第12話 比例する強さ
「……まったく。デジタル化が進んでる世の中でアナログとはな」
本部内に入っていたパンドラの箱のリーダーは、書類だらけの部屋の中でぼやいた。
多くの資料や書類を保管していた部屋を見つけ、人形も使って目的の情報がないか探した結果、辺りは足の踏み場もないほどにファイルや紙、本などが散乱している。
男は机の上で開いていたファイルはそのままに、次の部屋に向かうためにドアへと足を向けた。
人形とは意識を共有しているが、考えている頭は一つに変わりない。そのせいで、書類に目を通すたびに疲労が蓄積されていくばかりだ。
「例の場所のヒントが見つかれば上々、か」
せめて、珠妃がいればもっと手間が省けたのだが、残念ながら彼女は凪によって気絶させられている。起きたとしても、あの場から離れるのは至難の業だろう。
溜め息を一つ吐くと、男は「情報部」と書かれた部屋を見つけてドアに手をかけた。
だが、横から接近した火球に、弾かれるようにドアから離れる。
「お探しの物は、この組織にはありませんよ」
「グウウウ……」
響命力から誰かは検討がついた。また、飛来した炎の塊が、何からのものであるかも。
見れば、外にいたはずの庵が立っていた。彼の前には小さい姿になったセレンが浮いている。
「龍樹の場所は、代々、うちの当主と次期当主しか知らない。つまり、御巫の者のいないここにはあるはずもない」
「なるほど。では、君はもう知っていると?」
庵が次期当主であることは調べている。しかし、次期当主に場所が伝えられるとはいえ、時期や方法までは定かではない。当主が交代するときか、もしくは決まったときなのか。口伝なのか、それとも物を通じてなのかそれ以外か。
確認するように問う男に、庵はあえて無邪気に微笑んだ。
「答えは聞かずとも出ているでしょう?」
「……そうだな。その精錬された響命力は、一朝一夕で身につけられるものではない」
庵の身から滲む響命力は、明らかに先日、会ったときとは異なっている。本質は同じだが、より鋭利な刃物のように鋭く、磨き上げられた水晶のように澄んでいた。
やはり、龍樹は危険を冒してでも見つけ出さなければならない。
不敵に笑んだ男の周りに、水溜まりに似た影が無数に発生する。床に、壁に、宙に、天井に。
威嚇するように、セレンが口の端から炎を零す。
「では、場所を吐いてもらおうか!」
発したと同時に影から飛び出したのは何匹もの黒い蛇だ。
庵とセレンを飲み込んだ蛇の群れは、そのまま窓を突き破って外に飛び出した。
「庵!」
少し遅れて着いた透真は、窓の外に流れ出した黒い蛇の塊を見て愕然とした。
おぞましいほどの数の蛇は、すべて怨獣だ。元は九十九だったのか、それとも誰かの基獣だったのか分からないが、よく集めたものだといっそ感心してしまう。
男は透真に見向きもせず、割れた窓の縁に足を掛けて外に飛んだ。
本部の外壁に巨大な影を出現させ、そこから現れた大蛇の頭に着地する。
一方、庵とセレンを飲み込んだ蛇の隙間からは光が溢れ出し、徐々に漏れる光が大きくなると蛇が一匹、また一匹と剥がれ落ちていく。
やがて、蛇を周囲に弾けさせて現れたのは、元の大きさになったセレンだ。背中には庵もいる。
「これで終わりにしよう、セレン」
□■□■□■
離れた場所で、大きな響命力が複数動いている。
有栖が寝ているベッドの下に置かれたクッションで休んでいた白銀と緋月は、揃って頭を上げて窓のあるカーテンを見た。
「……?」
「……ピィ」
大型犬ほどのサイズの白銀と鷹ほどのサイズの緋月は、有栖が帰宅してから顕現させたままだった。そのため、普段、クッションを寝床にしている小虎と小雪は、今は有栖のベッドの端で寝ている。
龍樹で響命力を回復した有栖だが、響命力の源流に触れたことで逆に力を吸収しすぎてしまったようだ。気づいたのは帰宅してからだった。
このままでは危ないと思った有栖は、二匹を顕現した状態にして力を消費することにした。朝までに改善されていなければ、庵に相談しようと決めて。
部屋に入ってすぐ、有栖は倒れるようにして眠りについた。
「「…………」」
二匹はこの異変を主人に伝えるべきかと見やるが、疲れが溜まっていたのか有栖が起きる気配はない。ただし、基獣である二匹が起きた以上、睡眠は浅い状態だろう。
