研究会会長

「無理です!無理です!絶対に無理ですから!!」


「や、っ、て、み、な、け、れ、ば、わ、か、ら、な、い、で、しょ!」


全力で逃げようとする私をしがみついて止めようとする先輩は一体どんな手段でこんな力を発揮しているのだろうか?

運動音痴の私だけれど 体格に見合った腕力はある筈で、あの小さな体でどうやってるのか振り返って確かめるのが怖くなるほどだ。

神話にそんな話があった気がする。振り返れば地獄へ連れ戻されるお話。

わずか1時間も経たずにイメージが妖精から祟り神に進化してしまった。


「大丈夫だって。怖いのは初めだけだよ?すぐにとっても気持ち良くなるからさ。」


猫なで声が尚のこと恐ろしい。

本当にむちゃくちゃだ。この人・・・

私もただ一回踊るだけなら受け入れていたと思う。実際差し伸べられた手を取りかけたのだし、その後に


明明後日しあさっての部活紹介の日までにはスローワルツだけでも踊れるようにしてあげるからね♪」


そんな事を言われなければだ。

スローワルツというのが今のダンスのことだろうとは想像が付いたけれど、何故私がそれを新入生全員の前で踊らなければならないのか。

何一つ理解出来ない私は、バスケ部の練習でもするたびに転んでいたスピンターンを見せて部室から脱出したところを「しい」先輩に捕まったのだった。


「椎。あなた本当に何も説明せずに連れてきたの?」


「道理で様子がおかしい訳だ」


そうです。そうなんです。一番おかしいのはこの人ですけど。


「とりあえず中に連れ込もう」


「そうねぇ…」


あれ、この人たちもおかしい?


今まさに地獄へと連れ戻されんとする私を救ったのは凛とした透き通るような声だった。


「椎!何をしているの!?」


つややかな黒髪をたくし上げながら「しい」先輩をたしなめるその人は3年生の徽章をつけていた。

助けてもらったからではないけれど、凛々しくはあっても優しげな物腰は女神様にも思えた。


「後少しなんだから邪魔しないで下さい。大体会長は引退したんだからもう関係ないと思いますけど」


だから何を持ってこの人は後少しと考えているのか。


「まだ会自体まで引退した訳じゃないわよ。いいから放してあげなさい」


女神様に言われてようやく束縛を解く「しい」先輩の前で、へたりこむ私の手を取り女神様は言った。


「ごめんなさいね。この娘たちも悪い娘ではないのだけれど、少し強引なところがあるのよ」


少しではないと思う。


「初めまして。私は西洋社交研究会の会長で、3年生の神津 瑛こうづ あきと言います。良ければ貴方の御名前も聞かせてくれる?」


女神様らしく神が入った名前を名乗る丁寧な挨拶に、逃げるのも忘れて返答してしまった。それにしてもこの人も3人の先輩もタイプは違えどすごい美人ばかりで、改めて私は場違いだと思い知る。

やはり出来るだけ早く逃げなければ。


「貴方たち。1年生は明日から忙しいのだからあまり引き留めてはだめよ?」


「でも樫田さん。良ければまた見学に来てね。歓迎するわ。明日もここで活動しているから」


「は、はい…」


「そういえば私たちもちゃんと自己紹介してなかったよね。私は式江 春しきえ はるね。ハルでいいよ。こっちは」


明日菜 藤花あしたな とうかです。好きなように呼んでね」


長身の先輩と中くらいの先輩がそう名乗った後、大トリだとでも言うように小さな先輩は言った。


「私は椎、御倉みくら しいね。椎先輩でいいよ。今日は会長の顔を立ててあげるから。また明日だね」


完全に明日から来ることになってる・・・


部活勧誘の行列はもう終わっていたけれど、まさかまた別の先輩に強引に連れていかれはしないかとびくびくしながら、一番手近にあった出口から学校を後にした。

頭の中をぐちゃぐちゃにかき混ぜられたまま、ほうほうの体で下校した私が上履きのままだったのに気付いたのは、既に乗り換えの電車に乗った後だった。


こうして波乱に満ちた、波乱しかなかったような始業式は幕を閉じたのだった。




西洋社交研究会、つまりそれはソシアルダンス、社交ダンスとも言うダンスを習うための部活だ。

今から思えばすぐに気付きそうなものだった。でなければ何故あの先輩たちが突然踊り出したのか説明出来ない。

藤乃茶学園は色々浮き世離れした所が多いとも聞いていたけど、いくら何でも新入生歓迎の踊りをする程奇矯ききょうな風習はないだろう。


一番奇矯ききょうな存在はあの御倉先輩かも知れない。


それでも言い訳させてもらえば普通ソシアルダンスといえば、男女のペアで踊るものだろうし、学校紹介の冊子にも正式な部と違い細かい説明は載っていなかったのだ。


家に帰った私は家族に相談も出来ず。というより何をどう相談すれば良いのか皆目分からないので、その日の夜はまんじりともせずに明日起こるかも知れない憂鬱に怯えていた。


突然現れた神津先輩も、あの時は女神様にも思えたけど今にして思えば勧誘の為の演技だったのかもしれない。

結局また見学に行くことを約束させられたようなものだし。

乱暴な勧誘の後にあんなに優しげな口説かれ方をすればみんな入部してしまうのでは無いだろうか。

陰謀を企む秘密結社のようなイメージの4人が頭の中で笑っている。


明日は既に今日になっていたけれど、どうすればあの先輩たちから逃れられるか、その方法は何も見つからないまま夢も見れない程深い眠りに落ちていった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る