第11話 企み


 保健室に着き、有栖の怪我を見た養護教諭の笠井は痛々しそうに顔を歪めた。

 四十を過ぎたという彼女は、おっとりとした性格と聞き上手さが相まって、生徒からはよく悩み相談を受けている。また、有栖と同じく治癒の能力を持つ基獣がいるため、大抵の怪我はすぐに治してくれるのだ。

 そんな彼女も、さすがに大きな傷を前に言葉を失ってしまったようだ。

 だが、すぐに我に返ると椅子に座るように言い、有栖の腕を取って自身の基獣である白い蛇を顕現させた。


「少し痛むけれど、我慢してね?」

「は、はい」


 有栖の手首を持つ笠井の腕には白い蛇が巻きついている。

 真っ赤な舌が何度も口から見え隠れしており、あまり見慣れない爬虫類ということもあって少し怖い。

 自然と体が強張る有栖に気づいてか、笠井はふわりと笑みを浮かべた。


「“私”は怖いかしら?」

「あ……」


 基獣はその人の心だ。見た目はなんであれ、中身は基主と同じ。

 ならば、見た目で判断するものではない。怖がるものでもない。

 有栖から力が抜けたのを見て、笠井は基獣に「お願いね」と言った。

 直後、笠井の腕に絡みついていた白蛇はするすると有栖の腕に移動してきた。

 ひんやりとした鱗が肌を撫でる。

 笠井の腕にいたときと同じように、白蛇は有栖の腕に絡みつきながら上ってきた。

 だが、その身が傷口に触れた途端、激痛が全身を駆け抜けた。


「っ!!」

「――えて」

「え?」


 笠井の腕を振りほどこうとした有栖だったが、彼女の基獣は既に有栖の傷を覆っていた。

 はらはらと場を見守っていた恭夜は、笠井が何か呟いた気がして首を傾げる。

 笠井は有栖から目を離さず、先程よりも強い口調で繰り返した。


「押さえて」

「は、はい!」


 もがく有栖の肩を恭夜が押さえる。

 だが、それも少しの間だけで、有栖は治療の痛みに慣れてきたのか、それとも治ってきたことで痛み自体が引いたのか暴れることはなかった。上体を前に屈め、呼吸は全力疾走でもしたかのように荒いが。

 白蛇が有栖の腕から離れると、下から現れたのは先程よりも浅くなった傷口だ。


「……ふぅ。とりあえず、ここまでね」

「完全に治さなくていいんすか?」


 隼人はガーゼで覆われていく傷を見てきょとんとした。

 ただ、その顔をしたのは笠井も同じで、少しの間を開けてから「やっぱり、授業内容も変わるものねぇ」と何故か昔を懐かしんでいる。


「治癒の力を持つ基獣自体、数が少ないからあまり知られてないのもあるけど……治癒に頼りすぎると、耐性がついてしまって、次第に治りにくくなるの。だから、基本的に深い傷を治療するのは、自然治癒でも治る範囲までよ」

