土曜日
いよいよ今日の昼過ぎには部活紹介。
授業前の早朝、衣装合わせという事で部室に集まり準備中だ。もういくらも時間はない。
後6時間もすれば講堂の舞台で踊るのだと思えば何も考えずに逃げ出してしまいたくなる。
今はもう西洋社交研究会に入ることは決めてはいたけど、それと緊張するしないは全く別の事だ。
リード側の衣装合わせは同じくリードの式江先輩と選ぶように言われたものの、当然男性用の衣装な訳で選びようにも基準さえ分からない。
自分に似合いそうなのと言われてもとてもではないがどれも似合うとは思えず、式江先輩に先に選んでもらった。
胸元を軽く開いた光沢のあるダークグレーの襟付きシャツを着て、黒のズボンを革のサスペンダーを止めるという衣装で、これで髪を整えたら洋画の俳優さんのような素敵さだろう。
「アアヤも決まった?」
カーテンで区切ったパーテーションの中で選んでいた所を、突然開けられたのでビクッとしてしまう。
別に女子更衣室に女子が入って来ただけなので慌てる必要はないのだけれど、何だか覗かれた様な気分になってしまった。
「私はこれにしたよ。どう?」
椎先輩が肩に当てているのは淡いピンクを基調とした、ふんわりとしたケープが巻き付いたような可愛らしいドレスだった。
腰元のビーズ刺繍がキラキラと輝いている。
これならきっと先輩によく似合う。
心の中でメイクやアクセサリーも付けてショーアップした先輩を想像してしばし放心しそうになったけど、思い直して返事をした。
「はい、とても似合うと思います、・・・椎先輩」
呼び方が変わった恥ずかしさで声が小さくなってしまった。
そんな私たちを見て式江先輩と明日菜先輩は何かを察したように目配せしあってニヤニヤとしていた。
「まだ、決めてないんだ。う~ん、アアヤに似合うのは・・・」
椎先輩は2人のニヤニヤなど気にならないようでリード用の衣装を取っ替え引っ替え選んでゆく。
「これだ!!さぁ着てみて」
選ばれたのは黒をベースにしたいわゆる燕尾服というものだ。
だけど、
「・・・あの、すぐそばで見られるとやっぱり・・・」
「ごめんごめん、私たち出てるから」
式江先輩が嫌がる椎先輩を抱えるように連れ出してくれる。
改めて燕尾服のズボンをはき、シャツと上着の袖を通す。
長いズボンなんてジャージやスウェットくらいしか着たことが無いから滑らかな生地の感触が慣れない感じが微妙に気になる。
姿見に写る私はどうにも衣装に着られてる感が否めない。
まるで七五三の仮装のようだ。千歳飴ぶら下げたら完成かも。
ツバメの尾とは言うが、私が着たならペンギンの尾だ。
先輩が選んでくれただけに
じらすようなじれったい登場をした私を見て口々に褒めてはくれるけど素直には受け取れなかった。
こうして本番用の衣装を着てみると、今までごまかせていた緊張感がリアリティを持ってこみ上げて来て、普通に歩こうとしてもカチコチとした動きになってしまう。
「初心者でも丁寧に教えますよってアピールだから上手い下手は気にしなくていいよ」
「リラックスして気楽にね」
「私が教えたんだから大丈夫!」
見るからに緊張して見えるであろう私を解き
最後のは少し違う気もするけど。
「ほら、こっち」
いつの間にかドレスに着替えていた椎先輩は私の手を取って無理矢理プロムナードポジション、リードとフォローが同じ方向へ向くポジションに就いた。
習った通りに反射的に進行方向へ向き直った私の首を、握った私の左手と一緒に頬に当てて正面に戻させる。
「緊張したら私のことだけ見ればいいよ」
「はい・・・」
「だって師匠である私に見られてるって思えば周りなんて気にならないでしょ」
あ、はい。そう言う意味ですか。
「それでも駄目なら秘伝の儀式を教えてあげよう」
「手ぇ出して。こうやって手の平に南瓜って書いて・・・」
差し出した手をカンフーの師匠のようにくるりとひねり、手の平に文字を書いていく。手の平がくすぐったい。
随分と古風なおまじないだけど、何か間違ってるような。
「で、これを飲む!」
南瓜は好きだし、見られた?としても全く気にならないのだけれど、南瓜の文字を舐めさせられた私はちょっとだけ気楽になった。
体育で一緒に体操した大野さんには昨日の内に今日の事を話したら、「樫田さんすごいね!きっと見るから」と言ってもらえた。
だけどクラスでは未だに浮いていて、話す相手はいないから誰にも話していない。
なのにどこから伝わったのだろう。
一人のクラスメイトに話しかけられた。確か
「樫田さん、今日の部活紹介で御倉先輩と踊るって聞いたけど本当?」
「えっ、うん」
びっくりして思わず答えてしまったけど、本当にびっくりするのはその後だった。
「!!!!!!!!」
周りのクラスメイトたちから一斉に聞き取れないほど高い悲鳴が沸き起こったのだ。
「すごいすごい!あの御倉先輩でしょ!」
「いいなぁ、すっごい可愛いよねあの人!」
「知ってる?あの人の伝説。いっぱいあるんだよ」
伝説ならいくらでも残せそうな人だけど、まさか新1年生にまでこんなに人気とは思わなかった。
「私たちも楽しみにしてるから!頑張ってね」
「うん、ありがとう」
今まで話せなかった分を取り戻すようにクラスメイトたちに囲まれてしまった。
お昼過ぎには先生に前もって話した通りに部活紹介のため、クラスを抜け出すと、みんなが応援の手を振ってくれる。
私もみんなに手を振り返して部室へと急いだ。
何だか部室にはいつも一番乗りだ。
1年生としては正しい行動ではある。
曲がりなりにも体育会系だった私にはその辺りのルールはしっかりしているつもりだ。
それは普通の練習でも全然役に立たないから、せめて代わりに先輩後輩のルールは守ろうと考えただけだったけど、結局今の状況はそういうルールをちゃんと守ろうとした故の結果かもしれない。
だとしたらそれはやっぱり良かったのだと思う。
再び燕尾服に袖を通し準備する。
そう言えば靴は体育館シューズのままというのは幸いだった。
本来はヒールや革靴で踊るのが正式な社交ダンスだけれど、講堂のステージを傷つけないために禁止になっていたのだ。
ただでさえ初心者中の初心者だというのに、履き慣れない靴で踊るのは怖すぎる。
最も椎先輩は最後まで抵抗していたけど、式江先輩に抑えられてる内に明日菜先輩がヒールを隠してしまったから大丈夫だろう。
でもヒールを履いた椎先輩はお姫様みたいで可愛かったな。
そうして準備をしている間に部室にやって来たのは3人の先輩たちではなく、神津先輩だった。
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