第16話① 乗り越えた先に

 帰宅した隼人は、まず両親に事の経緯を説明した。

 「怨獣」という単語に両親は渋い顔をしたものの、最終的には「何かあったら会長が来てくれるから大丈夫」という言葉に納得してくれた。庵の影響は生徒だけでなく一般の人にも大きいようだ。

 一通りの用事を済ませて部屋に戻った隼人は、いつもなら引いているカーテンを開けて怨獣が現れてもすぐに気づけるように備える。小虎と小幸はカーペットの上に置いたクッションで寛いでおり、怨獣が現れるかもという不安は一切抱いていないようだ。

 隼人はクッションに全身を預けてうとうとしている小虎の隣にしゃがみ、呆れを通り越して感心すら滲む声で言う。


「緊張感の欠片もないのな」

『だって、今は平和やのに気ぃ張り詰めててもしゃーないやん』

「にぃー」

「お前らなぁ……」


 確かに気疲れの原因にもなるが、怨獣が出るかもしれないと分かっている以上、構えておかなければならない。

 あくまでもマイペースな二匹に隼人はがっくりと肩を落とした。コンは出していないが、いればまた慰められそうだ。

 隼人は溜め息を一つ吐いて気を取り直すと、改めて周囲に気を配る。

 緊張感のない小虎達はともかく、自分は気をつけておかなければ両親を巻き込みかねない。

 テレビをつけていないせいか、緊張した自身の心臓の音がやけに大きく聞こえる。テレビ台に置いたアナログ時計はもうすぐ日付を変える。


「出てこないな」

『女の子好きなんかいな?』

「でも、最初は九十九狙いだったわけだし、性別は関係なくね?」


 九十九に性別はない。声の高さや話し方で男女の区別がつけられそうではあるが、元は「物」であるため、周りが勝手に判断しているにすぎない。


「もっと遅い時間なのか……?」


 有栖に詳しく聞いておけば良かったかもしれない。必ずしも同時間に出るわけではないだろうが、参考程度にはなる。

 時間は遅いが、連絡をして聞いてみようとスマホを手に取ったときだった。


「うおっ!?」

『なんや!?』


 スマホの画面ロック解除とほぼ同時に着信が入った。

 鳴り響いた着信音に、気を抜いていた小虎や小幸も驚いて飛び起きる。

 ディスプレイに表示されている名前は恭夜だ。狙われているかもしれない有栖ではないことに安堵しつつ、隼人は通話ボタンを押してスマホを耳に当てた。


「はいはーい? おやすみコールはお願いしてないぜー?」


 この時間に恭夜が電話をしてくるのも珍しい。

 茶化した隼人だったが、スマホの向こうで異変が起こっていることにすぐに気づいた。

 錆びたネジを回すような、耳障りな声がする。次いで、恭夜の緊迫した声音が耳朶を叩いた。


《ふざけんな。こんな不快な音のおやすみコールがあってたまるか!》

「今どこだ?」


 当たってほしくない予測が現実となってしまったようだ。

 こうなればさすがに遊んでいる場合ではない。隼人は即座に切り替えると、椅子に掛けていたパーカーを引ったくって部屋を出る。警察に見つかれば補導される時間だが、隼人の立場や状況を説明すればまだ理解してくれるはずだ。

 小虎と小幸も閉まりかけた扉の隙間から出てきて足下についてくる辺り、一緒に向かう気なのだろう。家に置いていて何かあっても困るため、隼人は止めることはしなかった。


《有栖を連れて学校に向かってる。あそこなら、広いし対応しやすいだろ》

「気が利くな。じゃ、俺も急いで向かうから、なんとか逃げ切ってくれ」

《言われなくてもな!》


 恭夜の言葉越しに昴の息切れの声が聞こえる。どうやら、昴のサイズを大きくしてその背に乗っているようだ。

 すぐに通話を切った恭夜は庵の連絡先を知らない。そのため、彼に連絡は届いていないはずだ。

 隼人は靴を履き替えながら、連絡アプリで生徒会役員が一度に投稿内容を確認できるグループページに「御雪ちゃんとこに怨獣出ました。学校に向かってます」と送っておいた。すぐについた既読のマークが誰のものかは分からないが、それ相応に動いてはくれるだろう。


「隼人? どこか行くの?」

「うん。非常事態で、ちょっと学校に」


 出掛ける様子の隼人に母親がリビングから顔を覗かせた。

 振り向かずに答えた隼人だったが、母親はさして気にもせずに「夜遅いんだから、気をつけてね」とだけ言った。


(こういうとき、放任主義って楽で良いわー)


 息子が深夜に外出しようとしているのに、心配こそしてくれるが止める気配はない。最も、怨獣や基獣事件に関わることの多い「生徒会」に所属するという時点で、ある程度の覚悟はしていたのだろうが。

