幕間~過去編~

第1話 捨てきれない希望


「は? 今、何て言った?」


 少年は隣を歩いていた少女の言葉に我が耳を疑った。

 夕日が町を赤く染め、東の空は深い青へと転じていく。近隣の住宅の明かりがより際立ち、道に点在する街灯にも明かりが点く。

 普段と変わりない黄昏時だが、少女の言葉もあってか、少年はどこか非現実さを感じた。

 道端で足を止めて向き合う少年少女の間を、冬の訪れを感じさせる冷たい風が吹き抜ける。静かな空間は、落ち葉が地面を滑っていく音ですら大きく響かせた。

 頭が冷え、少年は今が夢でないことを実感すると同時に、夢であって欲しかったと否定する。

 少女は鞄を持つ手に力を入れたあと、東の空と同じ濃紺の瞳に決意を灯してはっきりと繰り返した。


「高校は、外部を受けようと思うの」


 二人は本来ならば受験に追われる身である中学三年生。しかし、中高一貫の学校に通っているおかげか、高校入学のための『入試』は存在しない。代わりに、公言された進学の条件ではないにしろ、『暗黙の了解』となっているものがある。

 最も、それも極一部の生徒だけであり、九割以上の生徒は高校へと進学できている。

 だが、少女はその極一部の生徒に入ってしまった。

 少年は苛立ちを殺すように奥歯を噛みしめると、なんとか言葉を絞り出す。


「……『基獣きじゅう』が、いないからか?」


 この日本では、他国と違って特殊なものが存在している。人の心が『響命力きょうめいりょく』と呼ばれる不可思議な霊的エネルギーと反応して具現化した、自身の鏡のような生き物が。

 俗に『基獣』と呼ばれるそれは、一般的には動物と同じ姿をしており、通常であれば十から十二歳ほどの間にほとんどの者が具現化を果たす。少年も基獣を具現化させている。

 ただ、具現化の時期には個人差があり、遅い人では高校に入った後に具現化したという例も少なからずあるのだ。

 少女もまた、その可能性を信じて高校進学を決めたはずだが、何が彼女の意志を変えさせたのか。

 少年の問いに、少女は泣きそうな顔で笑みを作った。


「私ね、響命力は問題ないけど、深層心理で基獣の具現化を拒んでいるから、無理なんだって」

「そ、んな……そんなこと、分かるわけないだろ!?」

「『響命医』の人に言われたのに?」

「なっ……!」


 響命医とは、医学の一つとして近年確立しつつあるもので、基獣の具現化に繋がる響命力の研究やそれらを応用して何かに役立てないかと模索している。

 また、基獣の具現化がまだの人は、響命医に自身の響命力を診てもらうことで具現化が出来るかどうか、どんな基獣が出そうかなどを判断してもらっているのだ。


「“昔の”が、原因……だよな……」

「あれは、私が悪かったの。恭夜は何も悪いことしてないよ」

「けど……!」

「昔のことがあったから、響命医を目指そうと思ったよ。でも、その響命医さんに言われちゃったら、どうしようもないよね」

「っ……」


 恭夜と呼ばれた少年は、少女の想いを知っていたからこそ、彼女に掛けてやれる言葉が見つからなかった。

 まだ数少ない響命医の存在を知って、「私も基獣を具現化する手助けをしたい」と志した幼い頃。基獣に関する職業へと優秀な人材を多く輩出する中高一貫の『九曜学園』へと入学するために勉強を重ね、無事に入学を果たすことができた。

 それまでは二人が口にする『昔の一件』のこともあって引っ込み思案になっていた彼女が、漸く前を向けたと思ったのに。


「『希望は長く持ちすぎるほど、壊れたときの精神的苦痛は大きい。なら、早めに限界を知って、別の事に切り替えたほうがいいだろう』って」

「有栖は、それでいいのかよ」

「うん。もういいよ。ありがとう、恭夜」


 基獣の具現化は生きていくには必須ではない。現に、基獣は日本に住む者にしか発現しておらず、海外では確認されていないのだ。

 だが、日本に住む人のおよそ九割が基獣の具現化を果たしている今、具現化できていない人は「異端」とされ、社会的にはあまり良い目で見られていないのも事実。

 それが問題視されているからこそ、具現化に関して何か条件があるのか、人為的に具現化は可能なのかと響命医は研究を急いでいる。

 少女――有栖ありすも基獣がいないからこそ、その研究に携わりたいと思ったのだが、勉強をするための場所は基獣がいない者への奇異の視線が強く、途中で心折れる者が多いのだ。

