第9話 過去からの疼き

「なんだいアンタ。独り言かい?」


 ノックすらせず、入ってきたのはイピネゲイアだった。

 ――多分、見舞いに来たのだろう。手にはテストミアで製造されているワインが握られている。


「コイツでも飲んで、頭ん中スッキリさせな。包帯人間」


「い、いや、さすがにどうなんですか……あと僕、包帯人間じゃないですよ」


「は? どうして? その腕は包帯だらけじゃないか」


「いや、ガーゼだって貼ってますから」


「……」


 受けが悪かったようで、冷たい空気が駆け抜けた。冬はこの前終わったのに。

 病室に相応しくないワインボトルを、イピネゲイアは本当に渡してくる。……困った。テストミアの法律じゃ、学生は酒を飲んじゃいけないのに。


 それとなく目で訴えてみるが、彼女は知らぬ存ぜぬで椅子を出す。

 すぐに座ると、イピネゲイアは自然と足を組んだ。スカートが短いお陰もあって、健康的な太股が嫌でも目立つ。


「――おっとボウズ、視線には気をつけるんだね。女はそういうのに敏感だよ?」


「す、済みません……」


「はは、何を謝る必要があんのさ。歳なんだし、女の身体に興味が出るのは普通だよ? それとなーく見りゃあ、アタシも文句は言わないさ」


「は、はあ?」


 呵々大笑する彼女へ、ナギトは首を傾げつつ頷いた。

 てっきり叱られると思ったのに、やり方次第で推奨されるとは。――昔からだが、この人の考えは読めない。器が大きすぎるというか、物事を見る次元が違うというか。


 まあ疑問に思うのも程々にしよう。他人である以上、他人が分からないのは当り前なんだから。


 病室には、遅れてリオもやってくる。

 傷だらけの兄に改めて驚く彼女だが、身振りで挨拶すると胸をなで降ろしてくれた。


「んじゃあ人が揃ったことだし、報告会といこうか。覚悟はいいね?」


「……はい」


 リオも椅子を出して、イピネゲイアの隣りに並ぶ。

 気付けば、病室の出入り口にはテストミア兵らしき人物がいた。左右を挟むように合計二人。これから話す内容を示唆しさするような、重苦しい気配が部屋に流れる。


「まずアンタの所業だけど、これはお咎めなしになった。アルクノメが来てなかろうが弟の腕がくっ付いてようが、この町は攻撃されてたからね」


「……取引でもしたんですか? 元とはいえ、議会の承認もなく皇女を連れてきたのに」


「まあ普通は怒られるねえ。でもそこは、単にアンタの成果だよ。市長に頼まれてた出場権、盗ってきたんだしさ」


「ああ、それがありましたか」


 機嫌を損ねるわけにはいかない、と考えたのだろう。

 もっとも、反対がゼロだったとは思えない。ナギトは帝国育ちの人間だ。テストミアで暮らして三年になるが、最初の一年は色々と偏見を受けたのを覚えている。


 純粋に喜べないのは、器が狭いからだろうか?

 そもそも。


「……あれ? この場合って、アルクノメを助けるのは――」


「ああ、そっちは駄目だったよ。予選が終わるまで、議会の承認なしにテストミアから出るのは禁止だとさ」


「――」


 やはりか。

 彼らの目的は出場者の確保、つまり宣伝活動の一環だ。敵国の罪人を救うための慈善行為じゃない。


 どうするべきか。

 救出の際に協力してくれたクリティアスは、見ての通り敵になった。イピネゲイアも堂々と彼の前に割り込んだし、皇女としての帰還は望めない。あの男には帝国貴族という強力な味方もいる。


 ほぼ孤立した状態。テストミアを敵に回すのは結構だが、逃げ場を失うのも困りものだ。


「ま、後で市長さんのところに行ってみな。相談ぐらいには乗るって言ってたよ」


「……分かりました。で、他にあります?」


「アンタについては無しかね。アタシは今後の協力について話し合いをしたけど、まだ決着してないし。いやあ、国を捨てるってのは大変だ」


「やっぱり、亡命を?」


 頷きは即座に帰ってくる。誇らしく、自信に満ちた肯定だった。


「あの国はもう終わりだ。親父はアタシだけでも逃がそうってしてくれたけど、他の連中はそうもいかない。近いうちに内乱でも起こるんじゃないかね?」


「ま、またやるんですか?」


「当然だろ。今度は貴族と市民、皇家と帝国軍に分かれての戦いさ。……こっちだって同じような流れがあるの、知らないかい?」


「え」


 内乱の気配が、ということか?

