終話② 基獣がいなかった少女


「結界?」

『怨獣が出ていかんように、学校に張っとったんやって』

「は? でも、有栖の所に出てるだろ。お前がいたときも」

『……そういや、そうやな』


 普段、学校に張られている結界は外部からの怨獣の侵入を防ぐためのものだ。それは校内の九十九が共喰いに遭ったことで効果は薄れていると分かり新たに補強され、さらに庵が犯人を校外に出さないための結界も施した。

 ただ、外に出さないための結界について知っているのは「一部の人だけ」という話だ。

 恭夜が知らないのも当然だ、と説明した小虎だったが、彼に指摘されておかしな点に気づいた。有栖も今さらながらに思い出したのか目を瞬かせている。

 すると、神妙な顔つきになった庵が小虎に訊ねた。


「それについて君達に聞こうと思ってたんだけど、誰かに結界の話はしたかい?」

「いえ、私は……」

『あ。かいちょーさん、堪忍なぁ。おいら、うっかり口滑らしてしもたんやけど、でも、「せーとかい」の人は知ってるんやろ? かいちょーさん、一部の人は知っとるって言うてたし』


 有栖は今まで庵が施した新たな結界については忘れていた。小虎も同様に。

 だが、小虎が言った「生徒会の人は」という言葉について否定したのは、他ならぬ生徒会役員である透真と隼人だった。


「ちょっと待て。俺達は聞かされていないぞ」

「結界って、外からのを防いでるやつだけじゃなかったんですか?」

『え? え? どうなってるん?』

「あはは。やっぱり、君に話しておいて良かったよ」


 初耳だ、と庵に視線を向ける二人を見て、小虎は困惑したように庵や隼人達を見る。

 唯一、すべてを理解している庵だけが満足げに微笑んでいた。


「『特殊な結界』について話したのは、雪ちゃんと小虎達だけなんだ」

「えっ」

「既に張っている結界に添えただけだから、普通なら言われて調べない限りは分からないものでね」


 怨獣が外に出ないように、というよりは、怨獣が外に出たら庵に伝わるようにしたものだ。

 ただ、結界の存在を知って仕組みを調べれば、相応の知識がある者なら抜け道を見つけることもできるようにしていた。


「怨獣のなら、僕にも知られずに出ることはできる。解現をしない限りは、怨獣は主と一緒に出られても僕に伝わって正体がバレる。そういう仕組みだったんだ」

「じゃあ、庵さんが気づかずに御雪ちゃんとこに出たってことは、あの人は結界についても、怨獣化を治す方法の知識もあったってことですか?」


 怨獣化した基獣は基本的に解現が難しい。自身では抑えきれなかった気持ちが溢れた結果のため、それを受け入れるには怨獣化から治すしかない。

 だが、美里にそこまでの知識があったようには思えず、隼人は怪訝な顔で首を傾げる。

 それを庵はあっさりと否定した。


「いや、あの人には知識はないよ」

「え?」

「『協力者』がいたんだよ。怨獣に関しては、九十九に管理証を着けたときに目星はつけていてね」

「管理証を着けたときって……え!? じゃあ、こいつらの管理証、庵さんが?」


 隼人が「九十九に着けるように」と言われていた管理証は、いつの間にか九十九の首に着けられていた。

 まさか頼んだ庵本人が着けていたとは思わず、隼人は愕然として庵を見る。


「うん。怨獣が出た気配がしたから学校に向かったんだけど、ちょうど二匹の姿が見えてね。ついでに着けておいたよ」

「それなら、なんで着けたの庵さんだって教えてくれなかったんですか。俺、ちょっと焦ったのに……」

「ごめんね。言う必要はないかと思って」


 九十九に管理証が着いているなら、治安部隊に見つかっても問題はない。終わったことだと、今はそれよりも先に対応するものがあると軽く流していた。

 困ったように笑んだ庵に、透真が呆れたように溜め息を吐いて追究する。


「じゃあ、なんでその時に怨獣を追わなかったんだ? 庵ならできるだろ?」

「いや、追おうと思ったけど、不自然なほどに怨獣の気配が途絶えてね。協力者の存在に気づいたのもそのときだよ」


 九十九を襲っている怨獣を見て持ち主の目星はついた。だが、自身の基獣で攻撃をしたあと、怨獣は校舎の影に戻るとそのまま消えてしまったのだ。

 そして、翌朝、襲われた九十九や周辺を調べた結果、怨獣の持ち主とは別の響命力の残滓で確信した。

 一連の話を聞いた凛は、協力者の存在に顔を歪めた。


「協力者がいるってことは、雪を狙ってた本当の犯人っていうのが、他にいるって言うんですか?」

「んー。雪ちゃんというよりは、僕狙いかな」

「会長狙い? でも、会長は襲われたりはしてないですよね?」


 最初は九十九が襲われていた。その次に狙われていたのは有栖だった。

 庵が狙われたことはないはずだと凛が訝れば、彼は「あくまでも推測だけど」と前置きをしてから説明した。


「最初に九十九を襲っていたのは、響命力を奪うためだったんだ。これは治安部隊が彼女に聞いた話だから間違いはない。そして、学校周囲を荒らせば僕ら生徒会も自ずと動く。となれば、雪ちゃんに向けていた目も外れがちになる」


