第8話 浄化の力


 グラウンドは大きく抉れている箇所が増え、先日、せっかく直したばかりだったのにまた作業が増えた、と隼人は内心で愚痴を零した。

 影でできたような怨獣は、実態がないのか大きなダメージを与えることができずに苦戦したものの、突然、ドロリと溶けて消えてしまった。

 何が起こったか確認したいが、それよりもグラウンドにいる小虎が先決だ。

 振り向いて様子を見れば、小太郎や教師達の基獣による攻撃が連続しているおかげか疲労の色が見えた。


(けど、このままじゃ浄化はできない。やっぱり、御雪ちゃんだな)


 当初の目的は忘れていない。教室にいるであろう有栖を連れてくることだ。

 恭夜や凛に何を言われるかおおよその検討はつくが、最悪、二人にも牽制を手伝ってもらえばいい。

 校舎に入るべく一歩踏み出した隼人だったが、南館と職員棟の間から発した清廉な響命力にハッとした。


「白銀! 止めて!」


 聞き覚えのある声が上がり、続いて馬の嘶きが辺りに響き渡る。

 小虎の視線が声のする方に向く。強者を恐れる本能なのか、それとも自我が多少なりとも現れてきたのか、一瞬だけ耳が下がった。

 それを見逃さなかった隼人は駆けてくる有栖に向かって声を張り上げた。


「御雪ちゃん! 小虎、まだ戻れるかもしれないんだ! 浄化を頼む!」

「分かった!」


 白銀と小虎は対峙したまま動かない。互いの動向を窺っているようだ。

 有栖も遅れて白銀の隣に着けば、周りにいた透真や教師、基獣達が下がる。

 小虎は小さく唸っているが、すぐに攻撃してくる気配はない。

 一触即発とも取れる状況に、大和田は不安を露に隣にいる透真に訊ねた。


「大丈夫か? いくら特等位とは言え、御雪は具現化したばかりだろう?」

「正確には顕現らしいですけどね。でも、小虎は彼女には懐いてるみたいですし、今すぐに攻撃してこないのを見ると、自我はあるのかもしれません」

「九十九の具現化の件もあるが、御雪は浄化の経験はあるのか?」

「ある、と言えばあるみたいですけど、それ目的で動くのは初めてだと思いますよ」


 先日、夜間に侵入した怨獣を浄化したのは他ならぬ有栖だ。だが、あの時は反射的に行った上にあまり面識のなかった基獣相手だった。

 今回は親しい九十九のため、彼女に揺らぎが出る可能性もある。

 いざと言うときは、やはり周りが手を下さなければならない。


「……頼んだぞ、御雪」


 大和田は警戒態勢を解くことはせず、有栖と小虎を見守る。

 一方で、小虎と対峙していた有栖は、自身よりもずっと大きな体躯となった小虎に怯みそうな心をひたすら叱咤していた。


(大丈夫……。姿は違っても、小虎ちゃんには違いない……)


 有栖の感情は基獣である白銀にも伝わってしまう。ここで怯んでは、この場の誰にも手出しが出来ないのだと証明する形になる。

 深呼吸をひとつして、有栖は小虎を見上げた。

 時折、唸り声と共に口の端から青い炎が漏れているが、有栖に向けて放たれることはないようだ。


 ――お……。な……で、…………ん?


