第3話 希望の種
「砂糖菓子をそのまま食べた気分」
「なんかごめん」
教室に戻った有栖は、課題をしながら待ってくれていた凛に事の一部始終を話した。
玄関での事は話さないでおこうと思ったのだが、教室にやって来た女子生徒の問い詰めにより発覚し説明をした結果、冒頭に至る。
険しい顔をしていた凛は深い溜め息を吐くと、女子生徒達に「別にこの子と先輩の間には何もないから、安心してお帰り」と言って彼女達を解散させた。
「あんた、ホントに先輩と関わりはなかったの?」
「な、ないよ! だから、私もびっくりしてる」
「高校に上がらせてもらえるのはありがたいけどさ、裏がありそうで怖い」
「うん……。なんで私にそこまで期待してくれてるんだろうって、聞きながら思ったよ」
関わりがなかったからこそ、庵が何故有栖に目をつけたのかが分からない。基獣を具現化していない生徒は何も有栖だけではない。高校にもいるなら、彼らにも同様に期待の目を向けているのかと思えばそういった節もなかった。
庵に得のない話だからこそ、尚更なにかに巻き込まれるのではと疑ってしまう。
「けど、庵さんは元々人を見る目はあるし、御雪ちゃんに目をつけたってことは相応の何かはあるんだろうね」
「期待に応えられなかったらどうしよう……」
「そんときはそんときじゃない? 俺も生徒会に入ったの庵さんに声を掛けられてだけど、特に期待に応えたつもりはないし、気楽に行ったほういいんじゃね?」
「うん……。……うん?」
「俺」だの「生徒会」だのと単語が聞こえたところで、漸く有栖は違和感に気づいて首を傾げた。
今、会話をしていたのは誰だ。
目の前には凛しかいないが、彼女は何も言っていない。ただ、隣をじと目で見ているが。
凛の視線の先を追い視界に入ったのは、未だ話を続ける隼人の姿。前後の席に座って話す有栖と凛の横で、イスに反対向きで座っている。
「まぁ、単に御雪ちゃんに一目惚れとか? あの散々女子を振ってきた庵さんにもついに春が?」
「「…………」」
「……なに?」
二人からの視線を浴びて、さすがの隼人も言葉を止めた。
いつの間に入ってきたのか、それは凛すらも分からないようだ。
入っているのがさも当然と言わんばかりの隼人の頬に、凛はシャーペンのノック側を押しつけながら言う。
「『なに?』じゃない。なんでいるの」
「生徒会終わったからですやめてぐりぐりするのやめて」
芯側ではないため、怪我の心配はほとんどないにしろ地味に痛い。
凛の手首を掴んでシャーペンから逃れると、隼人は頬をさすりながら有栖に向き直った。
「いやー、びっくりした。生徒がすごい騒いでるから何事かと思ったらさ、庵さんいるじゃん? 現会長の顔真っ青だったぜ。『俺、何かしたかな』って」
「先代に気後れしてんじゃないわよ……」
庵が中学を卒業後、もちろん、新しい生徒会長が就任している。ただ、先代である庵の後任ともなれば比較されやすい分、出来る人であっても自信を失ってしまう。
当初は隼人が生徒会長に、という話も出ていたが、それは本人が全力で拒否をして副会長の座に収まっている。
呆れる凛に対し、隼人は「まぁ、現会長は穏やかで周りをよく見れるから、会長できてるんだけどな」とフォローを入れつつスマホを取り出した。
誰かと連絡を取っているのか操作を続ける隼人に凛が訊ねる。
「あんたさ、先輩に何か聞いてないの?」
「何が?」
「雪を推薦する理由」
「えっ。御雪ちゃんと一緒に高校行きたくないの?」
茶化しなどではなく、心底驚いたように言う隼人は質問の意図を理解していない。
基獣などの事に関しては恐らく学年一位の隼人だが、たまに何かが抜けている。基獣に関して優れている者が会長となる風潮がある中、彼が生徒会長を避けて周りも受け入れたのはそれがあるからだ。
凛は深い溜め息を吐くと、出していたシャーペンの芯を引っ込めた。
「行きたいに決まってんでしょ画面割るわよ」