 通常の基獣が響命力を他の基獣や九十九から奪うのは不可能だ。質の違う響命力を正常な体は受け付けない。だが、怨獣ともなれば話は変わってくる。

 負の感情に呑まれ、ただひたすら周囲への危害を与える怨獣は、時に「共喰い」と称される響命力の奪取を行う。

 また、庵が有栖のことを目にかけているのは周知の事実だ。庵を好いている美里が嫉妬に呑まれれば、有栖を標的にするのはまず間違いない。


「僕が気に入った子を襲えば、僕に精神的なダメージを与えられて、崩すきっかけになると思ったんじゃないかな。透真や隼人君じゃ、位が高くて返り討ちにされることだってあり得るからね」

「確かに。俺ら、逆に怨獣探すくらいだしな」


 怨獣討伐に慣れている透真や隼人は、今さら目の前に怨獣が出たところで対抗手段は心得ている。

 だが、有栖は基獣を具現化できていなかったため、格好の餌食となったわけだった。

 直接庵を狙わない回りくどいやり方に、恭夜は深い溜め息を吐く。


「じゃあ、とんだとばっちりってことですか?」

「うーん。まぁ、そんなところかな。本当にごめんね」

「い、いえ」


 結果として、基獣の具現化をするきっかけにはなった。そこに関しては庵を狙っていた真の犯人も想定外だったはずだ。

 一通りの説明を終えた庵は話を元に戻し、小虎に訊ねる。


「ちなみに、誰に話したのか覚えてる?」

『えーっと……あれ? 誰やったかなぁ?』


 間違いなく誰かに話したのだが、肝心の姿が思い浮かばない。そもそも、目の前にしゃがんだのはこの学校の生徒だっただろうか。

 右前足を顎に当てて考え込む小虎は、うんうんと唸りながら記憶を探る。


「性別とかは?」

『うーん……。多分、ねーちゃんやったはずやけど、イタチのにーちゃんにぶつかったせいで思い出せへん』

「えっ、俺のせい?」


 会話をした記憶はある。その声は男性のものではない。ただ、女性にしても低めであり、性別を確定してもいいものか悩む。

 そのとき、視界に入った隼人を見て、そういえば……とプールから出るときに彼に激しくぶつかったことを思い出した。

隼人は隼人で、まさかの八つ当たりに驚いたが。


『見たら思い出すかもしれへんし、今日はお雪と一緒におってええ?』

「うん。犯人は捕まったから僕は構わないよ。雪ちゃんがいいならだけど……」

「私は大丈夫です」

「じゃあ、邪魔だけはしないようにね」

『やった!』


 九十九は学校に自由に出入りしていた。今回の件で出入りは禁止されていたが、犯人が捕まれば禁止する理由はない。ただ、「協力者」が捕まっていないため、油断はしきれないが。

