第19話 三行指帰
(犬と鯨)
私が赤岸鎮に駐在していたころ、とある冬の日の夕方、ショッキングな光景を目撃しました。
一匹の犬が木の枝から吊るされ、血が地面に流れていました。どうやら血抜きをされているようです。犬の肉は冬に食べると身体が暖まるとされ、中国の各地で「
私は中国で、ハトやヘビ、サソリやカブトガニといった、日本ではふつう食べない物も、なるべく現地の人と同じようにいただいてきました。
しかし、幼いころから犬は家族の一員として育ってきた私はどうしても、犬の肉だけは口にすることが出来ませんでした。
だからといって、犬を食べる中国人を非難する気持ちは微塵もありません。国が変われば、食文化もいろいろ。日本の捕鯨も、豪州の環境保護団体から見れば、野蛮きわまりない行為らしいのですが、外国の食文化に自国の価値観を押しつけるのはいかがなものかと思います。
(修行時代の思い出)
もう15年以上も前、私は真言宗の僧侶になるべく、高野山の道場で多くの
いわゆる「
※(十八道、金剛界、胎蔵界、護摩の四段階に分かれている真言宗の修行。四度加行を終えた者が
およそ100日間、俗世との交わりを絶ち、行者たちと寝食を共にします。部屋ごとに班分けされていて、朝夕の
行者というのは、睡眠と食事、そして高野山の
行法とは何かと言いますと、大阿闍梨様が伝授してくださる作法に則って、壇をお
勤行とは、朝夕のお勤め、つまり読経のことです。真言宗の場合、「
(三様の行者たち)
几帳面によく手入れされた
※修行の手順が書かれたマニュアル
行法重視型行者の中には、密教を研究している大学院生など、インテリの優等生タイプがいます。
また一方で、朝夕の勤行、つまり読経と声明こそ、真言行者の本分である、という信念をもつ「勤行重視型行者」たちもいます。
一般の壇信徒に最も分かりやすく伝わるもの、それは勤行による音楽の力だ、と力説します。
行者の中には学生の音楽バンドのミュージシャンもいました。歌唱力に自信がある者にとっては、朝夕の勤行は修行の一環とはいえ、むしろ楽しみの時間だったことでしょう。
行者というのは、毎日のように大掃除しています。少しでも空いた時間があれば、道場を浄めるために掃除をしたり、仏器を磨いたりする「下座行」があります。下座行というのは、やればやるほど、目に見える成果が出ますし、人の為になります。早く終われば、予習や復習が出来る自由時間が出来るかもしれません。
「下座行重視型行者」にはチームワークを重んじる、運動部出身の体育会系タイプが多いのです。
ちなみに私はどのタイプだったかというと、当時から不出来な粗忽者でありまして、行法も勤行も下座行も、まんべんなく出来が悪く、どのタイプの行者からもお叱りとお慈悲を頂戴しておりました。
(
苦楽を共にする仲間たちですが、時に
その原因は概ね、こういった感じでした。
ある時、下座行重視型行者が、一生懸命に掃除をしない行法重視型行者と勤行重視型行者を注意します。
またある時、行法重視型行者が、下座行重視型行者と勤行重視型行者の行法が不正確であると批判します。
そして勤行重視型行者は、行法重視型行者と下座行重視型行者が、
朝夕の勤行の際、大きな声で積極的に読経していないことに不満を持っています。
各々が、おのれの長じるところを以て、それぞれの正義をふりかざし、
人の不足を責めるものですから、話はどうしても平行線になります。
「説くことなかれ己の長、
簡単に言うと、「自分の長所を言うな、他人の短所を言うな」という意味です。
自分の長所を誇示することと、他人の短所をあげつらうことは、本来、まったく別のことのように思われますが、実は表裏一体で、いつのまにか、自分の長所を強調するために、他人の短所を指摘するようになってしまう自分が、心のどこかにいるはずです。
行者は修行中の食事に関して、「まずい」と言うことはもちろん、「おいしい」と言うことも同様に禁じられていました。
何故なら、ある食べ物を「おいしい」と認識することは、それ以外の食物に対して、「まずい」という価値観を創り出してしまうことに他ならないからです。
大部分の日本人は、たしかに犬の肉を食べません。
でもクジラなら食べたことがあります。
一部の中国人は犬の肉を食べますが、クジラは食べません。
イスラム教徒は豚肉を食べません。ヒンズー教徒は牛肉を食べません。
ベジタリアンは一切の肉を口にしません。
自分の守る戒律や生活習慣だけを是として、絶対の正義をふりかざし、他者を野蛮だ、不浄だと軽蔑する。それは偏狭な原理主義に他なりません。
「痛狂は酔わざるを笑い、酷睡は覚者を嘲る」 (般若心経
極端な正義は、時に人を酩酊させ、悪酔いもさせます。
戦争はいつも、信仰心や愛国心に悪酔いした人たちが始めます。
だからこそ、極端に右にも左にも傾かない、「
小さいことで目クジラを立てず、犬も食わないケンカはやめましょう。
合掌
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