第3話 浄化の雨
「四、五班は市民の避難を優先。一、二班は通り沿いを一掃! 三班は裏通りを北から行け!」
怨獣の発生は、すぐに巡回していた治安部隊の隊員から本部に報告された。今回は規模が大きいため、隊長である万里も出動している。
万里は周囲の各班に指示を出した後、報告にあった組織のリーダーと交戦中だという凪のもとに向かうつもりだ。
ただ、万一の事を考えてスマホを取り出すと、履歴からある人物の連絡先を選択して電話を掛けた。
「――俺だ。町中に怨獣が大量発生した」
《そうみたいですね。すぐに行きますよ》
電話の相手……庵は、恐らく自宅にいるのだろう。時間帯で考えれば学校にいてもおかしくはないが、周りの音はやけに静かだ。
響命力で察していた彼も動こうとしたが、それを止めたのは連絡をした万里自身だった。
「いや、お前はそのまま待機していろ」
《え?》
「奴らの目的が不明な今、特等位を一カ所に集めるわけにもいかない。それが狙いならば余計にな」
《……分かりました》
何時、何処で怨獣が発生するか分からない。
どれほどの人が属しているのか、組織の全貌が明らかにならない以上、戦力を集中することは避けたいところだ。
万里は、庵に言うべきか逡巡したものの、迷っている場合ではないか、と伝えておくことにした。
「『箱』のリーダーがいるそうだ」
《ついに、出てきたわけですか》
「凪が交戦中とのことだが、何分、怨獣が多い。さらに、その基主も暴れているときた。くれぐれも注意しておけ」
《ご忠告ありがとうございます》
庵の返事を聞いてから、万里はすぐに電話を切る。そして、自身の基獣を上空に顕現させた。
夕焼けに染まる空に、黒に近い灰色の塊が現れる。徐々に広がるそれは、時計回りに渦を巻く暗雲となった。
局地的な暗雲の発生は異様な光景だが、この町に住む者達からすれば何を意味するのか分かっていた。
時折電流が走るそれから顔を出したのは、一頭の巨大な龍だ。
「
上空と地上で距離はあるものの、基主と基獣の会話に距離は関係ない。
それを表すかのように、龍……時雨は低く唸って万里に応じた。
直後、通り沿いの空を覆っていた暗雲から静かに雨が降り始める。
『浄化の雨』と呼ぶ時雨が降らせる雨は、触れた怨獣を鎮静および浄化できるものの、範囲が広ければ広いほど、後々に襲いかかる反動が大きい。
だからこそ、万里は事前に庵に連絡を入れたのだ。
「先を急ごう」
そう呟くと、時雨の姿が広がっていく暗雲の中へと隠れる。
万里は気にすることなく、地面を蹴って駆けだした。
「……はっ、はぁ、はぁっ……」
報告を出してから、どれほど時間が経ったのだろうか。
怨獣は何処から湧いてくるのかと思うほどに増え続け、中には元々の特性なのか、刀で斬っても分裂して増殖するものまでいた。
刀を地面に突き立て、倒れそうになる自身の体を支える。
周囲の怨獣は凪の動向を窺ってか、すぐに襲い掛かってくる様子はない。
頭から流れてくる血を手の甲で拭い、脇腹の痛みを堪えながら態勢を立て直す。
ふらついた凪を雪影が支えた。牙を剥き、周りの怨獣を牽制する雪影も出血が酷い。
いつの間にか周囲には怨獣の姿しかなく、あのパンドラの箱のリーダーだという男はいなくなっていた。
「あー、くそ。リーダー逃がすとか、隊長に知られたらめんどくせーな……」
ほぼ確実に、万里はこの場にやって来る。そのときは怒られずとも、後で注意を受けるのは間違いない。
最も、生きて帰れるか微妙なラインだが。
深い溜め息を吐いてから刀を構え直す。
そのとき、晴れていたはずの上空に、黒い雲が突然現れた。
「あれは……」