「なるほど」


 どんな傷でもすぐに完治できるほど、都合の良いものではないようだ。

 やろうと思えばできるのだろうが、後々も怪我をしないかと問われれば首を振る。特に、卒業後に進路として選ばれやすい治安部隊に入隊ともなれば、生傷は絶えないだろう。

 呼吸が落ちついてきた有栖を見て、凛は疑問に思っていたことを訊ねた。


「雪。緋月はどうしたの?」

「……さっき、怪我をしたから、顕現するのはまだ……」

「まぁ、大和田先生が、治癒は自分には使えないって言ってたし、どっちにしろ緋月はおやすみだな」


 隼人が大和田に言われたことを話せば、凛は渋面を作りながら「歯痒いわね」とぼやいた。

 自分で治したくとも治せない。力はあっても使えない。

 本人からすれば、もどかしいものだろう。

 そして、隼人は包帯を巻かれていく有栖の腕を見て溜め息を吐いた。


「仕方ないとはいえ、小虎は大丈夫か? 特に、庵さんとか庵さんとか庵さんとか……」

「会長しか出てないじゃない」

「怖いのはあの人か恭くらいだ」


 小虎のことは、今は小幸と一緒に大和田達に任せている。

 何処にいるのか分からない庵だが、恐らくは合流しているはずだ。

 有栖を気にかけている彼が、この傷を見ればどういう反応をするのだろうか。考えただけで怖くなった。

 一方、有栖は中庭で庵と会ったことを思い出した。


「御巫先輩なら、中庭で会ったよ」

「え。マジで」

「うん。私がグラウンドに行こうとしたとき、目の前に布を被った人形と、それが出した影でできた動物みたいなものが襲ってきたの」


 状況を聞いた四人は顔を顰める。

 それもそうだろう。九十九が人間を襲うなど、例はほとんどない。持ち主に恨まれていたり、人形を手酷く扱っていたならばともかく、関わりのない者が襲われる話はごく稀だ。

 庵は何かを知っている様子だったが、状況が急を要していただけに深く追究できなかった。


「それで緋月も傷ついて、危なかったところを、御巫先輩が基獣で追い払ってくれたよ」

「うわぁ。なんか、ヒーローって感じだな」

「どっかで見てたんじゃないの?」

「確かに。タイミングが良すぎる。隼人の連絡を無視してたのも……気持ちは分かるけど、おかしいだろ」

「無視する気持ち分かるのか」


 庵のタイミングの良い登場に感嘆の声を上げた隼人だったが、凛も恭夜も冷めた反応だった。しかも、恭夜に至っては隼人も軽く傷つく発言までしている。

 恭夜は腕を組むと、この際だと言わんばかりに積もり積もった不満を漏らした。


「前もそうだった。有栖を気にかけている割りに、肝心なときにあの人はいない」


 前回の、上級生の基獣が怨獣化したときも、彼は後から現れていた。今回に至っては姿が見えない上に連絡も取れない。

 庵も人間なので手が回りきらないのも分かるが、もう少し対処ができたのではないか。

 あまり考えたくはないが、どうしても悪い方に思考が走ってしまう。


「何か裏で――」

「それについては、完全否定はしないよ」

「っ!?」


 突然、ドアが開けられたかと思えば、話に上がっていた本人……庵がやって来た。

 彼は特に怒った様子も戸惑う様子もなく、淡々と言葉を続ける。


「ただ、僕が動いていると言うよりは、動いているものを探しているだけだよ」

「探している……?」


 連続して起こった基獣と九十九の怨獣化。

 それは、偶然や庵によるものではなく、第三者が起こしたものだと言うのか。

 怪訝な顔をした恭夜だが、庵はそれ以上説明する気はないのか、視線を逸らして有栖と笠井に向き直った。


「怪我の具合はどうですか?」

「骨が見えるまではいってなかったけど、正直、ギリギリだったわね」

「骨……」

「ちょっと」


 傷の深さをリアルに感じてしまったのか、隼人は青ざめながら凛の肩に寄り掛かる。

 治癒で痛みが出たのは、傷ついた組織を修復、活性化させたことによるものだ。

 今は自然回復で治るまでは傷が浅くなっていると聞くと、庵は有栖の前でしゃがみ、腕を取って綺麗に巻かれた包帯を見る。そして、小さく安堵の息を吐くと有栖を真っ直ぐに見つめて言った。


