第4話 託された場所で
夜の帳が下り、外灯や家から漏れる明かりで照らされる道を有栖は走っていた。
少し先を小虎と小幸が先導するように駆けており、緊迫した表情は何か起こっているのだとすれ違った者にも分かるほどだ。
向かう先は九曜高校。
先程、庵に入った連絡は緊急事態を知らせるものだった。
「学校に集っていた九十九達が、一斉に怨獣化したようなんだ」
公園で庵から告げられた言葉が頭の中で繰り返される。
以前、小虎が怨獣化してしまった際、教師と生徒会役員が対応するので一杯一杯だったというのに、今回はそれよりも数が多い。
数が多いともなれば、さすがの庵でも一人では対処しきれないからこそ、手伝いを頼もうとしているのかと思いきや、彼は気まずそうに視線を落として言った。
「こんな事を言って、時原君達がいたらまた疑われそうだけど……。僕は、ある人に任された場所に行かなければいけない。きっと、そこに今回の元凶が来るから。だから……」
ある人、というのは電話の相手だろう。
思い浮かんだのは治安部隊の隊長だ。明言しなかったのは、有栖への最後の一線だろう。深く踏み込ませないための。
顔を上げた庵が有栖を見る。
その表情に、思わず呼吸を忘れてしまった。
「君に、学校の方を任せたい」
庵の苦しげな表情は初めて見た気がする。
それもそうだろう。いくら有栖が特等位とはいえ、実戦経験は皆無に等しい。
怨獣だらけの場所に向かわせるなど、命を捨てろと言っているようなものだ。
だが、庵も庵で向かわなければならない場所がある。
ならば、有栖も経験がないからと怖じ気付いている場合ではない。
少しでも不安を残さないように……と、有栖はしっかりと頷いて「大丈夫です」と答えた。
庵は「他の役員や先生方もいるから、一人にはならないと思うけど、くれぐれも無茶はしないように」と言うと、セレンに乗って飛んでいった。
向かった先には何があるのだろうか。庵は一人にはならないのだろうか、と不安は過ぎったが、今は任された学校の怨獣の対処が先だ。
(すぐに響命力が切れないよう、白銀達は一度解現した……。あとは……体力の問題……!)
学校までそう遠くはないものの、到着して体力が尽きていれば邪魔になるだけだ。かといって、基獣の顕現は響命力を消費する。
相手がどれほどいるのか判明していない今、下手に響命力は消費したくない。少しでも抑えるためには、自分の足で向かうしかなかった。
やがて、校舎の一部が見えてくると、有栖は自身を叱咤してスピードを上げた。
□■□■□■
「仲良く全員で堕ちやがって! 暫くお前ら出入り禁止にするからな!」
「キィ!」
叫んだ隼人に同意するようにコンが高く鳴く。
その瞬間、隼人の前方で起こった風の刃が迫り来る複数の怨獣を切り裂いた。
だが、大したダメージにはなっておらず、少し怯んだだけでまた動き出す。
元日本人形の九十九だった怨獣が繰り出した拳を躱せば、次いで襲ってきたのは漆黒の巨大なテディベアの怨獣だ。
「もー、マジ無理。こういうの、夢に出るんだよ……!」
日本人形はホラーでもよく使われる上、ゆっくりと迫ってくるテディベアも禍々しい空気を背負った今は恐怖でしかない。
広げた両腕が隼人を包もうとするが、素早く身を屈めて避ける。
距離を取るため、屈めた膝を伸ばす反動で地面を蹴って後ろに跳べば、何か固い物に当たった。
「でっ!? な、んだ……あ?」
「ううっ……があああああ!」
「それ、やば……っ!」
恐らく、元は人体模型だったのだろう。怨獣となった今では真っ黒な人形が、隼人の脳天めがけて拳を振り下ろす。
横へと転がって避ければ、隼人がいた場所の地面が抉れていた。反動で人体模型の臓器の一部が転がり落ちる。
「そんなポロリ期待してねぇ……」とぼやきながら、次の攻撃に備えるためにすぐに起き、少し離れた場所で戦っている透真に向かって声を上げた。
「透真先輩! 庵さんは!?」
「来られないそうだ」
「ええ!?」
真っ先に駆けつけるであろう庵の姿が一向に見えず、何をしているのかと思えば、そもそも来ないとはどういうことか。
