最終話 例え世界が暗闇でも
数日後の、夜。
傷の痛みが消えないまま、ナギトはテストミア郊外にある森にいた。空には満天の星空。おとぎ話の元になった星座たちが、宝石みたいに光っている。
町の中では気に留めない、自然の光。マナも魔術もない、星そのものの風景。
「……」
全身の力を抜いたまま見上げること数分。近付いてくる足音に、ナギトはハッと目をやった。
音はゆっくりとしていて、二組分ある。
しかし、片方はぎこちない足取りだ。自分の居場所さえ分かっていないような不安感。
「兄様」
一つ目の足音は、妹のリオ。彼女はしっかりと前を見て、足取りに迷いなどない。
そしてもう一つは、
「な、ナギト……?」
目を包帯でおおった、一人の少女だった。
不安げな歩みをしているのは彼女の方。巻かれた包帯は目の他、利き腕も同じようになっている。――その下にある、異形を少しでも隠すために。
アンバランスな身体を見て、ナギトは思わず息を飲んだ。
彼女の利き腕があった位置には、何か丸太のように太いモノがある。腕にしては若干長めで、膝のあたりまで伸びていた。
正体は、ドラゴンの腕。
目も同様である。ドラゴンの甲殻らしきものに犯され、完全に視界は断たれていた。
「皇女様、そのまま真っ直ぐ歩けば兄様がいるぞ」
「そ、そう……」
生まれて初めて味わう、闇の世界。
彼女はリオの手から離れると、足元を確かめるように歩いていく。人肌を残したもう片方の手は、少年の感触を探し求めていた。
いてもたってもいられなくて、こちらの方から彼女に触れる。
「大丈夫?」
「え、ええ、どうにか。……しばらくは迷惑かけるでしょうけど、よろしくね」
「もちろん」
しっかり手を握りながら、笑みを混ぜて解答する。
もちろんアルクノメには表情なんて伝わらないが、まあ声色で伝わったと信じよう。
「はあ、こっちのことも心配してくれ、兄様」
「って言っても……」
愚痴を零す妹は、やはり片腕がない。
義手を用意してもらうとのことだが、マナ石を使った特注品だそうだ。これまで通りの生活を送るには、少し時間を要するらしい。
「……」
ナギトはそれを見ても、顔色一つ変えなかった。
あの戦いは、お互い納得済みのことだったと思うし。こっちがいろいろ気を使うのは、どうも自分の主義じゃない。
「まあいい。とにかく気をつけるんだぞ、二人とも。追ってくる連中もいるだろうからな」
「分かってる。……じゃ、またね」
「ああ」
名残惜しむこともなく。
兄妹は、そこであっさりと背を向けた。
上を見れば星空が、前を見れば暗い森が。
そう懐かしくもない、アルクノメと帝都から脱走した日を思い出す。
あれからほんの少ししか時間が立っていないのに、随分と状況は変わってしまった。
でも、こうして彼女は生きている。
なら良しとしよう。一番大切なことは、きちっと通すことが出来たのだ。
アルクノメに一声かけて、ナギトはゆっくりと歩きはじめる。
旅の目的は、まず他の会場都市に向かうことだ。そこなら、彼女への干渉も最小限に抑えられる。
「――ねえ」
歩き始めた直後、アルクノメは
「……不謹慎な言い方かもしれないけど、私、ちょっと楽しいわ」
「はは、僕もだよ。こうやってピッタリ世話すること、今までなかったし」
「大変になったら言ってね?」
「うん」
まあ、彼女の方が大変だろうけど。
それからは無言で歩く――と思いきや、アルクノメはまだまだ話し足りないらしい。両足の動きは止めないまま、ねえ、と前置きを作る。
「帝都から逃げてきたときに比べて、私、変わった?」
「どうだろ。当時は君、少しネガティブになってただけだと思うけど」
「……ま、否定は出来ないわね」
彼女からは、深いため息。
映らない空を見上げる横顔には、別れの色があった。
「私ね、お父様より凄い皇帝にならなきゃ、って思ってた。歴史の転換点になるようなコトをしなきゃ、って」
「それで処刑?」
「自分でも馬鹿馬鹿しいとは思うけどね。まあ、それだけ焦ってたんでしょう。でも――」
私には、出来そうにもない。
胸を張って、アルクノメは空に告白した。
「器じゃなかったのよ、私は。――どっかの誰かさんだって、私の夢について全否定してくれましたし?」
「あ、あれは、その……」
「いいのよ、全部事実だもの。……だから私、少し荷物を降ろそうと思うの。誰かに埋もれたくないし、やっぱり自分っていうのは失くしたくないし」
「夢はどうするのさ?」
「そんなの、後で見つけるわよ」
清々しそうに彼女は言った。肩の力を改めて抜くところも、圧しかかっていた負担を物語っている。
嬉しいような、悲しいような。
あんなことを吐いておきながら、いろいろと複雑なナギトだった。
「ところでナギト、貴方の夢は何?」
「えっ」
「? 何よ、意外そうな声出して。まさか無いとか言わないでしょうね?」
「い、いや、そりゃああるにはあるけどさ……」
本人を前にしていうのは、ちょっと。
黙ってお茶を濁すナギトだが、アルクノメの好奇心は振り切れない。口元を楽しそうに歪めて、逃がすまいと身体を預けてくる。
「教えなさいよっ、笑ったりしないから」
「い、いや、そういう問題じゃないですよお姫様」
「えー、ケチ。私との仲なんだから教えてくれたっていいじゃない」
「む、無理だって!」
それでも喰い下がるアルクノメ。ナギトはひたすら、無理の二文字を盾にする。
――緊張感の欠片もない、旅路の夜。
こんなやり取りを、ずっと続けていたいと。
心に近いながら、二人は未来を目指していった。
独善独悪のバルバロイ 軌跡 @kiseki
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