二章 想いの結晶
第1話 九十九
気がついたら、おいらは“そこ”におった。
目の前には、おいらをきらきらした目で見てくるちっちゃい男の子がおったんや。
その子はおいらの頭を軽く叩いては上下左右に動く頭に笑って、飽きもせんと何度も繰り返しとった。
――おいらの首、取れてしまわんかいな。
そんな不安がこいつに伝わるはずもなく、しばらくは男の子の遊び相手になっとった。
ただ、月日が流れるにつれてだんだんとおいらで遊ぶこともなくなって、男の子は大きくなって、立派な……おいらを連れて帰ったにーちゃんよりもちょっと若いけど、そんくらいのときやった。
家に、見たこともないキレーなねーちゃんがきたんや。
「あら、立派な張子の虎。大事にされてきたのねぇ」
ねーちゃんは優しい笑顔でそう言って、おいらの頭を軽く突いた。
久しぶりやったから変な音したけど、おいらはそう簡単には壊れへんからな! 手入れは……毎日やないけど、埃がついたら払ってくれよったし!
それから、毎日ねーちゃんは家におって、しばらくしたらお腹が大きくなったんや。
――ねーちゃん、太ったんかいな? にーちゃんは機嫌良さそうやけど、ねーちゃんのお腹に耳当てて何しよんやろ?
不思議な光景やった。
でも、見てて気分のええもんやったから、そのまま二人で仲良くやってくれとったらええなって思った。
そしたら、ある日突然、ねーちゃんが倒れて家に帰ってこんくなってしもた。
――どないしたんやろ……。なんかあったんかいな……。
不安で不安で、自分が張子であることを不自由に思ったとき、漸くねーちゃんが帰って来た。
両腕で大事そうになんか抱えとって、ちょっと遅れて来たにーちゃんは気持ち悪い笑顔でねーちゃんが抱えとるもんを見とった。
それが人間の子供……それも産まれたばっかりやっていうのは、言われんでもなんとなく分かった。
小さい頃のにーちゃんを知っとるからな!
「この子が安産だったのは、張子のおかげもあるかしら」
「俺もずっと一緒に過ごしてきてるしな。今度はこの子の成長を見守ってもらおう」
任しとき! って頷きたかったけど、おいらは誰かが触らんと動けんからな。ぐっと堪えて、ただただ、にーちゃんの大事な物をおいらも守りたいって思った。
そんなこんなで、にーちゃんとねーちゃんの子供も大きくなって、子供の子供が産まれて、にーちゃんとねーちゃんは「おじい」と「おばあ」になって、家に招き猫置いたかと思ったらなんや小さい子が来ることが増えてきたんや。
――それでも、二人はおいらのことを大事にしてくれる。でも、おいらはただここで首を振るしか返すもんがない。
一応、『無病息災』とか、『厄除け』とか、『子供の成長祈願』とかいろいろあるけど、おいらがなんかしたか言うたら……まぁ、たまーに見かけた、なんや嫌ーな感じのする黒い塊を追い払ったくらいかなぁ。
――なぁ、どうやったらおじいとおばあにお返しできるんかなぁ?
