第4話 形見
九曜高校は、各学年の教室からグラウンドを一望することができる。さらに、教室の窓際ともなれば、授業中であっても容易に窓の外を眺めることも可能だ。
その三年の教室で、まさに窓際、それも一番後ろに座る女子生徒は、ふと見下ろした先にいた姿に興味を持った。
グラウンドの片隅で話をするのは、この学校でちょっとした有名人である有栖とその幼馴染である恭夜。その視線の先には暗い表情の小虎がいた。
(何事……?)
小虎はこの学校によく遊びに来ている姿を見かけるが、暗い表情だったことはほとんどない。
教師の目を盗み、自身の基獣をこっそりと向かわせれば、何が起こっているのかは分かった。
(――へぇ。ご主人様がねぇ……)
小虎の主人は以前から体調を崩し気味だった。それが災いしたようだ。
急いで戻ろうとする小虎の言葉を聞いて、ブレザーのポケットに入れているピルケースをこっそり取り出す。
教師に見えないように机の影に隠しつつ蓋を開ければ、中には色とりどりのガラスの欠片がいくつか入っていた。
(うん。ちょうど良いのがあるね)
目的の物を見つけた彼女は口には出さずに内心で頷き、ピルケースを閉じてポケットに入れる。
ガラスの欠片がぶつかり合って乾いた音を微かに立てたが、話をしている教師の耳には届かなかったようだ。
黒板の左上にある時計を見れば、授業が終わるまであと十分と少し。
校外に出るための適当な言い訳を考えながら、授業へと意識を戻した。
◇ ◆ ◇ ◆
有栖と話して正解だった、と小虎は自宅へと走りながら思った。
受け入れたくない現実に直面して、危うく大事な約束を蔑ろにしてしまうところだったのだ。
(おばあの魂はあらへんけど、体はそこにある。そんなら、最後まで側におらないかんやん! おいらのアホ!)
息が上がるのも気にせずに走り続ける。
幸い、自宅は学校の近所にあるため、着くまでにそう時間は掛からなかった。ただ、自宅を出てからは病院や町中を走っていたため、果たして祥子が変わらずにいるかは分からない。
忠義のときはどうだったか、と記憶の奥深くを探りつつ、見えてきた自宅の屋根に小さく安堵する。庭には見慣れない黒い車があったが、今は気にしていられない。
開かれたままの玄関を潜り、いつもの倍以上はある靴を飛び越えて上がる。左右に分かれた廊下を左に進み、最初の部屋に身を滑り込ませた。
『おばあ! 帰ってきたで!』
「小虎! どこに行ってたんだ?」
部屋に入ってすぐに声を上げれば、博人が軽く叱るように言って小虎の前に膝をつく。
優しく抱き上げてくれた彼に、小虎は先ほどまでいた場所や有栖と話したことを言う前に横になっているはずの祥子へと視線を向けた。
『あんな、おいら、お雪と話してて大事な約束思い出し……え?』
確かに、祥子は変わらずに寝ていた。ただし、布団の上ではなく、木で作られた長方形の箱の中で、だ。
愕然とする小虎を博人は側にやって来た恵に渡す。
抱かれ方の変化で我に返った小虎は、慌てて恵の腕から逃れようと暴れながら抗議の声を上げた。
『何してるん!? やめて! おばあをそんな狭いとこ入れんといて!』
「ちょ、小虎! 落ち着いて! まだあとで会えるから。ね?」
『嫌や! 離して!』
恵が宥めようとするも、小虎は逆に暴れて今にも腕から抜け出そうだ。
その間に祥子が入れられた箱……棺に蓋が被せられ、博人を含む数人の男性達が持ち上げて家の外に運び出す。
棺を外に停まっていた車に乗せ、祥子の兄弟も乗り込むと、車はゆっくりと動き出した。
玄関で見ていた小虎は、置いていかれまいと渾身の力で恵の腕を押す。
『おいら、最後までおばあの側におるって約束したんや! せやから離して!』
「あっ!」
車が出たことで力は多少緩んでいたため、最初よりも簡単に抜け出ることができた。
小虎は車を見失わないよう、全速力で地を蹴った。
しかし、相手は時速およそ五十キロの車。かたや小虎は自身の足だ。必死に走っても限度はある。
『はぁっ、はぁっ……っ、待って……! そこの車、はぁっ、停まって……! ……え、おわぁっ!?』
角を曲がった車を追い、小虎も遅れて角を曲がる。
だが、曲がった先にいた人物とぶつかりそうになり、小虎は慌てて急ブレーキをかけた。
『はぁはぁ……。か、堪忍な……おいら、あ! 車!』
息が整わないまま相手に謝罪するも、途中で車の存在を思い出してすぐに視線を正面に向ける。
しかし、車はまたどこかの角を曲がったのか、既に見えなくなっていた。
小虎は正面を見たままその場にへたり込んだ。
『あかん……。おいら、約束……ああ、どないしよう……』
「小虎。落ちついて。多分、まだ大丈夫だと思うから」
『え? ……あ、折り紙のねーちゃん?』
困惑する小虎に優しく声を掛けたのは、ぶつかりそうになった相手……制服姿のままの珠妃だった。
珠妃は小虎の首が辛くならないように目の前にしゃがんだ。そして、「『折笠』ね」と名前の間違えを訂正しつつ、先ほど見かけた小虎が追っているであろう車と進行方向を脳内で照らし合わせる。確か、車が向かった方向には葬儀会館があったはずだと。
