第15話 歴史の中へ
中央広場の傍。小高い丘の上に、それはある。
大理石で作られた純白の神殿。正面には神の像が建てられ、
もっとも。
それはかつての姿に過ぎない。いや、つい数分前までは、ヘレネス族が讃える姿をしていたんだろう。
今は、上半身が完全にくだけちっていた。
残骸の付近にはヘレネス族がおり、反対に二耀族の姿は見当らない。――加害者と被害者は、これでハッキリした。
まあ当人たちの言い訳を聞けば、どちらもそうなんだろうけど。
「ど、どうする? 兄様」
「とりあえず市長さんが来るのを待つべきじゃないかな? 誰かが下手に動くと、また騒ぎになりそう――」
「その必要はありませんよ」
当人の雰囲気を形にする、爽やかな抑揚が背後から響く。
大衆の多くが振り向く中、ナギトとリオも同じ反応を取った。確かな歓声も聞こえ、状況が悪化したのか改善したのか分からなくなる。
「メルキュリク……」
「お久しぶり、でいいんですかね、ナギト様。怪我の方は大丈夫ですか?」
「まだちょっと痛むかな。……君がここにやってきた所為で、気にしてる場合じゃなくなったみたいだけど」
「なるほど、それはご迷惑を」
話している間に、メルキュリクの周りへ人々が集まる。イピネゲイアから聞いた話は、疑いもない事実のようだ。
対抗するようにナギトの周囲へも人が集まってくる。髪は全員白と黒。
テストミアで渦巻いている対立図が、神像の前で再現された。
「ナギト様、君は彼らの代表ということで?」
「え? いや、そういうのは――」
「兄様は私たちの代表だ」
「……」
妹よ、もう少し兄の心情を考えてくれ。面倒じゃないか。
しかし正面、友人は成程、と頷いている。二人が共犯者であることを疑いたくなるぐらいのゴリ押しぶり。せめて、反対の声が一つでもあれば良かったんだが。
逃げ道がないことを確認して、ナギトは深く息を零す。
「えっとさ、その前に事のあらましを聞いていいかな? さっき到着したばっかりで」
「それでしたら、単純なことです。市民の一人が、二耀族の方に差別的な発言を行ったんですよ」
「ああ」
バルバロイ。
二耀族にとっては禁句中の禁句だ。神殿に立て籠っている連中の気持ちも少し分かる。
騒動を納めたければ、まずは謝罪からだろう。が、辺りのヘレネス族に後ろめたさを匂わせる者はいない。反感一色で塗りつぶされている。
「ナギト様には、立て籠っている彼らへの説得をお願いしたい。人質も奪われているんです」
「……って言っても、彼らが怒るのは仕方ないんじゃない? まずは謝罪が先でしょ」
「仰るとおりです。――ですが私たちの言葉では、彼らが聞く耳を持つかどうか。同族であるナギト様が直におもむけば、彼らも少しは落ち着くのではないかと」
「それは後にしようよ、メルキュリク。僕は謝罪が先だ、って言ったんだ」
「っ――」
珍しく焦りに満ちた瞳は、それが無理なことを訴えていた。
しかしナギトの方も、彼に譲歩することは出来ない。彼の証言通りなら、非はヘレネス族にある。どう考えたってこちらが労を背負うのは間違いだ。
メルキュリクに反応はない。
妙案を考えているのか、ナギトが頷くのを待っているのか。
どちらにせよ時間の浪費だった。こうしている間にもし、人質が殺されたら問題は更に深刻化する。テストミアの分断を決定付けもするだろう。
「分かった、僕が行くよ」
「ほ、本当ですか!?」
「ただし一人で。単独の方が何かと楽だしさ」
「了解しました。……人質のこと、宜しくお願いします」
深々と頭を下げるメルキュリク。――周囲の者たちは、誰一人、それを追従しようとしない。
いい加減一言いってやりたくなるが、最終的に苦労するのは他ならぬ友人だ。彼と縁を切るわけでもなし、ここは堪えることにしよう。
視界の奥にある神殿の入口は、完全に静まりかえっている。中に人がいるかどうかも怪しい。
ナギトは少し露骨な溜め息を零して、神像の先にある階段を踏んだ。
「まったくれ兄様! 私も行く!」
「は!?」
承諾も待たず、リオは隣りに並んできた。
追い返そうとするナギトだが、彼女はそのまま奥へ行ってしまう。反対されることを見越した行動だった。
仕方ない。彼女には
駆け足で彼女の隣りに並び、あとは歩幅を揃えて中へ。
神殿の中は、人の気配が欠落していた。
普段からいる筈の神官も、巫女もまったく見当らない。メルキュリクの言った人質に含まれているんだろうか? 彼らはヘレネス族だろうし、材料としては悪くない。
警戒しつつ、二人は神殿の奥へと進んでいく。
「……なあ兄様、今さら何だが」
「うん?」
「町がこんな状態で、闘技大会の予選は正確に行えるのか?」
「無理じゃない?」
曲がり曲がりにも参加者でありながら、無責任な口調でナギトは言った。
しかし現実なのは否定しがたい。このまま状況が悪化すれば、参加者の暗殺とかも起こるんじゃなかろうか? 現在確認できる参加者はほぼ知人なので、ご遠慮願いたいところではある。
――ふと、クリティアスのことが脳裏を過った。
彼はテストミアの現状をどう思っているんだろう? 聡明な男だ、まったくの無視、なんて判断は起こすまい。
いや。そもそも、狙っていたんじゃないか?
