第5話 未完成品
「こちらの管理不足も否定はできないけど……」
昼休みの生徒会室。その後ろにある鍵付きの棚の前で、庵は深い溜め息を吐いた。
室内には庵しかいないものの、特に会議があるわけでもないため、庵がここにいるほうが不思議なのだ。
生徒会室のある北館は各学年の教室がないためか、南館に比べると比較的静かに過ごすことができる。そのため、庵は昼休みになると「用事があるから」と適当な理由をつけて教室を離れていた。
ただ、その生徒会室に良からぬ輩が忍び込んでいたようだ。
庵の視線の先……棚の一番下の段の隅には、ダイヤル式の金庫が備え付けられている。開かれた金庫の中には、今は何も入っていなかった。
「せめて、疑心暗鬼に陥らせるような仕掛けくらい残しておいて欲しいものだね」
本来であれば、金庫には先日、美里の怨獣から出てきたガラスの欠片が入っていたはずだった。だが、押収した翌日の昼、金庫を開けてみると欠片はなくなっていた。
金庫の番号を知るのは庵と透真だけだが、棚の鍵は庵と生徒会顧問である大和田だけが持っており、二人ともここ数日は誰にも貸していなかった。
ここで透真が鍵を借りていれば疑いは彼に向いただろうが、金庫のある場所を開けられなかったら彼が金庫に触れる手段はない。
「それとも、透真がこっそり合い鍵でも作っているか、ピッキングでも習得しているか……」
「疑心暗鬼になってんじゃねーよ」
「いたっ」
顎に手を当てて考えていた庵の後頭部に突っ込みと共に軽い衝撃が走る。いつの間にか生徒会室に入って来ていた透真が平手を放ったようだ。
叩かれた頭を押さえつつ、席に座る透真を見る。彼も欠片盗難の件で捜索に当たっていたが、どうやら担当ルートを見終えたようだ。
「どうだった?」
「残念ながら、何もない」
「そう……。なら、もう破壊されているかもしれないね」
ここまで探して痕跡すら出ないということは、盗んだ犯人は証拠隠滅のために破壊したと見ていいだろう。
同様の欠片については今まで何度も見ている。だが、ほとんどは治安部隊が回収したため、庵達が直接手に入れた欠片としては美里の怨獣が初めてだ。
庵自身も欠片を調べてみたかったため、治安部隊への報告には欠片のことは伝えていなかった。しかし、どこかから話を聞いたのかすぐに引き渡すよう要請が入り、金庫を開けてみればこの様だ。
ただ、治安部隊でも同様のケースは頻出していたようで、紛失について特にお咎めはなかったのが不幸中の幸いかもしれない。
「欠片は色ごとに特定のマイナスの感情を強く放っており、持つ者に悪影響を及ぼす」というのが欠片を調査している治安部隊の見解であり、発見しても長期間身近には置かないようにと注意はされている。同時に、悪影響を及ぼしやすいのは低い等級の人だとも。
庵は治安部隊から聞いた話を脳内で再生しつつ、小さく溜め息を吐いた。
「やっぱり、僕が直接持っておくべきだったね」
低い等級に影響を及ぼすことはある。ならば、最上級であれば心配はないのか。
治安部隊の者は明言こそしなかったものの、庵への心配の色は一切見られなかった。「特等級なら大丈夫だ」という根拠のない自信があるように思えたのだ。
被害妄想かもしれないと思いつつそう呟いた庵に、透真は嫌そうに顔を歪めて言う。
「やめてくれ。お前に同調なんてしたら、誰が止められるんだ」
「僕が欠片に飲まれるとでも?」
「可能性はゼロじゃないだろ」
「あはは。そうだね」
迷うことなく否定した透真に、庵は内心で嬉しさが込み上げた。
“特等級であるならば、何があっても問題はない”
大半の者が思うことを、彼は真正面から否定する。特別視をしないからこそ、こうして近くにいることを許しているのだろう。笑顔を浮かべながら透真を見ていれば、「気持ち悪い」と辛辣な言葉を投げられたが。
そこに、透真と同じく巡回に出ていた隼人が帰ってきた。
「戻りましたー」
「お帰り。どうだった?」
「手掛かりはまったくないです。ぜーんぶ拭き取ったみたいに、欠片を回収したグラウンドにすら匂いが一つも残ってないですしね」
隼人は庵の前に歩み寄ると、疲労の滲む顔色で結果を報告した。内容自体は透真と同じだが、彼が探っていたのは透真とは違う場所だ。これで校内のほとんどは見終えたことになる。
あとは、珠妃を初めとする他の役員が校外の近場を見て回っているため、その結果待ちだ。ただ、連絡のない現状から察するに良い結果はないだろうが。
隼人は透真の斜め向かいに座ると、机に突っ伏しながら大きな溜め息を吐いた。
「一体、誰が持ち出したんでしょうね。セキュリティも校内じゃ堅牢なほうですよね?」
「ああ、そうだ。隼人にも話していたほうがいいか」
「そうだな」
「え?」