『大丈夫って? おいらな、おばあと最後のときは側におるって約束したんや。おじいにも、おばあのこと頼んだって言われてるんよ。それ守らな、また二人に会うたときにどんな顔すればええか分からへん……』
「えっとね。多分、小虎のご主人は皆でお別れできる広い場所に行っただけだと思う。だから、家族の人と一緒に後でそこに行くはずだろうけど、特に言われなかったの?」
『……ねーちゃんがそないなこと言うてた気がする』
「ね? だから、そう慌てなくて大丈夫。まぁ、ずっとくっついてたい気持ちは分かるけどね」
そこで漸く、恵に抱かれていたときに彼女が「まだあとで会えるから」と言っていた意味が分かった。そもそも、あの時は側にいることに必死であまり周りの声が聞こえていなかったのだ。
帰って謝ろう、と小虎はすぐに立ち上がった。
『ねーちゃん、おおきに! おいら、すぐ帰って謝ってくるわ!』
「あ、待って」
『なんかあるん? というか、ねーちゃん、学校は? お雪はまだ学校おった気がするけど……』
呼び止めた珠妃に小虎は足を止めて振り返る。
改めて珠妃を見れば、彼女は制服姿だ。そして、先ほど小虎が学校に行ったとき、有栖は授業を受けていた。ならば、珠妃も授業中ではないのだろうか。
ここにいていいのか、と言外に問う小虎に、珠妃はさらりと答えた。
「昼休みだからね。生徒会役員は見回りで出ることもあるんだよ。今は怨獣は出てないけど、ちょっと盗難があってね」
『何か盗まれたん?』
早く帰ろうとしていたはずだが、小虎は元来の好奇心の強さからか小首を傾げる。
ただ、盗まれた物に関してはそう易々と口にはできないため、珠妃は苦笑を浮かべて小虎の頭を撫でた。
「呼び止めておいてあれだけど、詳しくは言えないんだ。ごめんね」
『そうなん? まぁ、しゃあないけど……』
「で、呼び止めたのは、小虎にこれを渡しておかないといけなくて」
『何なん、これ? キラキラしてて綺麗やけど……』
珠妃は制服のポケットから何かを取り出し、小虎の鼻先でそれを見せた。
手のひらに乗っているのは、小指の先ほどの小さなガラスの欠片だ。水色のそれは太陽の光を反射して輝いている。角がなく丸みを帯びているため、持っていても切れる心配はない。
訝る小虎を珠妃は安心させるために小さく微笑んで言った。
「この間、別件で病院に行ってたんだけどね、その時、たまたま小虎のご主人に会ったんだよ」
『おばあに?』
「うん。制服だったから九曜の生徒って分かったみたいで、小虎のことも知ってるか聞かれたよ。それで、もし自分に何かあったら、これを小虎に渡してほしいって」
『おばあがおいらに?』
小虎は何度か病院に行って祥子に会っているが、そんな話は一度もなかった。
何故、それらしきことを話してくれなかったのかとますます訝る小虎に、珠妃は「そんなこと言ったら、きっと怒って受け取らないでしょ」と最もな事を言う。
祥子は小虎の性格を分かった上で、形見とも言える物を他の人に託したという事か。
それならば受け取っておいて問題はないはずだが、どうにも何かが引っ掛かるのだ。
一向に受け取る気配のない小虎を見て、珠妃はガラスの欠片を小虎の足元に置いて立ち上がった。
「それじゃあ、あたしは見回りに戻るから。またね」
『え? あ、うん。おおきに』
ガラスを見つめたままだった小虎は、珠妃が去って行く背中を見送る。
それが小さくなった頃、再び目の前に置かれたガラスの欠片を見下ろした。
祥子はこんな物を持っていただろうか。彼女が嫁いできた頃から知っているが、こんな欠片は見たことがない。また、持っていたならばついているはずの彼女の匂いもなかった。
宝石のような欠片は何か惹かれるものはあるが、本能が小さく危険を知らせているのだ。
『おばあ……』
欠片を見ていると、何故か胸が苦しくなった。祥子が忠義とどこかへ行く夢を見たときと同じ感覚だ。
祥子の遺した物だからこそ、こんな気持ちになるのだろうか。しかし、もう答えを教えてくれる人はいない。
「にゃあ」
『小幸……』
今まで姿を見せていなかった小幸がやって来た。家にいるのが辛かったのだろう。小虎を見ると安堵の表情を浮かべた。
祥子に小幸を守るのは自分しかいないと言われたが、自分は祥子がいなければ何も分からない。
これからどうすればいいのかと、小幸から欠片へと視線を戻して問うも、当然ながら答えはなかった。
『おいら、おばあがおらな辛いわ……』
無意識の内に出た言葉。
小幸は小虎の顔色を窺おうと、姿勢を低くしながら歩み寄って覗き込む。
その時、小虎の前にあった水色のガラス片が眩い輝きを放った。
「ふにゃっ!?」
咄嗟に後ろに跳んで欠片から離れるも、小虎にはそんな余裕はなかったようだ。
ガラスの欠片は独りでに宙に浮くと、俯いたままの小虎の額に溶け込んでいった。
欠片が放っていた光が小虎に移ったのか、小虎の全身が光に包まれ、徐々にその輪郭を変えていく。
「にゃ、にゃああ……」
徐々に大きさを増す小虎の影に、小幸は怯みながらも押し潰される前に地を蹴った。
自身が頼れる、唯一の人の元に向かうために。
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