第5話 魔龍、咆哮
光に包まれた。
アルクノメに分かったのはただそれだけ。……
「……ど、どうなってるの?」
辺りには誰もいなかった。
自分の立っている場所は変わっていない。学校の正門前だ。日差しが差し込む位置まで同じで、一歩たりとも自分が動いていないことを自覚する。
でもナギトを含め、誰一人この場にはいない。
アルクノメは茫然として立ちすくむだけだった。ナギトさえいれば、と叶いそうにもない願いばかり考えてしまう。
「無駄だぞ、それは」
心を見透かしたのは、校門の向こうにいる少女。
幼馴染と同じ二色の髪。全体的な雰囲気も似ていて、思わず安心しそうになる。
しかし直前に聞かされた言葉が、アルクノメの警戒心を蘇らせた。
オレステスの代理、闘技大会の参加者。予選がどんな風に行われるかは、情報として知っている。この状況がそれに該当していることも、頭は少しずつ理解し始めた。
「久しぶりだ、皇女様」
「リオ……貴方、オレステスに従ってるの?」
「ひとまず、ではあるけどね。私の目的に利用しているだけさ。彼自身に興味はない」
「目的って、闘技大会の出場?」
「まあ、大まかには」
言いつつ、ナギトの妹は弓を構えた。
記憶している情報とその外見が一致する。アレはナギトの得物と同じ、人外の武具。神によって作られた、魔術兵器の一つだと。
「……
「そう、三大処女神であり、狩猟神が使っていたとされる弓だ。帝都の神殿に保管されていた物だが、闘技大会への出場を理由に許可が出てね」
「必中で有名だったわね、確か。威力に課題があるそうだけど」
頷きながら構えるリオは、矢を持たない。
代わりにあるのは、矢の形をした光だった。魔術で生成したモノだろう。
「では始めるとしようか。……アルクノメ様は確か、魔術の心得が少しあったろう? 対等な勝負を期待する」
「――ええ、望むところよ」
もちろん、実際にはただの見栄。正常に魔術を発動できるかどうか、それさえアルクノメには不安だった。
ナギトさえいれば――頭の中を占めているのはそんな懇願。この空間が外から区切られていると知っていても、好都合な現実を祈ってしまう。
本当、今更だが。
彼がいないと自分の身一つ守れないなんて、情けない。
「さて」
魔性の矢を弓に番える。
しかし直後に聞こえたのは、何かが割れるような音だった。
リオにとっても意外な音だったらしい。二人は揃って眉を潜め、戦場に起きた変化を見る。
ヒビ、だった。
何もない空白に割れたような線が走っている。それも一つや二つではない。闘技大会の戦場という殻を、砕こうとするようにいくつも走っていた。
「……まったく、兄様は情け容赦がないな」
「な、ナギトが何かしてるって言うの?」
「ああ、大方――」
アルクノメは両手に意識を集中。魔術の発動を用意した。
「皇子の腕でも、切り落としたんだろう」
―――――――
醜い悲鳴を聞くナギトの手には、赤く染まった腕が握られていた。
目の前で当然のように起こった凶行へ、誰もが口を開けずにいる。実行犯の性格を知っているメルキュリクが、溜め息を零しているぐらいだ。
「が、があああぁぁぁぁああ……! 腕が、俺の腕があああ!」
「――」
地面を転げまわる皇子を見つめる、冷徹な
オレステスは
行動を決断したのは、ナギトの個人的な意思によるものだ。帝国から恨みを買うことは決定的だが、アルクノメの生死に代えられるものではない。
というか腕一本で済んだのだし、感謝してほしいぐらいだ。無防備に背を向けた瞬間、殺そうと思えば殺せたのだし。
「き、貴様、貴様っ! 会場都市でこんなことを……!」
「別に問題はないでしょう? あとで僕が町から出ればいいんだから。独断なんだし」
ともあれこれで、二人の元に介入できそうだ。
闘技大会への出場権は、肌に浮き出る
持ち主から切断したお陰で障害は出ているだろうが、一時的なものだ。