他の役員や教師の顔にも疲労の色が滲んでおり、このままでは最悪の結末を迎えることになる。
平然と答えた透真は、怨獣の攻撃を無駄なく避けながら、小太郎の繰り出す青い炎でダメージを与え続けていた。
「どうやら、別の場所でも同様の事が起こっているらしい」
「別の場所って……治安部隊でも間に合わないくらいってことですか?」
「だろうな」
治安部隊は町中の怨獣を抑えているため、こちらへの到着が遅れるとは言っていたが、もしや庵は治安部隊の方へ向かったのか。
ただ、戦闘に秀でた治安部隊でも手を焼くほどの怨獣は早々出てこない。
「こんな一斉に堕ちるなんて、何が起こってんだ?」
「…………」
「透真先輩……?」
透真の表情が一瞬だけ曇ったのを、隼人は見逃さなかった。同時に、庵と透真が追っているものが脳裏を過ぎる。
浄化した怨獣から出てきた欠片。ある実験による未完成品だというそれ。
もしかすると、この大量の怨獣は人為的なものなのか。そうだとすれば辻褄が合う。
隼人が確認のために口を開こうとしたとき、甲高い鳥の鳴き声が辺りに響き渡った。
「ピィィィィィィィ!」
夜空を舞うのは、火の粉を纏う不死鳥……緋月だ。
そして、校舎の片隅から現れたのは――
「緋月、お願い!」
「御雪ちゃん!?」
有栖からの指示を受けた緋月は、怨獣の上空を飛んで火の粉を降らせる。
火の粉が怨獣に触れると、忽ち炎が怨獣を包み込んだ。
怨獣の纏う黒い靄が焼けきると、怨獣は吊していた糸が切れたようにその場に倒れた。
しかし、火の粉を避ける怨獣や水を吐き出して抵抗する怨獣もいるせいで、うまく浄化しきれない。
(動きは凛のヒナを思い出して……火の粉より、炎を……)
基獣の動きは基主のイメージによって行われる。慣れればわざわざ考えるほどでもないが、顕現したばかりの有栖にはまだ難しい。
鳥がどう動くかは凛のヒナを、浄化のための炎は先程のセレンを思い浮かべる。
炎をスムーズに出せない緋月を見た透真は、有栖がやらんとしていることに気づいた。
「なるほど。炎か。なら、手本を見せてやる」
肩に乗っていた小太郎が地面に下り、近くの怨獣に向かって駆けていく。
その体が青い炎に包まれたかと思えば、炎は瞬く間に膨張し、大型犬が入りそうなサイズにまで膨れ上がったところで弾けた。
中から現れたのは、大きな漆黒の狐……小太郎だった。
「御雪!」
「っ!」
珍しく、透真が声を張り上げる。
それに気づいて有栖が透真を見た瞬間、透真は小太郎に指示を出した。
「やれ、小太郎」
小太郎の周囲に青い火の玉がいくつも生まれ、甲高い鳴き声を上げたと同時に怨獣へと飛んでいく。まるで、自我があるかのように。
火の玉が怨獣を追い、小太郎自身も地面を蹴って怨獣を脅していき、グラウンドの中央付近に寄せていく。
集まった怨獣が逃げ出さないよう地面に炎を走らせれば、あっという間に炎の檻が完成した。
「すげ……。一瞬で集めた……って、これ、最初っからこの方法取れば早かったんじゃないっすか?」
「この数はそう長く持たないし、集めたところで討伐するには相応の力がいる。浄化もな」
本来であれば、庵がいれば早々に対処できたことだが、あいにく本人は不在だ。
けれど、今は浄化もできる有栖がいる。
透真が有栖を見やれば、彼女はやるべきことを理解したのか、一つ頷くとまた緋月を呼んだ。
「緋月!」
小太郎が見せてくれた炎を思い浮かべる。
すると、色は違うものの、緋月の周囲に火の玉がいくつも生まれた。
火の玉は少しずつ大きさを増していき、サッカーボールほどにまでなったところで緋月が再度鳴く。
直後、炎の塊が一カ所に集まる怨獣に降り注いだ。
「あっつ!」
「全員、離れろ!」
炎の塊が怨獣に燃え広がり、熱波が辺りを襲う。
まだ調整は必要か、と思いつつ、透真は大きな火柱となった怨獣達から距離を取った。
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