第22話 最悪の事態
神殿の様子は、最後に見たものと変わらない。結晶生物の攻撃が心配だったが、取り越し苦労に終わったようだ。
とはいえ。
「周りには多かったな……」
道中で倒した結晶生物を想いながら、一人ぼやく。
必然と片付けられる現象なのだが、どうも自分は疑心暗鬼と化しているらしい。神殿へ接近するにつれて増加した彼らを、当然の帰結と納得できずにいた。
やはりここには、何かがある。
推測を確信に変えて、ナギトは白い大理石に足を乗せる。
中に入ってしばらくすると、やはりミノタウロスが出現した。
以前と同じ拒絶的な意思。――テストミアの状態を鑑みれば当り前の光景だが、改めて追求すべき謎がある。
コイツらは、一体どこから溢れ出たのか。
「教えて欲しいところだけど、人語は無理だよね」
呼応する、荒々しい獣の吐息。
問いを投げた自分に呆れながら、何の見応えもない蹂躙が始まる。
同族を失いながら、しかし敵は攻撃を止めなかった。急き立てられるように、次々現れては散っていく。自棄になった捨て駒も同然だった。
眼光に活力はない。市長にも感じた、空っぽの中身が見てとれる。
敵を退ける達成感とは逆に、ナギトには苛立ちが募っていた。退屈すぎる。手も足も出ない癖に、どうしてここまで抵抗するのか。
見苦しいとはまさにこのこと。
真相を解き明かして、顔に泥を塗ってやる――ミノタウロスの主がいるなら、
「せ――っ!」
最後の一頭が、ついに沈黙する。
ようやく見えた地下への入口。メルキュリクが地上の階にいる気配もなし、飛び込んでしまってよさそうだ。
悠々と、静かに。制限された視界の中で、いずれ見える光を求めていく。
「……」
拍子抜けするぐらい、簡単に地下空間へと辿り着いた。
全体の様子は何一つ変わっていない。ショーウインドウ宛らに飾られた二耀族。足元の結晶生物たちも、死んでいるような眠りについている。
だから。
生きている気配には、自然と敏感になっていた。
「っ――!」
背後。風を切る一太刀を、肉体が反射的に防御する。
一度だけ金属音が響く中で、ナギトは敵の正体を確かめた。
「メルキュリク……!」
やはり、と内心で舌を打つ。
対する彼に表情の変化はなかった。いや、表情そのものが欠落していた。
雷帝真槍で払いのけると、軽い跳躍で距離を取られる。敵が手にしているのは何の変哲もない剣。マナ石すら使用していない代物だが、人を殺すには十分な代物だ。
メルキュリクの目に、色はない。
父親と同じ虚ろな目。それは誰かに洗脳されているような、機能的な顔だった。心という人間らしさが、根元の部分から欠けている。
ふと連想するのは、ついさっき遊んでやったミノタウロスの群れ。
彼らにもどこか、機能的な雰囲気があった。外敵を駆逐するためだけの、排他的な本能。
「アァ……!」
それが、友人を動かしている感情だった。
説得のせの字も浮ばないまま、ナギトは正面から対決を選ぶ。彼はもともと、武術に通じているわけじゃない。負ける道理など微塵もなかった。
現実はただ、強者へと
メルキュリクの剣を砕き、柄で脇腹を殴りつける。
が、と漏れた嗚咽が痛みを表現していた。手応えもきちんとある。最低でも肋骨を砕いたか、臓器にダメージを与えた筈だ。
現に彼は立ち上がらない。敵意に冷えたナギトの目を、憎悪だけで睨み返す。
故に。
その全身が消え始めた瞬間、ナギトは口を動かすことも出来なかった。
「――」
消滅。そんな言い方が相応しい形で、少年の命が消えていく。
もっとも、異変はそれ一つに留まらなかった。
動いている。この地下空間に仕込まれた何かが、回転する歯車のような軋みを上げている。
ナギトの前に現れたのは、一つの棺桶。
ガラス張りになっている正面からは、中にいる人物の顔が見えた。
