第25話 万華鏡の名前

 皇女ということもあってか、案内されたのは先日の襲撃でも無事だった屋敷だった。

 市民が結晶生物となる未曽有の事態。今もナギトの記憶には残っている。


 しかしクリティアスやナギト、応援としてやってきた共和国兵の活躍により、一先ずの平穏は取り戻されていた。

 ヘレネスは結果として全滅したものの、どうにか二耀族は生き残っている。これからは共和国と協力し、復興へ努めていくことになるだろう。


 傷だらけの町並みを眺めながら、ナギトは件のた屋敷に辿り着く。警備に当たっている兵の数は多い。

 結晶生物が全滅したとはいえ、まだまだ気の抜けない状況のようだ。


 先日の雨が作った水たまりには、清々しいぐらいの陽光が映っている。


 眩しさに目を逸らして、二人は屋敷の中へと案内されていった。武装した兵も同行し、剣呑な空気感が続いている。


「こちらです」


 止まった先にあるのは、途中でも見掛けた普通の扉。

 ペロネポス皇女が閉じ込められている雰囲気は、失礼ながら感じない。出入り口を見張っている者すらいなかった。


 まるで彼女に、脱出する意思がないと決め付けるような。


「念のため、私も一緒に入ろう。お話自体には首を突っ込まないから、安心してくれたまえ」


「は、はあ」


 今更だが、自分が呼ばれた理由を聞くべきだろうか?

