第7話 特等位


「ガァッ!」

「っ!」


 セレンが珠妃に向けて炎の塊を吐き、庵を庇うように前に立ちはだかる。

 だが、隙を作るだけの攻撃だったためか、身を低くするだけで簡単に躱された。

 庵は溜め息を吐くと、どうやって止血をしようかと考えながら、先の珠妃の発言に補足した。


「言っておきますが、痛覚はあるので違和感は抱きますよ。ただ、これが普通の人にとって、どの程度痛いものかは判断が難しいのですが」


 小さなものなら、周囲から聞いたり、様子を見てどの程度反応すればいいのかを覚えた。しかし、血が出るほどの怪我をほとんどしないため、こればかりは未だに掴めずにいる。

 放っておけばいいのだろうか、と思いつつ、新しい動きを見せた珠妃へと視線を向けた。


「ちょうど良いところに」


 珠妃は手近にあった盆栽に、ポケットから取り出した欠片を押しつけた。

 物が怨獣化するように、植物も怨獣化する。ただし、事例は少ないが。

 欠片が盆栽に溶け込んでいく。直後、動くはずのない盆栽が軋む音を立てながら動き始め、徐々に大きさを増していった。本体を納めきれなくなった鉢が割れ、溢れた根が大地に突き刺さる。

