第2話 進学への助言
“その人”は突然、中学三年の有栖の教室に現れた。
「御雪有栖ちゃん。ちょっと時間貰っていいかな?」
毛先が肩に少しつくくらいの砂色の髪は指通りが良さそうだ、と有栖は目の前に立つ青年を見て思った。
空色の瞳は有栖を映すとにっこりと人当たりの良い笑みを浮かべた。
周りの女子生徒からの視線が突き刺さる。
なんであの子が、と物語るそれらに有栖は言葉が出ず、隣にいた友人の少女、
「雪。何したの?」
「な、何もしてないよ」
放課後で人が少なくなっているとは言え、決してゼロではない。
まして、目の前にいる青年は、九曜町に住む人ならば一度は必ず耳にしたことがある。
特等位、
最上位である特等位の基主は数が少なく、さらに最年少での具現化を果たした彼は誰もが一目置いている人物だ。
中学では九曜学園の生徒会長を務め、高校へと進学した今も、まだ一年ではあるが早くも次期生徒会長に決まっている。
さらに、穏やかな人柄や端整な顔立ちをしていることもあって、女子生徒からの人気も高い。
そんな彼が一体何の用か、有栖にも皆目見当がつかなかった。
庵は周りの生徒達を一瞥すると、「職員室借りようか」と言って返事も聞かずに歩き出した。
「い、行った方がいいのかな?」
「でしょうね。隼人がいたら事情を問い詰めたいけど、ここにいないってことはあいつも知らないんだろうし」
凛が口にした「隼人」は中学での生徒会役員だ。それも去年は庵と一緒に生徒会にいた。ならば、彼とまともに話ができるだろう。
しかし、残念ながら当の本人はその生徒会に行っていてここにはいない。
庵が来ると知っていれば先に話があるはずだと仮定すると、今回の訪問は庵の独断なのだろう。
迷う有栖に、凛は溜め息を吐きながら「待っててあげるから行っておいで」と言ってあっさりと送り出してくれた。
凛に礼を言って、先を歩いていた庵を追う。ただ、ほぼ初対面である以上、そばを歩くのも気が引け、一定距離を開けて歩く。
すると、彼は突然、足を止めて振り返った。
「そんな怖がらなくても、取って食べたりしないから大丈夫だよ」
「あ、は、はい。すみません……」
可笑しそうに笑う庵は、集会などで見かける生徒会長としての凛とした姿とは違って年相応の青年に見える。
先ほどより距離を詰めて庵の斜め後ろに行くと、彼は「うーん……まぁ、しょうがないか」とどこか妥協の色を見せた。
会話という会話もないまま目的の職員室に着けば、そちらには先に話をしていたのか、初老の男性教師が近づいてきた。
「ああ、庵君か。待ってたよ」
「お邪魔します。奥の席、お借りしてもいいですか?」
職員室の奥には、教師が外来の人と簡易的に話が出来るスペースがある。二人がゆったりと掛けられるソファーが対面して二脚と間にローテーブルがあり、衝立もあるため視線を気にしなくて済む。
すると、男性教師はすんなりと庵の申し出を受け入れた。
「大丈夫だよ。あと、笹原先生は部活に練習メニュー渡しに行ってるけど、すぐに戻ってくると思うから」
「分かりました」
(笹原先生も……?)
笹原は有栖の担任教師だ。
彼は担任に着いた当初は有栖が基獣を具現化できないのを気に掛けてくれていたものの、最近では「基獣がいないなら、進学しても辛いだけかもしれない」と諦めの色を見せている。
その担任を交えて何を話すのだろうかと思いつつ、庵と共にソファーに座って待つ。
何故か向かいではなく隣に座っている庵に緊張しながら、話題も見つからず男性教師が運んできたお茶を飲む。
先に口を開いたのは庵だった。
「幼馴染君は一緒にはいなかったけど、彼は部活?」
「い、いえ、委員会に行ってます」
「ふーん、そう。どちらにしても、タイミング良かったかな」
聞いてきた割にはあまり興味がなさそうな反応だ。
すると、彼は何かを思い出したように小さく声を上げると、スマホを取り出して言う。
「そうだ。これから必要になることもあるだろうから、連絡先を登録しておいてもらえるかな?」
「そう、なんですか……? 分かりました」
何故必要になるのだろうか、と疑問に思いつつ、彼が表示した番号を携帯電話に登録する。
ふと、その番号に見覚えがあり、登録を終えた後、有栖は着信履歴を開いて見る。
昨日の着信のところにあった十一桁の番号は、庵の番号を登録した今は彼の名前に変わっていた。
(昨日の電話、御巫先輩が……?)
