第8話 龍樹


 温かい水の中に浮いているような感覚がした。

 ただし、呼吸はできるため、夢を見ているのだろう、と有栖は半分覚醒した意識の中で思った。

 浮上する意識に合わせて目を開けば、視界に映ったのは星が瞬く夜空と、薄緑色の光によってぼんやりと照らされた大きな木の枝と生い茂る葉。時期は早いが蛍でもいるのか、緑色の光の粒がいくつも宙を舞っていた。

 ゆっくりと視線を動かせば、木を照らすのは地面の至る所から生えている水晶の柱だと分かった。

 大小様々な水晶は中央が柔らかく光っており、時折、宙を舞っていた蛍と同じ光の欠片を散らせている。どうやら、光の粒子は蛍ではなかったようだ。


(水晶が光るなんて……。それに、この大きな木は……?)


 幻想的な光景を見ながら上体を起こした有栖は、背後に聳える木を見上げた。大樹からは強い響命力を感じられる。また、それが根を伝って大地へと流れていくのも。

 有栖がいる位置からでは木の高さは分からないが、幹の太さはかなりのものだ。さらに、他の木が生えることを許さないかのように太い根がかなり先にまで伸びている。水晶も根の周辺により多く生えていた。

 現在地は森の中なのか、周りには一定の距離を開けて木々が生い茂っている。まさに、「秘境」と呼ばれるに相応しい場所だ。


「ああ、起きたんだね」

「っ!」


 ぼんやりとしていたせいか、突然、聞こえた声に肩が跳ねた。

 見れば、地面から隆起した太い根を越えて庵がやって来るところだった。

 「驚かせてごめんね」と言った庵は、有栖の前に片膝をつくと、額に手を当てて訊ねる。


「気分はどう? 響命力は回復したみたいだけど……」

「は、はい。大丈夫、です」


 漸く、意識を手離す前を思い出した。庵の怪我を治そうと、残り僅かな響命力を振り絞ったことを。

 その後のことは覚えていないが、庵がここへ連れてきてくれたのだと分かった。

 有栖の返事を聞いた庵は、申し訳なさそうに視線を落とす。


「僕の配慮が足りないばかりに、君には無茶をさせてしまったね。本当にごめん」

「いえ、そんなことは……」


 治そうとしたのは有栖であり、力の配分がうまくできていないのも有栖の経験の浅さによるものだ。

 庵に謝られるものではない、と首を左右に振るも、彼の雰囲気が変わる気配はない。

 何とか空気を切り替えようと、有栖は気になっていたことを訊ねた。


「あ、あの、それよりも、ここは何処なんですか?」

「え?」

「この木って、ただの木ではないですよね? 響命力が溢れているのが、よく分かります。こんな木があるなんて、聞いたことがないので……」


 ふいに、パンドラの箱のリーダーが浮かんだ。

 彼は災禍の元凶である「龍樹」を消すと言っていた。有栖の当てはめた漢字と意味が合っているのならば、彼が狙うのは何かの木だ。

 もしや、これがその龍樹なのかと思っていると、庵は少し躊躇った後、ゆっくりと頷いた。まるで、自分の中で答えを出したかのように。


「これが、龍樹というものだよ」

「あの男の人が言っていた……?」

「そう」


 頷いた庵は、立ち上がって木に歩み寄る。

 太い幹にそっと触れれば、近くの水晶がより強く光った。

 何が起こったのか分からずきょとんとしていた有栖を見てか、庵は「僕の力を流し込んだからかな」と小さく笑みを零した。


「基獣と九十九を生み出す切っ掛けとなった響命力は、この木から溢れているんだ。そして、地中にある龍脈を通り、日本の各地に流れている」


 基獣や九十九が生まれるのは、基本的に国内だけだ。海外ではごく稀であり、多くの学者が研究のために日本にやって来た時期もあったという。

 今ではその波も一段落しているが、彼らがこの木の存在を知れば、また大騒ぎになるのは間違いない。


「この木を最初に見つけたのは、幸か不幸か、御巫の者でね。彼も特等位であり、当時は誰よりも強い響命力を持っていたんだ」


 木を奪われるわけにはいかない。また、研究であったとしても、多くの者に触れられれば何らかの影響が出る恐れがある。

 せっかく手に入れた、他国にはない未知の力。それを易々と失うわけにはいかないと、当時の御巫当主は日本政府と話し合いを重ねてある結論に至った。


「日本政府は、特等位を多く輩出する御巫の一族に、この木を守る役目を授けた。いや、そうせざるを得なかった」

「どうしてですか?」

「場所を知っているのが、御巫の当主と次期当主だけだからだよ」


 存在は知らせなければならないため、当時の国の代表者に龍樹を見せることはした。ただし、行き帰りの際は眠ってもらったが。

 政府から場所の開示を求められても、漏洩のリスクを話せばしつこくは言われなかった。

 以来、龍樹の場所は御巫の当主にしか伝わっていない。


「どうして龍樹がこの国にあるのか、それは僕らにも分からない。木が話すこともないしね。けれど、基獣や九十九を失うわけにはいかないから、御巫の当主は場所を隠すために、周囲を結界で何重にも覆っているんだ」