 雑念へ浸っている間に扉が開く。中には机とベッド、最低限の品が置いてあるだけだった。窓から差し込む陽光が活気を与えているが、全体像としては殺風景な部屋でしかない。


 その中心に。

 絶望の底から救済された瞳を持つ、高貴な少女が立っている。


「……」


「――」


 お互い、意味もなく見つめあった。

 先に視線を逸らしたのは、アルクノメとかいう皇女の方。頬を緩めて、彼女は部屋にある椅子へと腰を下ろす。


「……貴方がナギトね。ちょっと話したいことがあるんだけど、いい?」


「ええ、僕で良ければ」


 途端、アルクノメの顔色が変化する。

 しかし雑念か何かだったのか、彼女は首を横に振るだけだった。ナギトは追求することもせず、招かれた通りに皇女の前へ。


「――私ね、目標があったの」


「皇女としての、ですか?」


「そう。……二耀族とかヘレネス族とか、そんなことを意識しないで生きられる世界を作ろうって。これまでの歴史を変えようって、そう思ってた」


 でも、と皇女は言葉を切る。

 数日前、それが夢幻に過ぎないことが判明した。そもそもヘレネスたちは人間ですらない。マナによって生み出された、仮想生物とでも呼ぶべき存在だ。


 アルクノメの願いは否定されたどころか、もともと存在しなかった。

 それを特別、哀れだなんて思う気はない。


「もう私の願いは叶わないけど、願いの価値、善悪は違うところにあるって考えてる。……だから、貴方に聞きたいの」


「皇女様の気持ちが、正しかったかどうかを、ですか?」


 一瞬。

 よく分からない悲しみを宿して、皇女は小さく首肯する。


 話してやる義理は何一つないのだが、答えない義理も何一つない。問い掛けの内容自体は面白いし、せっかくだ。

 この、凡庸に落ちようとしている皇女をすくい上げてやるとしよう。


「貴方の理想は、僕にとっては無価値に映ります」


「――どうして?」


 今にも泣き出しそうに。

 座った彼女は、声だけでナギトに詰め寄った。


「大勢の人を平等にするってことですよね? だったら、それは凡庸にならなきゃいけない。同意してくれる人間が沢山必要になるわけですから」


「……確かにね。余計なお節介って、そういうことかしら」


「外れではないですね。――でも世の中を変えるってことは、どう動いてもそこに行き着く。最初から価値なんて無いんですよ、世界を変えることには」


「じゃあ、どういう行為なら価値があると思うの?」


「知りません」


 議論で温まっていた空気が、一瞬にして冷却される。

 でも知らないものは仕方ない。物事の価値なんて、個人個人によって異なるものだし。――世界という不特定多数を相手にするからこそ、さっきは無意味だと言っただけだ。


 一般化された思想や技術には、最終的に価値が無くなる。

 宝石と同じだ。珍しい場所、方法で獲得されるから価値が上がる。そこらへんに転がっている石ころへ、大金を叩くやつはいないだろう。


「……変なやつ」


「はい?」


「独り言よ、気にしない。――じゃあせめて、貴方にとって価値あるものを教えてくれる? それで話はお終いにしましょう」


「僕個人の観点で、ですか?」


 皇女は力強く頷いた。

 ナギトに迷いはない。人前で告白するのは恥かしいけど、なぜか彼女には言わなければならない気がする。


「人の心、ですかね」


「心?」


「人間って、誰一人同じ人生を歩んでないと思うんです。その中で育まれた心は、一つ一つが希少なものだと思うんですよ」


「……人の心なんて、日々変わるものじゃない? 直ぐに形を変えるなら、怖い存在でもあるでしょうに。それを信じるなんて、難しいんじゃない?」


「万華鏡って、綺麗ですよね?」


「え?」


「でも万華鏡は、仕組まれた通りにしか変わらない。人間も同じです。土台はどうやっても変わりませんから、変化するって言ったって限度があります。でも――」


 純粋な瞳が、真っ直ぐナギトを射抜いてくる。

 妙な居心地の良さが、少年を饒舌じょうぜつにさせていた。


「万華鏡ですからね、本質ってのはなかなか見抜けないと思いますよ」


「じゃあ、分からない相手のことは信用するなって?」


「いえ、そうじゃないです。むしろ逆です。本質が分からないぐらい深い人間だから、美しく見えるんじゃないですかね?」


「……万華鏡だから?」


「ええ」


 だからあらゆる人間は、本質的に特別なものだ。

 例外があるとすれば、集団化した人間だろう。彼らは同じ物を持ち寄って団結する。そこは特別性を極力排除した、凡庸であるからこそ成立する団体でしかない。


「――とまあ、僕の話はこんなところです。宜しかったですか?」


「ええ、お開きにしましょう。そこの男も退屈そうにしてるわけだし」


 彼女の視線を追えば、確かにクリティアスは大あくびをしていた。

 ナギトは皇女の動きに合わせて腰を上げる。要件である雑談が終わった以上、この部屋に留まる理由はない。さっさと学校へ向かわなければ。


「私もね」


「え?」


「私も、自分の夢が馬鹿らしいって思うことはあったの。誰かに尽くすって、それは自分を殺すことになるだけじゃないかって。……相手は私のこと、何一つ知らない相手なんだもの」


「皇女様……?」


 悲しそうに、けど嬉しそうに。

 表情が見えないのにも関わらず、抑揚だけで確かなイメージが伝わってきた。


「でもね、一人だけいたの。私を知ってくれる人、私を導いてくれる人が。……まあ実際は、自分を曲げないそいつのこと、自分が一番大切なそいつのこと、妬んだけかもしれないけど」


「いいじゃないですか、それでも」


「……どうして?」


「だって、相手は皇女様のことを知ってるんでしょう? 皇女様っていう万華鏡のことを知ってるなら、十分じゃないですか」


「私、そんなに深い人間じゃないつもりだけど?」


「僕にはそう見えませんよ?」


 夢を語っている間、彼女は悩んでいた。いや、苦痛を感じていたと表してもいい。

 彼女自身、正しい行いではないと分かっていた。


 なら。


「皇女様は、その導いてくれる人を信じてるんですね」


「変なやつよ? 何考えてるかなんて、ぜんっぜん分かんないぐらい」


「分かんないって信じられるなら、十分じゃないですか」


 少なくとも、理解を口にするよりは上等だ。

 人付き合いで大切な距離感。理解という概念は行き過ぎだし、他人と自分を同一視する愚行でもある。


 人間に絶対悪があるとすれば、理解の二文字こそ相応しいだろう。

 彼女は分からないと言った。一方で、私を知ってくれる、とも。


「それにきっと相手の方も、皇女様のことはよく分かってないと思いますよ?」


「ふうん……まるで知ってるような口ぶりね」


「はは、まさか」


 名前だって聞いていない人物だ。知っている筈がない。

 それでも断言できる辺り、何か共感する部分があったんだろうけど。


「……じゃ」


 一連の話に今度こそ満足して、皇女アルクノメは部屋を出る。クリティアスが扉を開け、ナギトもそこに続いていった。


「おっと、ナギト君」


 ごく自然な動作で、彼に額を突かれる。

 それだけで。

 ナギトの意識は、綺麗さっぱり狩り取られた。

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