番号をどこで知ったのか、何の用があって連絡したのか。
疑問は浮かんでくるが、口に出すことができない。
携帯電話を見たまま不安げな顔をしていた有栖を見た庵は、特に指摘はせずにただ様子を窺っていた。
(手元に置くのはまだ早いかな)
人見知りをするとは聞いている。
ならば、すぐに庵が考えている流れに引き込むよりは、一度離れた場所で様子を見た方がいいかもしれない。
どこか惜しい気はするが、急いては事を仕損じるとも言う。今は堪える時期だと自身に言い聞かせて、庵はスマホをポケットにしまった。
すると、タイミングを見計らっていたかのように、有栖の担任、笹原がやって来た。
「お待たせしてごめんね。それで、御巫君の話って言うのは?」
「はい。正確にはお願いになりますが……」
庵の向かいに座った笹原はどこか緊張した面持ちだった。いくら年上、教師と生徒という間柄でも、『特等位』という肩書きは相手を圧倒する。
それは彼の内に流れる響命力の強さだけでなく、心の強さにもよるものだろう。
堂々とした彼は言葉上は控えめだが、躊躇いのない真っ直ぐな気持ちが乗せられている。
「単刀直入に言うと、彼女の高等部への進学を、僕から推薦させて欲しいと思いまして」
「え……?」
「す、推薦!?」
いきなり何を言い出すのかと思えば、有栖の進学についてだった。
笹原が有栖に「何があったんだ」と視線だけで問うてくるが、それは有栖も聞きたいところだ。
言い出した本人である庵はさして不安や焦りなどは見せず、そのまま言葉を続けた。
「彼女はまだ基獣を具現化できていないことは私も承知の上です。ただ、彼女の成績は優秀ですし、具現化できていないだけで響命医を目指す彼女の努力を無碍にはできません」
「し、しかし、高校ともなれば授業には基獣の顕現が必要なことが増えてくる。それをすべて受けないわけには……」
授業にまともに参加できないまま過ごすのは問題がある。
基獣のいない生徒が基獣が必要な授業を受けられる設備もないため、生徒は見学しか手段がなくなるのだ。ただ、それでは授業の意味がない。
ただ、庵は高校へ進学した後、実際にその問題に直面した生徒を見たことがある。だからこそ、有栖の進学は不可能ではないと思ったのだ。
「基獣がいないまま進学した生徒も、数は少ないですがいますよ。それは先生もご存じのはずです。彼らは基獣学の実習では見学をしながら自身の出来ることを探して参加しています」
「知ってはいるが、彼らはまだ積極的に物事に取り組むことも多かった。けど、御雪は消極的なところもある。具現化に関しても、それが絡んでいるんじゃないかと言われているんだぞ?」
「周りの環境が関係していることもあります。まして、教師に『諦めたほうがいい』などと言われては、尚更萎縮してしまいますよ」
「っ……」
教師だけでなく、響命医にも言われている。それはさすがに口には出さなかったが、教師は自身の発言を思い出したのか二の句が継げなくなっていた。
「何故彼女を、と思うでしょうが、これは私にもはっきりとした理由はありません。ただ、彼女には基獣を具現化できる可能性があることは間違いない。それだけは断言できます。そして、その力が必要になることがあると」
理由がないというのに、庵の言葉には確信めいたものがあった。
有栖は自身の過去にあった出来事を思い出す。幼い頃、夕焼けに染まった公園で起こった事件を。
視線が自然と下がり、両膝の上に置いた両手をぎゅっと握りしめる。そうでもしないと、事件を思い出した今、恐怖で震えそうだった。
そんな有栖の心境を知ってか知らずか、庵は言葉を続ける。
「進学して必ずしも改善するとは限りませんが、諦めずに進む姿は、少なからず周りの生徒にも良い影響を与えます。響命医は具現化について研究している人達でもありますし、それについて学べる環境下に行けば、彼女の具現化の切っ掛けにもなるかもしれません」
