第2話

かんかんと照り付ける太陽の下で、なぜこんなに人が群がるのかなと疑問に思ったことは多々あったけれど、これほど、たくさんの群衆が邪魔だ、と思ったことは人生でたぶん初めてだったと思う。現状、高校生になって初めての夏休みは、ただ、「学校と家を行き来して終わった」と、たった一文で終わってしまうほどで、このままじゃ、「夏休み中、何をしましたか」という学校生活で一番無意味だと思われる作文に、「家に帰って寝ました」としか書けなくなってしまいそうだった。死んでいった真夏のセミもそれでは報われまい。

しかし、そんな現状も今や過去のこととなってしまっている。とりあえずは、今日のことで、原稿用紙二枚分くらいは感想を書けそうだった。

今、私は遊園地にいる。

なぜかと言うと……


     §


カナとのカラオケが終わるころには、もう日が暮れかかっていて、町は黄金色に染まっていた。目の前に広がる大通りも、カラオケに入るころよりは、人影も多く、帰宅ラッシュの時間が近づいていることを感じさせた。それでも、まだ暑かった。部屋でエアコンをガンガンかけていたせいか、昼間よりも、うだるような暑さが私の身体に襲い掛かっているように感じられた。どうやら、今年の残暑はなかなかの意地悪っ子らしい。

「カナ、この後、どうする?」

 私は、カナに話しかけた。当初から、この後の予定は決まっていない。そもそも、カラオケだって、講習が終わった後の謎の解放感から出てきた案であって、前から決めていたものではなかった。

「うーん……このまま帰るのもなんだしさ。どこかで、一緒に食べよ?」

 カナは長い髪をかき上げながら、口にした。

「そーだね。暑いしね」

 私も同意する。もう少し気温が落ち着いてから、帰ったほうが、幾分ましだと思った。

「と……すると、どこ行こうか? ここら辺、よく知らないんだよねー。私の家って、駅の方じゃん。ねえ、さくらの家はここの近くでしょ? なんかおいしいお店知らないの?」

 カナはシュシュで髪を結びながら、そう言った。そういえば、カナのポニーテールの姿を見るのは初めてかもしれない。

「そんなこと言われても……私ずっとここに住んでるはずなんだけど、あんまりここら辺のこと知らないんだよね。うーん……?」

 頭の中に町の地図を広げる。………あっ、そういえば、私が勉強するために、よく行く喫茶店にはディナーがあったような……

「んじゃ、そこ行きましょッ!」

カナは颯爽と自転車に飛び乗って、ペダルを一回転させ、自転車を発車させた。私が、そのお店の場所を告げたとたん、だ。カナは結いたてのポニーテールを揺らし、悠々と走って行った。ちらりと、遠目にカナの後ろ姿をみた私は、ゆっくりと自転車をこぎ始めた。

 カナには意外とすぐ追いついた。……と言っても、カナは詳しい店の場所を知らないから、当たり前といえば、当たり前の話なんだけど。カナは、私の家の前で、迷子の子猫のようにうろうろ回ってた。

「ねえ、どこ?」

 カナは急に止まって、私の顔を見つめてきた。しかも、その顔は若干、ふてくされ顔だ。そんな顔されて、私は、どうしたらいいの? 

「べつにー……」

 カナは何か言いたげな顔をしてたけど、結局何も言わなかった。そして、少しうつむいた後、また顔をあげて、一言こういった。

「ねっ、お店行こ」

 何かが吹っ切れたようだった。


     §


 私たちが来たレストランについての第一印象について、「どうでしたか?」と聞かれたら、「古風で、エレガントで、実にアンティークなレストランでした」と答えると思う。まさに喫茶店という名にふさわしい店だった。そして実に、勉強向きだった。その証拠か、週末には学生がごった返しているらしい。料理が運ばれてくる前にそのことをカナに伝えると、

