第3話 大国の噂
結論から言うと。
「すみません、部屋から出たくないそうで……」
朝っぱらから、ナギトは頭を下げることになった。
市長は別に起こる様子もなく、やっぱりかあ、納得している。
「まあもう少し時間はあるから、ゆっくり話すとするかねえ。ああでも、身の振る舞いには注意してくれよ? こっちの市民たち、そこまで帝国に好意的ってわけじゃないし」
「了解です。……それであの、僕が学校に行ってる間ですけど――」
「ああ、面倒はきちんと見るよ。それとも、君の寮に住んでもらうかい? 護衛だってしやすいだろうし」
「でも人目につきますし……まあ、一応あとで聞いてみます」
いつまでも彼に迷惑をかけるわけにはいかない。まあこの町で暮らす以上、どこかで割り切る必要もあるのだが。
廊下での報告を終え、ナギトは駆け足で屋敷の出入り口へと急いでいく。
今日は至って普通の日だ。十八歳であるナギトには、当然ながら学校がある。お姫様の護衛を理由に休みたい気分だけど、存在を隠す意味も含めて行くしかない。
数名のメイドに見送られ、屋敷の正門を通過する。
待っていたのは人々が行き交う中央広場だった。テストミアの心臓部とも呼べる、行政の施設が集まる場所である。
人はいつもに増して多い。恐らく、議会の開催日なのだろう。万単位の市民が参加するお陰で、広間はごった返している。
「――遅かったわね」
「あ、アルクノメ!?」
「あら、どうしたの? 幽霊でも見たような顔をして」
「そ、そりゃあ驚くさ」
部屋から出たくないんじゃなかったのか。
しかし彼女はケロッとした顔で、ナギトの隣りに立っている。市長との交渉を持ち出した時とは大違いだ。
「って、人前に出てきちゃ駄目だよ。ただでさえ君は目立つんだし、その格好……」
「ええ、貴方の学校で使ってる制服よ。今朝のうちに用意してもらったんだけど、どう?」
見せつけるように、彼女はその場で回って見せる。
白一色の制服は、文句のつけようがないくらい似合っていた。気品を感じさせるアルクノメの美貌も、いい具合に相乗効果を生み出している。
腰まで伸びた美しい金髪、触れることをためらわせる白磁の肌。美女、という言葉をそのまま形にしたかのような少女だった。
お陰で彼女の存在に気付いた数名が、素直な好奇心を向けている。
「ほら、行くわよ。ボーっとしてたら遅刻するんじゃない?」
「え、ええ?」
混乱したままのナギトを、彼女は強引に連れていく。
人目を避けるため、二人は直ぐに路地へと踏み込んだ。
少数の通行人とすれ違うものの、彼らは決まって急いでいる。アルクノメを
「――ちょ、ちょっと待って。どうしてアルクノメも一緒に来るのさ? 転入するわけじゃあるまいし」
「ええ。だから今回は、ただの見学。市長さんの秘書に頼んだら、さっくり許可してくれたわよ?」
「んな馬鹿な……」
まるで納得がいかなかった。テストミアがどういう町から、アルクノメだって知っている筈だ。自分のことを軽率に扱っているとしか考えられない。
――いや、実際そうなんだろう。彼女がまだ、救出されたことに納得していなければ。
「しばらくはここで生活しなきゃいけないんでしょう? なら準備の一環として、学校の様子ぐらいは見ておきたいわ。貴方も近くにいるんだし、安全じゃない」
「いや、でも――」
「自信がないの?」
炊きつける意図があるのか、ナギトの顔を覗き込みながら彼女は言った。
小悪魔を思わせる挑発的な笑み。なんだか馬鹿にされているようで、少し頭にくる。無論、乗っちゃいけないのは分かっているが。
「駄目ったら駄目だよ。だいたい、テストミアで暮らすなら市長と話さなきゃ。……言いたくはないけど、帝国にとっては攻撃する材料にもなるし」
「でも私を連れてきたのは貴方でしょう? 私が彼と話をするのは、ちょっと筋違いじゃない? 意見交換はナギト一人でやるべきよ」