「御巫先輩が……」

「うん。そして、木の力が弱まったときには、僕らが補助する。国にお願いすることもあるけどね」

「…………」


 何故か、補助の内容については聞けなかった。聞かないほうがいいと思ってしまった。

 パンドラのリーダーが言っていた「人身供儀」の言葉が過ぎったからだ。そして、先ほど、木に触れた庵が力を流し込んだことで水晶が光った様子が。


「パンドラのリーダーの力がどれほどのものか、僕にも未知数だ。けれど、どうにかして彼を止めなければ、この木が危険に晒される。だから……」


 木を向いていた庵が有栖に向き直る。

 いつになく真剣な表情の庵に、自然と背筋が伸びた。


「もし、僕の身に何かあれば、龍樹のことは君に託したい」

「えっ……」

「もちろん、そうならないように善処はする。でも、何が起こるか分からないからね」


 まるで、庵が死んでしまうような言い方に思考が停止した。

 他にも託せる人はいるはずだ。例えば、治安部隊の隊長である万里も特等位であり、実力は有栖とは比べものにならない。

 それでも何故、庵は有栖に託すのか。

 戸惑う有栖に、困ったように笑みを浮かべた庵は「もしもの話だから」と付け足した。


「もしもでも、そんな、縁起の悪い話はしないでほしいです……」

「…………」

「だから、そうならないように、私も善処します。……御巫先輩の邪魔にならない程度には」


 庵が一人で立ち向かって歯が立たないのなら、有栖も近くでサポートはできるはずだ。怪我をすれば、緋月で癒すこともできる。

 そうすれば、良い結果が得られるかもしれないと庵を見た有栖だが、彼の表情が思っていたものと違ったことに首を傾げる。

 驚いているのか、固まったまま動かない。


「御巫先輩?」

「……あ。いや、ごめん。まさか、君まで戦おうとするなんて思ってもいなかった」

「た、確かに、戦闘はまだ下手ですけど……でも、同じ特等位なんです。多分、それなりに力はある、はず、です……きっと……」

「あははっ。大丈夫。慣れない内は大変だけど、コツさえ掴めばあっという間だから」


 自信のなさから語尾が小さくなる有栖の頭を、庵は笑いながら軽く叩くように撫でる。自分の考えがいつの間にか、「一人で片づける」ことになっていたと気づかされた。


「そうだね。君も、万里さんも特等位だ。いざとなれば、ここの守りを託すのではなくて、背中を預けようかな」

「榊先輩は……?」

「ついてこられたら、ね」


 透真の姿が浮かんで名前を出せば、庵は意地の悪い笑みを浮かべる。そして、スマホで時間を確認してから言った。


「もうこんな時間か。家まで送るよ」

「い、いえ、一人でも帰れます」


 これ以上、庵の手を煩わせるわけにはいかない。

 緋月も回復している今、帰宅くらいはできるはずだ。現在地は分からないが、方角を庵に聞けば何とかなるだろう。

 しかし、庵が許すはずもなかった。


「女の子を一人で帰すなんて、できるわけがないだろう?」


 その言い方はずるい、と差し出された手を取りながら内心で唸った。

 顕現したセレンは傷が癒えており、有栖を見るなり頬を擦り寄せてきた。治癒してくれたことへのお礼のようだ。

 有栖はセレンの頭を撫でながら庵の様子を窺う。酷い怪我をしていたが、治癒によって治ったのだろうか。表情に出ないせいで分かりにくい。


 ――あいつは、昔、研究で『苦痛』を取られてる。


 ふいに、透真から聞いた言葉が過ぎった。

 感覚としての痛覚は取り除かれていないが、怪我をしたり、何かが当たったりしたときなどの「痛い」、「苦しい」という感情がないとのことだ。

 そのため、怪我をしていても人に言われるまで気づかなかったり、普通ならば動けないような状態でも動いてしまうと透真が言っていた。


「御巫先輩」

「ん?」

「怪我は、治りましたか?」


 治癒をしたのは有栖であり、怪我をしていた庵は平然と動いている。

 確認するまでもない質問だが、庵には彼女が訊ねてきた理由に思い当たる節があった。


「透真かい?」

「……はい。御巫先輩は、苦痛を取られていると聞きました。だから、怪我をしても普通に動けると」

「そうだね。違和感としてはあるけど、皆が感じている痛みというのとは違うみたいだ」


 感覚のことだから、どう表現すればいいかは難しいけれど。と、付け足した庵は、そっと自らの脇腹に触れた。

 怪我をしたばかりの頃よりは違和感はない。血が滲む気配も。

 しかし、どう状態を説明すればいいか分からず、もどかしさを感じながらも庵は優しく微笑んだ。


「ありがとう。もう大丈夫だから」

「……分かりました」


 傷を見せてもらうのが手っ取り早いのだが、庵本人に見せる気がないのなら有栖にはどうすることもできない。これが透真であれば、無理矢理にでも見たのだろうか、と考えてしまった。