特に明確な答えは期待してないぼやきだったが、二人は示し合わせたかのように顔を見合わせて頷いた。
庵は辺りに他の人の気配がしないことを確認してから、今回の捜索についての本来の目的を話す。
「実は、僕が探しているのは『犯人』じゃなくて、『証拠』を探しているんだよ」
「それって……犯人は分かってるってことですか?」
「大体の目星はね。ただ、きちんとした証拠がないから、追及しても言い逃れられるだけなんだ」
本来の目的を話さなかったのは、生徒会役員達を下手に疑心暗鬼に陥らせないためだった。
鍵が厳重に掛けられた生徒会室での盗難ともなれば、自然と内部の人間を疑うことになる。その上で犯人の証拠を探せと言えば、お互いの行動を探ってしまいかねない。
それでは本来の犯人の証拠を見落とすことにも繋がるため、庵は敢えて犯人が分かっている素振りは見せず、「怨獣討伐で回収した物が消えたから、何か手掛かりがないか探してほしい」と言ったのだ。
「日本語って難しい……」
「あはは。ひとつ言わないだけで意味は違うからね。まぁ、『手掛かりを探す』ってなると犯人の手掛かりを探すことにもなるし、あの言葉だけで犯人が分かっていると思ってたらそれはそれですごいけど」
隼人が再び溜め息を吐いたのを見て、庵は楽しげに笑う
紛らわしい言い方をしたのは庵も承知の上だ。だが、互いを疑うようになれば相手に隙を突かれて惨事を招きかねない。
庵が「犯人は外部の者」という姿勢を取っていれば、少なからず役員同士の疑惑の目は薄らぐはずだ。
事実を知った隼人は、気になっていたことも答えが聞けるかもしれない、と問いかけた。
「庵さん。あの欠片って、何なんですか?」
「え?」
「庵さん達、怨獣が出ると積極的にそこに向かってるっぽいですし、あの欠片だって、本来だったら早々に治安部隊に届けたっていい物じゃないですか」
治安部隊への報告は怨獣の発生のみだ。欠片についてはうまく誤魔化して報告にいれていない。また、治安部隊から欠片を引き渡すよう言われた際も、庵は渋々応じていた。
隼人の質問に、透真は庵へと視線を向ける。
「どうするんだ」と問う視線に、庵は小さく息を吐いてから言った。
「あれは、ある組織の研究で造られた
「研究?」
研究は表沙汰にはされていないことだろう。
庵の表情はどこか苦々しく、まるで忌み物を口にするかのようだった。
基獣を怨獣へと変えるほどの欠片。それを造り上げた組織の存在。
知らなかった事実が明るみになり、隼人の中で今まで疑問に思っていたことと繋がってきた。
「それが、庵さんが追っているものと繋がってるんですね?」
「んー……そうだね」
「庵さんは、組織を探しているんですか?」
組織が欠片を造っているのなら、怨獣を再び発生させてしまう可能性がある。
だからこそ、庵は治安部隊とは別で動いているのかと思ったが、彼はゆっくりと首を左右に振った。
「いや、組織自体は既に解体されているから、探しても見つからないよ」
「じゃあ、何を探しているんですか?」
組織ではないとしたら。答えはぼんやりと見えているが、庵の場合は彼からはっきり聞かないと微妙に違っていることが多い。先の犯人の証拠探しの件同様に。
しかし、庵は壁に掛けられた時計を一瞥すると、綺麗に笑みを浮かべた。
「それについてはまた時を改めようか。ほら、もう昼休みが終わっちゃうよ」
「庵さん」
「ごめんね。でも、これ以上、巻き込む人を増やすわけにはいかないんだ」
「…………」
はぐらかす庵に追究すれば、次は明確な拒否で返された。こうなってしまっては何も聞けない。
もどかしさに渋面を作る隼人を見て、庵は小さく息を吐いてから透真を見て言う。
「もし、答えが見つけられなかったら、全部片がついてから透真に聞くといい」
「俺かよ」
「僕がいなかったら、ね」
「え?」
「あ。ほらほら、予鈴まであと少しだよ。鍵を締めるから出て」
すべてが解決したとき、庵はいないのか。
何故、そんなことを言うのかと問う前に、庵に生徒会室を出るよう促され、隼人は渋々先に教室に帰ることにした。話さない姿勢の庵からは何も聞けないと、中等部の頃から学んで知っている。
他の役員には、透真が連絡アプリを使って「各自、報告は放課後に。遅れないよう教室に戻ってくれ」と送っているため、鍵を締めても問題はない。
戸締まりをする庵に、透真は先ほどの発言について念を押しておくことにした。
「さっきの、お前がいない場合だが」
「うん。お願いね」
「万が一にもありえんから、お前から説明する覚悟はしておけ」
「……わぁ、頼もしいね」
はっきりと断言してみせた透真に思わず苦笑が零れた。
結末がどうなるかは庵にも分からない。しかし、望む方向に進めばいいと思った。
□■□■□