「やめて! 先週、コンにやられて補償で変えたばっかなのに! これないと困るんだって!」
シャーペンの芯側を構えてみせれば、隼人はさっとスマホを両手で覆った。
最も、スマホを大事にしているなら、何故、自身の鏡とも言える基獣に傷つけられているのか疑問だが。
「なんで基獣に割られてんの?」
「いや、俺がスマホを落として、そこにコンが着地した」
「何そのミラクル」
「マジかよって思った。親には怒られるし、小遣いしばらく半分だって言われるし……」
主人の抜けているところが同じなのはさすがだが、起こした悲劇を考えると余計だった。
うなだれる隼人にかけてやれる良い言葉が思い浮かばず、有栖はどうしたらいいかと凛に視線で助けを求める。
すると、凛は小さく溜め息を吐いてからあっさりと話を変えた。
「で、話は戻すけど、先輩は何か言ってなかったの?」
「ホントに何も聞いてな――あー……いや、ごめん」
いきなり話を切り替えても大丈夫かと一瞬不安になるも、意外にも隼人はすんなりとその流れを受け入れていた。終わったことだと、彼の中である程度区切りはついているのだろう。
隼人は庵との会話で有栖について何か言っていただろうかと思い返す。
最初こそすぐには出てこなかったものの、やがて思い出したのは、庵から「君のクラスの基獣がいない子ってどんな子?」と訊かれたところだった。
「実は、前から御雪ちゃんの事は聞かれてたんだ」
「えっ」
まさか話題に上げられていたとは思わず、有栖の思考が一瞬止まった。
やや体を強張らせた有栖を見て、隼人もすぐにそれを解すように言う。
「でも、何で訊いてきたかは俺も知らないよ? これはホント。ただ、『同じクラスの基獣がいない子って親しい?』って訊かれて、あとはどんな子かってのを話したくらい」
「怪しい」
「…………」
何の関係もない子の事を、特に理由もないのに詮索するだろうか。利用価値の有無なら、周りには優秀な生徒会役員がいる。
ますます警戒の色を濃くさせた二人を見かねてか、隼人は小さく息を吐いた。
「まぁ、庵さんはちょっと掴み所がないっていうか、真意が分かりにくい人だけど、根は悪い人じゃない。だから、御雪ちゃんは素直に受け取って、もっと自信持っていいんだぜ?」
「う、うん……」
この三人の中では、庵とは一番付き合いが長い隼人が言うのだから間違いはないのだろう。
まだ多少の疑念は残るものの、ここは素直に受け入れるべきだろうか。
有栖が机に視線を落としたのと、教室の外でばたばたと慌ただしい足音が聞こえてきたのはほぼ同時だった。
「有栖!」
「うわ、びっくりした。どうしたんだよ、恭夜」
足音が急に止まったかと思いきや、教室の後ろのドアから入ってきたのは委員会に行っていたはずの恭夜だ。
彼は焦りと不安が混ざった表情で有栖達の元へと歩み寄ると、先ほどあったことを話した。
「さっき、他のクラスの奴から、有栖と御巫先輩ってどんな関係かって訊かれたんだ。一緒に職員室向かってたって」
やはり、庵の登場は瞬く間に学校中に広まったようだ。
いくら中学と高校で生徒が行き来をすることがあるとしても、それが特等位ともなれば存在感は大きく違ってくる。
恭夜はきょとんとする有栖の言葉を待たずに続けて言った。
「学校変えろって言われたか? 学園には居場所はないって」
「え? ま、待って」
「せっかく有栖が進学したいって言ってたのに、あんなのが前に立ったら――いてっ」
「こら」
やや暴走している恭夜を止めたのは、やたらと冷静な表情の隼人だ。どこか怒っているようにも見える。
彼はイスから立って恭夜の額に手刀を軽く落として止めると、呆れ気味に言った。
「ちょっと落ち着け。反対だ反対」
「反対?」
「そ。むしろ、御雪ちゃんの可能性が庵さんには必要だからって、そのまま進学するように言ってきたんだって」
「進、学……?」
望んでいた言葉だが、まさか庵がそのために動いたとは思わず、恭夜は信じられないと言わんばかりの顔で隼人を見返す。