「め、メルキュリク……!?」
自分の知っている彼よりも、少し大人びているだろうか。無精髭を生やした彼が、棺桶というには透明すぎる場所で眠っている。
その正面に現れる、高濃度のマナ。
『あ、あ――』
閉じ込められた彼から響く呻き。
それは地下空間全体に伝播して、絶叫として呼べないものに発展する。
『ああああぁぁぁぁああああ!!』
血肉を引き裂かれるような痛みを、他人でありながら連想した。
切実な訴え。棺の中で暴れる同胞の嘆きは、目を逸らしたくなるほど痛々しい。もしアルクノメがここにいたら、止めてくれと叫んでいたことだろう。
しばしの時間を挟んで、悲鳴は止まる。
代わりに出てきたのは、三人のメルキュリク。
「な――」
三人揃って同じ顔。まるで複製されたような、薄気味悪い人形たち。
――以前。工房長は、結晶生物についてこう説明していた。
元になった生物を真似ることしか出来ないと。
「謎解きは十分かね? ナギト君」
「っ!?」
聞くはずがないと思っていた声に、身体が跳ねる。
それでも。
威風堂々と階段を降りてくる姿は、紛れもなくかつての同志だった。
「ど、どうしてここに――」
「なに、君の反応を見てみたいと思ってね。……ここがどういう場所かは、見当がついているんだろう?」
口端を上げたまま、クリティアスは一歩ずつ近づいてくる。
ナギトにとっては警戒心を
「生まれたばかりで申し訳ないが、邪魔だ」
その声は、威圧的で。
言葉の意味を違えることなく、一撃の元に敵を下す。
「え――」
「やれやれ、手応えのない相手に
「……ここがどういう場所か、貴方は知ってるんですか?」
「無論だ。――ここはねナギト君、ヘレネスの生産工房だよ」
閉じ込められた人々を見回しながら。
クリティアスは、満足気に腕を広げて語り始める。
「ヘレネスとは、二耀族の結晶生物として作られた種族だ。決して滅びない種族としてね」
「本体が無事だから、ってことですか?」
「そう、結晶生物はモデルの生物を複製する。ほら、足元にドラゴンがいるだろう? これは結晶生物ではない、オリジナルでね。随分前に滅んだんだが、こういう形で生きているわけさ」
「……」
彼の説明が続くにつれて、込み上げる焦燥は強くなる。
ヘレネス族は結晶生物であるのなら、彼らを引き入れた魔術工房と市長邸はどうだ?
アルクノメが、彼らに襲われている可能性は?
「っ!?」
途端、巨大な鐘の音が響き渡る。
辺りから滲み出る歯車の音。地下に施された仕掛けが、一斉に動いている証左だった。
波打つように現れる、数々の棺。大量のマナが一気に噴き出す。
どうやら、逃がす意図はないらしい。
「ふん、無駄なことを。雑兵を増やしたところで、必然を覆せるはずがなかろうに」
「く、クリティアスさんは戦うんですか!?」
「君を逃がす目的でね。なにせ地上では今ごろ、ヘレネスが正体を現している。……愛しの彼女が、さぞ面白い絶望を見ていると思わないかね?」
「悪趣味な面白さですね……!」
同時に顕現する人々。苦痛を漏らす絶叫は止まず、痛みがないのにナギトの表情を歪ませる。
音をいっそう苛烈にしたのは、クリティアスの始めた攻勢だった。
魔眼大盾により、ヘレネスは一瞬で蹴散らされる。その度に苦悶の声が大きくなった。まるで、身体の底から絞り出すような悲鳴。
アルクノメへの執着心に突き動かされ、ナギトは階段を踏破する。
湧き出る雑兵はミノタウロスだけではなく、ヘレネスの姿もあった。
しかし迷わない。これまで以上に峻烈に、血の代わりでもあるマナを散らしていく。
徐々に大きくなる、外の喧騒。
心はもう、最悪の事態を覚悟していた。
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