 触れて欲しくない話題だったのか、入口を見張っている兵が三人を覗く。が、イピネゲイアは気にした風もない。むしろこっちに来るよう、手招きしている。


 しかし兵は視線を戻し、職務に没頭することを選んだ。


「なんだい、面白くないねえ。――まあ話を続けると、工房の人間と市民の間でね。ちょっといざこざが起こってんのさ。アンタが寝てるあいだに、真っ向からぶつかったって話も聞くよ?」


「? ぼ、僕、数日寝てたんですか?」


「まあ二日ぐらいかねえ」


「ふ、二日!?」


 驚愕の現実に、ついつい大きな声を出してしまう。

 また覗き込んでくる見張りだが、特に文句を言ってくる様子はなかった。口の前に指を立てて、静かにしろ、のジェスチャーをするだけで。


「え、えっと……しかしまた、どうして?」


「アンタがよくご存じの理由だよ。ほら前回の闘技大会があったろう?」


「あー」


 よく覚えている。加えてナギトは当事者であり、戦いの幕引きに貢献した人物の一人だ。


「前回の予選は大変だったと聞くぞ? 兄様」


 促すようなイピネゲイアに反応したのは、聞き手に徹していたリオ。

 彼女は戦争へ直接加わっていなかったため、好奇心を刺激されたんだろう。口調の割に幼い顔が、前かがみになって近付いてくる。


「前回前回大会の予選では我らの一族――いやバルバロイか。それが二つに分かれて、大規模な戦いに発展したんだろう?」


「そうだね。……でもリオ、バルバロイ、ってこの町では言わない方がいいよ。特に魔術工房のある区域ではね」


「む、そうか、差別的な発言と取られるんだったな」


 危機意識に急かされて、リオは病室の入口へと向かっていった。

 何事もなく戻ってくる辺り、今の発言を第三者に聞かれたわけではないらしい。


「……兄様は怒らないのか?」


「何が?」


「いや、バルバロイと呼ばれてだ。私は馴染みが薄いが、殴られたりしても文句は言えないんだろう?」


「まあ大抵の二耀族は怒るらしいね。でも僕は気にしないよ。自分は自分なんだから、他人にとやかく言われても」


「ふむ……」


 あまり納得できなかったのか、リオは腕を組んで思案している。

 しかし本題を無視する気はないようだ。ハッと目を見開いて、無関係な話題をしまう。


「分断の原因はアレか? 以前、二耀族が神殿を破壊したかいう……」


「そ。一部の人たちだったんだけど、いきなり神殿を破壊してね。神様の像とかも粉々でさ。それに怒った他の二耀族を中心に、彼らを倒そうとしたんだよ。予選の一環としてね」


 といっても、神殿の破壊それ自体に激怒したのは、ヘレネスだけだ。

 二耀族は彼らの神を信仰していない。信仰という文化自体に疎い。


 にも関わらず戦ったのは、どういう理由だったのか。――実はこの辺り、ナギトはまったく知らされていない。周りの仲間もそうだった。共同体としての同情では、と言われているぐらいである。

 父や母は、真相を知っていたようだったけど。


「そこで、兄様も参加したわけだな?」


「うん。向こうはドラゴンも引き連れててさ、まあ大変だったよ」


 同伴した仲間たちも、多くが戦死した。

 ナギトが生き残れたのは、神による加護、つまり雷帝真槍ケラウノスを得ていたのが大きい。出陣する前、先代皇帝の手引きで入手した代物だ。


「予選は無事に終わってんだけどね。現地民であるヘレネス族の不満は、どうしても残った。前回の優勝者は二耀族だったしね」


「むむ、面倒だな。優勝は大変な名誉だろう? ましてや闘技大会はもともと、神にささげる儀式なわけだし……」


「でしょ? 神殿を壊したのはあくまでも一部なんだし、少しは大人の対応をしてほしいんだけど、さ」


 言葉だけで感情が制御されるなら、国同士の衝突なんて起らない。

 そもそも神々への信仰は、人々にとって何よりも尊いものだ。


 それが破壊された。生活に深く根を降ろしている分、掘り起こされる憎悪も深くなる。

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