第14話 いつか、必ず


 線香の匂いが室内を満たしている。

 小虎が怨獣化していたとはいえ、祥子の通夜は予定通りに行われた。

 様々な人の話し声が響く中、両親と恭夜と共に焼香を済ませた有栖は、辺りを見回してあるものを探す。

 隼人から「もう検査も済んで、一旦は帰されてるはず」と聞いた小虎と小幸だ。

 普通はもっと検査も時間が掛かるようだが、浄化が完璧にできていたことや主人が亡くなっていることも考慮され、早めの解放となった。ただ、また何かあれば呼ばれるため、小虎と小幸の次の主人を早めに決めなければならない。

 怨獣化のこともあり、心配になって探しているのだが、葬儀会館内には姿はなく、親族に聞いても帰されたときに会ったきりで何処にいるか分からないと言われた。


(前野のおばあちゃんに任せっきりだっていうのは知ってたけど、もうちょっと、気にしてあげてもいいような……)


 元々、小虎の主人が祥子の夫だったこともあるせいか、親族と住むことはなかった。また、親しく接してはいるが、親族からすればあくまでも『親の九十九』であって、世話などにはほとんど手は出さなかったようだ。

 怨獣化したことで敬遠しているのかもしれないが、治安部隊から呼び出しが掛かることもあり得る。居場所くらいは把握してほしい、と小さく溜め息を吐いた。

 そこへ、別れて探していた恭夜が戻ってきた。


「いたか?」

「ううん。親戚の人も、ここまでは連れてきたけど、目を離してる隙にいなくなったって言ってた」

「次の主人、そんなので決まるのか?」

「恭夜」

「……悪い」


 仮にもここは葬儀会館だ。周りには親戚もいる。

 事実とはいえ、彼らに聞こえていい言葉ではない。

 恭夜はばつが悪そうに視線を泳がせたが、ふと、視界に参列者の基獣が顕現しているのを見て有栖へと視線を戻した。


「昴で探すか」

「え」

「いや、基獣や九十九は出入り禁止じゃないみたいだし、このまま帰ったところでお前がすっきりしないだろ?」

「うっ……」


 正確に言い当てられれば返す言葉もない。

 迷惑にならない程度にするから、と言って、恭夜は片隅で昴を顕現させた。

 いつもは人懐っこい昴だが、今日はさすがに大人しいようだ。


「昴、頼んだ」


 恭夜に言われるが早いか、昴は鼻先を持ち上げて匂いを嗅ぐ。線香の匂いと人の多さで一瞬、眉間に皺が寄ったものの、すぐに何かを捉えて歩き出した。

 人にぶつからないよう歩き、一旦、会館から出る。

 何処にいるのかと思えば、玄関から左に進んで角を曲がった先の植え込みの影に、小虎とそれに寄り添うように小幸がいた。


「小虎ちゃん!」

『あ、お雪……』

「にゃあ」

「ありがとう、昴」


 真っ先に小虎達に駆け寄る有栖を見て、恭夜は昴に礼を言って解現する。

 小虎の纏う雰囲気にいつものような無邪気さはなく、有栖のことも真っ直ぐには見ない。

 有栖はそんな小虎の前にしゃがんで目線を近づけた。


「中に入らないの?」

『せ、せやかて、おいら、あんななってしもて、皆、おいらのこと怖がってるんやで……? お雪にも怪我さしてしもたし、おばあのそばにもおれへんかった。おばあに会わせる顔がないわ……』


 治安部隊から帰されたものの、迎えてくれた親戚は何処か小虎のことを敬遠しているようだった。

 謝っても「反省していたのならいいから」とすぐに視線を逸らせ、少しだが距離もいつもより遠い。

 何より、彼らの基獣が警戒心を露にしていたのだ。


『おいら、もうおばあの力がないけんその内……お雪?』


 自身をそっと抱え上げた有栖を、小虎は不思議そうに見上げる。

 暗がりでよく見えないが、どこか辛そうに見えた。


「消させない。前野のおばあちゃんに、ちゃんとお別れしないと」

『で、でも……』

「私の怪我は、私の力不足でもあるの。それに、こうして立っていられるのは、小虎ちゃんの意思がちゃんとあったからでしょう?」


 怨獣は暴走した姿だ。自我は基本的にないとされる。

 もし、小虎に完全に自我がなければ、有栖を食らっていたはず。

 手を振り払ったのは、小虎の奥底に自我があり、危ないから遠ざけようとしたのではないのかと思ったのだ。

 まだ包帯を巻いたままの腕は時折、ずきりと傷むが、それでも小虎を怖いとは感じない。

 不安げな小虎の頭を撫でてやりながら、安心させようと笑顔で言った。


「私がそばにいるから、前野のおばあちゃんに、『最後まで心配をかけてごめんなさい』って言いに行こう?」

『…………』


 そう言われて、ふと、いつかの記憶が蘇った。

 あれは、祥子の夫である忠義がいなくなった日のことだ。

 あの時も、この場所で祥子に抱えられて忠義と別れの挨拶をした。

 そして、祥子は別れをうまく理解できなかった小虎に優しく語りかけたのだ。


 ――おじいちゃんとは、もう会えなくなるの。そして、私も……いずれは同じところに行くの。

 ――おばあも?