「任せた僕にも責任はある。時期はまだ早い気がするけど、できる範囲で説明はするよ。君にまで疑惑の目を向けられるのは不本意だしね」

「説明って……庵さんがやってることですか?」


 何かをしている、ということは隼人も気づいている。だが、それを訊いても教えてくれることはなく、ならば追究しても無駄だと諦めていたのだ。

 庵は隼人を見ると、少しだけ申し訳なさそうな笑みを浮かべて頷いた。


「そう。ただし、話すのは雪ちゃんに、だからね」

「……だと思いました」


 本来ならば有栖に話すこともしたくはない。

 しかし、庵が探しているものに巻き込まれたであろう有栖には知る権利がある。

 庵は笠井に「少しだけ、場所をお借りしてもいいですか?」と訊ねると、時計を見た彼女は快く頷いた。


「これから被害の状況も報告しに行かないといけないから、小一時間くらいなら大丈夫よ」

「ありがとうございます」

「んじゃ、俺らも教室戻っておくかー」

「え」


 笠井が許可を出したなら隼人も早々に退出するべきと判断し、難しい顔をしていた恭夜の肩に手を置いて体を反転させ、そのまま出入り口に向けて後ろから押した。

 だが、すぐに反抗で足に力を入れられ、隼人が押しても動かなくなった。


「おい、恭」

「時原。諦めなさい」

「…………」


 隼人の声色に珍しく怒気が混じった。それも本気のものだ。

 さらには凛にまで嗜められ、引き下がるしかなくなった。


「……何かあったら、すぐに呼べよ」

「大丈夫。ありがとう」


 四人が保健室を出て、足音が遠ざかっていく。

 庵は響命力を探って完全に近くから離れたことを確認すると、「僕も座るね」と一言言って近くの丸椅子に座った。

 上階からは生徒達の声が微かに聞こえてくる。授業ができる状況でもないため、今、生徒には校舎内で待機という指示が出されているのだ。

 南の窓に目をやれば、木々の合間からグラウンドで動き回る教師や生徒会役員の姿が見えた。

 片付けなどは透真に任せてきたが、大和田もいるので問題はないだろう。今回に関しては保健室にいることも伝えた。

 庵は小さく息を吐くと、ポケットからハンカチを取り出す。


「まずは、『これ』から説明しようか」

「…………これって……」


 ハンカチを左手に乗せてゆっくりと開き、包んでいた小さなガラスの欠片を見せる。

 黒ずんだ水色のそれは、先程、小虎の傍らに落ちていたものと同じだ。


「これは、ある研究機関によって作り出された、『感情の結晶』なんだ」

「感情の……結晶? そんなことができるんですか?」

「うん。一応、可能ではあるらしい」


 感情という不確かな物を形にできたなら、その日の内に大きなニュースになっていたはずだ。日本国内だけでなく、世界規模でも。

 だが、有栖は産まれてから一度もそういったニュースを聞いたことも見たこともない。産まれる前であったとしても、何らかの話には出てくるだろう。

 まして、有栖達の通っている学校は、感情とも強く密接する基獣について学ぶ所だ。

 唖然としていた有栖だったが、今まで知らなかった理由はすぐに判明した。


「ただ、残念ながら、これはまだ完成してないんだ。だから、与える影響はとても極端になってしまう」


 例えば、一つの感情を強めたり、逆に何かの感情を弱めてしまったり。

 本来であればバランスよく保ちたいであろうそれらを、うまく調整できないのだ。

 だが、感情を形にする必要性が有栖には感じられないため、何故、感情の結晶を造ろうと思ったのか理解に苦しむ。


「どうして、そんな物を作ろうとしたんでしょうか……」

「僕も当事者ではないから、確かな事は分からない。けど、完成したら、人間の感情をコントロールすることも可能になるんだ」


 きっかけは、ある研究者が怨獣化の調査をしていたときだった。

 人間の強い負の感情に感化されて、基獣は怨獣へ変わるとされている。

 ならば、人間の感情をコントロールできれば、怨獣化も減るのではないのか。怨獣化したとしても、感情を落ちつかせれば、浄化の能力がなくとも元に戻せるのではないのか。

 また、ストレス社会とも言われる現代で、感情をコントロールできる物があったとすれば、ストレスの軽減に繋がるかもしれない。さらに、各地で起こる諍い事や犯罪の抑止、広く流通すれば緊張を落ちつかせたいという簡単な時にも役立つかもしれないのだ。

 そういった理由から、感情を結晶化するための実験が始まった。

 目的だけを聞けば良いことのようにも思えたが、庵は研究に対して否定的だった。


「いろいろあって研究は頓挫してしまったけれど、あの研究の報告書を見た限りでも、それが一番良かったんだよ」

「…………」


 感情のコントロールが出来るようになれば、確かに争い事などは減るだろう。怒りなどを抑えられれば、冷静に話し合いなどもできるかもしれないからだ。

 しかし、そんな暮らしを想像した有栖は、果たして満足のいく日々を送れるだろうかと思った。

 慣れてしまえば……それが当たり前になれば話は違ってくるのだろうが、例え怒りなどであったとしても、失ってはいけないもののような気がするのだ。

 研究者達は、それに気づいたからこそ研究を止めたのか。

 言葉を詰まらせた有栖を見て、庵は優しい声音で訊ねた。


「研究について、もっと知りたい?」

「……はい」

「うん。じゃあ、少し話は逸れるけど、分かる範囲で教えてあげる」


 連続して起こった基獣や九十九の怨獣化にも関わっている研究。

 それについて調べたことを、庵はゆっくりと話し始めた。

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