すると、頬杖をついて場の行方を見守っていた凛が口を開いた。
「要は、特等位様から推薦を貰えたってことよ。悪い方向に捉えて早とちりするんじゃないの」
「……そ、うか。ああ、なんだ。そうだったのか」
ようやく恭夜の表情に安堵の色が浮かんだ。
全身から力が抜けた恭夜は近くの席に寄りかかる。隼人から「ホント、御雪ちゃんのことになると周り見えなくなるときあるよな」と呆れ混じりの冷やかしが飛んできたが、構ってやれるほどの余裕はない。
「大丈夫。庵さん、わざわざ他人を落とそうなんて考えないから」
「……俺、あの人苦手」
「得意な人の方が少ないよ」
庵自身もあまり人と深く関わろうとしないのだ。多くの人に囲まれているように見える彼だが、実際はほとんどの人が一定距離から近づけていない。近づこうとしても彼が遠ざけるのだ。
だからこそ、今回の有栖の件に関しては隼人も耳を疑った。
(何を考えてるのかは知らないけど……)
隼人は恭夜と話をする有栖へと視線を移す。
彼女に秘められた可能性とは何なのだろうか。それを明かされていないということは、自分もまだまだ庵に認めてもらえていないのかもしれない。
「諦めるなって言ったの、恭夜だよ」
「あー……そうだな。そうだったな」
恭夜は恭夜で、有栖に進学のことについて話をしたのだろう。
拗ねたように恭夜を見上げる有栖と、気恥ずかしそうに彼女から視線を逸らす恭夜はどこか微笑ましい。
(まぁ、悪い方向には進まないか)
誰かを利用して悪さを企てるような人でないことは間違いない。
小さく微笑んで、隼人は恭夜の肩に腕を回した。
「いやー、これは友人としてもじっとしてられないなー!」
「はぁ? 何がだ?」
「え? 恭夜、庵さんに盗られ――」
「あーあー、分かった分かった。昴と競いたいんだな。表出ろ」
突然のことに怪訝な顔をしていた恭夜も、隼人の言わんとしていることに気づくなりすぐに遮って背中を掴んで廊下へと引きずる。
「え!? そんなこと言ってな――」
「こいつ沈めて帰るぞー」
「ちょっ、なにその不穏な宣言! 俺、負けないからね!?」
ぎゃあぎゃあと騒ぎながら廊下へと出た二人は、そのまま校舎から出るために玄関に向かったのだろう。二人分の声は徐々に遠ざかっていく。
凛は本日何度目かの溜め息を吐いてから席を立った。
「まったく。勝手に基獣を競わせたら怒られるって忘れてるんじゃないでしょうね」
「あはは……。まぁ、本気ではないと思うけど……」
外に行った恭夜は「帰る」と言いつつ鞄を置いて行っている。恐らく、隼人を早々に黙らせてから戻ってくるつもりなのだろうが、鞄を持って二人のもとに行ったほうが早いだろう。
凛は恭夜の鞄を取りに行った有栖を倣い、隼人の鞄を取る。教科書を置いている彼の鞄は自身のよりも随分と軽かった。
(敢えて教科書詰め込んで渡してやろうか……)
「凛ちゃん」
「ん? なに?」
課題に使う分の教科書とノート、筆記用具しかない鞄を見ていた凛に有栖が声を掛ける。
何事かと視線をそちらに移せば、有栖は言葉を選んでいるのか何かを言い掛けては閉じるを繰り返していた。
周りに遠慮することの多い有栖はよく言葉に詰まる。それを知っているからこそ、凛は彼女の言葉を黙って待つ。
やがて、有栖は凛を真っ直ぐに見て言った。
「なんか、すごい展開になっちゃったけど……これからも、一緒にいて、いい、か、な……?」
「…………」
切り出したときははっきりしていた言葉が、だんだんと詰まっていく。
凛は彼女の発言を脳内で反芻し、また溜め息を吐きそうになった。
「今更何言ってるの」
「え」
「言ったでしょ? あたしは雪と友達なんだから、基獣がいるいないは関係ないし、そこに先輩が入ってきたって変わりないから」
「……うん。ありがとう」
基獣がいない人を避けがちな風潮のある今、凛や隼人のような人は比較的珍しい。