 待機していたセレンが「ガウ」と軽く鳴けば、庵は「うん。もう帰るよ」と催促に応じた。

 そして、セレンの背に乗って飛び立てば、家まではあっという間だった。




「――じゃあ、何かあったらすぐに連絡して」

「はい。ありがとうございました」


 家の前で降ろしてもらった有栖は、送ってくれた庵と少し小さくなったセレンに礼を言う。

 セレンはドラゴンであるせいか体がかなり大きい。本来のサイズでは、車二台が漸く通れる程度の道路には着陸できないほどに。

 そのため、セレンは二人を乗せたまま下降し、飛び降りても大丈夫な高さで大きさを縮めると、庵が先に降りてセレンへの負担を減らしたのだ。

 いつかは自分もこんな調整ができるようになるのだろうか、と思っていると、聞き慣れた声が響いた。


「有栖!」

「……恭夜?」


 声がした方を振り向けば、息を切らせた恭夜が走ってきた。どれだけ走ったのかは不明だが、額には汗が滲んでいる。

 恭夜は有栖の目の前で足を止めると、息が整いきる前にまた声を上げた。


「隼人から聞いたぞ! また無茶したって!」

「ご、ごめん。けど、御巫先輩が助けてくれたから大丈夫」

「会長が……?」


 何か裏があるのか? と疑いの表情を隠すことなく庵へと向ける。

 しかし、服などに怪我の痕跡が残る庵を見れば、決して彼にも余裕があったのではないと分かり、すぐに気まずそうに視線を落とした。何もできなかった自分が向けるべき表情ではないと思ったのだ。


「……ありがとうございます」

「いや、先に僕が助けられたからね。……それじゃあ、ゆっくり休むんだよ」


 庵は首を左右に振ると、待機させていたセレンに乗った。

 てっきり、有栖が家に入るまではいるかと思った恭夜だが、本人も早く休みたいのかもしれない。引き留める必要もないため、何も言わずに庵を見送る。

 小さくなっていく白いドラゴンを見ていた恭夜は、あることに気づいて内心で首を傾げた。


(あれ? 会長の家って、あっちだったか?)


 行ったことはないが、どの辺りに住んでいるかは周囲の人から聞いたことがある。何せ、御巫家は様々な行政機関に顔が利く上に特等位が生まれやすいと有名だ。さらに、基獣具現化の最年少記録を保有する庵がいる。

 そんな人が同じ町に住んでいるとなれば、家の位置などはあっという間に広まるのだ。

 ただ、庵が自宅とは違う方向に行ったところで、恭夜には訊ねる理由もなければ興味もない。有栖に被害がないのならば。 

 わざわざ有栖に不安を残すほどのものでもない、と自己完結して有栖に向き直った。


「怪我は?」

「大丈夫。心配掛けてごめんね。恭夜」

「……いや。俺は、何もできなかったし」


 ――何かあれば俺が助ける。

 そう思って行動していたはずなのに、いつの間にか有栖から離れてしまっている自分がいる。二十四時間、有栖を見張るわけにもいかないので、仕方がないといえば仕方がないのだが。

 また視線を落とした恭夜を見て、有栖は困ったように微笑んだ。


「タイミングが悪かったんだよ。私も、小虎ちゃん達が帰ってきていたら、きっと何もしていなかったと思う」

「そんなことないだろ。お前は特等位だし、浄化できる人は多いほうがいい」

「……恭夜?」


 恭夜にしては珍しく、突き放すような言い方だ。拗ねている、とも感じられた。

 有栖の知らないところで何かあったのか、と少し心配になったが、すぐに恭夜が深い溜め息を吐いたために何も言えなかった。


「悪い。八つ当たりだ。会長のこと、言えないなって思って……」


 先日、庵のことを責めた自分が恥ずかしい。今のままでは、自信を持って「有栖を守る」とは言えなかった。

 ただ、先ほどの庵の様子と発言を聞いて、改めて気づかされたことがある。


「……正直、びっくりした。会長でも怪我することあるんだな」

「そりゃあ、御巫先輩だって人間だからね。他の人よりもちょっと心が強いだけで、考える頭は一つだし、動かせる手足の数だって私達と同じだよ」

「ははっ。それもそうか」


 恭夜の言葉に目を瞬かせていた有栖だが、すぐに可笑しそうに笑った。

 いくら「最強」と言われたとて、一人でできることは限られてくる。それをすっかり忘れていた。

 恭夜は、ふいに透真を思い出した。庵が一人で何でもできるのなら、彼もきっとそばにはいないだろう。

 つい先ほどは自分の無力さに腹が立ったが、やれることが見つかった気がした。


「今度は、何かあったら必ず言ってくれ。絶対に、何処にいても行くから」




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