物理的に奪ったナギトを、近いうちに新しい持ち主とするだろう。
「こ、これが許されると思うのか!? ――お、おい、誰かコイツを殺せ! 次代皇帝の腕を切り落したコイツを!」
「……どうします?」
顔色一つ変えず問うた先には、戦意を失っている帝国兵が。
彼らは皇子の応急処置に当たっているが、それ以上の行動はしない。身構えている者もいるにはいるが、攻撃に移ろうとする気概は無いに等しかった。
「く、くそっ、仕事をしろ無能どもが! 誰のお陰で今の役職についたと思ってる!?」
「し、しかし皇子」
「この町で我々の私闘は禁止されております。そもそも帝国兵が会場都市に入ること自体、過去に前例がありません。急ぎこの場を――」
「貴様の意見を誰が聞いた!? そもそも手を出してきたのは奴らだろうが! 俺が何をした!? 言ってみろ!」
「……」
色々と言いたそうな帝国兵。こうなると同情してやるしかない。
しかし彼も大人なのだろう。グッと激情を堪えて、抵抗する力のないオレステスを担ぎ上げる。肩の上で暴れる皇子だが、下にいるのは軍人だ。彼の腕力では何の強要にもならない。
オレステスに見られない範囲で、中年の帝国兵は小さく
「……あの、帝国兵さん。一ついいですか?」
「? 何か?」
「奴らって、誰のことです?」
「それは――」
直後に響く、ガラスの粉砕されたような音。
見えていることをそのまま言うなら、空間が裂けている。成人男性の上半身と同じぐらいの大きさで。
「――」
途端、全員の視線が釘付けになった。
穴から現れたのは、巨大なトカゲらしき生物の頭。ナギトと話していた帝国兵に、深々とその牙を突き立てている。
「ぐ、殿下……」
どうにかオレステスを離した直後、彼は穴の中に引きずり込まれた。
音がする。
檻から出せと抗議するような、低く重い轟音が。
「め、メルキュリク、これ――」
「アルクノメ様たちが戦っている結界内部からでしょう。……この空間をまとめて揺さ振るような感じ、間違いありません」
「……」
彼女たちは一対一で戦っている筈だ。しかし現在の状況は、乱入者がいる可能性を示している。
オレステスの腕を切り落した所為――ではあるまい。神の魔術は極めて強力だ。多少の介入はともかく、まとめて破壊されるような事態はありえない。
だが今、それが起ころうとしている。
「来ますよ、ドラゴンが」
刻一刻と明確になる打撃音。メルキュリクの告げた、ハルピュイアを軽く凌駕する怪物の名。
生徒たちは半ばパニックを起こしつつ、学校から一目散に逃げていく。校舎内にいる者たちも同じだった。必死に冷静さを保っている教職員が、彼らを安全な場所へ送り届けていく。
呼び掛けを無視するのは、ナギトとメルキュリクだけだ。
「ドラゴンは最強の生物として名高いですからね。相手にとって不足なし、ですか?」
「おいおい、止めてよ。僕が戦闘狂みたいじゃないか」
「私にはそう見えるのですが?」
なるほど、冗談は通じない。
ナギトの胸は高鳴っている。戦いを待ち望んでか、強大な敵と戦うことの恐怖心からか。
――正直、自分のことはあまり分からない。
敵を倒すのは戦士の責務であって、そういう風に育てられた自分には当り前の行動だからだ。
一方、与えられたモノを
ならこの高揚は、きっと。
最強を覆す、挑戦者としての鼓動だろう。
「ドラゴンが来れば、向こうにいた彼女たちも来るでしょう。私が連れていきますから、ご安心を」
「よろしく」
ついでにオレステスの腕も渡す。そこには参加者の資格である刻印が刻まれているのだ。今は使わずに済んだが、後で役に立つかもしれない。
消えていた轟音が止む。
瞬間。
「――!!」
衝撃のような咆哮が、ナギトの正面に君臨した。
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