 玄関を出る際に見送ってくれた母親に「母さん達も気をつけて」とだけ言って、近所迷惑にならないようにそっと扉を開けて静かに閉めた。

 自宅の敷地を出て、さて、今から学校に急ぐぞ、と思ったときだった。


「やべ。コンって昴みたく巨大化しても速くないんだよな……」


 通常、隼人の自宅から学校まではおよそ三十分はかかる。いつもなら徒歩でのんびり向かうところだが、今は一刻を争う状況だ。

 有栖と恭夜は学校まで十五分かかるかどうかだが、足の速い昴に乗っているなら今頃は学校に着いているかもしれない。

 人間を運べるサイズになれて、かつ速く移動できる手段はないかと考えていた隼人は、ふと、自身の自宅にまだ近い人物を思い出した。


「時間があれだし、下手したらぶっ飛ばされるかもだけど……背に腹はかえられぬってやつだな」


 気は進まないが、他に手段がない。きちんと説明さえすれば怒られることはないだろう。

 スマホを再び操作して電話帳から目的の人物を探して通話を選択。呼び出し音が数回鳴ったあと、やや不機嫌な声で応答があった。


《なに?》

「遅い時間に悪いんだけど、御雪ちゃんに緊急事態。すぐ学校に行きたいから、ヒナを出してくれないか?」

《分かった。すぐに追いつくから、先に行ってて》


 待っている暇があるなら、少しでも先へ。

 電話が切れると、隼人はスマホをポケットに入れてから地を蹴った。そのあとを小虎達が慌てて追う。

 日付が変わるかどうかの今、外にいる人はほとんどいなかった。帰宅途中と思わしき青年がいた程度で、周りの家も明かりを落としたものが多い。

 しんと静まった住宅地では、駆ける足音もやけに大きく聞こえる。

 そのとき、隼人の頭上から羽ばたきの音がした。


「遅い。まだここなの?」

「うるせ! 人間の足には限度ってもんが――うわっ!?」


 足を止めて見上げれば、巨大な鷲が空を飛んでいた。その背には、基主である凛の姿があった。

空中で停止しておくための羽ばたきが強風を起こし、辺りに砂埃が舞う。

 砂埃が入らないように目を細めながら抗議の声を上げれば、突然、隼人の肩を堅い何かが掴んだ。直後、足が地面から離れて浮遊感に襲われる。小虎と小幸が慌てて隼人の足にしがみついた。パーカー越しに肩に食い込むのは鋭い爪だ。

 ヒナに掴まれているのだと認識したとき、隼人達は既に二階建ての家よりも高い位置にいた。

 普段、経験することのない高さに足先からひやりと冷えていく。だが、肩に食い込んだ爪が、恐怖よりも痛みを運んできた。


「痛い痛い! 肩痛いって!」

「落とされたくなかったら大人しくして」

「……はい」


 落ちたら一溜まりもないだろう。

 ヒナの背に乗せるという考えは凛の中にはないようだ。小虎と小幸は隼人を踏み台にしてさっさと凛の肩に移動しているが。

 薄情な九十九二匹に内心で「いつか覚えとけよ」と思いつつ、万が一落とされないようにとヒナの足を掴んだ。

 地上よりも上空は寒かったが、移動速度は格段に違う。

 あっという間に学校に着けば、グラウンドで恭夜と昴が黒い霧に包まれた怨獣と対峙していた。恭夜の後ろには有栖もいる。


「隼人。高度下げるから、適当なところで降りて。靄は吹き飛ばすから」

「おう!」


 凛が言い終えたあとすぐ、昴と霧の間をヒナが低空飛行で駆ける。

 一階分よりも少し低い位置になったところで、隼人はヒナの足を掴んでいた手を離して地面に降りた。数メートル程地面の上を滑ったが、足で踏ん張ってスピードを緩め、片手を地に着けつつ態勢を整える。

