三章 開かれたパンドラの箱

第1話 パンドラのリーダー


「小虎ちゃーん。小幸ちゃーん」


 陽が暮れてきた公園内で、有栖は先日、家族の一員となった九十九二匹を探していた。

 有栖が新しい主人となったものの、二匹の行動は今までとさして変わりなく、昼間は自由に過ごしている。家で有栖の母や基獣と遊んだり、近所を散歩したり、学校に訪れたりと様々だ。

 それでも決まって日没前には家に帰ってきたのだが、今日は一向に帰ってくる気配がない。

 母も心配していたため、有栖は近くの公園に探しにきていた。

 公園は木々に囲まれているものの、端から端までは歩いて五分もかからない広さだ。遊具も滑り台やブランコ、アスレチック、鉄棒など、あったとしても数は限られているため、見て回ればいるかどうかはすぐに分かる。

 しかし、呼び掛けていた有栖の元に帰ってきたのは小虎と小幸ではなく、探しに出ていた白銀だった。子馬ほどのサイズの。


「白銀、いた?」


 駆け足で戻ってきた白銀に問えば、何も見つからなかったと示すように頭を振った。

 鷹ほどのサイズで顕現できた緋月は、空から公園とその近辺を探している。だが、戻ってこないところから察するに見つかっていないだろう。


「どうしよう。恭夜にも手伝ってもらおうかな……」


 昴の鼻があれば見つけるのは早いかもしれない。

 最初から頼らなかったのは、まさかここまで見つからないとは思わなかったからだ。

 スマホを取り出し、恭夜に電話を掛けようとした有栖だったが、白銀が何かに気づいて有栖の脇腹を鼻で軽く突いた。


「え?」

「…………」


 白銀は有栖の右へと視線を向ける。

 有栖も視線を追うようにそちらを見れば、一人の男性が眠っている小虎と小幸を抱えてやって来た。三十後半か四十に差し掛かるかという彼は、鍛えているのかややがっしりとした体格だ。

 男性は穏やかな眼差しを二匹に向けていたが、有栖に気づいたのか顔を上げると、「ああ、君か」と安心したように表情を和らげる。


「こんばんは、お嬢さん。この九十九達は君のかな?」

「……あ。は、はい! そうです。ありがとうございます」

「やっぱり。響命力が似ていたから、主は君かなと思って」


 一瞬、顔見知りだったかと記憶を探っていたせいで返答までに間が開いた。

 二匹を受け取ろうと駆け寄りながら、彼の発言に違和感を覚える。

 普通、九十九の響命力は主と『同じ』だ。「似ていたから」というのは、有栖が二匹の主になったのが最近のため、響命力がまだ馴染んでいないからだと分かる。

 ただし、その違いは微細なものであり、大体の人が気づくことはない。気づくのは特等位である庵や一級の透真くらいだろう。


(単に、鋭い人なだけ……? それとも、言葉の綾か……)