「え?」


 微かだが、小虎の声が聞こえた気がした。

 隣の白銀を見れば、白銀も聞き取ったのか小さく頷いて小虎に向き直る。

 白銀が一度前足で地面を軽く叩くと、触れた箇所から波紋のように見えない力が辺りに広がり、すべての音が消え去った。正確には、聴きたいもの以外の音だけが。


「……小虎ちゃん」

『おばあ。なんで、おいらだけ残して行ったん?』

「小虎ちゃん、前野のおばあちゃんは――」

『おいら、まだおばあがおじいに会えたか分からへん……。約束、破ってしもたんや……』


 有栖と話をして、祥子のもとに慌てて帰っていたが、間に合わなかったのだろう。

 元々、抱いていた悲しい感情に自責の念が加わり、小虎を怨獣へと変えてしまったのか。


「小虎ちゃん、大丈夫。約束は破ってないよ」

『そんなん分からへんやん! お雪はおじいでもおばあでもない! 二人はもう、ここにはおらへんのや……!』

「熱っ……!」


 悲痛な叫びと同時に小虎が吠え、小虎を中心として青い炎が渦を巻いて湧き起こった。

 だが、それは小虎に残された響命力を消費しているものであり、下手をすれば浄化が間に合わなくなる。

 火傷しそうな炎の熱に有栖が両腕を翳せば、白銀が前に立って前足を高く上げて嘶いた。前足が地面に着いた途端、小虎から溢れていた炎が一瞬で消えてしまった。


「うわ、さすがチート……」


 隼人は圧倒的な力を目の当たりにして愕然と呟いた。

 本当に、先ほどの基獣学の実戦訓練でたじろいでいた有栖と白銀なのか。

 まさか自分が行ったことが他者から見れば尋常ではないことだとは思わず、白銀を避けて前に出た有栖は小虎に歩み寄った。

 これ以上、小虎に力を使わせるわけにはいかない。


「待って。小虎ちゃん、落ちついて――」

『嫌や! 来んといて!!』

「っ!」


 小虎に伸ばした右手が、小虎の鋭い爪を備えた大きな手で振り払われた。

 小さなときではあり得ない強い力に、一瞬、腕が千切れたかと思った。

 だが、少しの間を置いて駆け抜けた激痛に、有栖は腕を押さえて地面に膝をついた。


「っ、あああぁぁぁっ!」


 爪が肌を引っ掻いただけだというのに、肘付近から指先までざっくりと切れていた。

 意識がそこに集中しているせいか、まるで心臓が腕にもあるかのようにどくどくと脈打っている。

 聞こえていた小虎の声がかき消え、白銀が防衛本能から小虎に向かって角を突き出して駆け出した。


「くそっ! やっぱりまだ扱いきれないか……! 黒雄くろお!」

「小太郎、あの二体を遠ざけさろ!」


 悔しそうに顔を歪めた大和田が基獣である黒い熊の名を呼べば、黒雄は短く吠えてから小虎と白銀に向けて突進する。

 その背に飛び乗った小太郎は小虎達に近づくと高く跳躍し、辺りに響く高い声で鳴いた。

 すると、駆けていた黒雄の体が白い煙に包まれ、煙は黒雄の二回り以上も大きな獣の顔を象った。

 煙の獣が食らいつかんと口を大きく開き、小虎と白銀に迫る。

 勢いよく口が閉じられるより先に、小虎も白銀も後ろや横に跳んで逃げた。

 二体が距離を置いたことで、有栖の周りからはある程度の危険がなくなった。まだ油断はできないが。

 隼人は小虎達の様子を見ながら、教師と共に有栖に駆け寄った。


「御雪ちゃん!」

「……っ、うっ、くぅっ……!」

「うわわ、かなりヤバいな。とりあえず、止血しないと……!」

「東雲君、場所変わって」


 隼人と女性教師が入れ変わり、手早く止血が施される。だが、当てがわれたハンカチは瞬く間に真っ赤に染まっていく。

 有栖は貧血のせいか、意識がぼんやりとしてきた。視界に小虎を収めれば、またしても激しい攻防が繰り広げられていた。

 隼人と若い男性教師が有栖達に被害が及ばないよう、基獣に指示を出している。

 隣で支えてくれていた女性教師が、近づいてきた気配に息を飲んだ。

 何が来たのかとゆっくりと顔を動かして見れば、暴れていたはずの白銀がこちらに向かって歩いて来ていた。


「し、ろ……」