思いきって、ちょっと離れた位置にある棚の上におる招き猫に聞いてみた。
けど、招き猫からの返事はなーんもなし。
――なんや、お前、まだ新しいんか。
声が聞こえてこんっちゅーことは、こいつはまだ出来たばっかりや。
おいらも出来てから随分してからおじいのとこ来たし、それまでは寝てる感じやったしな。
――あーあ。おいらも、おじいとおばあと話してみたいなぁ。
聞いた話やと、時期がきたらおいらも体を持てるかもしれへんらしいけど、それまで大事に大事に持ち続けて貰わんといかんみたい。それって何時になるんやろか。
遠目におじいとおばあと話す子供を見てたら、体がむず痒くなってきた……気がした。
そしたら、子供の一人、えらい可愛らしい嬢ちゃんがおいらを見て不思議そうな顔をしとった。
「あの虎さん、寂しそう……」
「……え」
「おやおや。分かるのかい?」
「なんと、なく?」
驚いた。そんなこと言う子は初めてやった。
そしたら、おばあが気ぃきかしてくれて、その日からおいらは招き猫の隣におるようになったんや。
おじいとおばあは『お菓子』っちゅーもんを売っとって、ぎょーさん子供が買いに来るんやって。
招き猫の隣でその様子を見るんは……ええと、人間で言うたら『楽しい』っていう気持ちやったと思う。相変わらず、招き猫は喋らへんかったけどな。
けど、楽しさに浮かれてたんやろなぁ。
まさか、今まで追い払ってた黒い塊が、家の奥に入り込んでたとは思わんかったんや。
そして、それがおじいに悪戯をしたせいで、おじいは倒れてしもて、家に帰ってこんくなってしもた。
――おいらが、おいらがちゃんと守れてへんかったから……。
浮かれてる場合やなかった。場所は変わっても黒いのが来たら分かるんやから、気をつけてたら良かったんや。
毎日のようにおじいの所に通うおばあは、やっぱり家のこともあるし疲れとった。
店も畳んでしもーて、子供達が来ることもなくなった。たまに、あの嬢ちゃんと男の子は来てたけどな。
おじいは何時になったら帰って来れるんかなってずっと考えてたとき、不思議なことに、目の前におじいが来たんや。
――あれ? おじい、帰ってきたん!?
――おやおや、張子が喋った。……そうか。お前にもう魂が宿れるほどに月日は流れてたんだな。
――おじい、おいらの声が聞こえるん!?
まさか言葉が返ってくるとは思ってなかったけん、びっくりした。
おじいの体はどことなくぼやけてて、ちょっと光ってるように見えるけど……あれ? おいら、寝てるんかいな? これは『夢』っちゅーやつか?
でも、おじいはおいらの言葉にはっきりと頷いた。
――ああ。ただ、あまり時間はないと思うから、手短に言おうか。
――なんかあるん? おばあ、心配しとるよ。
毎日のように行ってたら分かるやろうけど、それでも伝えておきたいって思った。
そしたら、おじいはおいらの頭を撫でると、優しい笑顔を浮かべた。
――俺の命は、もう長くない。だから、もし、俺が死んでしまったら、あいつのことを頼んだぞ。
――あいつ? あいつって誰?
――お前の呼ぶ『おばあ』だな。
――おばあ……。……えっ? おじいは!?
任されるんはええけど、なんでおじいはおらんのや? 死ぬってどういうことなん?
よう分からんくておじいの答えを早く聞きたかった。
そしたら、おじいは笑顔をちょっとだけ歪めたんや。
――俺はな、昔に無茶をしたのが響いたらしいんだ。だから、年老いてから負けてしまった。
――負けた?
――頼んだぞ。男と男の約束は絶対だからな。
――わ、分かった。んー……分かったと思う!
――ははっ。なぁに、難しいことじゃない。ただ、俺の代わりにあいつの側にいてほしい。いつか、あいつが俺の所に来るまでは。
おじいはそう言うと、おいらの頭をくしゃくしゃっと撫でた。
首がもげるけんやめて! って言おうとしたけど、それは何時もと違う感覚に気づいたら出んかった。
『あ、あれ? おいら……体ある!? え!? なんで!? え!? お、おいらの首、隙間なく繋がっとる! 紙やなくなっとる! うわぁ……うわぁ! 自由に動ける!』
ぺたぺたと体を触ったり、棚から降りて畳に転がってみたりした。感触は初めてのもんばっかりで、どれもが新鮮やった。
そんなおいらに掛けられた声はおじいのもんやなくて、いつの間にか部屋に来たおばあのもんやった。
おじいの姿は、もうどこにもなかったんや。
「あらあら、張子が九十九になったわ」
『……ど、どうも! お世話になっとります! 張子の虎やで!』
畳に転がってるおいらを、おばあは驚いた目で見てた。
おばあの肩には基獣の鶯がおって、おいらの頭に飛び移ると「ピィッ」って鳴いた。それが、「よろしく」って言うてるようで、おいらは胸の辺りがむず痒くなりながらも「よろしゅう!」と返す。
それから、おばあがおいらに「小虎」って名前をつけてくれて、おばあと鶯とおいらとの三人での生活が始まった。まぁ、少ししたら、おじいも「たーいん」できたんやけどな。
ただ、あの時部屋におったはずのおじいは、おいらと会うと「初めまして」って言うたんや。
会ったことあるやん? って言うたら、「張子のときには会ったけど、具現化してからは初めてだな」って言われたんや。なんやろな?
