第23話 終わる世界
「っ……」
かつて訪れた魔術工房。その方角から、濃い煙が上がっている。
確認したい気持ちはあったが、最優先すべきはアルクノメ。結晶生物に見つからないことを祈りながら、市長邸への帰路を辿っていく。
道すがら、手遅れが近付いているのを自覚した。
建物の隙間から見える市長邸は、その形を変えている。あった筈の屋根は吹き飛び、客室がある場所は何かの衝撃によって崩れていた。
「くそっ!」
どれだけの人間が結晶生物と化したのか。務めていたメイドの中には、二耀族もいたはずだが――
正門に辿り着いて、求めていた姿を直視する。
彼女は膝をつき、半壊した屋敷を無言で眺めていた。
「どうして、こんな……」
壊れた壁の向こうには、多数の結晶生物。倒れている二耀族の姿もあり、何が起こったのか記すまでもないほどだった。
彼女が生きているのは奇跡か――あるいは、生かされてしまったのか。
膝をついた皇女を嘲笑うように、一頭のドラゴンが前へ出る。
少女の責。ぶつかり合う者たちの和解を望んだ、未熟で遠すぎる青い理想。
その咎で、市長邸にいた二耀族は全滅した。
「アルクノメ、とにかく移動しよう! ここにいたら危険だ!」
「――」
彼女は口を結んだまま。立ち上がることも、首を横に振ろうともしなかった。
こうなったら無理やり連れていくしかない。どんな惨劇を目にしたのか分からないが、立ち直らなければ同じ結果が繰り返される。アルクノメが生きている理由すら消滅する。
承諾を得ないまま、ナギトは彼女の手を取って――
「兄様!」
市長邸から離れようとした直前、嫌な声が鼓膜を揺さ振った。
アルクノメを目にした直後、妹は
「……彼女をどうする気だ?」
「どうって、とにかくここから逃がすよ。守りながら戦うのは難しいし」
「そうか」
頷いたあとのリオは、きっちり目の色を切り替えて。
「り、リオ!?」
「悪いが、その女は置いていってくれ。始末しなければならない」
「ど、どういうこと!? アルクノメが一体なにをしたって――」
「分からんかね? 彼女はヘレネスとのハーフだぞ?」
クリティアスは颯爽と現れ、リオの横に陣をとる。
並ぶ二人に敵対関係はなく、利害の一致を得た同胞に映る。ただリオの方に限っては、苦悶の相を浮ばせてもいた。
腕に抱えていたアルクノメも、事の異常に半身を起こしている。
ナギトはそっと彼女を降ろし、雷帝真槍を構えるだけ。
「兄様、私は地下に封印された同胞を解放したい。そのために、アルクノメ皇女は邪魔なんだ」
「……封印を解くために、ヘレネスの根絶やしが必要ってこと?」
「――」
リオは頷かない。が、否定しなければ正解を教えるようなものだ。
代わりに口を開いたのは、妹に情報を吹き込んだであろうクリティアス。
「あの空間には特殊な術式が施されていてね。二耀族とヘレネスの混血が生きていると、解除されない仕組みになっているのだよ」
「……じゃあ、どうして僕を逃がしたんですか!? アルクノメをテストミアに寄越したのだって、クリティアスさんでしょう!?」
「確かに、彼女の身体に細工をしたのは私だよ。――君の反応が、見たかったのでね」
「な……」
狂気を含めた証言に絶句する。
じゃあ、なんだ。アルクノメに絶望感を与えたのも、こっちの所為だって言うのか?
