第11話 守るべきもの
上空に舞い上がったセレンと時雨が、咆哮を上げながら戦いを繰り広げる。
セレンが炎を吐けば、時雨が水の膜で防ぐ。また、時雨が水の膜から矢の雨を放てば、セレンは灼熱の炎で蒸発させる。
一方、地上では、凪や透真が降ってくる火の粉や弾かれた水の矢が被害を広げないよう、それぞれの基獣の力で防いでいた。
(隊員はまだ起きそうにない。地上の怨獣は粗方片づいてるが、問題は……)
雪影に防御を任せ、直斗を握ったままの怨獣を見る。
いつの間にか、パンドラの箱のリーダーはいなくなっていた。従えていたマネキンもいない。
逃げたのか、それとも何処かに潜んでいるのか。気配を探っても辺りにはいないことから、死角から襲われる可能性は低そうだ。
凪は空を見上げたままの透真に声をかけた。
「透真君」
「何ですか?」
「俺はあのゴリラやるから、隊長達の攻撃の防御は頼んだ」
「……大丈夫なんですか?」
親指だけを立てて怨獣を指す凪は本気の表情をしている。
だが、怨獣のサイズは、凪はもちろん、雪影よりも遙かに大きい上に、人質を握りしめたままだ。下手に刺激をすれば、直斗の命が危ない。
庵が勝つよう手助けをして、万里を止めてからのほうがいいのではないのだろうか。
そう思った透真だが、凪は鞘に戻していた刀に手をかけると、怨獣を見据えたまま身を低くした。
「大丈夫なようにするんだ、よっ!」
言い切るよりも早く、凪が地を蹴って駆け出す。
怨獣が凪の動きに気づき、牙を剥き出して吠えた。
「ガアアアァァァァ!!」
「はぁっ!」
すぐに仕留めるより、まずは人質の救出だ。
直斗を握った右手を切り落とすように、怨獣の腕を狙って刀を振るう。しかし、思いの外、怨獣の腕が頑丈で、刀の入りが甘かった。
「ちっ。雪影!」
「ガウウ!」
セレンと時雨の攻撃の零れを防いでいた雪影は、凪の方へと向くと冷気を周囲に漂わせた。冷気の中に生まれるのは無数の氷柱だ。
雪影の氷の屋根に変わり、小太郎の炎が氷を覆って新たな屋根となる。
そして、再度、雪影が大きく吠えると氷柱が怨獣に向かって放たれた。
「誰の基獣だったのか九十九なのかは知らねぇけど、消えても文句は言わせないからな!」
いくつかの氷柱が怨獣に突き刺さる。さらに、突き刺さった箇所からじわじわと氷が広がっていく。
凪はまた怨獣との距離を詰めた。後ろに回り込み、足の腱を狙って刀を振るった。
大型だからこそ、小回りは利きにくい。振り下ろされる拳は凪を捉えられず、地面に大きな穴を開けるだけだった。
「グオオオオ!」
「はんっ。デカいだけか」
右腕につけた傷口の位置を確認する。自己再生能力はないようで、傷口は開いたままだ。出血がない辺り、元々は九十九だったと分かる。
高く跳躍し、今度こそ切り落とすつもりで刀を振り下ろした。
「やあっ!」
「ギャウウウ!!」
まだ力はいったものの、刀身は腕を切断し、開いた手からは直斗が落ちる。
地面に激突する直前で雪影がくわえ、怨獣から距離を取った。
腕を切り落とされた怨獣は、切断面から黒い靄を噴き出しながら悶え苦しみ、残る左腕を振り回す。
「やべ、危ね……っ!」
怨獣は腕を振り回しては抉れたコンクリートの断片を掴み、周囲に放り投げていた。
振ってきた断片を屈んで避けながら、離れようと膝を伸ばす。その瞬間、万里によって負傷していた脇腹がまた痛んだ。
「っ! ンの、やろ……!」
先ほどまで、動いても痛みはさほど感じなかった。今になって影響を出すな、と内心でぼやく。
直後、凪の耳に空を切る音が届いた。何の音だ、と振り返ったのと、怨獣が振るった拳が迫ったのはほぼ同時だった。
トラックが衝突してきたかのような衝撃の後、体はあっさりと飛ばされ、本部を囲う柵に激突する。
「凪さん!」
「ガアアアアァァァ!」
本部の門近くに直斗を置いた雪影が、仕返しだと言わんばかりに怨獣に飛びかかる。