「そういうことは、早く行ってよね。そんなんだから、相席になるのよ」

 そう、私たちは、男性二人組と相席になっていた。

 よく考えたら、今は、夏休みの終盤。学生は学校という檻から抜け出し、自由となれる時期である。そして、終盤ともなれば、課題に精を出す学生も多いだろう。ともすると、勉強しにくる学生も多いというわけだ。ごめん、カナ。そこまで、頭が回らなかったよ。

「まあ、いいけどさ……」

 本日何回目の、ふてくされ顔だろう。もはや、この顔に愛着がわいてきた。

「何」

 いつのまにか、ずっと見つめていたらしい。カナ、そのジト目もかわいいよ。

「ばかっ」

 そっぽを向かれた。

そんな話を何分かしてると、料理が運ばれてきた。私もカナも両方ともスパゲッティを頼んでいた。ちなみに名前は、「昔ながらのスパゲッティ」。そういえば、これはスパゲッティと呼べばいいのだろうか? パスタと呼べばいいのだろうか? 

「そういうのは、どっちでもいいのよ。スパゲッティと書いてあったら、スパゲッティ。パスタと書いてあったら、パスタよ。だいたい名称なんてのは、昔の人が適当につけたもんが基になってんだから、そんなことまともに考えたらきりないでしょ?」

「え……でも、やっぱそこ間違えたくはないじゃん?」

「変なの」

 そんなに私の考えへんかなぁ……

 あっ

 変といえば、今日の朝に拾ったキーホルダー。

「そういえばさぁ、カナ。今日さ、家で変なもの見つけたんだけど、これなんだと思う?」

 私は、ポケットにしまってある血の付いたキーホルダーをみせる。

机の上に置かれた、キーホルダーは異彩を放っていた。

まず、食卓とのコントラストが非常に悪い。きれいなゴッホのひまわりの隣に、ムンクの

叫びを並べたようなもんで、悲痛なのか喜びなのか全くわからない。そして、私はキーホルダーになにか得体のしれないものを感じた。恐怖……といえるほどのものではないけれどそれに非常に近いもの。

カナはどう思うのかなと思って、カナの顔を見た。

カナは目を丸くして、硬直していた。私と同じように思ったのか、その顔には、畏怖の念

がこもっているように見えた。

「これ……ッ……どこでみつけたの?」

 カナが問いかけてきた。

「えっと……昔のアルバムの中から出てきたんだ。今日さ、ベッドに携帯落としちゃって。携帯を取り出すために、ベッドの中をのぞき込んだら、懐かしいアルバムか見つかってね

……しばらく、パラパラ見てたら、アルバムの中にこれが挟まってたんだよね」

カナは、私が話している間、頬杖をついて、机の上で人さし指をぐるぐる回していた。何

か考えているようだった。

「もしかして……カナ、何か知ってる?」

 ……三秒経った。

「……知らないな、私は」

 カナは、ぎゅっと口をつぐんだ。そして、左下を向いた。あーあ、またそっぽを向かれちゃったな。


 そのとき、私はそれ以上言及しなかった。

 もちろん、カナが、口をつぐんだ理由、このキーホルダーについて何を知っているのか、については、聞きたかった。でも、私に言わないってことは、きっと話せない理由があるんだと思う。カナはいたずらに人を心配させるような人じゃない。それくらいは分かってるつもり。ただ、ただね……、興味があると訊かれたら、かなり興味があるほうなんだよね。まあ、さすがに、あんな顔されたら、引くしかないよなぁ。残念だけど。




 その後、いくら私が、言及しなかったといっても、カナの気分を悪くさせたのは確かなようで、しばらくの間は、空気が悪かった。いつだったか「世界一空気を読むのは日本人」という記事を読んだことがあるけど、どうやら私は、れっきとした日本人のようだ。

