第5話 堕ちた狐の恩返し


 炎が収まった後に残っていたのは、浄化によって怨獣化が治った九十九達だった。全員が倒れて動かないものの、それは響命力を消費した反動だ。

 教師や生徒会役員達は警戒を緩めず、倒れたままの九十九に歩み寄って異常がないかを確認していく。

 有栖は緋月を解現して小さく息を吐くと、疲労でふらつきそうになる足を内心で叱咤して一歩踏み出した。


(私も、手伝わないと……)


 九十九の数は多い。

 もし、まだ浄化しきれていないのなら、すぐに対処しなければならない。

 そう思った有栖だったが、誰かに肩を掴まれ、驚いて振り向く。


「お前は休んでろ。浄化は響命力の消費が激しいから、もしもの時に備えて回復に専念してくれ」

「……分かりました」


 有栖を止めたのは、小太郎を肩に乗せた透真だった。

 疲労は滲ませていなかったはずだが、庵の補佐をしている彼にはお見通しのようだ。

 彼の言うことも一理あるため、有栖は透真に言われたとおり、邪魔にならない場所で休もうと、校舎沿いにある花壇に腰掛ける。

 作業を眺めて少し経った頃、花壇の影から隠れていた小虎と小幸がひょっこりと顔を覗かせた。


『お雪、ここおったんやな。大丈夫?』

「にゃあ」

「うん。小虎ちゃん達も怪我はない?」

『おいら達はちゃんと隠れとったけん、大丈夫やで!』


 学校に着いた際、小虎と小幸には何処かに隠れておくように話していた。

 前回の件もあるため、怨獣化の可能性は低いが、あくまでも可能性が低いだけだ。必ず怨獣化しないとは言い切れない。

 小幸が一足先に有栖の膝に乗ったこともあり、小虎は有栖の横に座ってグラウンドを眺める。


『あんだけの量を浄化するなんて、お雪もやるなぁ』

「そんなことないよ。先輩にもお手本を見せてもらったし、それに……」

『うん?』

「きっと、御巫先輩なら、もっと早く片づけられただろうから」


 庵に託されて学校に来たものの、結局は力の扱いが上手くいかず、透真に手本を見せてもらった。

 これが庵だったなら、手早く浄化ができた上に終わった後も疲労が少ないはずだ。

 とはいえ、彼とは同じ特等位でも経験の差が歴然としている。比べるだけ無駄に悲しくなるだけだ。

 もっと自分も経験を積まなければ、と膝に置いた手を見ていた有栖は、近寄ってくる足音に気づいて視線を上げる。

 そこにいたのは、確認を一足先に終えた透真だ。


「御雪。庵は何処に向かうか言っていたか?」

「特には……ある人に任された場所に、としか」


 庵が何処に向かったのか、それは透真にも知らされていないようだ。

 「ある人」というのは一人だけ浮かんだが、憶測を伝えてもいいのかと言葉が喉の奥で詰まる。

 ただ、思い浮かんだ人は透真も同じようで、「隊長も人使いが荒いからなぁ……」とぼやきながら溜め息を吐いた。

 そして、会話を終えた二人の間に沈黙が流れる。

 有栖と透真が二人になることは今までになく、会話も庵や隼人がいるときくらいしかしたことがない。

 この沈黙をどう終わらせるべきか、と思案した有栖は、先ほどの戦闘を思い出した。


「あの、先ほどはありがとうございました」

「え?」

「炎のお手本です」

「……ああ、あれか。まぁ、参考になったんなら良かった」


 イメージが重要な基獣での戦闘で、使い方の様子を見られたのはかなり助かった。

 照れ隠しで視線を逸らせた透真だが、耳が赤いために隠しきれていない。


「恩人に託されたからには、相応の手助けもしてやらないとな」