 ――ええ。そのときは、こうして側にいてちょうだいね?


 優しく笑みを浮かべた祥子は、今思えば声が震えていた気がした。


『おばあに、会いたい』


 もう一度、あの腕に抱かれたいと強く思った。



   ◇ ◆ ◇ ◆ ◇



 ひそひそとした話し声が室内を満たしていたが、やって来た有栖と小虎を見るなり、その声がぴたりと止んだ。

 しかし、少しすると一人、また一人と話し始める。

 その内容は、やはり小虎が怨獣化していたことについてだ。

 亡くなった主人の前で話す内容ではないという嗜める声もあったが、ほとんどの人が小虎を見ると怯えの色を滲ませていた。


『やっぱり……』


 小虎は周囲の視線から逃げるように有栖の胸元に顔を埋める。

 少し後ろをついてきていた恭夜は周囲を一瞥して、バレないように小さく息を吐いた。腕に抱えた小幸も居心地が悪そうに、尻尾をゆっくりと振っている。

 そんな小虎に、有栖は優しく呼び掛けた。


「小虎ちゃん」

『……?』


 ゆるゆると顔を上げた小虎が有栖を視界に捉える。

 頭を撫でる手は優しく、不安でいっぱいだった気持ちが和らいでいくようだ。


「小虎ちゃんが不安になっていると、周りの皆も怖くなるの。私が一緒にいるから大丈夫。だから、ちゃんと前を向いてて。もう大丈夫なんだって、皆に見せてあげて」


 有栖が特等位であることは既に近隣に知れ渡っている。また、特等位ともなれば、怨獣が出ても互角に渡り合えるはずだ。

 だからこそ、有栖が小虎を連れてきても誰も止めようとはしない。

 小虎はまた周りを見て意を決したように頷くと、棺の傍らに立った有栖の腕から肩へと移動した。

 棺は蓋がされているが、顔の部分は観音開きの小窓になっており、今は開けられている。

 目を閉じた祥子は眠っているようで、今にも起きるのではないかと錯覚させた。


『……おばあ。お、怒っとる? おいらな、いろんな人に迷惑かけてしもたんよ』


 小虎は言葉に迷った後、いつも祥子に話し掛ける調子で口を開く。

 その声色に、小虎のことを話していた人達が息を飲んだ。

 怨獣化していた小虎だが、今は何処にでもいそうな普通の九十九とさして変わりない。悪い事をして、深く反省している九十九と。


『ごめんなぁ。おいら、ちゃんとええ子にしとかな、おばあは帰ってこんよって言われとったのに……』


 小虎の気持ちを落ち着けてやろうと、有栖は首もとを優しく撫でてやった。

 何処からか、ひっそりと啜り泣く声が聞こえてくる。

 有栖が声のする方にそっと視線を向ければ、親戚の一人が俯いてハンカチを口元に当てていた。


『なぁ、おいらが悪い事したけん、おばあはおじいのとこ行ってしもたん? 「びょーいん」で、「もうすぐお別れ」って言うてたんは、この事なん?』


 小虎の声が震えている。

 悲痛な言葉は、静かなホール内に響いて溶けていった。


『なんで……なんで、おばあまでおいらのこと置いてくん……?』


 また明日も会えると思っていた小虎からすれば、勝手に置いていかれたという感覚が強い。

 辛さからか、有栖の手に顔を押し付けた小虎の頬が濡れている。

 すると、様子を見ていた一人の男性が有栖達に歩み寄った。


「あ、あの」

「はい」


 声を掛けてきたのは祥子の息子だ。

 彼は少し言葉に迷ってから、恐る恐るそれを伝えた。


「母さんが、小虎に伝えてくれって……」

『おばあが?』

「小虎の生きる意味は、母さんが生きた証で、小幸を……父さんとの『思い出』を守るためにも、何があっても前を向いて生きてほしいって」


 主人を亡くせば、やがて九十九は消えてしまう。

 次の主人を見つければそれは免れるが、万が一、小虎がそれを望まないよう、祥子は遺言として遺したようだ。

 小虎の戸惑いが、彼の響命力から感じ取れる。


「小虎ちゃん」 

『?』

「小虎ちゃんは、もう一人じゃないんだよ」 

「にゃあ」

『小幸……』


 後ろから聞こえた鳴き声に、小虎がはっとしたように後ろにいる小幸を見た。

 祥子達が生きていた証。夫婦で店を営んでいた時の思い出が、こうして生きている。

 小幸の具現化を望んだのは小虎自身だ。それを守るのが、小虎の生きる意味になる。

 再び祥子を見た小虎には、もう戸惑いはなかった。


『おばあ。おいら、やっぱり、もうちょっと頑張る。もっとええ子にしとるから……せやから、おじいと一緒に待っといてな。おいら、いつか二人のとこに必ず行くけん』

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