休み時間
ただでさえ入学式初日で緊張していたのに、西洋社交研究会の騒動も相まって疲れきった体は中々目覚めることが出来ず、遅刻ギリギリになるまで寝坊してしまった。
後一つ遅れてしまえば遅刻確定の電車に飛び乗り、ばたつく上履き袋の揺れを抑えながら息を整える。
結局あの先輩たちから逃れる良い方法は何も思いつかなかった。
駅に止まる度少しずつ増えてゆく揃いの制服がタイムリミットを刻む宣告のようだ。
「新入生?」
不意に話掛けられたせいで昨日の苦い記憶が甦り、ピンッと背筋を伸ばしてしまう。
・・・良かった。昨日の先輩たちとは違う人だ。
徽章からすると3年生の先輩だろう。
何故話掛けられたのか
確か痴漢避けに学年学級に関係なく登下校時は連れ立って移動することが推奨されるとのことだった。
それで新学期早々憂鬱な顔で登校する新入生を気遣ってくれたのだろう。
優しい先輩だ。やはりあの人たちとは違う。
そんなことを考えている間、ずっと待っていてくれたその人を放置していたことに気付いた私は慌てて返事をした。
「そんなに緊張しなくてもいいのに」
そんな風に慰めてさえくれる。
「す、すいません。色々あったもので・・・」
言い訳しながら優しい先輩の手元を見て再び顔色を変えてしまった。
その手にはラクロスのラケットが握られていたのだ。
すわ、また部活勧誘だったかと身構える私の心情を察したように、先輩は手を振った。
「ああ、大丈夫。私は無理に勧誘したりしないよ。その様子だと『洗礼』でも受けちゃったかな?どこの部に誘われたの?」
『洗礼』とはあの部活勧誘のことだろうか。
思い当たることがあったのか、先輩は慰めるようにそう笑った。
「西洋社交研究会なんですが・・・」
この人なら何かあの先輩たちに対抗する方法を教えてくれるかもしれない。
「あの娘たち相手は大変だったでしょう」
先輩は苦笑しながらそう言った。
あの先輩たちは一言で解るほど有名人らしい。
「私の同級生の娘が転校しちゃったから、新入部員が欲しいんだろうね」
「転校?」
疑問符を打ち消すように流れる車内アナウンスに促され、私たちは学校へと向かった。
そう言えば、転校した先輩は誰のパートナーだったんだろう?
入学して最初の授業は数学は、担任でもある須藤先生の授業だったこともあり、ほとんどは自己紹介の延長とこれからの授業についての説明で終わってしまった。
新しい教科書の香りで満たされた教室で次の授業の用意をした私は、教室のざわめきを静まりかえらせるその声に、改めて自分の甘さを思い知った。
「キャスターいる?!」
間違いなく魔法使いでは無く私のことだろう。
「あぁ!いたいた。とりあえず部室に行こうよ。練習の話もあるしね」
そのままつかつかと歩みよって、一方的にまくしたてる。
言うが早いか再び私の手を握り机から引っ張り上げ、教室の外まで連れ出された。
昨日の再現のように前かがみになりながら引き回される。
3年生の教室は3階なはずだけど、この短い時間にどうやって来たんだろうこの人。
「せ!先輩!!ちょっと待って下さい!」
「ん?あぁ、歩きにくいよね」
改めて手を握り直される。
だから違う。そう言うことではなくて。
と言うか、これはいわゆる恋人つなぎというものではないだろうか。
確かに歩きやすくはなったけど悪目立ちすることこの上ない。
廊下中の視線が全て自分たちに向いているのが痛いほど分かる。
「あ、あのほら、今行ってもすぐ次の授業になっちゃいますよ!」
「ん~~そうだね。じゃあ昼休みにしようか?うん!そうしよう。ところでお昼はお弁当?学食?」
「お、お弁当です・・・」
「じゃあ昼休みに部室に集合ね。放課後も部活があるから。」
・・・いつの間にか今日の予定が全て決められてしまった。
学校生活において昼休みというのは格別大きい意味を持つことは間違いない。
藤乃茶学園には学生食堂があるものの、入学前に聞いた噂によると1年生は上級生に遠慮して利用を出来るだけ避けるようにという暗黙のルールがあるらしい。
周りの同級生も見回した限りみんなお昼を持参していたので、私が作ってもらったお弁当を持ってきたのも正解だったとは思う。
本来ならばクラス内で適当なグループなりを作りながら、同級生と親交を深めるのが普通だったろう。
初顔合わせ同士のいくらかの不安と期待、そんな昼休みだったはずなのだ。
それが何故こんなことになったのか・・・
再び西洋社交研究会の部室の前に立ち、そんなことを思う。
部室が分かりませんでした。という言い訳も考えてはみたけれど、御倉先輩に引っ張り回された時はもっと遠かったように思えたのに、思ったよりずっと近い場所にあったので考える間も無く到着してしまったのだ。
休み時間の移動の早さといい、やはりあの人は次元さえも飛び越える妖怪か何かなのかもしれない。
そんな妖怪の住処の前に立ち中を覗うが、どうや人の気配は無い。
何だか肩透かしを受けた感じだ。
一番乗りなんてよほど乗り気なのだと勘違いされないだろうか?
廊下で到着を待つのも決まりが悪いし、恐る恐る誰もいない部室に足を踏み入れる。
ティーセットやパソコンが片付けられた他は昨日と何も変わらない。
それだけに昨日と違う居心地の悪さが際立つ。
昨日は仮にもはっきりと招かれて入った部室だったけれど、今日はこっそりと忍びこんだように感じてしまう。
自分が知らない時間がこの部屋に積み重なっている。
掲示板に貼られたキルトのマスコット、黒板の隅に残された落書き、それを気付かせるような小物たちが端々に目に付いて、私の気持ちを落ちつかせてくれない。
いくら何でも下級生の私が先に着席して良いものか?
迷いながら手持ちぶさたをごまかすように、吊り下げられたコルクボードの写真を眺めていた。
5枚貼られた普通の写真と何枚か貼られたプリクラにはどれも昨日会った4人の先輩たちが笑っている。
正確にはもう1人、私のまだ会ったことの無い先輩がお日さまのようなとびきりの笑顔を浮かべていた。
この人が転校したと言う先輩だろうか?
神津先輩と椎先輩2人を無理やり引き寄せて写真を撮ったような構図だった。
真ん中の明るい笑顔と対照的に2人は困ったような、それでいて楽しさを隠し切れない表情で、その先輩を見つめていた。
しかしあの御倉先輩をも引っ張り回すような先輩がまだいるという事実に驚愕せざるを得ない。
やはり高校は恐ろしい所だ。未知の物で溢れている。
「?」
ふと、違和感を感じて指差して確認してみたが、改めて数えてみても部員は5人しかいなかった。
転校した先輩を抜いて4人、仮に私が入部したとして(しないけど)また5人、どちらにしても1人余る。
今のまま4人の方が練習もやり易いと思う。
何で御倉先輩はあんなにも躍起になって新入部員を探してるんだろう?
神津先輩とパートナーになればいいのに。
3年生だから引退?
ううん、でも部活を止めた訳じゃないと言っていたし。
上手くそっちに話を振ればこの勧誘から逃れられるかもしれない。
でもあの御倉先輩にそんな常識的な理屈が果たして通じるのか。
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