「む」
以外にも冷静な意見で、ナギトは反対する隙を失った。
さっき言った通り、テストミアで保護されることに彼女は関与していない。市長と話し合いをしてくれ、と一方的に頼むのは無責任というものだ。
せめてナギトが代役を買うか、アルクノメを説得しなければならない。
「取引よ。私を学校に行かせてくれれば、闘技大会のことは真面目に考えるわ」
「それは、良い方向に?」
「出来るだけね」
「……」
なら割り切るべきだろうか。学校の敷地内であれば、すぐ駆けつけることは可能だし。
少しあいだを挟んで、ナギトは首を縦に振る。
アルクノメは嬉しそうに手を握ってくるが、素直に喜ぶことは出来なかった。正直に言って、違和感が強い。昨夜の不機嫌はどこにいったのか、と。
目的地への道も場所も分からない癖に、彼女はナギトの前を行く。
どことなく急ごうとしているのは、勘違いじゃなさそうだ。
―――――――――
ナギトが通う学校は、テストミアの中央から南西へ外れた場所にあった。
方角の関係から、屋上に登れば帝国の領土を見渡すことが出来る。首都である帝都はもちろん。国境沿いにある砦も望める、テストミアでも有数のスポットだ。
アルクノメも評判は聞いていたんだろう。学校に到着すると、すぐ案内するよう言ってきた。
「――で、案内してきたわけですか」
「一人手の空いてた先生も一緒だけどね。……結構、未練はあるみたいだ」
「そりゃあそうでしょう。性格からして、ご自身と帝国を切り離して考えるのは無理です」
「メルキュリクもそう思う?」
ええ、と丁寧な口調で頷くのは、茶色い短髪の少年だった。
親に似て穏やかな雰囲気を持った彼も、ナギトにとっては幼馴染に当たる。アルクノメとも何度か顔を合わせた経歴の持ち主だ。
「しかし父上――テストミア市長は断ると思ったんですがね。あの人、面倒なのは嫌いですから」
言葉に苦笑を重ねるメルキュリク。こもっているのは嫌味ではなく、長年積み重ねた信頼と親子の情だった。
「本当、あの人には申し訳ないよ。この前だって、帝国と色々あったんだろ?」
「ええ。どうもオリンポス闘技大会に向けて、圧力をかけてくるらしくて。ほら、ここは不可侵の土地でしょう? 武力以外で抑えつけるため、色々とちょっかいを出してくるんですよ」
「会場都市、だよね? ここの別名」
はい、と答えたメルキュリクは、ポケットから一枚の紙を取り出す。
左下――方角でいえば南西にテストミアを記した地図だった。中央に描かれている主役は、町を上回る巨大な自然物。
「中央に記されているのが決勝の舞台、オリンポス山ですね。その周囲を囲うようにある多数の都市が会場都市。予選会の会場候補として登録されている、不可侵地帯です」
「……こうしてみると、大国に挟まれてたりする場所がほとんどだね」
「ええ。だからこそ、なのでしょう」
テストミアの周辺に、改めて目を通してみる。
南にはアルクノメの故郷である、ペロネポス帝国。北にはテミス共和国と呼ばれるもう一つの大国があった。
両国は長年争ってきた宿敵になる。会場都市に登録される前のはテストミアを巡り、多くの血を流したことは有名だ。そしてそれが、テストミアの人々に大国への嫌悪感を植えつけている。
「……でも、いきなりどうしたのさ? 地図なんて出して」
「その、ちょっと気になる噂を聞きまして。ついさっきまで、地図と睨み合いをしてたんです」
「噂?」
直前の話題と関わりがあるとすれば、良い予感はまったくない。
その証拠にメルキュリクの顔は俯いていた。なんだかんだと父親に似ている彼が、こんな表情を見せるのは珍しい。
「……帝国が、ここへ攻めてくるって話なんです」
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