 響命医は彼女の身を心配して諦めるように話をしたのだろうが、恭夜には納得がいかなかった。

 しかし、当の本人は言葉では憂いが晴れたように言う。


「恭夜にやっと言えたから、なんかすっきりしたかも」

「……嘘だ」

「嘘じゃないよ。高校どうしようかなぁって、最近はそっちで悩んでるし」


 外部の高校へいけば、多少なりとも基獣がいない人はいるだろう。向けられる目も、今の学校にいるよりはまだマシになるかもしれない。

 有栖は無理をして声を張ってはいるものの、抑えきれない感情が微かに声音を震えさせている。

 そんな彼女を恭夜は悲痛な面持ちで見たまま言った。


「なら、なんで泣いてんだよ」

「……あれ? ほんとだ」


 恭夜に指摘され、有栖は漸く、頬に流れた涙の存在に気づいた。

 手の甲で拭いながら、「おかしいなぁ。いっぱい泣いたのに」と笑う彼女を、恭夜はぎゅっと抱きしめる。


「今まで、十年近く持ってきた希望だろ。あと三年くらい延ばしたって同じだ」


 有栖は勉強については優秀なほうに入る。基獣がいなくとも、そちらで認めてもらえば可能性はゼロではないはずだ。

 また、あと三年の間で大きく変わることもある。それに賭けても遅くはないだろう。

 すると、泣いていたはずの有栖が腕の中で失笑した。


「それ、干支が一回りしちゃうよ」

「……確かに」


 十二年という年月は、まだ十五歳の自分達にとってはかなり長いように感じる。

 それほどまでに抱いていた希望を、夢を、果たしてその時になって変えることが出来るのだろうか。

 どこか気まずさを感じつつ、恭夜は有栖を腕の中から解放した。


「まぁ、あれだ。もし、本当に基獣が具現化出来なかったら、その時は――」

「あ、電話」

(タイミング……!)


 有栖の鞄の中で携帯電話の振動音が響いてきた。

 言葉を遮られたことで、自身の中での一大決心を砕かれた恭夜は電話の相手を恨んだ。

 だが、有栖は携帯電話を開いて相手を確認すると、怪訝に顔を歪めた。


「誰だろう? この番号」

「間違い電話じゃないのか?」

「……そう、かも」


 恭夜も覗き込んで確認すれば、そこには登録されていないことを示す、十一桁の数字が並んでいるだけだった。

 間違いなら電話に出て教えてあげた方がいいだろうか。

 迷う有栖だったが、恭夜は小さく溜め息を吐くと電源ボタンを押した。


「無視だ、無視。ほら、帰るぞ」

「う、うん」


 何か引っ掛かりはあるが、切ってしまった以上、こちらからは掛け直しにくい。次に掛かってきたら電話に出て謝罪と一緒に間違いであるかを確認しよう。

 そう思うことにして、携帯電話を鞄にしまった。


「成績は周りも認めてるし、そのまま進学したらいいだろ。基獣がいない生徒は前例がないわけじゃないし、響命力が問題ないなら諦めなくていいかもしれないし」

「そうかな?」


 高校に基獣がいない生徒の数は少ないだろう。さらに、高校は外部受験で入学する生徒もいる。

 今ですら具現化ができていないことでやや距離を置かれてきているのに、新しい生徒も増える中でやっていけるのかと不安になっていると、恭夜が頭を軽く小突いた。


「迷うな。基獣の具現化は人の心にも影響される。それに、人生の半分以上持ってきた想いを捨てんな」

「……そうだね」


 響命医に言われたからと本当に諦めてしまえば、このまま基獣が具現化しない可能性もある。もちろん、響命医が言ったように諦める結末になったとしても、それは今選ぶものではない。

 恭夜に諭され、有栖は気持ちを切り替えるように頷いた。

 それを見た恭夜は、心の中で自身を勇気づけながら言う。


「周りに何か言われたら俺に言え」

「凛ちゃんもいるから大丈夫だよ?」

「…………あー、そうだな。そうだった」


 有栖が出した名前の主は、中学でできた数少ない友人だ。確かに、有栖が何か言われているのを知れば、彼女も黙ってはいないだろう。

 だが、恭夜が望んでいたのは別の反応だ。

 思っていたのと違う展開になってしまい、恭夜は返す言葉を見つけられず数秒固まってしまった。

 ふい、と視線を逸らす恭夜に有栖は可笑しそうに笑みを零す。


「ふふっ。なんか、恭夜変だよ」

「お前が変なこと言うからだ」


 漸くいつもの調子に戻ったと感じることができた。

 基獣が具現化できていないことで周囲から一線を引かれている有栖は、常に焦りと不安と隣り合わせで過ごしてきている。それに止めを刺したのは、やはり、響命医の一言だろう。