渦を巻いて浮かぶ暗雲は、間違いなく万里の基獣によるものだ。
それも、広がり続けているところから察するに、万里はこちらに向かっている。
微かに聞こえた雷鳴に、凪はにやりと笑みを浮かべた。
「もうちょっと早く来てくれても良かったんですけどね? たーいちょ」
語尾に音符でもつきそうな抑揚で言った直後、凪の体がふらりと揺れて前へと倒れる。
支えようと身を滑り込ませた雪影だったが、凪が意識を手放したせいで体を維持できずに消えてしまった。
倒れた凪の頬に雨粒が落ちる。
囲んでいた怨獣は、雨に触れた途端に唸りを弱めていき、次々と倒れていった。
「凪……」
怨獣の群の向こうから姿を現した万里は、倒れる凪に気づくと、黒い靄を滲み出す怨獣の合間を縫って歩み寄る。
靄がすべて出きった怨獣の体は光に包まれ、元の姿へと戻っていく。中には基獣ではなく、欠片を埋め込まれた物も転がっていた。
動かない凪を見下ろす万里の表情は、悲痛に歪むことも安堵の色を浮かべるわけでもない。
ただ、自らの刀を抜刀すると、無造作に凪の顔の横に突き立てた。
「こんな所で寝ている場合か。わざわざ基獣まで解現して」
「……ちっ。バレましたか」
冷静に淡々と言う万里の言葉を受けた凪の目が、何事もなかったかのようにぱちりと開いた。
素早く上体を起こした凪は、一応、怪我や体力の消費はあるためにすぐには立たず、その場に片膝を立てて座る。動くたびに傷口が痛み、思わず顔を歪めてしまった。
しかし、万里は気にした様子もなく平然と言ってのける。
「この程度で倒れるような鍛え方はしていないからな。それに――」
空を見れば、暗雲から「呼んだか?」と言わんばかりに時雨が顔を覗かせた。
時雨が雲から出て下りてくることはほどんどない。体の大きさは自由に変えられるとはいえ、浄化を行うときは空にいる必要があるため、効率を考えてのことだ。
そして、万里は周囲を見渡して現状を確認する。
怨獣はどれも倒れており、雨によって浄化されているところだ。
小さく息を吐けば、何かに気づいた凪がはっとして顔を上げた。
「信頼の置ける部下がいなければ、ここまで派手にはしない」
凪が見上げた万里の背後で、上空の暗雲が端から消えていく。中にいる時雨も一緒に。
万里に信頼を置かれていることは、言われずとも感じていた。だからこそ、こんな面倒くさがりの自分を見捨てずに重用してくれているのだと。
しかし、それを改めて言われるとは思わず、呆然としていた凪の目の前で、今度は万里の体が倒れてきた。
「嘘っ。やば」
時雨は解現されたため、雪影のように一瞬でも支えてくれる基獣はいない。
傷が痛むのも気にせず慌てて腕を伸ばし、万里の体を受け止める。が、気を失った人間はかなり重い。凪より身長のある成人男性は特に。
「いってぇ!」
地面に片膝を打ちつけ、全身を駆け抜けた痛みに視界が滲んだ。
もはや根性のみで痛みに耐えると、なんとか支えることができた万里を見下ろす。後頭部しか見えないが。
先程、小さく吐かれた息は疲労からくるものだ。
万里は気づかれないようにやったつもりだろうが、他人の様子に敏感な凪からすれば十分だった。
万里の行う浄化は、効果は絶大だが、広範囲に渡ると本人の響命力が大幅に削られ、暫く動けなくなるデメリットがある。
今回は町の中心地を覆っていたこともあり、今日中の目覚めはまずないだろう。
相変わらずの無茶をする隊長に、今度は凪が溜め息を吐いた。
「……まったく。特等位って、チートなんだか扱いが上手いだけなのか、よく分かりませんねぇ」
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