まだ眠っている有栖を起こさないよう、音を立てないようにカーテンの下に頭を突っ込んで外を窺う。
日の出を迎えた外は明るくなっており、人が活動する気配もあった。
響命力が動いているのは、町の中心から少し外れた方角からだ。
「……どうしたの?」
「っ!」
「ピィッ」
カーテンの向こうから、有栖のやや寝ぼけた声がして、白銀は思わず硬直した。代わりに緋月が先にカーテンから出て一鳴きし、有栖に異変を伝える。
小虎と小雪はまだ夢の中だ。
「なに? この力……」
肌を刺すような響命力に、まだ半分近く寝ていた有栖も徐々に覚醒してきた。
怪訝な顔でカーテンを開ければ、肌を刺す感覚がより強まった気がする。
白銀が「どうする?」と、動きを迷う有栖に視線で問いかけてきた。緋月も有栖の答えを待っている。
「行こう」
言わずとも、二匹には伝わっている。
有栖が言い切るよりも早く二匹は頷き、白銀は一度解現、緋月は翼を羽ばたかせて机に乗った。
さすがに寝間着のまま外に出るわけにもいかず、手早く着替えを済ませた有栖は、家族に気づかれないよう外に出る。
緋月を本来の大きさにして目的地まで飛んでいこうとしたが、予想外の人物が玄関先にいたことで思考が停止した。
「こんな朝早くから大変だな」
「恭、夜……」
外で待ち構えていたのは恭夜と昴だ。
しかし、恭夜には何も連絡はしていない。両親を含む近所の人達にも慌てる気配はないため、異変に気づいたのは有栖くらいだろう。
もしかすると、恭夜も異変を察知したのかもしれないが。
恭夜は大きな溜め息を吐くと、呆れと悲しさの混じる声音で言った。
「俺はちゃんと言ったんだけどな。『何かあったら、必ず言ってくれ』って」
「うっ」
本来であれば、有栖もまだ寝ている時間であり、起こすのは憚られた。また、危険だと分かりきった上で頼むのも気が引けたのだ。
では、恭夜は何故、ここにいるのか。
疑問が顔に出ていたのか、恭夜は有栖から視線を空へと変える。大きな響命力が動く方角へと。
「最初は昴が気づいたんだ。おかしな匂いがするってな」
「昴ちゃんが?」
「ワンッ」
「そしたら、ネットで治安部隊が襲われてるっていうのを見かけて、もしかしたら有栖も行くかもしれないって思ったんだ」
治安部隊の本部は、非常時のことを考えてなるべく民家の少ない場所に建てられている。それでも多少の家はあるため、異変に気づいた住人の誰かがネットに投稿したのだろう。
離れているからこそ、普段と変わりない生活を送っているが、同じ町内には変わりない。放っておけば被害が拡大する可能性もある。
「今度は俺も行くぞ」
「で、でも、恭夜も危ないよ?」
「それは俺だけに言えることじゃない。基獣の扱いについては、お前より慣れていると思うんだけど?」
「否定できない……」
恭夜のほうが長く基獣と過ごしている。戦闘についても、基獣の扱いに慣れた者のほうが動きは格段に良い。
等級で見れば有栖のほうが上だが、実戦で見ると恭夜のほうが上ということは大いにあり得る。
「邪魔はしない。有栖の邪魔になる奴は退けるけどな。だから、一緒に行かせてくれ」
「くぅん……」
「…………」
過去の一件のこともあって、恭夜を危険な目には遭わせたくない。けれど、恭夜からすれば有栖が危険な目に遭ってほしくないという気持ちと同じだ。
視線を落とした有栖は、今はあのときとは違う、と再び自身に言い聞かせ、気持ちを宥めるために息を吐く。
「……分かった」
「……!」
「けど、無茶だけはしないで」
「ははっ。お前もな」
恭夜は小さく笑みを浮かべると、有栖の頭を軽く叩くように撫でた。
昴と緋月も互いに目を合わせ、嬉しそうに目を細める。
「じゃあ、緋月。二人って、いける?」
「ピィ!」
「お願いね」
宙に舞った緋月の体が炎に包まれ、やがて巨大化していく火の玉の中で緋月も大きさを増す。
そして、火の玉を弾けさせて現れた緋月は本来の巨大な火の鳥になっていた。
「昴は落ちると危ないから、一度戻ってろ」
「ワンッ!」
下りてきた緋月に有栖が先に乗ると、恭夜も昴を解現してから彼女の後ろに乗った。
緋月は高く空に舞い上がり、目的地である治安部隊を目指す。
響命力は幾分か収まっているが、それでもまだ荒々しさは残っている。