 建物よりも大きくなった盆栽の怨獣は、しなやかに振り上げた太い枝をセレンと庵に振り下ろした。


「ガアアァァァっ!」


 セレンの口腔から炎が放たれ、瞬く間に枝を包み込んで激しく燃やす。

 燃やされた枝は崩れ、炭となって降り注いだ。ただ、その炭も浄化作用を持つ炎によってすぐに跡形もなく消え去ったが。


「動かせる筋肉もないのによく動くね」


 怨獣は動くたびに表面が割れ、細かい木屑を撒いている。それでも折れたりしないのが不思議だが。

 次の一撃が放たれる前に片をつけようと、庵は怨獣本体を燃やそうと見据える。

 セレンが薄く開いた口の端から火の粉が零れた。準備はできているようだ。

 怨獣は燃やされた枝を修復しようとしているのか、黒い靄が燃え落ちた枝の付け根に集まっている。

 その傍らで別の枝が徐々に伸びているのを、庵は見逃さなかった。


「セレン、っ!?」

「ガウゥッ!?」


 セレンが動くためのイメージをしようとした矢先、何かが体に巻きついて強く絞めつけた。視線を落とせば、黒い髪の束だった。

 さらに伸びてきた黒髪は庵の前方にいたセレンも絡め取り、地面に引きずり倒す。口まで縛られれば、炎を吐くことはできない。

 一体、何が起きているのか、と黒髪の先を目で追えば、珠妃へと辿り着いた。正確には、彼女の隣に。


「こんなときのために取っておいて良かった」

「……人形?」

「施設内に飾られていた物よ」


 珠妃の傍らにいたのは、黒い靄を纏う日本人形だった。その黒い髪が庵達に向かって伸び、体を縛っていたのだ。

 一見するとホラー映画のような光景だが、珠妃が怨獣化させたのだと即座に理解した。


「ほらほら、よそ見なんてしてると……」

「っ!」

「グウウッ!!」


 怨獣の枝が振り下ろされ、セレンの体を容赦なく叩きつけた。後ろにいた庵にも枝の端が辺り、重い衝撃に耐えきれなかった足が崩れる。

 強度を増した松葉が頭や腕を掠め、一部は肩に刺さった。枝が直撃したセレンの身体にも、松葉や木の欠片が刺さっている。

 流れ出した血が、松葉から飛び散った血が、地面を赤く染めた。

 庵はブレる思考を正すように頭を振り、自身の響命力をセレンに送り込む。


「……松の特徴は残っているようで、安心しました」

「特徴……?」

「まずは、セレンの攻撃方法から認識を改めてもらいましょう」


 庵の表情に焦りはまだ見受けられない。

 怪訝に眉を顰めた珠妃の目の前で、伏せていたセレンを囲うように地面から炎が噴き上がった。

 体を拘束していた黒髪が燃え、炎は髪を伝って日本人形を燃やした。

 瞬く間に炎に包まれた日本人形は、熱さから逃れようと地面をのたうち回る。


「嘘でしょ……」


 珠妃は苦しげに暴れる日本人形は見ず、庵達を見たまま愕然と呟いた。少しでも目を離せば、次は自分が日本人形と同じ目に遭う気がしたのだ。

 拘束が解かれたセレンは、自身を取り巻く炎の中で起き上がり、怨獣を真っ直ぐに見据えていた。


「ガアアアァァ!!」


 セレンの周囲に炎の弾がいくつも発生し、怨獣に襲いかかる。

 防ぐ手段のない怨獣は、一つ、また一つと炎の弾を受けた。炎は激しく燃え広がり、あっという間に全体を包み込んだ。


「松は、よく燃えるんです」


 樹脂を多く含む松はよく燃える木材の一つだ。

 怨獣となった松に同じ特徴があるかは分からなかったが、最初に枝が燃えた様子を見て確証した。

 ゆっくりと立ち上がった庵を見て、珠妃は再び顔を歪めた。ただし、庵の考えが分からないからではなく、彼の行動が信じられないという意味でだ。


「そのケガで動くなんて、死ぬ気……?」

「おかしなことを言いますね、珠妃先輩。仮にも敵でしょう?」

「…………」


 出血が酷いというのに、庵の顔色はひとつも変わりない。ただ、珠妃の言葉には僅かに眉を顰めたが。

 そこで改めて、自分が庵とは対立しているのだと、彼は既に自分を敵だと見ていたのだと気づいた。もしかすると、庵はもっと前から……疑っていた頃から、珠妃を仲間とは思っていなかったかもしれない。

 珠妃は、胸の奥がずきんと痛んだ気がした。気のせいだと言い聞かせようと、手を握りしめる。

 その耳に、呆れと僅かな怒りが混じる言葉が届いた。


「まだお前は甘いな」

「っ!」


 声の主は、今まで一言も発することなく様子を見ていたパンドラのリーダーだ。

 男は近くの地面から覗く怨獣の根に歩み寄り、片手でそっと触れた。

 直後、怨獣から煙とは異なる黒い靄が滲み出し、炎を纏った枝がセレンに振り下ろされる。

 避けようとしたセレンだが、地面から突き出した根が足を貫き、悲鳴が辺りに木霊した。


「セレン……!」


 炎を纏った一撃をまともに受けるのは、さすがのセレンでもただでは済まない。

 庵はすぐにセレンを解現し、矛先を変えてきた枝を避けるために地面を蹴る。

 しかし、それまで枝を振り回すだけだった怨獣が、燃える枝を振るわせて松葉を飛ばしてきた。


「くっ……!」


 すべてを避けるのは不可能だと察した庵は、腕を翳しながら避けられるものは避ける。大きさがあるために視認しやすいものの、少しでも掠めればダメージは大きい。

 いくら特等位とはいえ、特殊な力を発揮するのは基獣だ。当の本人は対抗する術を持たない。治安部隊であれば、拳銃や剣などの武器を携行しているが、庵はまだ一般人だ。


「ほう。これは面白い」

「何を、したの……?」

「少し知恵を貸しただけだよ。響命力を流し込んで」


 どうなるかは分からなかったが、これは他のものでも試す価値はありそうだ、と男は興味深そうに盆栽を見て頷く。

 こんな状況下でも冷静に研究しようとする男の姿勢に、珠妃は底知れぬ恐ろしさを感じた。


「案外、特等位も弱いものだな」

「…………」


 珠妃から地面に片膝をついた庵へと視線を向ける。

 期待外れだと言わんばかりの男だが、庵には言い返すだけの余裕がない。

 痛みはほとんどないが、出血のせいで頭がうまく回らないのだ。また、ケガをした箇所に何かが張り付いているような違和感があって気持ちが悪い。


(これなら、痛いほうがマシか……)


