入唐見聞録
魯智浅
第1話 彼岸の赤岸より
福建省の省都福州から高速鉄道に乗って、上海方面に向かって北上すること
約一時間、
一見、何もなさそうな辺鄙な片田舎に見えますが、
じつはこの町は、高野山とは非常に縁深い土地なのです。
今からさかのぼること1200有余年、西暦804年のこと。
台風に見舞われて、ある日本人の若者がこの土地の海岸に漂着しました。
その名を空海と言います。
私が総本山金剛峯寺、国際局の中国駐在員として、弘法大師入唐の聖地、
福建省
青葉の照り返しのまぶしい初夏のことでした。
弘法大師が漂着した砂浜から歩いて20分ほどで赤岸鎮の村に着きます。
赤岸鎮は草深い山々を背にして田園に囲まれております。
お大師さまが漂着した海岸から吹き込む潮風。
田園特有のうだるような湿気と熱気。
福建省の緯度は、ほぼ沖縄くらいなので、
夏の日盛りでしたら気温は摂氏39度に達します。
空海紀念堂の傍らに、私が住まう遍照閣という僧坊がございます。
エアコンも当然あるにはあるのですが、中国の田舎ですとインフラがまだ不十分でありまして、赤岸の村では停電や断水が日常的でした。
私が到着した当日は、停電のため一切の電化製品が使用できず、折り悪く水道まで断水しておりました。
蒸し暑い漆黒の闇の中、私の中国生活が始まりました。
私に課せられた任務は、日本から赤岸鎮に参拝された方々のために通訳やご案内をさしあげること、現地の方々と交流をはかり、日中相互理解を深めることなどです。
空海紀念堂は、お寺といえばお寺なのですが、社会主義の中国では体制上、外国人による宗教活動を認めておりません。
「日本人の僧侶」という、中国の体制上、きわめてややこしい身分の私が、ビザを取得するためには、現地の霞浦県人民政府からの招待状をいただいた上、大阪の中国領事館にて「私、中島龍範は中国国内で一切の宗教活動に従事いたしません。」という誓約書を、一筆添えることによってようやく訪問ビザが下ります。
中国にこういった複雑な手続きが存在するのも、歴史上、宣教師がスパイの温床だったという悲しい背景があります。
現地には赤岸鎮小学校という、田園に囲まれた小学校があります。
生徒数は200人前後、建物も小さく、設備も素朴な田舎の小さな学校です。
私は赤岸鎮小学校の校長先生から依頼を受け、
小学校3年生から6年生までの各々のクラスで、
日本語の授業をすることになりました。
中国の小学校で日本人が教鞭をとる、というのは他に類を見ない、特例中の特例といえます。
子供たちがたとえ一言、二言でも日本語で挨拶できたら、
お参りに来られた日本の方々とコミュニケーションがとれる、という校長先生からのあたたかい計らいでした。
私は簡単な日本語の挨拶語や、
いろは歌などの日本の民謡を子供たちに教えました。
中国の田舎の子供たちというのは、日本人をなぜかとてもなつかしい気分にさせます。ボロボロに傷んだ机を二人で分け合って使用していて、
休み時間には元気よくゴム跳びをしたり、羽根蹴りをして遊び、
ころころとよく笑います。
受験戦争やコンピューターゲームとも無縁なので、眼鏡をかけている子供は一人もいません。コンビニエンスストアもファストフードもない農村でのびのび育った子供たちは、アレルギーも肥満もなく、実に活きが良く健康そのものです。
陽に焼けた小麦色の肌に白い歯がよく映える笑顔。
なんとなく過ぎ去った昭和という時代に思いを馳せます。
とある夏の昼下がり。
村の広場にあるガジュマルの大木の木陰で、
農夫たちが涼みながらトランプに興じております。
三輪のタクシーが土煙を巻き上げながら地平を行きます。
西日が田園を黄金色に染め上げ、水牛が草を食み、
その水牛の上に乗った小鳥が水牛の体をつついています。
此処、赤岸鎮では、のどかな時間がゆっくりと過ぎていきます。
お大師さまもきっとご覧になったにちがいない「空海の風景」。
私が高野山大学で書生をしていた90年代、
中国はまだまだ未開の後進国でありました。
世界貿易機構にも加盟しておらず、「国土の大きい北朝鮮」という見方が世界共通の認識でありました。
北京オリンピックや上海万博を経て、ここ10年でめざましい発展を遂げました。
中国がGDPで日本を上回る経済大国になることを、
90年代に誰が想像できたでしょうか。
かつては福州から霞浦への道のりといえば、
舗装されていないデコボコの山道を8時間ほど揺られてようやくたどり着きました。2003年、ついに高速道路が開通し、福州~霞浦間は2時間半で着くようになりました。そして2009年に中国式新幹線が開通し、
かつて8時間を要した道のりがたったの1時間で着くようになりました。まさに隔世の感があります。
この国は24時間、絶えず何かを壊し、そしてまた何かを作っています。
その開発の波は赤岸鎮にも押し寄せてきます。
物が豊かになればなるほど、人心は貧しくなっていきます。
地価が上がれば上がるほど、人の尊厳は安くなります。
社会に「サービス」が普及すればするほど、本来あるはずの「思いやり」は廃れていきます。
かつてこの村に流れ着いた若者は、後の世にこういう言葉を残しました。
「物の興廃は必ず人に由る、人の昇沈は定めて道に在り。」
物が豊かになればなるほど、心が渇くのが世の常というもの。
信仰が禁じられたはずのこの大陸でも、そう遠くない未来にお大師さまの教えが必要になる日が来る予感がします。
月の満ち欠けによって、生物は新しい命を宿します。
そしてまた月の満ち欠けによって、潮の満ち引きが起こります。
お大師さまを赤岸鎮に運んできた波も風も、ちょっとした月の引力のいたずらなのかもしれません。
人と人が引き合う気まぐれな引力を仏教の世界では「縁」と呼びます。
高野山に親類縁者の一人もいない在家出身の私でしたが、
ふと気付いたら赤岸鎮で6年間も過ごしていました。
これもきっと何かのご縁なのでしょう。
これから私がこの大陸で見たこと、聞いたこと、感じたことを皆様にお届けしていきたいと思います。
合掌
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