クリティアスは、帝国内でも屈指の権力者だ。オレステスの行動を止めることは容易だったはず。
彼が何の問題も起こさないと思っていた――は、さすがに有り得ないだろう。あって欲しくない。そんな男に負けたなんて、ショックで立ち直れなくなる。
「――兄様、前を見ろ」
「へ?」
背丈が二メートルを超える巨漢だった。――しかし全員、牛の顔。両手には斧を持ち、殺意に満ちた眼光で二人を睨んでいる。
ミノタウロス。
人と神牛の間に生まれた、半神の結晶生命……!
「行くよ、リオ!」
「任せろ!」
前衛と後衛に分かれ、兄妹の戦端が開けていく。
神の魔術兵器が二つも揃っているだけあり、ミノタウロスは一方的に撃破されていく。もはや蹂躙。振り下ろされる斧は、ナギトを掠めることすらしない。
神殿への影響を鑑みると、
「せっ!」
最後の一頭が、ついに断末魔の叫びを上げる。
辺りは生々しい惨劇の後――というわけでもなかった。結晶生物の特性上、彼らはマナへと還っていく。お陰で神殿の廊下は一面、霧が立ち込めるような光景となっていた。
「よし、先を急ごうか。立て籠ってる人たちが、ミノタウロスに襲われないとは限らないしね」
「無論だ。……しかし兄様、意外とやる気になってるな。アルクノメ皇女が関わっていないもんだから、嫌々やってるのかと思ってたんだが」
「同族が相手じゃ、ちょっとね。放ってはおけないさ」
同時に。
関わろうとする自分を、否定したくもなってしまう。手を差し伸べるということは、彼らを見下していることに繋がるのでは、と。
良心の呵責、と例えてしまえば楽ではあるかもしれない。
でもそんなもの――
「お、二人ともよく来たねえ」
「い、イピネゲイアさん!?」
よ、と手を掲げるのは、紛れもなく第一皇女。
人質とは彼女のこと――なんだろうか? しかし目立った外傷はない。精神的にも落ち着いているようで、逆に彼らの仲間なんじゃないかと錯覚する。
いや、それどころか。
仲間だったらしい。
「う、後ろにいるのは……」
「ああ、この神殿に忍び込むため、協力してもらった二耀族の人たちだよ。いやあ、噂の地下通路から入ったはいいが、神官連中に見つかって焦った焦った」
「ち、地下通路?」
確認を込めた問いに、イピネゲイアは勢いよく肯んじる。
なんだ、おかしい。彼らは口論の末、人質を取ったんじゃなかったのか?
どれだけ疑いの目を向けても、両者に疑念の類はない。以前から協力関係にあるような空気感。むしろ、こっちの方が部外者に思えてくる。
「よし、付いてきな。面白いモン見せてやるよ」
「は、はあ?」
様々な疑問が解消できないまま、ナギトは神殿の奥へと進む。
途中にいくつか部屋を見掛けるが、やはり人質はいない。……イピネゲイアが彼らの共犯者、という筋もなさそうだ。
外で聞いた話はすべて嘘なのでは。有り得ないはずの解答が、徐々にナギトの中で固まっていく。
しかし。
一つの異常な光景が、謎に更なる深みを与えた。
人がいる。
神官や巫子、といった出で立ちではない、普通の市民。髪を見ればヘレネス族であることも分かってくる。
彼らが人質なのか。
確信に近い意見を抱くナギトだったが、直後にそれは訂正される。――いや、別の疑問が上回ってしまった。
動かない。
彼らは少し俯いた姿勢で、じっと床を眺めている。まるで、部屋に飾られてる人形みたいに。
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