 そっと目を閉じた庵は、感情の一部を取られる前を思い出した。


 ――まずは、「苦痛」を取り除いてみよう。

 ――それは感覚器官ですよね? 感情ではないので難しいのでは……。

 ――ああ。だから、あくまでも感情としての苦痛だ。だから、ケガをしても違和感としては残るだろう。


 白衣に身を包んだ数名の男女が、大きなテーブルを囲んで話し合いをしていた。

 幼い庵はその様子をイスに座ってぼんやりと眺めており、いつ帰れるのだろうか、と自分をここに連れてきた両親を思い浮かべる。

 二人とも「庵の将来のためだ」と言っていたが、詳しい内容までは説明してくれなかった。


 ――ケガの痛みで動けなくなると、いざというときに戦闘で不利になる。

 ――しかし、痛みをなくせば命に関わる大ケガをしたときが……。

 ――特等位だろう? そんなケガをするものか。


 男性の嘲笑が、酷く印象に残っている。

 特等位は普通とは違う。だからこそ、他の人より無茶をしても平気だ。

 そんな常識が世間に染み渡っている今、周囲の自分へ向ける視線がとても嫌いだった。


 ――僕は、皆と同じなのに……。


 面白ければ笑うし、悲しければ泣く。楽しい事は好きだが、苦しい事や痛い事は嫌いだ。

 違うものがあるとすれば、響命力が強いということ。ただそれだけだ。

 そして、「不要」とされた感情は取り除かれ、その日を境に、庵は完全にになった。

 ゆっくりと目を開いた庵は、刺さった松葉にそっと触れる。抜けば血がさらに溢れ、最悪、命を落とすだろう。

 「ケガをするものか」と嘲笑した男性を、今度は庵がそっと嘲笑った。


(ほら、特等位だって、ちゃんとケガをするじゃないか)