意思を込めた視線で睨み返すが、クリティアスは顔色一つ変えなかった。弱気になっているのはリオぐらい。……元凶にとっては、そんな反応も娯楽なのだろう。
問答は終わりだ。
突破するには、切り崩すしか――
「がっ……!」
全身を打ちのめす衝撃。
「ではこれで終わりだ。――リオ君、彼を運んでくれたまえ。私は皇女を連れていく」
「……分かった」
歯を食いしばって起きようとするナギト。しかし壊れた身体は、精神力で解決できる範囲を超えている。
辛うじて動かせる視界の中には、今にも泣き出しそうなリオの顔があるだけだ。
「兄様、私を怨みたければ怨んでくれ。私は間違いなく、皇女の殺害に手を課した人間だ。同胞を救うためなどと、小奇麗な理由で同情を求める気はない」
「……謝ることじゃないと思う。それは」
「なぜ? 私は兄様に、危害を加えようとしているのだぞ?」
「――知らないことだよ。少なくとも、僕にはね」
リオが敵でも味方でも、自分がやるべきことに変わりはない。とにかく、アルクノメを助けるんだ。
しかし、目蓋に黒い幕が下りる。
遠ざかる彼女の気配は、離れていく希望に等しかった。
―――――――――
不快感からか、目を覚ます。
どうも椅子に座らされているらしい。辺りは薄闇で埋めつくされており、まるで独房のようだった。
手はキツく縛られて動かせない。足も同じで、椅子自体が固定されている。……
「や、目が覚めたかね」
場所の性質からか、聞き慣れた声は耳の奥までよく響いた。
照明代わりの蝋燭を片手に、単身クリティアスがやってくる。
薄く照らされた彼の格好は、帝国の色と違っていた。清潔感を示す純白。頭には月桂樹の枝を刺した帽子を被っている。
頭に靄が掛かったような気分の中、ナギトは直ぐに結論へと辿り着いた。
「共和国の人だったんですか、クリティアスさん」
「いやいや、私は元から帝国の人間だよ。両国のパイプとして活動していただけさ。――まあ我が王亡き後、手を貸してくれと求められたのは事実だが」
二人の間を遮るのは、冷たい鉄格子だけ。
万全な状態であれば崩れる障害も、傷だらけの今は手さえ出せない。
しかしクリティアスは臆することなく、牢の鍵を開けて中に入ってくる。護衛はなし、魔眼大盾も展開していなかった。薙ぎ倒せば現状の打開も可能だが――
「私を殺したところで、彼女の死を止めることは出来ん。共和国は純血の二耀族が多いのでな」
「……どうして僕の反応を探ろうとしたんですか?」
「君が、我が王に似ているからだ」
「は?」
これまで、考えたこともない指摘だった。
自己評価してしまうなら、先代皇帝とはあまり似ていないと思う。憧れであったのは事実だが、追い付ける存在じゃなかったのも事実だ。彼とナギトではその人生からして、数多くの差異がある。
だがクリティアスは誇らしげだ。暗い所為でよく分からないが、破顔しているようでもある。
「まあそれ以外に、皇女の反応も伺いたかったのだがね。――信じていたものに裏切られる人間というのは、実にすばらしい。進化の予兆だよ」
「アルクノメは凄いショックを受けてましたけど?」
「だろうな。故に、彼女は失敗作だ」
まったく、と最後に付け加えるクリティアス。最初から期待を込めていない人間の反応ではなかった。
つまり自分たちは、彼の手の平で踊っていたらしい。
ふって沸いた苛立ちを、ナギトは溜め息一つで受け流す。別に、後悔するようなことは何一つなかったのだ。今からだって、脱出すれば彼女を助けることは出来るはず。
無駄を鑑みず、必死に拘束を解こうと試みる。大盾に受けた傷が悪化するが構わない。やらなければならないことなのだから。
見かねたクリティアスは、静かにナギトの前へ近付く。
ほんの、指先一つ。
ナギトの額に触れた途端、全身を虚脱感が襲ってきた。
目蓋も重い。身体の痛みなんてすっかり消えて、魔物じみた睡魔が襲い掛かってくる。
「な、なに、を……」
「君の記憶を消すことにした」
とんでもない宣言が頭の中に入ってくる。
さすがに一言返したい気分だったが、三大欲求の一つは縄よりも強くナギトを拘束していた。
「心配するな、あとできちんと戻すさ。――皇女の処刑が終わった、その辺りにね」
「な……」
「私は君を君以上に知っている。故に宣言しておこう。皇女アルクノメが死亡したところで、君を襲うのは無力感でも、彼女の死に対する怒りでもない。ただの――」
聞きたくない。
目を背けていた闇を照らされたようで、これまで感じたことのない激情が心臓を焼く。彼女に向けてきた想いが、壊されてしまう気がして。
運よく、拒否感が表情に繋がったんだろうか。クリティアスは一旦言葉を切り、ナギトのポケットを探っている。
取り出したのは、アルクノメから貰ったお守り。
「これは責任を持って壊しておこう。彼女のマナが残っていると、完全な消滅にならない危険があるのでね」
「っ、く……」
「で、話の続きだ。君を襲う感情は、ただ一つ」
せめて、満足に声を出すことが出来れば。
「欲望を満たす手段を断たれた、子供じみた
宣告を掻き消すことぐらい、やれたかもしれないのに。
悔しいぐらいに、薄れた意識へとクリティアスの言葉は突き刺さった。決して拭えない罪悪感と共に。
アルクノメのことを想っていた。大切な、特別な女性として認識していた。
なのにただ、欲望を満たす対象でしかなかったなんて――
彼女は、道具だったって言うのか?
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