 そんな気まずい空気を破ってくれたのは、まさに奇跡とも呼べる出会いだった。


     §


カナとキーホルダーの話してから、数十分後、ちょうど、スパゲッティを食べ終えるくらいのころの時間だった。

 後になって分かったことだったけど、どうやら、相席していた二人組は、ツレを一人待っていたらしい。そして、そのツレが―――――

「……よっちゃん?!」

 あのキーホルダーが入ってたアルバムの写真に必ず写っていた、と言ってもいいほど昔よく遊んでいた幼馴染――――よっちゃんだった。

 私がつい、大声を出してしまったせいなのか、どうか定かではないけど、よっちゃんも私に気付いたようだった。

「えっ……もしかして、さくら?」

 よっちゃんも、私と同様、驚きを隠せない様子だった。久々に見る顔に、歌舞伎役者のような、大きな驚きの表情がが投影される。そういえば、昔から、感情表現は豊かな人だった。

「うん。久しぶりだねッ……もう八年になるのかなぁ」

 私は頭の中で、本日二度目の懐かしい思い出を張り巡らせた。まさか、会うことになるとはなあ。おおよそ八年ぶりに会うだろう、よっちゃんは、ところどころは、成長していたけれど、一目で、よっちゃんってわかるほどの変わらなさだった。相変わらずの体格の良さだ。上手く言いすぎかな?

 私が過去の思い出をなぞっていると、よっちゃんを待っていただろう男の一人が私に話しかけてきた。

「えーと……もしかして、耀生の知り合い?」

 その男は、今年の夏は海に行きましたと言わんばかりの肌の黒さと、その海でナンパしてきたであろう髪形をしていた。どんな髪型か詳しく説明すると、アニメの主人公がよくやるような、あの重力を無視したギザギザ頭である。後で聞いたのだが、この人の名前は「茶笑男(ちゃらお)」というらしい。名前が人を形容するというのはこういうことを言うんだなぁ……

「はい。昔よく遊んでいたさくらです」

 私は、軽く茶笑男におじぎをした。それを見かねたのか、よっちゃんは私の紹介をし始めた。

「紹介するね。昔、よく遊んでいたさくらちゃん。さくらちゃんが引っ越してからだから……八年ぶりになるのかな……そういえば、なんでまたここに返ってきたの?」

 よっちゃんは、茶笑男に向けていた視線を私に戻した。

「ここの近くに、学習院高等科があるでしょ? あそこに合格できたから、親の反対を押し切ってこっちまで来たんだ」

「へー。それじゃ、また遊べるの?」

「うん。この調子で、また昔のメンバーが集まるといいね」

 私はそっと目を閉じて、本日三度目の懐かしい思い出を張り巡らせた。ほのかに香るプールの匂い、セミの鳴き声が、頭の中でこだまのように駆け回っていた。

 私は、よっちゃんを見つめるために再び目を開けた。

「昔の思い出って、なかなか消えないものね……年を取ると、昔話を話したくなる気持ちが分かる気がする」

「いやいや、僕たちがそうなるのはまだ早いって、まだ十六歳だよ?」

「それも、そうだね」

 そんな冗談を言うと、不意に顔がほころびた。短い笑い声も出る。

 すると、よっちゃんは、思わぬ提案をしてきた。

「ねぇ、明日、僕たち、遊園地行くんだ。このメンバーで一緒にどう?」

 そう言ってポケットから、遊園地のチケットと思われる紙切れをひらひらとたなびかせた。そして、じっと私の顔を見つめてくる。

「ホントは四人で行く予定だったのだけれど、友人が二人、急にキャンセルしてきてね。まあ、おおかた課題が終わらないだとかそういうものだと思われるけどね…………で、どうかな?」

 今度はカナに向けて言ったのだろう。目線がカナの方を向いている。普通、カナはそういう誘いは受けない方なんだけど、どうなのだろうか? こう見えて、よっちゃんなかなかのイケメン出しなぁ……

 私の予想通り、初めはカナも、なんとも言えない表情をしていたけれど、私の顔をちらっと見た後、

「まあ、夏休み明けの作文もあるだろうし、いいわよ」

 そう言って、口元に笑みを浮かべた。

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