第24話 新しい朝

「ん……」


 目を覚ました直後、妙な違和感に襲われた。

 喪失と義務が混じりあった感じ、とでも例えればいいんだろうか。自分を定義付ける上で大切な何かを、これからしなければならなかったような。


 記憶の引き出しを片っ端から探ってみるが、手応えはない。

 なら大した用件ではないのだろう。変な夢でも見たに違いない。


 ナギトは布団の中から身体を起こすと、まず身体の動作を確認してみる。

 あちこち傷だらけだった。訓練と称して、クリティアスと本気の試合をしたのが原因である。まだまだ実力差はあるのに、調子に乗って本気で来るように頼んでしまった。


 向こうも向こうで冗談が通じないから、結果は火を見るより明らかだったわけで。


「はぁ、まだまだか」


 こんな調子じゃ今年の闘技大会、どこまで勝ち抜けるものか。

 せっかくテストミア代表の一人として、恩返しできる機会を得たのだ。最低でも本戦まで残って――


「――うん?」


 恩返しって、何を?

 いや、世話になったことをだ。――何を? テストミアに住んで、それほど時間は立っていない筈だぞ。


 違和感は徐々に強くなっていく。が、やはり記憶からは引っ張り出せない。それも靄が掛かっているのではなく、絶壁を前にしたような拒絶の顛末。

 妙な話ではあるが、自分の感違いと落とし込むしかなさそうだ。


「兄様、起きてるかー?」


 礼儀正しくノックするのは、血の繋がった妹。

 唯一残った肉親を自覚できることに安堵しつつ、節々が痛む身体を慎重に動かす。くそ、今度会ったら文句を言ってやらないと。

 扉を開けた先には、ナギトの胸辺りに頭がある、小さい少女が立っていた。


「おはよう、リオ。もうご飯できてる?」


「ああ、直ぐだぞ。……その、身体は大丈夫か?」


「見ての通りだけど? まあ多少は頑丈だから、日常生活には問題ないさ」


 と言いつつも、表情は引きつってしまう。

 朝一番の溜め息を聞きながら、二人は足並みを揃えて居間へ。年期の入り始めた木造の廊下を、日常の光景として歩いていく。


 やはりここでも違和感を覚えるわけだが、リオの前で口にする気はなかった。こんなもの、話したところで時間つぶしにすらなりやしない。

 台所に消えていく彼女の背を見送って、ナギトはテーブルにある新聞を手にする。


 日付は昨日のもの。トップを飾っているのは隣国、ペロネポス帝国の皇女に関する続報だった。


「そういえば、処刑されるんだって? 皇女様」


「っ!?」


 リオは跳ねるように振り返ると ナギトが手にした新聞をひったくった。

 呆気に取られて、しばらく棒立ちしてしまう。――妹の挙動には鬼気迫るものがあり、理由を尋ねることさえ許してくれない。


「べ、別に兄様が気にすることじゃない。見知らぬ他人なんだから」


「う、うん。そうだろうけどさ」


 珍しく必死な彼女に、こちらも珍しく好奇心が働く。

 リオは新聞を折り畳んで捨てると、再び台所の方に立った。皇女の話をもう一度してみようか、なんて悪戯心に駆られるが、寸のところで口を閉ざす。


 指摘された通り、赤の他人ではあるのだ。親身になってやる理由はどこにもない。


「――にしても、帝国も大変だよね。市民のほとんどが結晶生物になったんでしょ?」


「ああ。帝都も今や廃墟と化しているらしい。二耀族との混血も、何やら強引に結晶生物化したとか。薬物を使用された、って噂もある」


「……皇女様も大変だな」


 このように、やはり気になってしまう。

 いやそれ以前に、どうも今朝の自分はおかしい。さっさと顔でも洗ってこようか。あるいは身体を動かせば、頭の方にも血が巡るだろう。

 寝間着姿のまま、ナギトは洗面所へと足を伸ばす。


「ん?」


 だが途中、ノックの音に引き戻された。こんな朝から誰だろう。

 リオの方に目を向けると、彼女は手を放すのが難しそうだった。出てくれ、と首を振ってジェスチャーされてもいる。

 こんな格好で何だが、着替えている暇がないのも現実で。


「はい」


 それでも足取りに迷いはなく、事務的な抑揚で扉を開ける。

 いたのは、やや線の細い長身の男性。


「クリティアスさん?」


「なに!?」


 挨拶してくる彼に混じって、悲鳴に近い大声も飛んできた。

 どうもおかしいのは、ナギトだけじゃなくリオもらしい。普段だったらもう少し落ち着いている性格なのだが。


「久しぶりだね、ナギト君。――ああ、別にここでいい。ちょっとした用件を伝えに来ただけだ」


「よ、用件ですか?」


 心当たりがなく、首を傾げるナギト。

 後ろでは、リオがクリティアスのことを凝視している。問うまでもない殺意、怒りを視線にたっぷり込めて。


「今日、ペロネポス帝国の皇女が処刑されるのは知っているだろう? その皇女と、話をしてもらいたいのだよ」


「は? 僕がですか?」


「ああ。良い経験になると思ったんだが――」


 リオは今直ぐにでも、クリティアスへ掴みかかりそうな雰囲気である。

 しかしナギトは気にも留めず、自分自身の中で提案を吟味し始めた。クリティアスが何を考えているのかは不明だが、彼の言った通りいい経験は積めるかもしれない。


 相手は滅びかけている国の姫。何か、面白い話が出来そうな気はしてくる。


「いいですよ」


「っ、駄目だ兄様! こいつが何を考えているのか――」


「別に害を加えられるようなことじゃないでしょ。気にし過ぎだって、リオ」


「しかし……!」


 どんな意義を出そうとも、決定は変わらない。

 場所と時間を告げて、クリティアスは足早に去っていく。反対に、リオは機嫌はいっそう斜めになっていた。もし彼が無防備な状態なら、得意の弓でハチの巣にでもしてやりそうな勢いさえある。


 まあ、寝起きの後に不機嫌な人間は多い。彼女もその類なんだろう。

 出発の準備を整えるべく、ナギトは予定していた洗面台へ。色々と妙な朝ではあったが、水の感触だけはいつもと変わらない。


 出所不明な葛藤は、綺麗さっぱり落ちていった。

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