 あるいは、庵達のように等級の高い人なのかもしれない。

 そう思いながら二匹を受け取った際、男性の腕に触れた手に強い静電気のような痛みが走った。


「っ!?」


 弾かれたように二匹を抱えて男性から距離を取れば、ほぼ同時に異変を感じ取った白銀が間に入って男性を威嚇する。

 初対面の、それも九十九を見つけてくれた人に対する行いではないが、本能が危険だと警鐘を鳴らした。

 すると、男性は最初こそ驚いていたものの、俯いてくつくつと喉の奥で笑う。

 次に有栖を見た表情は、先程までとは全く別人のように思えた。


「酷いなぁ。最近の若い子は」

「あなたは、一体……?」

「うん? ああ、『アイツ』はまだ言ってなかったか。では、改めて――」


 誰のことを言っているのかは分かりかねたが、有栖と顔見知りの人であることは間違いない。

 警戒する有栖に対し、男性は余裕の笑みを浮かべて言った。


「初めまして、龍樹に選ばれし世界の“希望”。そして、我ら『パンドラの箱』の“絶望”よ」

「パンドラの箱……!?」


 その組織の名前は、以前、庵から聞いている。

 小虎も巻き込まれた、怨獣へと変化させる欠片を持っている組織だ。

 まるで、これから劇でも始まるかのような前口上に有栖は言葉を失って男を見る。

 男はそんな有栖の様子を気にすることなく、言葉を続けた。


「我らパンドラの箱は、災禍の元凶たる龍樹を消滅させ、この世界から基獣と九十九を消すことを目的としている。俺はそのリーダーだ」

「さ、災禍の元凶って……それに、龍樹って何ですか?」


 基獣と九十九に関連することのもののようだが、基獣学で龍樹という単語は聞いたことがない。基礎となる部分はほぼ中等部で終わっているのに、だ。

 戸惑う有栖に、男は浮かべていた笑みを消して驚きを露わにした。


「なんだ。御巫の御曹司は何も話していないのか」

「御巫先輩……?」

「『人身供儀じんしんくぎ』に使うつもりかと思ったが、違うのか……?」


 何故、パンドラの箱のリーダーから庵の名前が出るのか。また、彼が呟いた「人身供儀」という、現代ではあまり聞かない物騒な言葉に眉間に皺が寄る。

 人身供儀とは、神などに人を生け贄として捧げる儀式のことだ。現代では滅多に行われないが、その昔は様々な場所で行われていたという。

 まさか、庵も組織の一員なのかと思い訊ねようとした有栖だったが、言葉は突然、空から降ってきた炎の柱によって遮られた。

 白銀が炎から遠かるように下がったことで、後ろにいた有栖も必然とその場から下がる。

 すぐに炎が降ってきた方向を見れば、暗くなった空に純白のドラゴンが飛んでいた。その傍らには緋月もいる。


「……邪魔が入ったか」

「あ。ま、待って――」

「雪ちゃん!」

「っ!」


 身を翻して去る男を追おうと、有栖も地を蹴ろうとした。

 有栖の隣にいた白銀も駆け出したが、行く手を遮ったのは空から降りてきたドラゴン――セレンとその背にいた庵だった。

 砂埃が舞い、咄嗟に顔を俯かせる。腕に九十九二匹を抱えているため、翳すことができなかった。

 緋月の翼によって吹き抜けた風で砂埃が消えると、セレンの背中から下りた庵は「ごめん」と謝ってから有栖に怪我がないかを見た。


「大丈夫だったかい?」

「は、はい」


 男とは単に話をしていただけだ。

 怪我がないと分かると、庵は小さく安堵の息を吐いた。ただ、その表情は険しいままだ。


「緋月が飛んできたから何事かと思えば、変な男の人といたから焦ったよ」

「すみません……。ありがとうございます」


 緋月は有栖の不安を感じ取って助けを求めに行ってくれたようだ。

 白銀の頭に乗った緋月は、自慢するように胸を張った。

 恭夜や凛ではなかったのは、単に庵の話が出ていたからだろう。基獣は基主の意思に応じるため、あり得ない話ではない。

 偶然か必然かはともかく、せっかく本人が来てくれたのなら、直接聞いたほうが早い。


「あの……ひとつ、聞いてもいいですか?」

「何だい?」

「ええと……」


 質問を許可されたものの、庵の浮かべた笑みには言葉では表現できない威圧感があるように思えた。

 反射的に視線を逸らし、何から聞けばいいかを考える。

 龍樹とは何なのか? パンドラの箱に庵も入っているのか? 人身供儀とは、「何」に「誰」を捧げるつもりなのか?

