ヘカーティアという聖女候補
「嫌いなんですね、私たちが」
「……馬鹿なことを言うな!」
「え!?」
怒鳴られた。そうネリスが思った瞬間、柔らかい感触があった。それは父親の腕だった。
「お父様……?」
「俺がお前たちを嫌いになんてなれるはずが無いだろう……」
「……でしたら何故、私たちを置いて行こうと?」
「お前たちはまだ幼い、危険な目に遭って欲しくないんだ」
「……私たちは戦えます」
「かもな……ネリス、少し昔話をするよ」
「昔話?」
「あぁ、俺がこの世界に初めて来たときの話だ」
お父様、つまり伝説の勇者カナデの当人が語る伝説。それはネリスの胸が高鳴るに足りた。そして
「俺がこの世界に来たのは10年前だった――」
*****
「俺がこの世界に来たとき、お前の母親のヘカーティアは聖都にいた。その頃の聖都は腐っていてな、あんまり良い政治じゃ無かったんだ」
「今の様子からはさっぱりそうは思えませんが?」
「そうか、そんなに変わったのか……ヘカーティアが頑張ったんだろうなぁ」
お父様は少し嬉しそうに言った。その様子からはお母様を嫌いだと言っていることを本当だと思えなかった。だからこそ、ネリスは戸惑っていた。本当はどう思っているのか、と聞きたかった。でも言えなかった。
「その頃の聖都は……あぁ、いや、順番に話そう。俺がこの世界に初めて来たときは戸惑いや驚きがあった。だからこそ、王の言葉を全て鵜呑みにしていた」
「王の言葉を?」
「魔王セレナが世界を征服しようとしているってな」
「違うのですか? 私もそう教わったのですが」
「ああ、この世界のほとんどの人間がそう思っただろうな。でも俺は知っているんだ……あいつがそんなことをしないって」
「あいつ?」
とても親しい相手を語っているようだ、そんな風に思っていると
「ともかく王の言葉を信じた俺はテレーゼと一緒に旅をすることになったんだ。だがあの国は勇者の子供を王に据えようとしているんだ。だから俺と……まぁ、色々としないといけなかったんだ。だがテレーゼはそれが嫌だったみたいでね、俺を殺そうとしてきたんだ」
「殺!?」
「ああ。毒やナイフ、色々な手段で殺されそうになったが……今はもう、仲良くなっているようなものだ」
「そうなのですか……」
ネリスはかなり戸惑っていた。父親はかなり複雑そうなことを言いながら、楽しそうに語っていた。だから
「それからはどうしたのですか?」
「ん。王の指示道理に進んだんだ。鬼の里を通り、エルフの森を越えて、龍人の山を越えた。その途中で里を離れていたアクラと出会い、共に旅をすることになった。そのまま俺たちは旅をして――聖都に、腐っていた頃の聖都に辿り着いたんだ」
「腐っていた頃の聖都……一体どのような感じだったのでしょうか?」
「言いたくない。まだ子供のお前が知っていい話じゃない」
「そうですか」
ネリスが頷いていると
「聖都で俺たちは、俺は聖女を選ばされたんだ」
「聖女はお母様ではないのですか?」
「……ああ、聖女は勇者が選ぶんだ。だからこそ、勇者に選ばせるための教育機関があった」
「勇者が選んだのなら……お父様がお母様を選んだのですか?」
「……いや。選ばなかった、いや、選べなかった。だから咄嗟に明日選ぶ、と伝えてその日は逃げた。そして翌日、行かないのはまずいだろうということで向かったのだが……そこで彼女と出会ったんだ」
「彼女?」
「ああ。教員全員を殴り殺し、血に濡れた顔で笑っていた彼女と」
「それは……まさか、お母様なのですか?」
「ああ。ヘカーティアは護るために拳を振るったんだ」
教員全員の亡骸を足下に、笑っていた。泣いていた。そして――
『私を選びなさい。私以外の誰も、戦うに足りる実力はない』
『……お前以外の聖女候補はどうなった?』
『まだ生きている。だから助けて』
『……テレーゼ』
『ええ、分かっています』
それが彼女と俺たちの出会いだった。そしてネリスはそっと目を閉じて
「お母様は随分と……複雑な人生を送ってきていたみたいですね」
「ああ、そうだろうな。でもな、ネリス。ヘカーティアはお前を護ろうとする強い意志を持った、素敵な女性だよ」
何故お父様はお母様を嫌っているのか、ネリスはそれが疑問だった。だがお父様は楽しそうに星空を眺め、
「ヘカーティアのことは好きか?」
「はい、お母様ですから」
「……俺には何も向けなくて良いからその分、ネリスを愛してあげてくれ」
「お父様……それは一体、どうしてですか!?」
「俺はお前を娘だと思っている。ネリスがその母親だ、ともな。だが俺はネリスを愛していない、ネリスが好きではないんだ」
「嫌い……ですの?」
「そう言うわけじゃないが……どうも口にはし辛い関係なんだ」
「お母様はあなたを愛している、とことあるごとに口にしていますよ」
「知っている」
*****
「葵、魔法を使えるようになったのは良いですが無闇矢鱈に使うのでは芸がありません。相手の魔法を利用するのや、相手の放った魔法を即座に打ち消す魔法を使えるようになってください」
「つまり速く描けって事?」
「そうとも言いますね。ですが嫌ならば別に構いませんよ?」
「……」
葵が黙った。それをテレーゼは意外な気持ちで眺めていた。すると葵は顔を上げて
「打ち消す魔法、この前見たの」
「誰のですか?」
「花奏の、あいつ、もの凄い速さで魔方陣を描いてあっさりと消しちゃったの」
「あぁ、この前の雷ですか」
テレーゼは納得と同時に驚いていた。それがあなたにとっての何になるのか、と思っていた。だからこそ
「それを見て、どう思いましたか?」
「花奏、昔から動きが速かったのよね……あ、速度じゃないよ? 何をするかをいち早く判断して動いていたの」
「それは随分と……ですがアオイ、カナデほどの速度はなくともあなたも随分と速いですよ」
「そう?」
葵が眺めているのは俊とレンが剣戟を繰り広げている姿と正樹がネリスにやられている姿だった。それを眺めていると少し、可哀想にと思った。そして
「ヘカーティア、また腕を上げたか?」
「私もいつまでも成長しないわけではありませんからね」
ヘカーティアの蹴りが木刀に逸らされる。しかしヘカーティアはその勢いすらも利用し、回し蹴りを放った。それをアクラは木刀の柄で逸らして距離を取った。だがヘカーティアはその隙を逃さず、地面を蹴った。そのままアクラの懐に飛び込んで地面を蹴った。そのまま宙返りのように蹴り上げて
「七天撃!」
「閃き!」
七点を打ち、相手の体を壊す。それが七天撃だった。ヘカーティアは女性であるからこその非力を考え、全てを殺せるための技を創り上げたのだ。だがそれが仲間に向くことはない。折れたのは木刀だけだ。
「ち……あたしの負けか」
「結構ギリギリでしたけどね」
「次は負けねえかんな」
「ふふふ、次も私が勝ちますよ」
ヘカーティアたちの壮絶な朝の運動を眺め、葵は大きくため息を吐いた。
「私、あんなに戦える自信ないんだけど」
「安心してください、私にも戦闘能力はありませんから」
「あ、そうなの? 魔法使いなのに?」
「アオイの知識の中では魔法使いは武闘派なのですか?」
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