だからこそ、有栖も挫けることなくここまでやって来られたのだ。
はっきりと言い切る凛に胸の奥が熱くなるのを感じていると、凛は有栖に背を向け、教室の出入り口に向かって歩きながら言う。
「さて、あの馬鹿二人を早く止めに行かないとね。あたしと雪が進学できてあの二人ができない、なんてことになったら笑えない」
「……そうだね。急ごっか」
冗談めかして言う凛を追いかけ、有栖もそれに乗る。
二人は顔を見合わせると、小さく吹き出して笑い合った。
――翌年、四月。
桜も緑が目立ち始めた暖かいその日は、九曜高校の入学式が行われる予定だった。
エスカレーター組や外部受験による新入生でごった返す正門の辺りを、庵は各学年の教室がある南館と職員室や事務室のある職員棟を繋ぐ渡り廊下から見ていた。
「去年は僕らもこの中にいたんだよね」
「そうだな」
庵は三年の卒業と同時に正式に生徒会長に就任した。また、副会長には彼と最も親しい透真が就くことになった。
入学式の準備でばたばたとしていた二人だったが、庵が「始まる前に自分の目で確認したいことがある」と言ってこの場所にやって来たのだ。
新入生達は正門を入って右手側に設置された掲示板を見ている。そして、各々が喜んだり残念がったりといった反応をしていた。
掲示板に貼り出された用紙にはクラス分けが書かれているため、各生徒で確認してから教室に向かうようになっている。
「えっと……あ、いたいた」
新入生を一人一人確認していく庵は、やがて一人の生徒――有栖の姿で止まる。
庵が推薦をしたとはいえ、結局のところ彼女の努力も必要だ。問題ないとは思っていたが、やはり気になっていた。
ただ、一時間ほど前に見せてもらった新入生の一覧で結果は既に確認済みだ。
何をそこまで案ずる必要があるのかと、透真は深い溜め息を吐く。
「名簿で見たんだし、間違いないだろ」
「うん。そうなんだけど、彼女の様子を見たかったのもあってね」
基獣の具現化に繋がる変化は出ているか、以前より前を向いているか、周りの様子は変わっていないか。気になることは多くあった。
友人と一緒にいる姿を見る限り、やや過保護になりすぎていたようだが。
「大丈夫。あとはしばらく様子を見るよ」
「ああ」
どうなるかは庵にも分からない。しかし、自分の目は間違っていないはずだ。
ふと、ぼんやりと新入生全体を見ていた庵は、視線を感じてその主を探す。
そう迷うことなく視線の主を見つけた直後、相手――有栖も庵と目が合ったことに気づくと小さく頭を下げた。
「すごいな。この距離で気づくなんて」
「…………」
「……庵?」
感心する透真だが、庵は予想していなかった事に処理が追いついていなかった。
呆然とする庵を怪訝に呼べば、はっと我に返った彼は気恥ずかしそうにはにかんだ。
「あはは。本当に、彼女には期待させられるよ」
「まぁ、俺達の気配は消してるしな」
特等位の存在感は他を圧倒する。それは距離を開けていても同じだ。また、今は特等位の次位たる第一位の透真もいる。
新入生達にいらぬ緊張感を持たせまいと、二人は響命力を極力抑えて様子を見ていたのだ。
現に、有栖以外の新入生は誰一人として庵達の方向を見ていない。敢えて気づいていない振りをしているであろう隼人はともかく。
庵は未だこちらを見ている有栖に小さく手を振ると、その場をそっと離れた。
「さぁ、種まきは完了した。あとは芽吹くのを待つだけだ」
「花は手入れを怠ると枯れるぞ?」
「ああ、それは大丈夫」
どんな花も、放置をしすぎると周りに生える草に栄養を取られてしまう。
だが、庵は微塵も心配はしていなかった。
何故なら――
「雑草は、生える前に枯らすからね」
口元に笑みを浮かべてそう言い切った庵に、透真は顔色一つ変えることなく「おー、こわ」と軽くおどけて見せたのだった。
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