第6話 悲哀に飲まれた九十九


 火災報知器とは異なる電子的な警報音が校内に響き渡る。

 昼休みも終わろうかという時に鳴り響いた警報に、生徒達は何事かと騒然とした。


「これ、怨獣絡みのときの警報じゃない?」

「多分。初めて聞いたけど……」


 進学の際に警報の話は聞いている。中学のときにもあったが、元々、怨獣が侵入しないよう結界を張っていることもあり、今まで一度も聞いたことはない。

 ただ、怨獣ならばつい先日、有栖達も関わった件で校内に現れているが、そのときには犯人を確実に捕まえるために敢えて警報を切っていたのだ。


「鳴ったってことは、会長も予期してなかった件ってことね」

「隼人も何も言ってなかったしな」


 今は生徒会の仕事で教室にいないが、特に何か注意するようにという話もなかった。秘密裏に進んでいる可能性もあるが。

 どうするべきか考えていると、校内放送が流れた。


《現在、グラウンドに怨獣が侵入しています。全校生徒は校舎から出ないようにしてください。繰り返します。現在――》


 教師の一人がやや口早に告げ、聞き漏れがないよう内容を繰り返す。

 明かされた場所は教室からも見える場所のため、誰もが窓辺に駆け寄ってグラウンドを見た。

 すると、グラウンドからは肉食動物の咆哮が轟いた。窓さえもがたがたと揺らす叫びに、窓辺にいた生徒の何人かは怖じ気づいて窓から遠ざかった。

 だが、変わらずに窓から外を見ていたクラスメイトの一人が、視界に入った姿に感動にも似た声を上げた。


「うわ、すっげ! でかい虎の怨獣がいる!」

「虎……?」

「ねぇ。なんかあれ、見たことない?」


 クラスメイトの言葉を聞いた有栖は「ごめん。見せて」と言って間に割って入り、窓から外を見る。

 そこには一頭の巨大な虎がいた。赤黒い炎を口の端から漏らし、押さえようとする教師を威嚇している。また、教師陣の中には隼人の姿もあった。


「生徒会役員も鎮圧に加わってるのね。校舎の側にも何人かいるし……雪?」


 有栖の横に立った凛も外を確認する。隼人だけでなく、生徒会役員はほとんどが外にいた。

 生徒会役員は非常事態には教師陣に混じって対処に当たることもあり、今回のように外にいても誰も疑問に思うことはなかった。

 ただ、有栖は愕然とグラウンドにいる虎を見ており、普通ではない様子を案じた凛が声を掛けた。

 有栖は視線を逸らすことなく、僅かに震える声で呟く。


「小虎ちゃんだ……」

「え?」

「行かないと……!」

「ちょ、ちょっと!?」

「有栖!」


 凛と恭夜の制止も聞かず、有栖は教室を飛び出した。

 校舎の出入り口には教師や生徒会役員がいるため、外に出ようとしても止められるだろう。

 それでも有栖はじっとしていられなかった。


(小虎ちゃん……なんで……!)




 その頃、外では侵入した怨獣に対し、生徒会顧問であり基獣に最も精通している大和田が指示を出していた。


「死角から基獣で牽制しつつ隙を狙って討つ! 東雲は攪乱を頼んだぞ!」

「はい!」


 怨獣を囲むのは大和田を含む四人の教師と隼人だ。他の役員や教師は、校舎から生徒が出ないようにするための見張りや、結界の補強などに当たっている。

 怨獣を見据えていた隼人は、ふと、怨獣から漂う響命力にある九十九の姿が重なって愕然とした。


「え? これ……いや、嘘だろ。あの怨獣って……」

「小虎だな」

「透真先輩!」


 困惑する隼人の思考を肯定したのは、後からやって来た透真だ。

 隼人は怨獣を見たときから小虎を思い出していたものの、小虎が怨獣化するとは思えなかった。

 しかし、感じ取った響命力の一端は小虎と同じであり、透真も肯定している。

 何故、小虎が怨獣化しているのか。

 理由はすぐに分かった。


(そういえば、主が亡くなったって御雪ちゃんと話してたっけ……)


