第9話 水色の欠片


 光が弾け、中から現れた小虎はいつもと同じ小さな虎の姿だった。

 小虎は地面に横たわったまま、規則正しい寝息を立てている。所々に擦り傷はあるが、致命傷には至らないものばかりだ。

 有栖に抱えられていた小幸が腕からするりと抜け出し、小虎に近寄って起こすべきか否か迷っている。

 そんな小幸の様子に小さく笑みを零し、小虎を抱き上げようと近づいた有栖は、ふと、小虎の首もとで太陽の光を反射して輝いたガラスの欠片を見つけた。


「これって……」


 小さな水色の欠片は、色こそ違えど見覚えがある。

 先日、襲ってきた巨大な蝶の怨獣が浄化された後、傍に落ちていた物だ。

 微妙に形も異なるが、状況から判断しても同様の物であると分かる。そして、怨獣化に関して何らかの影響を及ぼしているのだと。

 欠片をじっと見つめていた有栖は、惹かれるように手を伸ばす。

 小幸が欠片と有栖を交互に見つめて不安げに鳴いた。しかし、何故か構ってやれるほどの余裕はなかった。


(すごく、悲しい感じ……)


 欠片から漂う哀愁に引き込まれ、周りの音が遠ざかっていく。

 同時に、胸の奥からじわりと込み上げてくる感情は、かつて基獣を具現化できなかったときに抱いていた強い劣等感と悲痛な気持ちだ。

 以前の黒の混じる紫色の欠片のときは何も感じなかった。

 もしかすると、別の物だろうか。

 様々な考えが頭の中を巡っていると、また欠片が輝いた。太陽の光による反射ではなく、欠片自体が淡く輝きを放っている。

 あと少しで指先に触れるというときに、有栖の手は横から何かによって掬い上げられた。


「っ!」

「…………」


 いきなり挙げられた手に驚いて視線を向ければ、いつの間にか白銀が傍らにやって来て顔を下げていた。

 その鼻先に乗った自身の手を見て漸く、庵が「触ると火傷をするよ」と言っていたのを思い出す。


「あ、りがとう……」

「ブルルッ」


 まだ現実に頭がついてこない。

 そのせいで白銀に言った礼は途切れてしまったが、気持ちは伝わったのか白銀は何処か得意げに鼻を鳴らした。

 さすがは自身の心から生まれた存在か。

 白銀が止めなければ、今頃忠告を忘れたまま欠片に触れていた。

 しかし、触れられないなら欠片はどうすればいいのだろうか。できれば、人目に付く場所に放置はしたくない。

 悩む有栖だったが、すぐに聞こえてきた慌ただしい足音に気づいて顔を上げた。


「御雪ちゃん!」

「……っと。これは回収しておく」


 駆け寄ってきたのは隼人と透真だ。その後ろからは大和田もついてきている。

 他の教師は荒れてしまったグラウンドの補修や、怨獣の気に当てられた九十九や基獣がいないかを確認するために動き始めていた。

 透真は有栖の目の前にある欠片を目敏く見つけると、ポケットからハンカチを取り出して手早く回収する。どうやら、間に何かを噛ませば火傷はしないようだ。

 一方、有栖の傍らにしゃがんだ隼人は有栖の右手を見て青ざめた。


「ちょっ! 血ぃまた出てんじゃん! 早く手当しないと!」

「あ……」


 すっかり忘れてしまっていたが、有栖の右手はざっくりと切れているのだ。

 止血は白銀が緋月の能力を引き出してできていたはずだが、視線を向ければ確かにまた血が滲み出している。痛みは最初ほど感じず、転けたときの傷程度の痛みだが。

 すると、冷静なままの大和田が隼人の隣に片膝をついて有栖の右手を取ると、当てがわれていた布を解き、上腕を少しきつめに縛った。


「元々、治癒の能力は使用者には効きにくい。治癒は使用者の響命力を対象に分け与えて癒すからな」


 使用者が自分を治そうとしても、治癒に使える力が新たに与えられるわけではない。そのため、基本的に治癒の能力を持つ基主は治安部隊でも後方支援のみだ。

 だが、有栖はその通説を見事に覆した。


「短時間でも血が止まっていたのは、さすが特等位とも言うべきか……。……何にせよ、早く保健室に行ってこい。九十九はこちらで対処しておく」

「にゃあ」

「……はい。お願いします」

「俺もついて行きますね」

「ああ、頼んだ」


 養護教諭は数少ない治癒の能力を持つ基主だ。勿論、治癒できる度合いに差はあれど、ここは有名校の特権とも言うべきか、九曜高校の養護教諭はほとんどの怪我を完治できるとも言われている。

 隼人に付き添われて保健室に向かう有栖を見送りながら、透真は小太郎に欠片を包んだハンカチを渡した。


「庵に」


 短く告げただけで、小太郎はハンカチをくわえて肩から飛び降りた。

 庵の居場所は分からないが、響命力を追えば簡単に見つかるはずだ。

 ただ、響命力を探そうにも力を潜めている本人に伝えておかなければならないため、スマホを取り出してから通話履歴の一番上の名前を選択する。

 呼び出し音が二、三回鳴ったところで庵が電話に出た。


「俺だけど、小太郎に『例の物』を持って行かせたから、あとは任せた」

《了解。ありがとう》

「……切りやがった」


 口早に短く言われて切られてしまった。最も、特に他に話すこともないため、文句を言う理由もないのだが。

 大和田は小虎を優しく抱え上げると、不安げに様子を窺っていた小幸に「お前も一緒に行くぞ」と声をかけてどこかへと歩き出した。

 それを横目に見ていた透真は、校舎の入口で教師に止められていた幼馴染と友人に会う有栖へと視線を移して、先ほどの大和田の言葉を脳内で反芻する。


「特等位だからこそできる特別もあれば、特等位だからってできない当然もあるってことか……。……まぁ、あいつもそうだしな」


 小さく溜め息を吐き、屋上から感じた親しんだ響命力に顔を上げた。

 記録上最年少で具現化を果たした特等位の庵だが、そんな彼にも欠点はある。

 しかし、欠点があるからこそ、透真は彼のそばにいることができるのだ。


(あいつが完璧だったら、あいつはとっくに一人だろうさ)

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