない?」

「何がです?」

 微笑を浮かべるロザリーに、アリスは顔を斜め横に向け眉を寄せた。

「お前は私の執事だというのに、なぜお前は私をここまでイライラさせるの?」

「そうですね、わたくしが悪魔だからでしょうか」

 自覚はあるようだ。

「お前が来てから、私は睡眠不足になるわ肌荒れが酷くなるわ…」

「欲求不満でしょうか?」

「違うわよ! お前のせいだと言っているの!」

「そうですか、それは失礼いたしました。お嬢様の精神面の事を考えていなかったわけではありませんが…そうですか」

「な、なにをっ!」

 ロザリーは右腕をアリスの肩に回し自分の方へ引き寄せ、左手の親指と人差し指でアリスの顎を乗せ顔を持ち上げた。

「こういうケアを忘れておりました」

「どういうケアよ!」

 揺れる馬車はさらにガタガタ揺れ、中から変な少女の甲高い悲鳴が上がった。

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