「『恩人』……?」

「庵だよ」


 透真の言う恩人が誰なのか分からず首を傾げれば、彼はさらりと誰であるかを明かした。

 有栖は、二人の過去に何があったのかと目を瞬かせる。

 隠すことをしていないのか、透真は気にした様子もなく、日常会話をするかのように言った。


「アイツには、一度堕ちた小太郎を助けてもらったんだ」

「え!?」

『その狐もおいらと同じになったん!?』

「ああ。原因は簡単だ。庵と比べられ続けて、我慢の限界を超えたんだ」


 嫉妬から堕ちた基獣は、つい先日もいた。ただ、透真の場合は恋情からくる嫉妬ではなく、実力差からくる嫉妬だが。

 言葉を失う有栖を見て、透真は彼女の隣に座りながら話を続けた。


「庵と出会ったのは、小学生の頃だった――」




 二人が知り合ったのは、小学一年生になったときだ。

 互いの父親の仕事繋がりで知り合い、学校まで同じになったものの、透真からすればはた迷惑な話だった。

 なぜなら、当時の庵は既に基獣を具現化しており、史上最年少の基主としても有名だったからだ。

 透真は、教師やクラスメイトに囲まれ、何かと賞賛される庵を見て幼心に対抗心を燃やした。


(ちょっと早くに具現化したからって、いい気になりやがって)


 基獣の具現化は、平均的には十から十二歳の間が多いとされる。稀に早かったり遅かったりする者もいるようだが、五歳で具現化したのは庵が初だと言われていた。

 それも、最上位である特等位のドラゴンだ。

 まだ上手く扱いきれないと謙遜していた庵だが、それがまだ具現化していない透真の感情を逆撫でした。


「『とくとーい』が何だって言うんだ」

「え?」


 透真から発せられた言葉が聞き慣れた言葉とは違ったため、庵は何のことかと首を傾げる。

 だが、すぐに透真から嫉妬の目を向けられていると察すると、「特等位」のことを言ったのだと分かった。

 具現化してから多くの人に囲まれるようになった庵は、相手の目を見れば大体の感情を読むことが出来るようになっていたのだ。

 透真は冷静に観察する姿勢の庵には気づかず、自分の考えを述べた。


「誰だって、『とくとーい』の基獣が具現化できるかもしれないし、『とーきゅう』が低くたって、何もできないわけじゃないんだろ?」

「……そうだね」


 等級はあくまでも基獣の強さを表しているだけだ。時と場合によっては、その等級には見合わないほどの大きな力を発揮することもある。

 しかし、明確に区別されているものほど、人はそれに優劣をつけようとするのだ。

 ならば、最上位とされる特等位を持て余している自分は何なのかと、扱えていないのに誰よりも優れているのかと、庵は常日頃、疑問に思っていた。

 それと同じようなことを、目の前の少年は言おうとしている。


「なら、オレはどんな『とーきゅう』の基獣を具現化したって、オレにしかできないことをやってやる。それで、お前に勝つ」

「…………」

「……なんだよ」


 きょとんとして固まった庵に、透真は何か文句あるのかと言いたげにジト目で見返す。

 すると、突然、庵は失笑した。


「あははっ。君、おもしろいね」

「な、なんで笑うんだよ!」

「おもしろいから」

「はぁぁぁ!?」


 笑顔を浮かべた庵からは、それまでの大人びた雰囲気がなくなっていた。年相応の、幼い少年の雰囲気だった。

 それからというもの、事あるごとに庵は透真にちょっかいをかけるようになり、透真も負けじと食らいついていた。運動でも勉強でも、互いに負けないようにと切磋琢磨するようになった。