 庵は腕時計に視線を落とすと、予鈴が鳴るまでには書類を仕上げようと話を切り上げることにした。


「それじゃあ、僕達はこれで。雪ちゃんの基獣について報告は上げておくから」

「ありがとうございます」

「隼人君も、あとは僕でやっておくから大丈夫だよ」

「はーい。了解です」


 軽く笑んでそう言うと、庵は背を向けて透真と一緒に校舎へと入って行った。

 その背を見ながら、恭夜は「有栖が生徒会に誘われなくて良かった」と内心で安堵の息を吐いた。




 特別教室がほとんどである北館は、朝のショートホームルーム前の時間は静かだ。

 階段を上り、四階にある生徒会室に向かう庵と透真の間に会話という会話はなかったものの、沈黙を破ったのは何かを言いたげにしていた透真だった。


「庵」

「ん?」


 突然、名前を呼ばれたことに庵はきょとんとしながら小首を傾げて透真を見る。

 神妙な面持ちの透真は、少し考えてから問いかけた。


「犯人は捕まえられそうか?」

「やだなぁ。犯人なら捕まえたじゃないか」

「そっちじゃない。『箱』のほうだ」


 何事かと思っていた庵は、今さらな質問に破顔した。だが、首を振った透真の出した単語にすぐに表情は強ばった。

 階段を上る足は止めないまま、庵は周囲に人がいないことを響命力を探って確認してから口を開いた。


「見えているのに掴めない。神話の箱はやはり、空想の産物かと思わせるほどだね」


 今回の件の協力者。それが何であるかは、怨獣化を解かれた美里の基獣のそばに落ちていた欠片が物語っていた。

 有栖に触れさせずにこっそりと回収した欠片は、今日の放課後に詳しく調べるために生徒会室で保管している。

 未だに全貌の掴めない『箱』に落胆の色を見せる庵の背を、透真が軽く叩いて励ます。


「ここは現実だ。見えているなら、いつかは掴めるさ」


 あっさりと言ってみせた透真は、足を止めた庵を置いて上がっていく。

 まさかの言葉に庵は驚きを隠せず、目を見張ったまま彼を見上げた。


「……驚いた。まさか、君に励まされる日がくるなんて」

「しばくぞ」

「いたっ。もう叩いてるじゃないか」


 少し上から襲ってきた平手に、叩かれた前頭部を抑えて不満げに透真を見る。外見や普段の言動に似合わず幼いその表情は、付き合いの長い透真だからこそ見せてくれるものだ。

 庵は溜め息を吐くと、気を取り直して生徒会室に向かうために再び階段を上がりはじめた。



   □ ■ □ ■



 庵達生徒会役員が有栖を前に話をしていたとき、北館の屋上からその様子を見ている一人の女子生徒がいた。

 肩につくくらいの蜂蜜色の髪が、柔らかに吹き抜けた風で靡く。いつも留め方を変えている少し長めの前髪は、今日はカチューシャを着けているため視界に入らない。琥珀色の目はやや気怠げだ。

 屋上の柵に腕を置きながら棒付き飴をくわえていた彼女は、ブレザーのポケットに入れていたスマホの着信に気づき、視線は正門から外さずに電話に出る。


「はい」

《どうだ? 『管理者』の様子は》


 スマホの向こうから聞こえてきたゆったりとした声は、高くもなく低くもない男のものだ。

 問いかけに対し、女子生徒はぼんやりと見ていた全員から対象である青年を注視する。

 顕現した小柄なユニコーンに触れようとして拒否されている姿を見て、小さく鼻で笑った。


「どうもなにも、元々失敗していますしね。なーんにも、変わりませんよ。強いて言うなれば、『ただのトカゲ』が『牙と翼』を得たってことくらいですかね」


 視線が自然と有栖へと向く。

 九十九の具現化を成し遂げたときから気にかけてはいたが、まさか特等位の複基獣を具現化するとは思わなかった。響命力もさほど強いようには思えなかったが、具現化後のためか今は庵と同じくらいの強い響命力を持っている。

 これがまだ基獣を具現化させたばかりで慣れていないだけならば、きちんと使いこなせるように馴染んだとき、彼女の響命力は庵をも凌ぐだろう。

 通話の相手にも有栖の話は伝わっているはずだ。女子生徒の揶揄を聞いてしばらく沈黙を保っていたが、やがて重たげに口を開いた。


《それについては、今すぐの対処はいいだろう。ただ、『核』は壊しておくように》


 「対処はいいだろう」というよりは、「対処ができない」が正しいのだろうが、あえて追究はしなかった。したところで対処ができないのは自分も同じだからだ。

 返事をする前に切れたスマホの画面を見ながら、彼女は溜め息を吐いてブレザーの右ポケットに戻す。棒付き飴を噛み砕き、スマホとは反対のポケットに手を突っ込んで指先に当たった固い欠片を取り出した。


「はいはい。分かっていますよ。『リーダー』」


 黒ずんだ紫水晶の欠片を上へと軽く投げれば、ブレザーの内ポケットに潜んでいた一匹のリスが飛び出して噛み砕いた。

 朝の陽光を受け、粉砕された欠片がきらきらと飛び散る。

 それを見た女子生徒は柵に背を向けると昇降口に向かう。


「さーて、次は誰にしようかな」


 歌うように呟き、欠片を入れていたポケットから取り出したのは手のひらに収まるサイズのピルケース。からからと音がするケースの蓋を開けば、色とりどりのガラスの欠片が入っていた。

 しばし欠片を見つめたあと、彼女は蓋を閉じてピルケースをぐっと握り締める。その表情は自嘲と悲痛に歪んでいた。


「『パンドラの箱』は開かれた。災いの中の『希望』は見つかるかな?」






一章 終

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