雪影が姿を維持できているならば、まだ凪の意識はあるはずだ。
透真は凪の容態を確認するために駆け出す。
ぶつかったことで柵は大きく曲がり、その手前で凪は座り込んでいた。
「しくった……」
「凪さん、大丈夫ですか?」
「生きてるからな」
「大丈夫の基準は生死なんですか」
動けるかどうかではなく、生きていればいいのか。凪の判断基準に、次元の違いを感じてしまった。
だが、凪の左腕は力なく下げられたままで、頭部や腕、腹部など、至る所からの出血もある。一刻も早く治療したほうがいいのは一目瞭然だ。
当の本人は力なく笑みを浮かべると、未だ上空で攻防を繰り広げる上司を見てぼやいた。
「こんなこと、本来なら父親の役目なのに、あっちは我を忘れて戦闘中か。……あー、くそ。いてぇ」
「腕、折れてるじゃないですか」
「あ? こんくらい、どうってことない」
凪は右手で左肩を押さえながらゆっくりと立ち上がる。動かそうとしないところや、先の怨獣の一撃を考えれば、骨折していると見ていい。
痛そうに顔を歪める透真だが、凪はさして気にしていなかった。痛い、と口に出してはいても、動く分には支障はないようだ。
雪影が怨獣の喉元を噛んでとどめを刺した後、支えるように凪の隣に立つ。
「市民を守るのが俺らの仕事だ。隠れ愛妻家のシングルファーザーにも、思い出させてやる」
「っ!」
冷気が辺りに漂う。
肌寒さに透真が身を震わせた直後、雪影が大きく吠えた。足下から突き出した巨大な氷柱がセレンと時雨の間に割り込む。
突然、入ってきた第三者の攻撃に、セレンに乗っていた庵ははっとして地上を見た。
「……しまった」
万里を止めることを優先し、パンドラの箱のリーダーから気を逸らしていた。
男の姿が見えないことに気づき、すぐに地上に降り立った。
凪は目の前にやって来た庵に淡々と言う。
「庵君の相手は別だ。何処行ったか、庵君なら気配を探れるんじゃないの? あの人は俺に任せとけ」
「……大丈夫ですか?」
「お互い様だろ」
特等位であり、隊長としての実力も確かな万里を相手に、満身創痍の凪が立ち向かえるのか。今は雪影が次々と氷柱を発生させて敬遠しているが、いつまでもは持たないだろう。
庵が不安になる気持ちも分かるが、凪は彼の腹部を一瞥すると溜め息を吐いた。服に血が滲んでいたからだ。
顔には出していないが、庵が更正施設で深手を負った話は聞いている。いくら治癒を施されたとて、激しく動けば再び傷口は開くのだ。
「隊長の動きは把握してる。それに、もう人質は助けてるから、遠慮なくやれるしな」
「ありがとうございます」
「……透真君も行け」
「でも……」
「庵君は万全じゃない。俺は、こんな状態でもある程度は動けるし、雪影もいるから問題ない」
怪我が酷いのは凪だけで、雪影はほとんど傷を負っていない。戦闘力は落ちるが、怨獣も片づいた今、圧倒的な劣勢にはならないはずだ。
治安部隊は帯刀しているとおり、基主自身も戦うために傷を作ることには慣れている。そのときにどう動くかも。
透真はまだ迷いを見せていたが、「早く行かないと、庵君を見失うぞ」と言えば、軽く頭を下げて小太郎と共に駆け出した。
その背を見送った後、雪影が氷柱を出すのを止める。周囲に倒れた隊員やパンドラの箱の一員が起きる気配はない。
「さて、隊長。まずは、アンタから目ぇ覚ましてもらいますよ」
「ん……。……パパ?」
「いや、そっちが起きるんかーい」
微かに聞こえた幼い声に、凪は思わず脱力してしまった。
門の所に置かれていた直斗は、目を擦りながら辺りを見渡し、声が聞こえたほうを見て目を見開いた。
「凪ちゃん?」
「やめて。『ちゃん』はやめて。女の子みたいだから」
「凪ちゃん、怪我してるよ? パパも、どうしたの?」
「聞いてる?」
直斗の目には不安が宿っている。
それもそうだろう。彼はまだ五歳であり、戦闘など遠い世界の話だ。傷だらけの人がいれば心配もする。
