お茶の時間

昼休みほどの痛みはないとはいえ、何度もひっくり返ったせいで全身が疲れ切っていた。

中学で部活に入っていた時、ゲーム形式の練習の方が上手く出来ないからむしろ進んでランニングや筋トレのような基礎練習ばかりにかまけていたので、体力だけは付いたと思っていたけれど、やっぱりソシアルダンスでは使う筋肉が違うということなのだろうか。


「そろそろ時間だし上がろうか?」


そう言いながら、タオルで汗を拭き取る式江先輩は予備のタオルを私に貸してくれた。

私はお礼を言って柔軟剤の匂いの中に顔をうずめる。


「うーん。でも喉乾いたから、お茶してこうよ。キャスターまた淹れてくれる?お昼のお茶美味しかったから。そうそう、後これ。」


鞄をガサガサと探ってペンギン柄の描かれたティーカップが目の前に突き出された。


「これキャスターの分だから。専用ね」


「は、はい!?」


押し付けられたティーカップを取り落としそうな私を明日菜先輩が手伝ってくれた。


今度は一煎目だから、一度お湯をカップに注いでから急須に移す。

これで少しだけ温めのお湯になってお茶の風味が良くでるのだ。

ステップは正しく踏めなくともお茶の淹れ方は正しいはず。


できるだけ美味しいお茶をと準備しているその時にカラリと音を立てて戸が開いた。


「まだ練習中だった?」


神津先輩の透き通った声がこちらにも届いた。


「お茶してから帰ろうかと思ってた所です。先輩も如何いかがですか?」


「キャスター!もう一杯追加で」


「は、はい!」


実際に入ったことはないけど居酒屋の注文のような勢いで追加を受け、カップを追加して調整する。


「なら丁度良かったわ。先生からクッキーを頂いたの。みんなで頂きましょう」


そう言って神津先輩はティッシュに包まれた様々な形のクッキーを机の上に広げ、お喋りが始まった。


「会長もキャスターの淹れてくれたお茶を飲んで。本当に美味しいから」


「うん、本当に美味しいわ。」


「でしょう!」


「何であなたがそんなに自慢してるのよ」


神津先輩は呆れたように失笑して肩をすくめる。


「私のリードなんだから当然でしょ」


当然と言われてもまだ返事をしたわけでもない。

こんな風にお茶汲み役だけでいいならいくらでも引き受けるのに。


「でも本当に上手ね。どなたに習ったの?」


「あ、おばあちゃんが緑茶が好きで」


「素敵なお婆様なのね。じゃあやっぱり椎ではなくてお婆様に感謝しないと」


やり込められた椎先輩はブスッとした顔でそっぽを向く。

おばあちゃんを褒めて貰えたのは嬉しいけど、 それにしてもこの2人の間は何だか刺々しい。

本当に仲が悪いわけではないと思うのだけど。


「それにしても余り樫田さんに迷惑をかけたらだめよ?あなたいつも無茶ばかりして。リードとフォローはお互いを思いやらないと」


はい、もっと言ってあげて下さい。あれ?でも結局パートナーになるのは決まったという前提で話が進んでいるような。


神津先輩に期待の眼差しを向けていた私は御倉先輩のその時の表情を見ることが出来なかった。


「自分のフォローも大事にしていない先輩に言われたくないですね」


瞬間、ピリッとした緊張が部室を包む。

5人全員が一言も発せず時間が止まる。

神津先輩のフォロー、転校した先輩の事だろうか。

コルクボードの写真に目をやる。

変わらず笑っている3人の写真。

クッキーを齧る音もお茶を飲む音も止まる中、式江先輩が沈黙を破りことさら明るい調子で話を変えていった。


「あーはいはい!まだクッキー残ってるよ。樫田ちゃんも食べなよ」


「はい・・・」


場の空気をごまかすようなカリカリという音だけが響き、クッキーに乗ったマーマレードの苦みがいつまでも口の中に残っていた。



その後は会話も弾まず、お茶会はお開きとなった。


「ごめんなさいね。あの2人今微妙な感じで」


外の流しで片付けを一緒にしてくれた明日菜先輩に、さっきの雰囲気の悪さを代わりに謝られる。


「今日は上手く話せなかったから、良ければ西洋社交研究会うちのLINEに入ってくれない?」


入学祝いに買ってもらったスマートフォンにはLINEアプリが最初から入っていたとはいえ、クラスメイトとは何も話せてないからこれが初めてだ。

少しワクワクするけど専用ティーカップに、マット、さらにLINEグループ入りまでくるといよいよ逃げ場が無い。

それはそうとあの2人がいない今、連絡以前にどうしても聞きたい事があった。


「先輩たちって何かあったんでしょうか?」


「ん~~やっぱり気になるよね・・・」


「元々西洋社交研究会ウチって神津先輩たち2人が始めたのよ。そこに椎が入って、次に私たち。よく神津先輩を取り合って転校した祇苗ただなえ先輩と椎でやり合ってたわ」


「三角関係みたいな・・・」


「そんなのじゃないけど・・・まぁ2人には余裕でからかわれてかな。先輩たちって幼なじみでね。椎は2人の妹って感じ」


やっぱり神津先輩の正規のパートナーはその祇苗ただなえ先輩だったのか。

でも転校してしまったのなら。


「だからそのまま2人でパートナーになると思ってたんだけどね。色々こじれちゃったみたいで。当の祇苗先輩は明るく転校していったんのにね。お家の事情でブラジルに転校したんだけど、あっちでは社交界が現役だから練習が役に立つわなんて笑ってたっけ」


社交界って雲の上の世界だ。ちょっと想像がつかない。おとぎ話のお城のうような場所でお姫様と王子様が踊るようなイメージ。


「祇苗先輩って明るくて本当に良い人だったから。私たちにとってもだけど、2人にとってはなおさら特別だったのかな」


「そう言えば樫田ちゃんは祇苗先輩に似てるかも」


後ろからカップの水気をふき取るために手を伸ばした式江先輩の言葉に明日菜先輩が同意してうなづいた。

片付け終わった2人が部室へと戻った後、流しの鏡に映った自分を眺めてみると、いつも通りの不安そうな困り顔が映っている。

背格好も何も写真の祇苗先輩の笑顔とは似ても似つかない。

自分の顔を引っ張ったりしながら、どこが似てるんだろうと不思議な気分になった。

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