 庵は待ってくれている。だが、纏う雰囲気は有栖の質問を拒否しているようだ。

 いっそ、勢いに任せて言ってしまえ、と有栖は庵に向き直った。


「さっきの男の人が、前に教えてもらったパンドラの箱のリーダーで、龍樹というものをなくそうとしていました。それに、人身供儀がどうのとか……」

「…………」


 庵の表情から笑みが消えた。

 だが、何を考えているのか読めない。

 あの男から庵の名前が出たということは、庵は男が言っていた言葉を知っているはずだ。


「御巫先輩も組織の人なんですか? 龍樹についても、知っているんですか?」

「あはは。ひとつじゃないねぇ」

「ご、ごめんなさい……」


 漸く笑顔を浮かべたかと思えば、質問が「一つ」ではなかったことだった。

 「ひとつ」というのは言葉の綾だったのだが、彼はわざとそう言って質問に対する答えをはぐらかそうとしている。

 白銀と緋月が揃ってジト目で庵を見るが、彼が答える素振りを見せるはずもない。

 追究しようと口を開きかけた有栖の口元に、庵が人差し指を軽く当てた。

 言葉にはされないが、これ以上、首を突っ込まないようにと線を引かれてしまった。


「僕は組織を追っているだけで、組織の人間ではないし、雪ちゃんが気にすることではないよ」

「で、でも、私にとっても他人事ではないんですよね?」

「大丈夫。大した問題ではないから」


 食い下がる有栖の頭を軽く叩くように撫でる庵は、頑として説明しようとはしない。

 同じ特等位とはいえ、有栖は最近、基獣を具現化したばかりであり、まだまともな姿で顕現もできないのだ。

 足を引っ張るだけなら、大人しく引き下がったほうがいいのだろうか、と有栖は視線を落とす。怨獣の浄化を行えたことで、少し調子に乗っていたのかもしれない。

 ただ、庵は下唇を噛む有栖を見て、先の発言を後悔していた。彼女の基獣の視線が痛い。ついでに、背中に刺さるセレンの視線も。


(関わらせたくないとはいえ、言葉を間違えたか……)


 もう少し他に言い方があっただろうに、まさか食い下がられるとは思わず、突き放すような言い方になってしまった。

 そもそも、あの男が有栖に接触すること自体が予想外だったのだ。

 緋月が慌てた様子で家まで来たため、ただ事ではないと思って急いで駆けつけたものの、男の姿を見た瞬間は肝が冷えた。

 ひとまず、彼女を自宅に帰すのが先だ、と切り出そうとしたときだった。

 沈黙を裂く着信音が辺りに響き渡る。


「……ごめん。少しだけ待っていて」


 有栖が一人で帰らないようにしてから、庵はポケットに入れていたスマホを取り出した。急いで出てきた割に、連絡手段の道具は持ってきていたことに我ながら感心してしまった。

 背を向けた庵を見て、有栖は小さく溜め息を吐く。

 もっと自分に力があれば……と、庵と同じ生徒会で活躍する透真や隼人の姿が浮かんだ。


(あの二人は御巫先輩に信頼されているし、いろいろと話もしてくれるんだろうな……)


 もしかすると、二人なら龍樹について知っているかもしれない。教えてくれるかはともかく。

 また明日、学校に行って聞いてみようと思っていると、抱いたままの小虎が身じろぎをした。


『ううーん……』

「小虎ちゃん。起きたの?」

『あ、れぇ……? お雪ぃ……?』


 小虎は寝惚けているのだろう。いつもより間延びした声で言い、大きな欠伸をひとつ零す。

 白銀が小虎に顔を寄せれば、頭にいる緋月が「起きろ」と言わんばかりに「ピィ」と鳴いた。

 それでもまだ眠そうに目を擦る小虎だったが、何かを思い出したのか、はっとして有栖を見上げる。


『せ、せやった! お雪、聞いて!』

「え?」

「!」


 何を焦っているのかと目を瞬かせた。

 白銀が何かに気づいて有栖の背後を見るが、小虎を見ていた有栖は気づかなかった。


『あんな、おいら達、さっきまで黒いナメクジみたいなんに追いかけられてたんよ!』

「黒いナメクジ……」

『どっろどろで、気色悪かったわぁ。けど、どないして逃げてきたんやろ? 途中からさっぱり覚えて――で、出たぁぁぁ!!』

「え?」


 白銀と緋月が臨戦態勢に入ったのと、小虎が有栖の背後を見て声を上げたのは同時だった。

 有栖も振り向けば、そこには巨大なナメクジのような物体が有栖を押し潰さんと迫ってきていた。


「えっ、な……」


 いつの間にこれほど近くまで迫っていたのか。

 愕然としていた有栖だったが、すぐ隣から炎の塊が駆け抜けてナメクジに直撃した。

 ナメクジは炎に包まれ、言葉にならない悲鳴が辺りに木霊する。

 振り向けば、電話を切った庵とその傍らで炎を口から零すセレンがいた。

 低い唸り声は未だ燃え尽きないナメクジへの牽制か、それとも身動きできていない有栖への叱咤か。


「少し、困ったことが起きたみたいでね」


 庵の表情はいつになく険しく、言葉どおり、彼にとっても困惑する事態が起こっていると示していた。

 やや躊躇った後、観念したように溜め息を吐いて言った。


「君に、手伝ってほしいことがあるんだ」



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