「所詮、我々とさして変わりない人間だ」


 皮肉なことに、男の発言と重なってしまった。

 彼もあの施設の研究員だったはずだが、考え方が異なっていたのかもしれない。

 しかし、それに気づいたところで打開策が見出せるはずもなく、庵はどうしたものかと小さく息を吐く。

 そのとき、少しだけ脱力したことで感じ取った響命力。

 新たな声が聞こえてきたのは、庵が顔を上げるよりも早かった。


「それじゃ、コイツから奪った物、返してもらうぜ」


 上空を、鮮やかな赤い鳥が舞っていた。その背には基主である有栖と、黒い狐を抱える透真の姿がある。

 全員がその姿を認識した直後、赤と青の炎が降り注いだ。

 男が何か手を加えたのか怨獣の炎は消えかけていたものの、新しい炎が引火したことで瞬く間に燃え上がった。それも、セレンのときよりもさらに激しく。

 深紅の炎に包まれた怨獣は徐々に小さくなっていき、やがて元のサイズに戻って炎が消えた。抉れた地面の中心で、ボロボロになった盆栽が転がっている。


「浄化されたか……ん?」


 浄化されたなら、次の怨獣を生み出すだけだ。

 そう思い、ポケットに入れているはずの欠片を取ろうとした男だが、指先に触れる物がない。

 距離を取るためか、やって来た珠妃が不思議そうに男を見る。

 こんな初歩的なミスを犯すとは……、と男は歯噛みした。同時に浮かんだのは、町で会った治安部隊の副隊長の姿だ。彼らを足止めするためとはいえ、欠片を撒き過ぎた。

 緋月が下りてくるのを見て、長居は不要だ、と背を向ける。


「欠片が切れた。退こう」

「は、はい」

「待て!」

「透真!」


 一足先に緋月から飛び降りた透真と小太郎が二人を追おうとしたが、庵が声を上げて制止する。

 透真は止めた庵を非難しかけたが、自分より力のある庵の現状を鑑みれば死にに行くようなものだと言葉を飲み込んだ。

 「くそっ」と吐き捨てた透真を横目に、有栖は鷹ほどのサイズになった緋月と共に庵に駆け寄った。

 彼の隣に膝をつき、ケガの具合を見ると悲痛に顔を歪めた。だが、すぐに緋月へと視線を移すと手短に指示を出す。


「お願い」

「ピィッ」


 有栖の横を飛んでいた緋月は、一度羽ばたいて上昇すると、庵の頭上で火の粉を降らせた。

 暖かい火の粉が傷口に触れると、じわりと溶け込んで修復していく。刺さったままにしていた松葉も引き抜けば、すぐに傷口は塞がった。

 違和感が拭われていく中、庵はハンカチで肌に残った血を拭う有栖を見て微笑んだ。


「さすがだね。もう使いこなすなんて」


 有栖は一度顔を上げたが、何故か顔を顰めるとまた俯いてしまった。

 何かおかしなことを言っただろうかと、先の発言を振り返っても理由が分からない。ただ、お礼を先に言うべきだったかもしれない、と順序を間違えたことを少しだけ後悔した。

 すると、近づいてきた透真が怒ったように言った。


「お前な、頼むから自重ってものを覚えてくれ。でないとこっちの心臓がいくつあっても足りない」

「あはは。ごめんね」


 もしかすると、有栖も庵が無茶をしたことを怒っているのかもしれない。

 その可能性に至ったところで、ここは彼女にも謝っておこうかと視線を落としたのと、有栖が寄り掛かってきたのはほぼ同時だった。


「え」


 庵に支えられる有栖を見て、声を上げたのは透真だ。

 緋月も解現され、火の粉がやむ。

 寄り掛かる有栖の顔を覗き込んだ庵は、「そう言うことか」と先の有栖の表情の理由が漸く分かった。


「御雪、大丈夫か?」

「……浄化はどのくらいした?」


 有栖の肩に腕を回しながら、片手を額に当てる。響命力を消費した反動か、発熱が酷い。

 使いこなせている、と言ったものの、有栖からすれば残り僅かな響命力を絞り出していたようだ。

 治しきれるか分からない中、庵の一言が期待を滲ませたため、彼女に必要以上の負担を掛けてしまった。


「最低でも十はいた」

「増えた……?」

「途中からな」


 大方、浄化の際に使う響命力をまだ計算できていないのだろうと見ていたが、それだけではないようだ。

 数が多ければ相応に響命力も消費する。加えて、治癒に使う響命力はかなり大きい。

 庵の傷はほぼ完治しているため、彼女が消費した響命力は庵の想像を遙かに超えるだろう。

 もしかすると、パンドラには有栖が治癒するための力を削る策もあったのかもしれない。


「あちらが一枚上手だったか。見誤ったよ」

「グルル……」


 有栖を抱えた庵は、傍らにセレンを顕現する。

 治癒の影響もあって、セレンの傷もすっかり塞がっていた。

 透真は、何も言わずセレンに乗った庵に慌てて駆け寄る。


「お、おい。何処に行く気だ」

「始まりの場所に、だよ」

「は……?」


 何処だよ、と顔に書いているが、説明はできない。時間がないせいでもあるが、その場所は誰にも知らせることができないのだ。

 セレンが翼を羽ばたかせれば、止める術を持たない透真は砂埃から目を庇おうと腕を翳した。足もとにいる小太郎も前足で目を覆っている。


「すぐ戻る。ここは任せた」

「げっ」

「セレン。急ごう」


 小さく唸ったセレンは、さらに強く羽ばたいて地を蹴る。やはり完治しているのか、傷の影響は少しもない。

 地上で透真が何かを言っていたが、小言は帰ってからだ。

 庵は目的地を思い浮かべると、有栖を抱えた腕に力を込めた。


「君を、ここで失うわけにはいかない」




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