おじいも帰って来て、これでまた前みたいに暮らせるんやって思ったのに、おじいとの生活はそう長くは続かんかったんや。
ある朝、おじいの様子がおかしいなって、おばあも顔色変えてどっかに電話したかと思ったら、いろんな人が家にやって来た。
おじいはどこかに連れてかれるし、ちょっとして帰って来たと思ったら、おじいは真っ白い服着て寝てたんや。
『おじい! お寝坊さんやなぁ! こんなようけ人おるのに、なんでまだ寝てるん?』
おじいが寝てる布団の所に行って呼び掛けても、おじいが目を覚ますことはなかった。試しに頬を触ってみたら、えらい冷たかったんや。
そんなおいらを、おばあが後ろから抱き上げて、「悪戯したら駄目よ」と軽く叱ってきた。
『なぁ、おばあ。おじい、どないしたん?』
「……おじいちゃんはね、遠い所に行ったのよ」
『ここおるやん』
起きんけど、おじいは間違いなくそこにおる。
やのに、周りの人はみーんな、おじいの近くで泣いとる。
ただ、おばあはいつもと変わらんかった。おいらを抱っこしたままおじいの側に座って、寝てるおじいを見てた。
「そうねぇ。『魂』だけが行ってるからね」
『魂だけ? んー……おいらの逆みたいになったん?』
「ふふっ。小虎にはちょっと難しいかしら」
『むー……よう分からんわぁ』
「ごめんね。でも、これだけは覚えていて」
おばあの笑った顔は、どことなくいつもと違う気がして居心地悪い。
よくよく見たら、おばあは目がちょっと赤くなっとった。
「おじいちゃんとは、もう会えなくなるの。そして、私も……いずれは同じところに行くの」
『おばあも?』
「ええ。そのときは、こうして側にいてちょうだいね?」
『おいらは? おいらは一緒に行けんの? おじいにな、「おばあのこと頼んだ」って言われたんや。男と男の約束は守らんかったら、おいら、おじいに怒られてまう……』
おいらだけ置いて行かれたくなくて、胸がぎゅーっと苦しくなって、おばあの顔を覗きこんで言う。
そしたら、おばあは驚いた顔したあと、目から涙を流しながら笑ったんや。
「そうねぇ。小虎が守りたい、一緒にいたいと思える人がいたなら、来ては駄目よ?」
『そんなぁ……』
「でも、生きていたら、いつかまた会えるわ」
『また会えるん?』
それは何時になるんやろか。
明日? 明後日? 一週間後?
おいらの言葉に、おばあはまた笑った。もっともっと掛かるんやって、なんとなく分かったんやけど、そんくらいはよ会いたかったんや。
「この国には、たくさんの魂が廻る“流れ”があるの。そこに乗って、また時期が来たらいろんなものに変わるのよ。誰かの基獣だとか、小虎みたいに物に宿ったり」
『へぇー。そしたら、おじいはおいらみたいになるかもしれへんの?』
そうなったら、おいらがいろいろ教えてあげないかんかな? だって、おばあの言うとおりやったら、おいらも元々は人間とか動物とかやったってことやけど、その時のことは一つも覚えてへんし。
「きっとね。だから、今はおじいちゃんを見送ってあげましょう? 『またね』って」
『分かった! それまで、おいらはおじいの代わりにおばあのこと守ったる!』
「……ふふ。ありがとう。……ありがとう、小虎」
そう言っておいらをぎゅーっと抱き締めてくれたおばあは、なんでか声が震えとったんや。
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