 具現化の改善をするのが響命医の仕事じゃないのか、と内心で愚痴を零しつつ歩き出した恭夜の背に、有栖の柔らかい声が掛けられた。


「ありがとう、恭ちゃん」

「……どういたしまして」



   ◇ ◆ ◇ ◆



 九曜町にある私立九曜学園は、中高一貫の、基獣に関する学問ではトップレベルの学校として有名だった。

 中学と高校の校舎は片側一車線の道路を挟んで東西で隣接しており、教師だけでなく生徒も行き来をすることがある。

 その九曜高校の北校舎の四階にある一室で、一人の青年が窓辺に立ってスマホを耳に当て、電話の呼び出し音を聞いていた。

 日が西に傾くにつれ、明かりを点していない室内は暗くなっていく。

 廊下側の壁や後ろに並んだ棚には多くの資料が詰め込まれており、四角く並べられた長机には青年の出した資料が置かれていた。資料には一人の生徒の写真と経歴、響命力の調査結果などの個人情報が載っており、片隅には「持ち出し厳禁」の赤いスタンプが押されている。

 静かな教室内では呼び出し音が漏れ聞こえているが、青年以外に生徒がいない教室では心配することもない。

 やがて、呼び出し音は相手の動作によって切られたのか、無機質な女性の声の応答メッセージへと切り替わった。


「……うーん」


 発信を終了したスマホの画面が発着信画面に切り替わる。

 まだ鳴らしたのは一度だけだが、相手に切られては掛け直すのは時間を置いてからの方がいいだろう。

 スマホをブレザーのポケットにしまうと、タイミングを見計らっていたかのように一人の青年が教室に入ってきた。


「庵ー。帰るぞー……って、何してんだ?」


 鞄を片手に入ってきた青年は、「庵」と呼んだ青年の友人だった。

 庵は長机に広げた資料をまとめながらあっさりと返した。


「切られちゃった」

「は?」


 何が、と言外に訊ねる友人に、庵は苦笑しながら資料をクリアファイルに入れると鞄へとしまった。

 持ち出し厳禁ではあるが、庵にとってそのルールには「自分以外は」という条件がつくため、出してもらった教師にも何も言われなかったのだ。

 資料が欲しいと頼んだのは自分だが、個人情報の管理がこんなに緩くて大丈夫なのかと不安を感じた。


「やっぱり、知らない番号には出ないよねぇ」

「誰に掛けたんだ?」

「透真には何度か話してると思うけど、例の気になってる子」

「……ああ、あの、成績は優秀なのに基獣がいないって言う」


 青年、透真は庵が時折口にする少女のことを思い浮かべる。

 学年は一つ下で、中学のときは移動教室や集会などで見かけるくらいだ。ただ、庵に言われるまでは認識すらしていなかったため、一定時期までは記憶にすら残っていない。

 遠目にしか見たことはないが、どこか気弱そうで大体は幼馴染の少年か友人の少女と一緒にいる。基獣の具現化を果たしている生徒が大半の中、彼女だけは未だ具現化が出来ていないと言う。

 いないなら九曜高校への進学はないだろう、と思った透真だったが、庵は何故か落胆の色を見せた。


「そうそう。嫌な話を耳にしたからね」

「嫌な話?」

「半端な響命医が、未来ある若者の希望を砕いたってね」

「それ、漏れていい情報か?」


 先ほどから個人情報の持ち出しと言い、不安になることが多すぎる。

 しかし、庵はそんなことは問題ではないと言わんばかりに笑みを浮かべた。


「僕だからね。それに、彼女のことに関しては知っておかないと、気がついたら手遅れ、だなんて笑えないことにもなりかねないから」

「あの子にそんな惹かれるようなもんあるか?」

「そうだなぁ。お姉さん好きな透真には理解が難しいかもしれないね」

「おい」


 意図していたものとは違った答えをわざと返され、透真は咎めるように庵を見据える。透真が言いたいのはそういうことではない。

 だが、庵は透真のやや鋭い視線を受けても笑顔を浮かべたままで、部屋を出るために出入り口に向かって歩きながら言った。


「あくまでも勘だから、僕にもどこがって聞かれたら答えにくいんだけどね」

「なんだそれ」

「まぁ、合ってるかどうかは時期がくれば分かるよ」


 部屋を出て扉の鍵を閉める。扉の右上には「生徒会室」と書かれたプレートが壁に対して垂直に付けられていた。

 夕方五時を少し過ぎた今、校内に残っているのは部活動を行う生徒がほとんどだ。

 庵達のいる北館には各学年の教室はなく、音楽室や美術室、庵達がいた生徒会室などの特別教室だけのため、廊下を歩く生徒も庵と透真以外誰もいなかった。

 曖昧なことを言う庵に透真は小さく溜め息を吐く。彼がやろうとしていることは透真も知っている。だからこそ、目を付けられた彼女に少しだけ同情した。

 だが、それでも目的を果たさなければいけない理由がある。


「大丈夫。“箱”に残された希望は、必ず僕が見つけだす」

「……ああ、そうだな」


 語調が強い庵に迷いはない。

 透真は切り替えろ、と自身に言い聞かせて頷いた。

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