 授業に乱入してきた小虎の姿は隼人も当然ながら目にしている。大和田の目もあったため、二人から話を聞けたのは授業が終わってからだ。

 慌てて自宅に帰っていたが、受け止めきれない現実についに心が壊れてしまったのだろうか。有栖の話では比較的前向きになったように思えたが。

 すると、透真は怨獣……小虎の隙を窺う大和田をはじめとする教師達にも聞こえるように声を張り上げた。


「会長からの伝言です!」

「御巫からの?」

「『怨獣は討伐せず、気絶までに留めておいてください』とのことです!」


 庵からの伝言、と聞いた途端に教師達の動きが止まったものの、次に告げた言葉で戸惑いが走った。

 怨獣は討伐するのが基本だ。それを、敢えて「気絶まで」とはどういうことか。

 全員の疑問を大和田が代弁した。


「それは、何か考えがあってのことだろうな?」

「詳しくは後で説明します!」

「分かった。ならば善処しよう」


 怨獣相手に手加減はこちらの危険を伴うのだが、わざわざ討伐を止めにくるのならば相応の考えはあるのだろう。

 それを説明する時間が今はないなら、一先ず大人しく従っていたほうがいい。

 透真は小太郎を顕現すると、小虎の前に飛び出させて威嚇をする。火炎放射器から噴出されたかのような炎を小太郎は飛んで避け、小虎の頭に着地したかと思うと軽く蹴って宙に舞う。


「やれ、小太郎」


 小太郎の周りに青い狐火がいくつも起こった。透真の指示に頷くように鳴いた途端、狐火が一斉に小虎に向かって飛んでいく。

 直撃こそしていないものの、掠めた炎はじわじわと小虎の体力を奪う。教師陣の基獣の攻撃もあるため、透真は加減のために一度小太郎を自身のもとに戻した。

 そんな透真に、隼人は何故、小虎を討伐しようとしないのか訊ねる。


「小虎だから手加減してるんですか?」

「すごいな。親しい九十九相手でも手加減せずに討伐できるのか」

「あ、いえ。そういうわけじゃ……」


 やや呆れた様子の透真に言われ、自身の質問の仕方を後悔した。だが、「小虎を討伐しろ」と言われれば、嫌々ながらも従っていただろう。

 透真は「すまない。意地が悪かったな」と言ってから、小虎の討伐を止める理由を説明した。


「主人が亡くなったとはいえ、怨獣化には早いだろう? それに、主が亡くなったことによる怨獣化なら、もう一匹の九十九……小幸だったか? あれも怨獣化しているはずだ」

「あ……」

「高確率で、今回の件にも欠片が関わっている可能性がある」


 小幸の姿は見えないが、庵が確認した限りでは他に怨獣の発生は確認されていない。

 主を亡くした九十九は、次の主が見つからずに与えられていた響命力が切れて消滅するか、心が壊れて怨獣化するかのどちらかに分かれる。複数の九十九の場合は、そのタイミングも同じだ。