 名をまともに呼ぶことはできなかったが、やはり心が具現化した存在であるからか理解はしたようだ。先ほど暴れ出したのが嘘のように、今は大人しくなっている。

 有栖の前で止まったかと思えば、頭を下げて有栖の傷に顔を近づけた。

 白銀に治癒の力はない。緋月はまだ顕現するには早い。

 しかし、白銀が顔を有栖に擦り寄せた瞬間、火の粉が辺りを舞い始め、傷口を包み込んだ。すると、それまで止めどなく流れていた血がピタリと止まった。


「一体、何が……」

「…………」


 愕然とする女性教師とは違い、有栖は頭を起こして見下ろしてくる白銀見上げた。

 青い目が真っ直ぐに有栖を見つめている。

 まるで、「これで動けるでしょう?」と言っているかのように。

 呆然とする三人だったが、現象に気づいた隼人が戦線から下がってきて言った。


「もしかして、『能力の引き出し』ってやつ?」

「え?」

「複基獣の場合、たまに見受けられる力なんだって。複基獣自体、基主が少ないから詳しくは不明らしいけど、基獣がもう一体の基獣の能力に近いものを引き出して使えるとか何とか」


 主を別としない、複基獣だからこそ成せる技のようだ。

 怪我の治癒で緋月を思い浮かべたのが白銀にも伝わり、白銀が自身とは別の基獣の力を引き出したのか。

 白銀は有栖をじっと見つめたままだ。その目に本来の目的を催促されている気がした。


「……ありがとう、白銀」


 礼を言えば、白銀が答えるように小さく鼻を鳴らす。

 ゆっくりと立ち上がり、再び小虎に近寄ろうと踏み出した。


「御雪さん! 待って! あの九十九はもう――」

「声が、聞こえたんです」

「声……?」

「まだ自我はあります。だから……」


 止める女性教師に振り返らず、有栖は一歩踏み出すたびにじくじくと痛む腕の傷を堪えながら言った。

 支えるために、白銀が隣についてくれた。

 戦闘は止んでいなかったせいか、黒雄が太い腕で小虎を投げ飛ばし、有栖の近くに落ちる。

 まさか有栖が近づいていたとは思わず、有栖と白銀以外の全員に緊張が走った。


「小虎ちゃん。もう一度、会いに行こう?」

「グルルルル……」

「今度は、私も一緒に行くから」


 唸る小虎に手を伸ばす。

 しかし、もう小虎には言葉が届かないのか、近づいた手に食らいつかんと牙を剥いた。


「やばっ! コン、止めるぞ!」


 最初に動いたのは隼人とコンだった。

 有栖と小虎の間に入ろうとしたコンだったが、それよりも早く、小さな影が間に滑り込んだ。


「にゃああ!」

「……小幸ちゃん?」


 入り込んだのは、今まで姿を見せなかった小幸だ。

 小幸は変わり果てた小虎に向き直ると、耳を後ろに寝かせながら弱々しく鳴いた。


「にゃあ……」

「…………」


 小虎の動きが止まった。荒れ狂う嵐にも似た響命力の渦が収まっていく。

 有栖は小幸を抱えると、小さな体が小刻みに震えているのに気づいた。

 それもそうだろう。ずっと側にいた親のような存在が、自身では決して敵わぬ荒々しいものへと変わっているのだ。

 安心させるように小幸を撫でた有栖は、小虎に近寄って頬に触れた。


「前野のおばあちゃんは、小虎を待ってるよ」

「グゥゥゥゥ……」

「そんな大きな姿じゃ、おばあちゃんもびっくりするからね。だから……戻っておいで」


 小虎の響命力が落ちついた。

 それを感じ取った白銀が小虎にさらに近づくと、無防備に晒された首もとを角で軽く突く。

 直後、ふわりと柔らかい風が吹き、小虎の体が光に包まれた。


「怨獣が……!」


 小さくなっていくシルエットに周囲は愕然とする。

 怨獣の浄化は滅多に見られないものだ。また、前回、怨獣が出たのも夜間で教師達はいなかった。初めて見る者も多いだろう。


「……お帰り、小虎ちゃん」


 有栖が優しく呟いた途端、小虎を包んでいた光が弾けて消えた。

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