第21話 一対なる美

目、手、血、木、蚊、火など、 日本語は一音節の単語が非常に豊富な、 世界的に見ても珍しい言語です。これらの単語は当然、漢字一字だけで表します。

中国語では、滅多に漢字一字だけで表すことをしません。

漢字一字だけだと、なんとなく半端な気がして、なにかしら漢字をひっつけて、どうにかして二文字にしようとします。 現代日本語にもある、椅子、帽子、扇子、餃子などの「子」の字は、まさにその典型です。

蚊も中国語では「蚊子ウエンズ」といいます。

鼻も「鼻子ビイズ」といいます。

子の字以外にも、たとえば木を「木頭ムートウ」、石を「石頭シイトウ」、 口を「嘴巴ズイバ」、 耳を「耳朶アルドゥオ」、絵を「画児フアアル」、花を「花児フアアル」などと言います。後ろの一字は、 ただ添えてあるだけで特に意味を持ちませんが、一字だけだと、なんとなく決まりが悪いのです。


中国人は、張、王、李などの苗字の人を、一字で呼ぶことはありません。

自分より年上だったら、「老張ラオヂアン」「老王ラオワン」「老李ラオリイ」と呼びます。 日本語でいえば、張さん、王さん、李さんというニュアンスです。 年下だったら「小張シアオヂアン」「小王シアオワン」「小李シアオリイ」と呼びます。 張ちゃん、王ちゃん、李ちゃんというニュアンスになります。 幼い子供の下の名前が一字だった場合、頭に「阿」をつけたりします。 たとえば名前が「ウエン」だった場合には「阿文アーウエン」と呼び、 「ホン」だった場合は「阿紅アーホン」と呼びます。 アジア各国で人気を博した日本のテレビドラマ「おしん」は、 中国語では「阿信アーシン」と訳されました。 同じ字を繰り返す名前のパターンもあります。 上野動物園のパンダが良い例です。陵陵リンリン蘭蘭ランラン康康カンカン、などの名前は日本人にもおなじみです。一字だけだと愛想がない感じがしてしまい、つい2文字にしたがる、という言語感覚が漢民族にあります。


中国で好まれる、縁起の良いラッキーナンバーは8、次いで6です。8並び、6並びのナンバープレートは一種のステータスであり、たいへんな高額で売り買いされています。


一般的に奇数は好まれません。日本における七福神は、中国においては「八仙バーシエン」です。


例外的に9ジウは、永久の「ジウ」と同じ音なので人気があり、偶数であっても4は、やはり日本語と同じく、発音的に縁起が悪いとされています。


奇数を単数ダンシューと呼び、偶数を双数シュアンシューと呼びます。 ラーメンのどんぶりの柄でよく見かける、「喜」の漢字を二つ並べた「双喜紋シュアンシイウエン」に代表されるように、とにかくシンメトリー、左右対称であることが目出度いとされています。


西安などの中国の古都に行けば、都市の設計や建物のデザインが、徹底的に左右対称に作られていることに気づきます。たとえば鼓楼と鐘楼は東西で一対に建てられています。

左右対称のレイアウトを美とするのが中華の美的感覚です。左右対称にお団子型に結ってある髪型が、クラシックな中国人女性の髪型でしょう。 そもそも「中華」という漢字自体が、左右対称のデザインをしています。中国人は一般的に、滅多に謝りません。中国語で「ごめんなさい」は「対不起トエブチイ」と言います。

申し訳なくて、合わせる顔がない、面子が無い。相手と「対をなせない」ことを意味します。「対をなせない」事を民族的に嫌うのです。




お大師さまは、唐の文化の神髄を体得した希有な日本人です。

著書「三教指帰さんぎょうしいき」は、四六駢儷体しろくべんれいたいと呼ばれる中国古代の文章形式にのっとってお書きになりました。四六駢儷体とは四文字と六文字から成る対句を文体の基本としています。「べん」とは、馬を併せるが如く、一対を成すことを意味しております。

その影響からか、お大師さまの生涯は、一対の言葉たちに彩られています。


「生まれ生まれ生まれ生まれて生の始めに暗く、死に死に死に死んで死の終わりにくらし。」、

「虚しく往きて、実ちて帰る。」、

「人の短をうこと無かれ,己の長を説くこと無かれ。」、

「物の興亡は必ず人に由る、人の昇沈は定めて道に在り。」


これらのお大師さまの御言葉は、ことごとく上の句と下の句が一対になっています。


真言密教の世界観も同様に一対であります。真言密教は、大日如来の智慧の世界を顕した金剛界と、慈悲の世界を顕した胎藏界が一対になっています。

いわゆる、金剛杵ヴァジュラ独鈷杵とっこしょ三鈷杵さんこしょ五鈷杵ごこしょといった密教の法具は、どれも左右対称のデザインをしています。高野山の大門には阿形あぎょう吽形うんぎょうと呼ばれる金剛力士像が左右一対で仁王立ちしています。密教の瞑想法である、「阿字観」は「阿」と念じながら息を吐き、「吽」と念じながら吸う、「阿吽の呼吸」が基本です。

偶然なのか必然か、お大師さまを高野山に導いたのは、白い犬と黒い犬でした。

そして御自ら名乗った、「空海」という僧名までもが、空と海の一対をなしています。


お大師さまが漂着した福建省霞浦県、赤岸鎮にある小学校で、私が現地の子供たちに、「あいうえお」からの読み書きや、日本語の簡単な挨拶、日本の民謡などを教えていた頃、「平仮名はお大師さまが創作した」、という説明をしていました。

しかし、平仮名のルーツには諸説あり、「弘法大師空海が創作した説」はどうやら学術的根拠は乏しく、今では俗説と考えられているそうです。

中国の子供たちに自分が嘘を教えていたとしたら、それこそ「対不起トエブチイ」で、彼らに合わせる顔がありません。

しかし、つらつら考えてみますに、少なくても「仮名」というネーミングは、やはり、お大師さまが考えたのではないか、という気がします。

お大師さまの著書「三教指帰さんごうしいき」の中で、おそらく御自身をモデルにしたであろう、「仮名乞児かめいこつじ」という人物が登場します。

「仮」という字はもともと、旧字体で、「假」と書きます。この字は中国語では、「嘘の」、「偽の」、という意味を持ちます。

音だけを表す仮の名、「名」はもしかすると、真の言葉、「言」の対義語ではないでしょうか。



                      合掌

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