受験の日のこと
初めての御倉先輩からのメッセージは実際にはメッセージと言うような文字は一つも無くて、キッチュなペンギンのキャラクタースタンプだけだった。
次々に貼られるスタンプの意味を図りかねていたが、お弁当を食べているペンギンが次のスタンプでは踊っているのを見て、どうやら言いたいことに見当がつく。
『明日のお昼も練習ということですか?』
親指を立てるペンギンのスタンプで返事される。正解だったらしい。
それにしてもSNSでさえ普通には出来ない人だ。
式江先輩と明日菜先輩からのお疲れ様のメッセージに返事をした後、ふと思い立ってふと思い立ってグループのメンバーを確認する。
いくら地球の裏側まで転校してしまったとしても、今時連絡はいつでも取れるはずなのに繋がりが切れてしまってるのはどうしてだろう。
幼なじみだという神津先輩も連絡を取っていないのだろうか?転校前に喧嘩してしまったとか。
もしかしてそれが御倉先輩が怒っていた理由なのかもしれない。
会った事もないのに自分に似てると言われた祇苗先輩がひどく気になってしまった。
一体どんな人だったんだろう。
2日目の休み時間もクラスメイトとは上手く馴染めない。
ため息を吐くくらいしかやることが無かったけれど、3時間目の休み時間には予測していないサプライズがあった。
「樫田さん、この後少し時間もらえる?
須藤先生に言われたが、渡根先生という先生は聞いたことがない。
促されて出た廊下には白髪をきれいにまとめた先生が立っていた。
眼鏡越しのきりりとした視線に少し気押されるが、確かに見覚えがあった。
「樫田さんね。こちらの大野さんが貴方にお礼をしたいそうですよ」
お礼?
渡根先生の後ろからおずおずと顔を出す私と同じ1年生の顔を見てようやく思い出した。
受験当日、最後の科目の数学のテスト中のこと。
丁度数日前に勉強した参考書に載っていた問題が出て来たので、ある程度余裕を持てた私は検算も終えて一息ついた。
英語の長文にどうしても意味が掴めない部分が有って心配だったのでこれで少しはましになるかもと期待して机に置いた腕時計を見た。
お母さんに借りた腕時計の四角い文字盤は試験時間は後3分だと教えてくれる。
座高も高い私はクラスの席ではほとんど一番後ろにしか座ったことが無い。
だから受験番号で決まったこの一番前の席からの眺めは新鮮だった。
もちろん、そんな眺めを楽しむような余裕は無かったから、それを意識したのはその時が初めてだ。
今にして思えば、もし私の身長が低かったり、たまたま数学のヤマが外れてたり、あるいは受験番号が一つでも違っていれば、その後の運命は全て違ったものになったのかもしれない。
改めて新鮮な風景に向き直ったその時、目の前を小さな丸い物が弾んだ。
「??」
一瞬混乱した私の隣の席の娘が物音を立てだした。
横目でちらりと見たその娘は何かを探して周りにせわしなく視線を動かしている。
そこで私もさっきの弾んだ物が消しゴムだったことに気づく。
ただ弾んだ先はどこなのかは分からなかった。
「51番の人どうしました?」
ついに試験官の先生に注意されてしまう。
緊張と混乱で上手く言葉に出来ないようで、要領を得ない。
あの慌てようではどうしても直さなければならない答案があるのかも。
そして私には一つだけ消しゴムの行き先に心当たりがあった。
これも後から考えれば自分の消しゴムを貸すなり、先生に伝えるなり、まともな方法が有りそうなものだけど、私にも緊張が伝わってきて、その時はそうする事しか思いつかなかったのだ。
私はいたって大真面目な発想で他の人の答案を見ないように首を真上に向けてヌッっと立ち上がった。
「何ですか?」
先生の怪訝な声が耳に入るが、そのままピョコピョコと前に進んだ。
中学校の白黒の制服に身を包んでそんな奇妙な動きをする私は巨大なペンギンにでも見えただろうか。
「すいません。でも多分ここに」
私が天井を見ながら手探りしたのは、黒板の下についているチョーク入れだった。
消しゴムは偶然にもチョーク入れの穴に飛び込んだのだ。
「分かりましたから、席に戻りなさい」
消しゴムは元の場所に収まり、私も席に戻る。
後ろからはこらえ切れなかったのか誰かの笑い声。
自分でした事とはいえ顔から火が出そうだ。
恥ずかしさのあまり、試験が終わった後すぐに教室から逃げ出したのだった。
あの時の隣の娘が大野さんで、先生が渡根先生だったのだ。
消しゴムの件がどれほど役に立ったかは分からないけれど、こうして同窓生に成れていたのは素直に嬉しい。
わざわざお礼を言われるようなことじゃないのに、こうして会いに来てくれた大野さんとは友達になれそうな気がする。
入学して初めての友達だ。
でも今あの時のことを思い出して、一つ気になる事があった。
最後に聞こえた笑い声、あの声は。
「ええ、あの時の試験官助手は2年の御倉さんでしたよ」
なるほど、あの試験の日にはもう目を付けられていたということなのか。
大野さんとは次の体育の合同授業で会う約束をしてその場は別れた。
グループを作る時などに頼れる相手が出来たことにほっと胸を撫で下ろす。
それにしてもあんな事の何がそんなに気に入ったのか?
確かにお間抜けな行動ながら、結果的に良いことは出来たけど、大したことでは決してない。
お人好しそうで言う事を聞かせ易そうとでも思われたか、もしくは相当なペンギン推しのようだし、巨大ペンギンをペットにしようとでも
昼休みの部室に向かう
当然御倉先輩だろう。
そこで私の中に今まで振り回された復讐とばかりにちょっとしたいたずら心が生まれた。
忍び足でこっそり近付き戸の明り取りの隙間から中を覗き込むと、御倉先輩が一昨日のように一人だけで踊っていた。
だけれどあの時とはどこかが違う欠けたオルゴールのような先輩のステップ。
そうだ。一番違うのは手の位置。
あの時よりグッと大きく手を伸ばし、小さな体を限界まで広げて踊っているのが分かる。
一昨日は多分、神津先輩の体格に合わせての位置だったのだ。
一緒に踊っている時は自分の事だけで精一杯だったから分からなかった。
相手が変われば体の動きも足の歩幅も変わってしまうのは当然なのだ。
ともすればいつバランスを崩してしまうか分からない。
身長だけで言えば私と御倉先輩では合わないという意味がやっと理解出来た気がする。
これは私のためのステップだ。
いつの間にかいたずら心は掻き消えて先輩のステップを見つめていた。
そんな自分を客観視して思い出したのは、おばあちゃんに聞いたおじいちゃんとの馴れ初めの話だった。
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