西洋社交研究会

ズルいやり方だと思った。

あんな風に手を差し出されたら断るにしても気まずくなってしまう。

そう思いながらもうっかり手を取ってしまう私も私だけれど、この人はそこまで計算してやっているのだろうか。

手を取った私を間髪入れず引っ張っていくこの人の襟元には2年生を表す二本線の徽章きしょうが入っており、いくらなんでもこんな強引なことをする同級生はいないとは思ってはいたけれど、改めて先輩であることを確認出来た。

それにしても赤ちゃんみたいにすべすべな手だ。弟が生まれたばかりの頃、小さな手でしっかりと私の指を握りしめていたことを思い出す。

先輩も私の手をその小さな手で力強くしっかりと握り、私を引っ張ってゆく。


何せ身長差が有り過ぎるので必然半ば屈みながら、伝統がある故に増築だらけの迷路のような校舎を訳も分からず引っ張られてゆくと、ここから一人で帰っていいよと言われても途方にくれそうな程、上がり下り、曲がりくぐりを繰り返し、ようやく目的地に着いた。

『西洋社交研究会』と書かれた小さな板を入り口にぶら下げた教室の前だった。


「さ、ここだよ入って入って」


がらりと引き戸を開け私を中に連れ込んだ。

机や椅子のない教室はがらんとして、私を少し不安にさせる。今日私のクラスとなった1ーBの教室と同じ間取りなのだろうけど、ずっと広く感じた。

文化祭前日のような奇妙な感覚。甘いハーブティーのような匂いがする。

入って左手に机と五つの椅子、壁には写真が飾られたコルクボード、そこに二人の人物が座ってお茶を飲んでいた。


「うぉ!ホントに連れて来たよ」


「早かったわねぇ」


一人はショートカットで私ほどではないにしろ長身の先輩、シャツのボウタイを外して首元を広げている。鷹揚なリアクションは男性的ボーイッシュな印象だけれどそれがとても自然に見えた。

もう一人は丁度私の手を握る先輩と長身の先輩の中間くらいの背丈の眼鏡の先輩、少し赤みがかった髪をポニーテールにまとめ、刺繍ししゅうの入ったブックカバーをつけた本を手にしていた。

二人ともブレザーを脱いでいるから学年は分からなかったが会話からすると皆2年生なのだろう。


「ふふふ~~逸材だよ~」


逸材?私が?何の?

そもそも何をする部なのかいまいち分からない。何かテーブルマナーとか欧米風のお稽古事のような会なのかと思っていたけど。

強引に連れてこられたのに何故ついてきたのかと言えば、早めに何かの部活に入っていれば、もう勧誘を受けなくて済むかもという打算故だ。

重ねて言うなら部でなく研究会なら比較的活動が少ないんじゃないかと思ったこと、校門までにまた部活勧誘の先輩たちに囲まれないよう時間を潰せないかと考えたことも理由には上げられる。

でもそんなことはそれこそ先輩の手を振り払えない為の言い訳だったかもしれない。


「とりあえず座りなよ。1年生ちゃんの分もお茶入れてあげるから」


席に座ると長身の先輩がお茶の用意をしてくれた。

何か手伝うべきだろうか?でもお茶の道具の勝手が分からないし・・・

迷ってる内に手早くお茶が一番小さな先輩と私の前に用意されてしまった。今まで嗅いだことのない不思議な甘い匂いがより強く漂いだす。


「甜茶っていうお茶なのよ」


中くらいの背の先輩が私の疑問に気付いたのか。お茶の名前を教えてくれた。でもテンチャってなんだろう?

というか高校生って本当に部室でお茶したりするんだ。アニメみたいだ。


「それで1年生ちゃんのお名前は何ての」


そう長身の先輩が小さな先輩に話を振ると


「何だっけ?」


と小さな先輩が私に水を向ける


「聞いてないのかよ!」


「まぁまぁそれでお名前は?」


「え・・・ええと、か、樫田かしだ 亜絢ああやです・・・」


「アアヤちゃんね。かわいい名前。」


中くらいの先輩にお世辞を言われ、嬉しくなかったわけではないけれど、それより直近の問題があった。


「あ・・・あの、先輩。」


「ん?」


「そろそろ手は放してもいいんじゃ・・・ないでしょうか」


椅子に座っても手を握ったままだったのだ。逃がさないためだろうか。

先輩はパッと手を放し、


「忘れてた♪」


とにっこり笑う。


「あだ名とかはあるの?」


手を放した代わりとばかりに小さい先輩が尋ねる。


「中学の時はキャスターとか…」


矢継ぎ早に続く展開に混乱した頭で思わず素直に答えてしまったことを後悔する。


「カシダー?」


「素敵!魔法使いって意味だよね」


疑問符を浮かべる長身の先輩に説明するように中くらいの先輩が返事をくれる。


「あっ、違くて。つまり…」


魔法使いなんて意味があるの?

キャスターというのはつまり下にコロコロする車輪の着いた踏み台のことだ。

正確に言えばあのコロコロ単体のことらしいのだけれど、私のクラスではそう呼ばれていた。

私がいればキャスター要らずだということで付いたあだ名だった。


そう説明すると案の定微妙な表情を浮かべる二人。

苛められてたみたいに聞こえたかもしれない。

クラスメイトの間で苛められっこだったという噂が立つことは、これからの学校生活に暗雲を落としかねない。

実際に苛められてた訳ではないけれど、出来ればリセットしたいあだ名だった。


だのに、小さな先輩は何が可笑しかったのかコロコロと笑っていた。


「そっか。やっぱりキャスターは困ってる人を助けずにいられない優しい子なんだねぇ」


褒められているのだろうか。


「まぁお前の頼みを聞いてくれるくらいだしな」


頼み?この研究会に入ること?

まだ決めた訳ではないのだけど。


「とりあえず休憩も終わりだし、もう1セットいこうか?アアヤちゃんはお茶しながら見てて。しいはシャドウな」


「しい」というのが小さな先輩の名前なのだろうけど、一体何が起きているのかさっぱりわからない。

眼鏡を外した中くらいの先輩が机に置いてあったノートパソコンで何かの音楽を流し出すと、立ち上がった二人は教室の中央にこちらがどぎまぎしてしまう程の距離に向かい合い、お互いを抱きしめあった。


あっけにとられている私を他所よそに、二人は滑らかなステップで教室の中を周りだす。

どういう技術なのかは分からないけれど、お互いの握りあった手を突きだし、それに足のステップを追い付かせ、さらには反転し、またステップを踏む。

素人目にもお互いの息があっているのが良く分かる。そんなダンスだった。

だけど私の目がより惹き付けられたのは、「しい」先輩のそれだった。同じ振り付けなのはわかったけれど、長身の先輩がいない代わりにイメージだけの代役を立てているのだろう。

指先爪先まですっと繋がる滑らかな動きは、二人に決して負けていないように思えた。

ただ、一人だけで踊るそれはまるで欠けてしまったオルゴールの人形のように、寂しげにも見えた。


一通りの音楽とダンスが終わると、思わず拍手をしてしまう。

お世辞ではなく、本心からの反応だ。

そんな私にさっきのように手を差し伸べ、先輩は言った。


「じゃあ、キャスターも踊ってみようか?」


「はひ?」


仏様を拝むようなポーズのままそんな声をもらしてしまった。

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