しかし、凪としては怪我を心配されるよりも、呼び方を直してほしいのだが。
直斗はさらに周りを見回したかと思えば、上空に目を向けて不思議そうに首を傾げた。
「どうして、パパはあんなに真っ黒なの?」
「え……?」
今、直斗は何を言ったのかと耳を疑った。
怨獣やその基主の纏う黒い靄は、基獣を具現化した者であれば視えるものだ。ただし、基獣を具現化していても視えない者もいるようだが。
直斗についてはまだ基獣を具現化していないため、姿の変わる怨獣はともかく、基主が堕ちているかは見分けがつかないはずだ。
「チートの子供って、チートなの?」
「凪ちゃんの怪我、もしかして、パパと喧嘩したから? パパ、悪いことしたの?」
「うん?」
様子がおかしい。感じることのなかった響命力が、直斗の奥底から滲み出ている。
もしや、これは……、とある可能性に辿り着いたとき、直斗は目尻に涙を浮かべながら呟いた。
「――『
澄んだ響命力が直斗から溢れ出した。
眩い光の輪が直斗の背後に現れ、中から出てきたのは一頭の羊だ。全身を覆う体毛は黒く、額には一本の角がある。
「うげっ。あれって、『カイチ』じゃ……!」
伝承で語られる、中国の瑞獣の一種だ。正義と公正を象徴し、人間同士で争い事が起これば、角を使って誤っているほうを突き倒すと言われている。
清明と名付けられたカイチは、凪に歩み寄ると左腕に口を近づけた。淡い光が発したかと思えば、痛みは瞬く間に退いていった。
さらに、清明は上空にいる時雨を見ると、前足で地面を叩き、身を屈めてから高く跳躍した。
「跳んだ!?」
「パパ。悪いことをしたら、怒られるんだよ!」
清明の角が時雨を突いた。
万里が動けなかったのは、もしかすると彼の中に「父親」としての理性が残っていたからかもしれない。
時雨から黒い靄が離散し、地上に落ちた。何人かが下敷きになった気がするが、構えるほどの余裕は凪にはなかった。
気を失った万里は清明が背に乗せ、軽々と着地したことで無傷だ。
「…………」
「やべっ」
力を一気に使ったからだろう。
ふらりと倒れた直斗を受け止めようと凪が手を伸ばすが、それよりも早く、直斗を抱き留めた者がいた。
「……まさか、もう子供に助けられる日がくるとはな」
受け止めたのは万里だ。直斗が力を使い果たしたことで、清明は姿を消している。
どのタイミングで万里が目を覚ましたかはともかく、彼の響命力はいつもと同じに戻っていた。また、直斗を見る穏やかな目も。
凪は傍らでお座りをしている雪影に寄りかかると、深い溜め息を吐いた。
「はぁ……。疲れた」
「手間をかけたな。すまない」
「いえいえ、いいんですよー。特別手当て貰う気満々ですから」
「庵は?」
「…………」
冗談っぽく言ったものの、流されると何とも複雑な気分になる。
やはり、この親子は人の言葉をスルーすることがあるな、と思いながら、少し前に庵が向かった先を伝えた。
「中に行きました。パンドラのリーダーを追って、だとは思いますけど」
「奴にはしてやられた。次はない」
「そう願いますよ、パパ」
「……は?」
「わぁ、俺の心臓、麻痺するかと思った」
直斗が何度も万里を「パパ」と呼んでいたことや、空気が重くなることを避けてあえて茶化したというのに、万里からの視線は鋭いものだった。空気を読めなかった凪にも非はあるが。
両手を小さく挙げて降参の意を示した凪は、怪訝な顔をしたままの万里に肩を竦めてから手を下ろす。
「っていうのは冗談で」
今度は万里が溜め息を吐く番だった。
こんなときに冗談を言うな、と言外に告げられているが、凪は気にした様子もなく、万里に歩み寄るとその肩を拳で軽く突いた。
「もう起きないよう、お願いしますよ。隊長」
「……ああ」
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