 そして、透真が十歳になった頃、「その日」は前触れもなくやってきた。


「……え?」


 ふと、頭に思い浮かんだ名前と体の奥から溢れ出す響命力。

 これが具現化だ、と思ったのと名前を呟いたのはほぼ同時だった。

 眩い光が発し、中から何かが出てくる。

 子犬ほどの大きさの影に手を伸ばせば、収まる光の中、影が透真の手に擦り寄った。


「お前が、俺の……」

「クゥン」


 腕に収まったのは、小型犬……ではなく、茶色の狐だった。それも、尻尾が四本もある。

 嬉しそうに鳴いた狐もとい小太郎に、漸く基獣を具現化できた喜びが募った。

 小太郎を抱え、両親に報告するために走る。


「母さん! 俺、基獣を具現化できた!」

「あら! すごいじゃない! どんな基獣が……え?」


 キッチンで調理をしていた母は喜色を浮かべたものの、差し出された小太郎を見ると笑顔が凍りついた。

 だが、すぐにまた笑みを作ると、小太郎から透真へと視線を戻す。


「良かったわね」

「う、うん」

「お父さんが帰ってきたら、話さないと」

「うん……。そうだね……」


 ふい、と視線を背け、調理に戻った母の様子に違和感を覚えた。

 期待が外れた、と言わんばかりの雰囲気に、透真は胸の奥が苦しくなったのを感じる。

 小太郎を抱いた手に力が入り、「キュウン」と切なく鳴いた小太郎にさらに胸が締め付けられた。

 それから、帰宅した父にも報告をしたが、彼も最初こそ母と同じように喜色を浮かべたものの、小太郎を見るとその色が消え去った。

 また、学校で基獣を具現化したと話して小太郎を見せても、教師やクラスメイトの反応は両親とよく似ていた。


(ああ、やっぱり……)