(結局、俺はまだまだ庵さんに信頼されてないってことかー。ある程度は話してくれたし、信用はされてるんだろうけど)
教室に帰るために一階の渡り廊下を歩いていた隼人は内心でぼやく。
庵は他人を一定距離から内側には近づけさせない。付き合いが長い透真は内側に入れている一人だが、自分はまだその段階には到達できていないようだ。
分かってはいたが、改めて実感すると落胆が大きい。
深い溜め息を吐くと、後ろから背中を軽く叩かれた。
「辛気臭い溜め息吐いちゃって、どうしたの?」
「珠妃先輩……」
後ろからやって来たのは、外回りに出ていた珠妃だ。透真の連絡を受け、彼女も直接教室に帰っている途中だった。
彼女の実力は定かではないが、生徒会役員である以上は相応の力を持っているのだろう。また、他の役員よりも庵と話す姿も見ている。
「うー……。俺も早く庵さんに認めてもらいたい……」
「御巫会長? 何かあったの?」
突然、そんなことを言われれば何事かと思うのは当然の流れだ。
珠妃なら何か知っているだろうか。姉御肌気質なのか、彼女は色々と相談を受けることも多いと聞く。
庵も例に従って話すことはないだろうか、と隼人は恐る恐る訊ねてみることにした。
「……珠妃先輩は、庵さんが追っているものについて知ってますか?」
「会長が追っているもの?」
「どうも、あの欠片が絡んでいるっぽいんですけど、詳しいことは教えてくれなくて、俺はまだ信頼されてないのかなぁ……なんて」
言いながら恥ずかしくなり、誤魔化すように笑みを浮かべた。
だが、珠妃に視線を移したとき、何故か彼女の顔からは感情が消えており、隼人は思わず息を止めてしまった。
「そう。残念だけど、あたしもそこまでは聞かされてないよ」
「……そ、すか。あ、あれですかね。庵さん、秘密主義とかだったりするんですかねー」
一瞬、理由は分からないが身の危険を感じて、隼人は早く話題を終わらせようと吃りながらも口早に言った。
一階の渡り廊下は壁がなく、中庭と繋がる造りになっている。近くには噴水もあるせいか、ひんやりとした風が吹き抜けた。
じゃり、と靴の下で砂が擦れて音を立てる。
珠妃が一歩踏み出したのに合わせて、隼人は一歩引いた。
「気になるなら教えてあげようか?」
「え?」
「あの欠片が、どういったものか」
「……い、いや――」
珠妃はポケットに手を入れ、口元に笑みを浮かべる。ポケットの中でかさりと乾いた音が聞こえた。
庵が追っているものについては知らないと言った割に、それと繋がる物については知っているのか。
だが、その先を聞いてはいけない気がして、隼人は困ったように笑みを浮かべながら断ろうとしたときだった。
突然、校内に異常を知らせる電子音が響き渡り、東の方で大きな破砕音が上がる。まるで高校の敷地を囲う壁に車でも激突したかのような音だ。
「な、何事!?」
「この警報……怨獣が侵入したみたいだね」
「また!?」
先日の怨獣騒動以降、学校の結界は強められたはずだ。また、怨獣が現れた際の警報音も修正されている。
ただ、滅多に聞くものではないせいか、中庭や校舎にいた生徒達に同様が走っているのが見て取れた。
「この前は夜だったからまだ良かったけど、これ、生徒も避難させなきゃいけないんじゃ……」
「そうだね。怨獣は然るべき人達に任せるとして、あたし達は生徒が外に出ないよう見張りましょう」
「……はい!」
珠妃には先ほど感じた危険な雰囲気はない。
隼人は自分の思い過ごしか、と自己完結させると、生徒を誘導するべく中庭に足を向ける。
その隼人に、珠妃はポケットから何かを取り出して手渡した。
「とりあえず、お疲れの隼人君にはこれをあげる」
「え?」
反射的に差し出した手のひらに、ころんと小さなビニール袋が転がり落ちた。
中に何かが入っているようだが、避難誘導を考えていた隼人はそれが何か理解が追いつかず、怪訝な顔で訊ねる。
「……なんすか、これ?」
「飴」
「このタイミングで!?」
果たして、これは今渡すべきものだろうか。
驚く隼人をよそに、珠妃はあっさりといつもの調子で後ろ手を振りながら校舎に向かって行った。
「じゃ、頑張ろうか」
「ええ……」
今一つ、彼女の考えが分からない。
だが、捨てるわけにもいかず、隼人は飴をポケットに入れると中庭に踏み出す。
「全員、急いで校舎に避難してください! 危ないんで、指示があるまで出ないように!」
中庭にいた生徒はそう多くはない。だが、死角に残っていないかを確認するため、隼人はコンも顕現させて見回っておくことにした。
南館を挟んだグラウンドから上がった猛獣の咆哮が、辺りの空気を揺らした。
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