「そう、かもしれないが……み、御雪はどうなんだ? 進学したいのか?」
「わ、たしは……」
話の流れが有栖の進学へと決まりかけている中、笹原は当事者である有栖へと視線を移した。
彼がそこまでして有栖の進学を渋るのは、進学後に退学や休学になれば自身の経歴に傷がつくとでも思っているからか。
ふいに、昨日、恭夜と話した記憶が蘇る。
担任の言葉や庵の有栖に期待する姿勢に圧倒されていたが、有栖も進学すると改めて決めたではないか。
ならば、答えは一つだ。
「進学したいです」
「なっ……」
「本人は至って前向きです。なら、ゼロではない可能性で悩むより、本人の意思を尊重すべきではありませんか?」
はっきりと前を向いて答えた有栖に、庵は満足したように微笑んだ。
畳み掛けるように言えば、笹原も観念したのか深い溜め息を吐いた。
「……はぁ。分かった。私も、そちらで手続きを進めよう」
「あ、ありがとうございます!」
「礼なら、私より御巫君だよ」
「……あ。す、すみません」
元々、進学の話を切り出してくれたのは庵だ。彼の助言がなければ、いくら昨日、有栖が恭夜と一緒に進学すると決めていたところで、担任の一言で折れていたかもしれない。
笹原に言われてはっとした有栖だったが、庵は苦笑を浮かべた。
「ううん。僕もちょっと強引だったからね。君が『行かない』って言ったらどうしようかと思ったよ」
もう決めていたみたいだし、逆に助かったよ。
そう続けた庵は、まるで有栖の内心を読んだかのようだった。
あとの手続きは時期を見ながら進めていくことになり、有栖と庵は職員室を後にする。
高校へと戻る庵を送ろうと玄関へ歩きながらも、二人の間にはやはり無言が流れていた。
すると、またもや無言を破ったのは庵だった。
「ねぇ、あと一つお願いしてもいいかな?」
「はい」
親に何かを強請るような口調と柔らかい表情に、有栖も自然と力が抜けて返事をする。
何か恩返しができれば、と思って頷いたのだが、庵は何故か目を瞬かせた。
「どもらなかったね」
「うっ……す、すみません」
「あはは。戻っちゃった」
指摘されたせいか、また詰まった有栖に今度は無邪気に笑う。
表情がよく変わる人だ、と思いつつ庵を見ていると、今度は急に優しいものへと変わった。
「君の友達も『雪』って呼んでるし、僕もそう呼んでいいかな?」
「え? ……あ。は、はい」
一瞬、何を言われているのか理解できずに間を空けてしまったが、そのくらいならお安い御用だ。
そんな願いでいいのかと庵を見上げていれば、彼は「本当は下の名前でもいいんだけど、幼馴染君に怒られちゃうだろうしね」と悪戯っ子のような笑みを浮かべた。
何故、恭夜がここで出てくるのか。そして、彼の有栖の呼び方をどこで把握したのか。またもや疑問が出てくるが、果たしてどこから聞いていいのかと悩む。
ざわつきが大きくなったと思えば、いつの間にか玄関に着いていた。
周りの生徒の視線が集まる中、庵は優しい声音で有栖を呼んだ。
「雪ちゃん」
「は、はい」
「よくできました」
ぽん、と頭に優しく置かれた手が軽く叩くように撫でる。
一体、何が起こっているんだ、と思考回路は周りの女子生徒と同じく悲鳴を上げている。意味は違うが。
「これからも頑張ってね」
そう言い残して、庵は玄関を出て行った。
撫でられた箇所に手を当てて呆然としていた有栖だったが、周囲の悲鳴を上げた女子生徒の視線が注がれていることに気づいた。
何かを言われる前に、有栖は教室へと走った。
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