 浮かんだのは、何かと張り合ってきた友人の庵の姿だ。同時に、両親がよく庵の話をしていたことを思い出す。

 基獣の扱いができるようになってきたこと、堕ちかけた九十九を救ったこと、中学に上がれば治安部隊にも顔を出すようになるかもしれないということ。

 特等位というだけで優遇される庵に、このとき初めて、対抗心だけではなく嫉妬が芽生えた。


「俺だって、やれることが……」


 何かあるはずだ。

 それをこれから実行していけば、両親も周りの目も変わるかもしれない。

 いくら親しくても、庵と自分は違う人間だ。同じになることはありえないのだと言い聞かせて、透真は基獣の扱いについても学ぶようになった。

 事件が起こったのは、中学に上がってからだ。

 クラスメイトと帰りながら何気ない話をしているとき、基獣についての話になった。

 互いの基獣がいつ具現化したか、どんな様子で具現化したのか、といった話だったのだが、一人の男子生徒が冗談混じりに言った一言が引き金となったのだ。


「――お前ってさ、御巫と仲良いくせに基獣は弱いよなー」

「……は?」

「特訓とかしてるらしいけど、何したって特等位には敵わないって。だって、この前――え?」


 いつもなら、軽く流していた比較の話。

 しかし、透真がしていた努力さえ無駄だと言ってのける彼に、今まで堪えていたものがすべて溢れ出した。

 傍らに顕現した小太郎が見たこともない黒い靄を纏っていたが、透真には気にする余裕はなかった。


「自分の等級に甘んじて何もしてないお前らに、無駄だの何だの言われる筋合いはない」

「グルルルルル……」

「ひっ……!」


 段々と巨大化する小太郎に、クラスメイトの一人が腰を抜かす。

 他のクラスメイトは後退っていたが、恐怖に飲まれたせいで駆け出すほどの力が足には入らないようだ。


「こ、こいつ、堕ちたぞ! 誰か、治安部隊を……っ!」


 巨大な漆黒の狐と化した小太郎は、誰が見ても怨獣と分かる状態だ。

 小太郎が身を屈め、クラスメイトに飛びかかる態勢に入る。

 だが、基主である透真に止める気配はない。


「ガウウウウ!!」

「うわあぁぁ!」

「セレン」

「ギャンッ!?」


 小太郎がクラスメイトに飛びかかった瞬間、横切った影がその体を弾き飛ばした。

 近くの植木にぶつかった小太郎に、上空を飛んでいた純白のドラゴン……セレンが容赦ない炎の雨を降らす。

 炎は小太郎を包み込み、苦しげな叫びが辺りに木霊した。


「小太郎!」

「まったく。何をしているんだい?」

「い、おり……」


 振り向けば、そこにいたのは険しい表情をした庵だった。

 彼がいなければ、比べられることはない。彼がいなければ、周りの目も違ったはずだった。

 沸々と込み上げる感情に応えるように、小太郎が炎の中で悶えながら攻撃の標的を庵に変える。

 そのとき、腰を抜かしていたクラスメイトが安堵の声を上げた。


「御巫! た、助かった。ありが――」

「努力すらしていない人間が、他人の努力を蔑んではいけないよ。特に、彼はね」

「え……」


 冷たく言い放った言葉は、透真を庇うようなものだった。

 庵は、自分の力を謙遜することはあったが、一度たりとも透真を蔑んだことはない。努力を無駄だということも。

 透真の胸の奥を曇らせていた靄が少しずつ晴れていく気がした。

 しかし、怨獣となった小太郎は炎を纏ったまま地を蹴り、庵に飛びかかった。


「やめろ、小太郎!」

「ギャウウウウウ!」

「……これはまた、中途半端な堕ち方をしたね」


 小太郎に押し倒され、翳した腕を噛まれているというのに、庵は顔色一つ変えていない。

 冷静に状況を分析して、対処法を考えている。

 異様な光景に、透真は何が起こっているのか理解が追いつかなかった。


「とりあえず、全員まとめて、川で頭を冷やそうか」

「は……?」


 次の瞬間、強い風が吹き抜ける。

 透真は体を何かに掴まれ、足が地面から離れたのを感じた。頭を動かして周りを見れば、セレンに掴まれて飛んでいるのだと分かった。

 そして、反対の手やセレンの口には他のクラスメイトもいた。足で掴まれているのは小太郎だ。


「うわあああぁぁぁぁ!!」


 悲鳴は誰のものか、確認する間もなく、迫った川に落とされた。




「――俺の意識はそこで途絶えて、気がついたら病院のベッドの上だった」

「……荒技ですね」


 透真から怨獣化したときの話を聞いた有栖は、予想外の結末に驚きを隠せなかった。

 庵がたまに荒っぽいのは、彼本来の性格なのだろう。


「だろ。まぁ、堕ちたっていっても、完全な怨獣化ではなかったらしくてな。俺も自我を取り戻していたし、小太郎もすぐに浄化された。ただ、後遺症……と言っていいのか微妙だが、小太郎は色が変わったまま戻らなくなったけどな」

「そんなこともあるんですね」

「みたいだな。戒めとしてはちょうどいいけど」


 常に視覚的に認識できるため、二度と同じ事を繰り返さないためには都合がいい。

 当時を思い返した透真は深く息を吐いた。

 辛いことが多い日々だったが、あの一件以降、周りからの目は大きく変わった。また、努力を無駄だと言っていたクラスメイトも考えを改め、今や本人も基獣との特訓を重ねていると聞く。

 庵への態度はあまり変わらないものの、周囲の人達の向上心には繋がったようだ。

 そう思うと、庵には少しだけ同情してしまう。


「……あいつは、対等であろうとしてくれる人が欲しかったんだろうな」


 特等位だからと特別視し、自分達とは違うから無理だと一線を引くのではなく、透真のように等級が低くてもやれることはある、と張り合える人が。

 だからこそ、庵は透真を救い、転校をしようとした彼を引き留めた。

 今まで散々救われておいて、庵が苦しいときに手を貸してやらないはずがない。

 庵が生徒会長を務めることになった際、副会長になってほしいと言ってきた庵に、透真は二つ返事で了承した。


「だから、今度は俺があいつを助けてやる番だ」

「助ける……」

「大袈裟だと思うか? でも、これにはある理由があるんだ」


 透真の真剣な表情からは、ただ手伝いや手助けをするといった意味だけではないと伝わってくる。

 そして、透真は少しだけ迷いを見せた後、自分が違和感を抱いた切っ掛けを話しはじめた。


「何度かおかしいと思うことはあった。庵が怪我したときとかな。ただ、あいつが怨獣化した小太郎に襲われたときに漸く聞けたんだ」

「何、ですか?」

「本人には口止めされてるんだが……お前なら知っておいたほうがいいだろうな。あいつは――」


 それは、庵が何故、組織を追っているのかという理由にも繋がっていた。



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