セレナという妻

 葵は死を覚悟した。こんな高さから落下すれば重力に従い、頭から落下する。そして石畳ならば――即死だろう。

 顔を青くして走っている花奏を見ると少し驚いた。どんな状況でも平然としていた彼が驚いている顔を見られ、少し面白かった。でも死ぬ、と思えばもうどうにでもなれとも思えた。だからこそ、その声は驚きだった。


「ネェェクロォォォス!」

「承りました、カナデ様!」


 花奏の背中から真っ青な翼が広がった。それが高速ではためいて


「葵! 手を伸ばせ!」

「手を伸ばすよりも先に手が届いているじゃないの」


 抱きついた。感極まった、とも思えた。いや、感極まっていたのだろう。だって涙が出ているし。とりあえず勢いのままにキスをして


「花奏、愛している」

「……ごめん、俺は「言わなくて良い。知っているから言わないで」

「そうか……」


 花奏は少し悲しそうに頷いた。そしてその首に青白い手が伸びてきた。


「っ!?」

「花奏……それは?」

「ふふふ、お初にお目にかかります。アオイ様」

「あ、どもです。えっと……」

「ネクロス、とお呼びください」

「ネクロスさん」

「どうぞ呼び捨てにしてくださって結構です。カナデ様からの愛で存分にあなたのことを知りたい、と思えています」

「カナデからの愛……? 一体どういう意味なの!?」


 葵は叫んだ。しかし花奏は周囲を見回して


「人が集まり始めているな。さっさと行くぞ」

「え、ってきゃ!?」

「あらまぁ、大胆この上なしですね」

「黙っていろネクロス。それよりも結界を抜けてきたものについての調査は終わったか?」

「ええ、終わりましたよ。どうやら子持ちだったようですね。そして老衰で弱っていたからこそ、結界を軽々と越えて……子を、飢えている子を産みました。その結果は予想が付きますよね?」


 ネクロスは言いたくなさそうに言った。確かにそうだろう。愛を望む彼女は死が嫌いだ。だからこそ、俺が殺したことが少ない理由の一端でもある。


「ネクロスさんは悪魔なんですよね?」

「おや? カナデ様が語った記憶がありませんが」

「悪魔と契約していたって称号があったの」

「あぁ、称号……確かに気をつけるべきでしたね」

「もう遅い。葵一人にならバレても構わない」


 ネクロスは高笑いをする。俺の腕の中の葵は苦笑しながら――前方を眺めた。


「あっちに行けば良いのかな?」

「ああ、あっちに俺が張った結界がある……ネクロス、その子らはもう殲滅したのか?」

「生き残りがいるみたいですね……あぁ、いえ。もういません」

「どういう意味だ?」

「あなたの仲間の八人がどうも打倒したみたいですね」

「八人……あぁ、あいつらか」

「どうやらあっさりと殺したみたいですね」


 ネクロスは少し悲しそうに呟いた。


「親の愛も虚しく、死を迎える。死に愛されたとでも言うのでしょうか?」

「だとしたら俺たちは愛されていないようだな」

「そうですね」


 葵と笑いながら結界に向かって足を進める。そして――森を抜け、結界が見えた。虹色のドームのようなそれは力ある者を通さない。だがその結界を張った俺なら通れる。


「あぁ……やはりカナデ様は強き方、女どもが愛を注ぐのがよく分かる」

「ネクロスさん、それって私も含まれるんですか?」

「ふふふ、そうですよ」


 葵は少し複雑だった。好きだが愛を注ぐ、そんなことをした気は無かった。だが――それを口にする隙なんてなかった。何故ならば結界を通り抜けた先で――


「「「「「「「お帰りなさいませ、陛下」」」」」」」


 魔物が、魔人が、悪魔が花奏に向かってひれ伏していたからだ。


「あぁ、今戻った……だがあいつは、セレナを名乗る者は何者だ?」

「……陛下はご存知ないのですか?」

「なんだ? 何のことだ?」


 花奏は本気で分からなかった。そして――


「いや、説明は良い。だから邪魔をするな」

「邪魔、ですか?」

「ああ……この女は俺の仲間だ。丁重にもてなせ」

「「「「「「「はっ」」」」」」」


 そう言い、花奏は葵を腕から降ろした。そしてそのまま――走り出した。その姿は誰にも見えなかったほどだ。それもそのはず、走りながら高速で魔方陣を描きながら口で加速を繰り返していたからだ。

 そのまま花奏は走り続けた。魔の領域の奥深くまで――その像があるところまで。そしてそこは、花畑だった。彼女が愛した月の滴という名の花だった。そしてその中央には胸に剣が突き刺さっている女性の像があった。


「あぁ、待っていた。あなたを誰よりも、待ち続けていた。あなたに会えるのを願い、待ち続けていた」

「そうか……そうだろうな」


 花奏はその少女を一目見て、全てを悟った。茶色の瞳に彼女そっくりの銀髪。そして――額に生えている小さな二つの角、にょろり、とドレスの隙間から覗いている尻尾。


「お初にお目にかかります、勇者カナデ」

「……初めまして、魔王セレナ」

「あなたを待っていた――この石像の旦那を」

「あぁ……だろうな。ごめん、待たせた」


 俺は石像に向かって語りかける。しかし返事はない。当然か、と思いながら近づいて


「おはよう、セレナ」


 唇を重ねながら、その胸を刺し貫いていた剣を引き抜いた。そして――セレナの像が輝き出して――目が覚めたかのように欠伸をした。そのまま目を見開いて


「カナデ~!」

「セレナ……」

「お帰り! 帰ったと思ったんだけど帰ってきてくれたんだ!」

「あぁ……まぁ、俺の意思じゃないけどな」

「そうなの? 大変だねぇ」


 にやにやと笑うセレナは俺の顔を両手で挟んで


「お帰り、旦那様」

「ただいま、奥様」


 自然と唇を重ねた。


*****


「おぉ!? セレナ私の名前って襲名制になってたの!?」

「何だ、お前の指示じゃなかったのか?」

「うん……とりあえずセレナ様、座ってもらっても良いかしら?」

「構いませんよ、お母様。しかし目覚めてからいきなりお父様とキスとは随分と情熱的ですね」


 セレナと同時に動揺していると


「それからお母様、私に名前をください。このままお母様の名を名乗るのは私としても不本意です」

「え!?」

「あぁ、勘違いしないでください。お母様が嫌いというわけでもなく、お母様の名前が嫌いなわけではありません」

「あ、そう……」

「ですが私がお母様の名を語るのは良くありません。お父様が夜、お母様を抱いている際に名を情熱的に呼び、もしも私が反応して、行為を覗いてしまったらどうするのですか?」


 二人して動きが止まってしまった。そしてそれを眺め、娘セレナはしてやったり、と言った表情でニヤリと笑って


「そう言うわけで可及的速やかに私の名前をお願いします。あ、変な名前は嫌ですよ」

「……カナデ、お願い」

「え?」

「私、ネーミングセンスには自信がないの!」

「だろうな」


 え、酷い、とセレナは呟いた。その頭を撫でて


「俺の名前からカ、お前の名前からナをとってカナ。どうだ?」

「少し不思議な響きですが……悪くありません。ありがとうございます、お父様。何の役にも立っていませんね、お母様」

「カナデ!? 娘が反抗期だよ!?」

「……俺たち、子育てしてないじゃん」

「あ」

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