 そのため、小幸が怨獣化していないのなら、透真が言うように欠片が影響している可能性がある。


「それじゃあ、庵さんもすぐに来てくれるんですか?」

「だといいんだがな」

「え?」


 特等位である庵の基獣は浄化の力を持つ。怨獣を討伐せず、元に戻すにはその力が必要だ。また、いくら怨獣とはいえ、強い響命力を持つ基獣の前では動きも鈍る。

 庵が来てくれれば、拮抗する現状も優勢に変わるはずだ。

 しかし、透真の答えはやけに苦々しいものだった。


「あいつ、『小虎を気絶させるの大丈夫だよね? 黒幕探してくる』っつって、どこかに行ったんだよ」

「……ええ!?」


 つまり、小虎を現状の人数で気絶させろということか。

 小虎にダメージは与えているが、自己修復能力でも備わっているのか、与えた傷はすぐに塞がっている。


「珠妃先輩の木葉なら記憶をいじれるから、小虎が暴走している切っ掛けの記憶を消せば多少はマシになるかもしれないが……」

「そういえば、あんな小さいのにすごい能力でしたね」


 同じ生徒会役員ではあるが、珠妃が基獣の力を使うことは滅多になかった。それも、目に見える能力ではないため、やや忘れがちになってしまう。

 透真は辺りを見回して珠妃の姿を探しながら言った。


「あんまり使いたがらないけど、非常事態だし仕方ない。……珠妃先輩は?」

「小虎が侵入してきたときは一緒にいましたけど、結界の補強組に回るからってここにいないですよ」

「マジか……」

「戦闘向きじゃないし、結界補強に行くほうが適任なのかなって思いました……」

「まぁ、仕方ないか。まさか、『気絶まで』なんて指示が下るとは思ってもみなかったしな」


 庵から言われたときは透真も耳を疑った。

 だが、気絶に拘ってこちらに被害が出るのは避けたい。現に、教師の何人かは基獣が大きな怪我を負ったために下がっている者もいる。


「……これは、庵に怒られる覚悟でやるしかないか」

「それって……」

「ああ。せめて、浄化ができる人がいればいいんだけどな」

「浄化……」


 通常、能力として浄化を備える基獣は滅多にいない。特等位であれば話は別だが。

 庵以外で浄化の力を持つ者、と記憶を辿っていた隼人は、すぐに先ほどの授業でのことを思い出した。

 一番近くに該当者がいたことを。


「ああ!」

「な、なんだ?」


 急に声を上げた隼人を、透真だけでなく他の教師達も何事かと隼人を見る。

 隼人は何故、その存在を忘れていたのかと自身を叱咤しつつ興奮した様子で言葉を続けた。


「いた! いますよ! 浄化!」

「え?」

「忘れたんですか? ほら、御雪ちゃん!」

「……ああ、そうだったな。今は教室か」

「俺、連れて来ます!」


 生徒は校舎から出ないようにと言われている。ならば、彼女も校舎内に留められている可能性が高い。

 こんなことならば、さっさと生徒会に勧誘していればいいものを、彼女を気に入っているはずの庵は「その内ね」と言って動かなかった。欠片の盗難騒動でそれどころでなかったのもあるが。

 正直、戦力が減るのは避けたいが、すぐに戻ってくるのであればそれまで辛抱すればいいだけだ。

 地を蹴った隼人に「頼んだ」と言ったときだった。


「うわっ!?」

「どうかし……なっ!?」


 突然、声を上げた隼人を振り返ってみれば、彼の進路を塞ぐように一匹の黒い犬が地面から現れていた。

 さらに、犬の傍らに黒い水溜まりがいくつも湧き、ぼこぼこと泡を立てるその中心から陽炎のごとく黒い犬が一匹、また一匹と生まれてくる。

 現れた犬はどれも黒く、目は血のように赤い。輪郭は定まっておらず常に揺らいでいる。

 校舎側にいた教師や生徒会役員がすぐに基獣を顕現させて犬に向かわせるも、一瞬にして基獣が深手を負う。

 襲われた基獣の主が慌てて解現をすれば、黒い犬は躊躇わずに基主に襲いかかった。

 それをコンと小太郎が間に入って止め、意識を自分達に持ってこさせる。


「なんだこれ……」

「おいおい。冗談じゃない。俺達で相手にできるレベルかよ?」


 透真も隼人よりは今まで怨獣を見たことはあるが、目の前にいるタイプは見たことがない。

 黒い犬は透真達の動向を窺っているのか、動く気配を見せない。ただ、こちらが少しでも動けばすぐに食らいついてくるだろう。

 後ろは怨獣化した小虎。目の前には謎の黒い犬。

 挟まれた状況で、透真は歯痒さから奥歯を噛みしめた。

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