やがて、上空にいることと距離が縮まってきたことで小さく見えてきた治安部隊本部。その壁から飛び出した黒い塊に、有栖と恭夜は息を飲んだ。
「な、んだ、あれ!?」
「パンドラの箱……?」
「箱?」
空を切る音で、有栖の呟きがよく聞こえなかった。
何の箱のことだ、と問う恭夜に、有栖は手短に説明した。
「パンドラの箱って言って、御巫先輩達が追ってた組織の名前で、怨獣とかを生み出して暴れさせていたの。伊知崎先輩の件も、小虎ちゃんの件も、そうだったみたい」
「マジかよ。そいつら、なんで怨獣なんて……」
「基獣は、この世界には不要だからって」
「はぁ?」
「詳しくは、また終わってからね」
治安部隊本部が近づいてきた。
敷地内ではセレンと黒い大蛇が交戦しているため、下りるのは困難だ。
多くの人が倒れている本部前の道路に下りれば、少し離れた場所で指示を出す万里や凪の姿があった。怪我人を運んだり、パンドラの箱の一員を捕まえているため、一度視線は向けられたがこちらにやってくる様子はない。
このまま敷地内に入ろうと緋月を解現して正門に向かったとき、敷地を囲う鉄柵の上から小さな影が降ってきた。
「っ!?」
「あぶな……!」
目の前の地面に着地したのは、一匹のリスだ。もちろん、普通のリスではなく、基獣だが。
見覚えのある基獣に、二人が基主を思い浮かべたのと、本人が前に立ち塞がったのはほぼ同時だった。
「折笠先輩!? もしかして、この人もパンドラの箱の一員なのか?」
「う、うん」
珠妃が組織の一員であると知っているのはごく一部の人だけだ。今まで戦闘に参加していなかった恭夜が知るはずもない。
戸惑う恭夜を前に、どこか切羽詰まった様子の珠妃はふらりとよろめきながら、二人に一歩近づいた。
「私達は、どうしても果たさなきゃいけないの。だから……ここから先には行かせない」
「キキッ」
先ほどは凪に強く殴られて意識が飛んでいた。今も殴られた場所が鈍く痛んでいる。
身構えるほどの隙がなかったが、あれでも手加減しているのだから、やはり自分では足下にも及ばないと思い知らされた。
しかし、パンドラの箱が劣勢に立たされている今、のんきに意識を飛ばしている場合ではない。
珠妃の前に立つ木葉が黒い靄を纏い、瞬く間に大きさを変えた。昴とさして変わらないほどにまでなった木葉は黒く変貌し、口の端から鋭い牙を覗かせ、手足に備わる爪も伸びて鋭さを誇張している。
猛獣の如く雄々しい唸りを上げた木葉だが、昴は怯むことなく前身を低くして牙を剥いて威嚇していた。
「『基獣は、基主の想いに比例して強さを増す』」
「恭夜……?」
授業で習った言葉を口にした恭夜は、有栖の前に歩み出て昴を顕現する。
恭夜から滲み出す響命力が、徐々に研ぎ澄まされていく。
「想いの強さが反映されるって言うんなら、有栖を守れと命じた昴は最強だ」
昴が天を仰いで高く、遠吠えをした。
直後、雲一つない空から真っ白な雷が落ち、昴を直撃する。
「昴ちゃん!?」
落雷のときのような轟音はほとんどしなかった。
眩い光に、珠妃や有栖だけでなく、少し離れた場所にいた治安部隊の隊員も咄嗟に顔を庇う。
やがて、雷の中から現れたのは、姿を変えた昴だ。
純白の毛は頭から背中にかけて逆立ち、顔は犬というよりも凛々しい狼へと変わっている。牙や爪も伸び、体表には時折、静電気のような電流が流れていた。
「基獣が、変わった……?」
今まで見た怨獣化ではない。基獣であるまま、力だけが増している。
昴から迸る響命力は、どう見ても第三位のものではない。
「昴。お前の力を引き出し切れてなくて悪い。思いっきり暴れてやれ!」
「ガウウ!!」
恭夜に応じるように吠えた昴が地を蹴り、僅かに怯んでいた木葉に食らいつく。
だが、木葉も咄嗟に跳んで避け、身を捻ると長く太い尾で昴の体を打った。
二匹の攻防に立ち竦んでいた有栖に、恭夜は声を張り上げた。
「有栖、行け!」
「っ!」
「会長が手を焼く相手なら、お前が手伝ったほうがいいだろ」
「恭夜……」
「心配ない。俺もすぐに行く」
「……うん。ありがとう!」
ここは恭夜を信じて任せたほうがいい。
恭夜と昴が開けてくれた道を、有栖は迷わずに駆けた。
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