 止まったと同時にコンを顕現させ、霧に向かって牙を剥く昴の隣に立たせた。


「お待たせー。大丈夫?」

「ああ、なんとかな」


 少し遅れて隼人も恭夜の隣に立ち、霧の塊に向き直る。全身を覆う霧は濃く、中の正体を完全に隠している。

 凛を一瞥すれば、彼女は小さく頷いてからヒナに指示を出した。


「ヒナ、あれを吹き飛ばすよ」


 首の後ろを優しく叩いて言えば、「了解」とでもいうかのように高い鳴き声が返された。

 空中で態勢を整えたヒナは両翼を大きく羽ばたかせ、グラウンドに一陣の風を吹かせる。砂埃と共に霧が飛ばされていく。

 腕を顔の前に翳していたり目を瞑って砂埃から目を守っていた三人は、風が収まってくるとそろそろと腕を下ろした。


「え……?」

「おいおい、マジかよ」


 霧が吹き飛ばされ、露わになった怨獣の姿。闇夜に紛れてしまいそうな漆黒の羽を持つ巨大な蝶が、有栖達の前に佇んでいた。

 見覚えのある姿に有栖と恭夜は愕然とした。ヒナの背にいる凛も同様だ。

 漆黒の蝶は、サイズこそ違うものの、昼休みに有栖を呼び出した三年女子の基獣と同じだった。

 どうしてその基獣がここに、しかも怨獣と化しているのかと驚く三人と違い、隼人は知っていたかのような反応をした。


「あらー。やっぱり?」

「『やっぱり』?」

「あー……昼休みの件、コンを通して俺も見てたんだ。隠しててごめんね」


 隠しておく必要はないだろう。素直に理由を述べた隼人に、有栖は少し驚きつつも謝る必要はないと意味を込めて首を左右に振った。

 ただ、恭夜は表情を険しくさせた。


「じゃあ、怨獣になる可能性も分かってたってことか? それで、今まで放置してたのか?」

「いやいや。確かに、嫉妬で怨獣に堕ちる可能性はゼロじゃないけど、本当に堕ちただなんて知らなかったよ。マジで。だって、庵さんがちゃんと釘刺してたもん」


 予想していたという反応をしたのは、放課後と今と続けて有栖の前に現れたことから可能性の一つとして考えていたからだ。だが、庵の威圧をも忘れて怨獣に堕ちるとは思っていなかったため、ある意味では予想を外れている。

 すると、地面に降りた凛が三人のもとに歩み寄って言った。小虎と小幸も凛に続いて来たが、怨獣が怖いのか耳と尾は下がっている。


「それほど、あの人の気持ちが大きかったってことでしょ。嫉妬って深くなるほど抑えが利かないもんだし」

「……経験者?」


 やけに説得力のある発言に隼人は目を瞬かせた。

 凛は怪訝な顔で隼人を見ると、心底呆れたと言わんばかりに吐き捨てる。


「馬鹿は飛ばしたら治る?」

「滅相もない」


 両手を小さく挙げて降参の意を示す。

 四人が話している間、怨獣が動かないのは基獣の威嚇があっての賜物だ。

ただ、いつまでも待ってくれるはずもなく、怨獣は突然、金切り声を上げた。


「うわっ!?」

「っ!」


 不快な音に四人だけでなく、小虎達や基獣達も身を竦める。

 叫びを上げ続ける怨獣の体から青紫色の靄が漂い始めた。

 それが触れたときの昴を思い出し、恭夜はすぐさま昴に指示を飛ばす。


「くそっ、昴! かかれ!」

「ヒナ!」


 耳を伏せていた昴だったが、恭夜の声に頭を振ってから意識をはっきりさせると地を蹴った。目の下辺りに食らいつき、抵抗する蝶が管を突き刺そうとする前に体を蹴って離れる。

 続けて空を旋回していたヒナが上空から急降下し、怨獣の羽を引っ掻いて羽に穴を開けた。だが、開いた穴はすぐに青紫の靄が集約して塞ぎ、元通りになっている。

 ヒナは諦めずに何度も空からの攻撃を繰り出すものの、致命傷となるダメージは与えられない。

 地上を駆ける昴を蝶の管が貫こうと襲いかかる。寸でのところで避ければ、そのたびに管が地面を抉った。


「コン! 目をやれ!」


 地面に刺さった管を駆け上がったコンが蝶の目を狙う。

 無防備な大きな目をコンの小さな手が引っ掻けば、紫色の豆電球を集めたような目の一部が潰れて光を失った。

コンは一度距離を置くために、蝶の後頭部を蹴って地面に着地した。

 蝶の悲鳴が辺りの空気を揺らし、羽から溢れる靄の量が増す。

 漂う靄が昴に触れる。羽ばたきで吹き飛ばしていたヒナも、背後から包まれれば避けようがなかった。

 どさり、と昴が地面に倒れ、ヒナも何かを振り払うように空中でバタバタと暴れながらも地面に落ちた。


「ヒナ!」

「有栖。九十九を頼んだ」

「う、うん」


 ぐったりと地面に横たわるヒナに凛が駆け寄る。

 靄に紛れて撒かれていたのか、青紫色の鱗粉が辺りを覆っていた。肌に触れた鱗粉はちりちりとした痛みを与えるものの、靄が触れたときのような麻痺する感覚はない。ただ、長時間、鱗粉に触れていれば靄と同様に痺れを引き起こすだろうことは有栖や恭夜にも分かった。

 恭夜は有栖の肩にいる小虎達を見て、二匹が靄に触れることを想像して顔を顰めた。

 放課後、昴はあの靄に触れて我を忘れて主に牙を剥いた。靄が幻覚を見せていたのだろう。

 基獣ならば、幻覚に惑わされても顕現を解くことができれば元に戻る。だが、戻る依代のない九十九はそうはいかない。最悪、破壊されることもあるのだ。

 一刻も早くこの状況を収束させなければ、と思った矢先、隼人が戸惑いの声を上げた。


「おい、コン! よせ!」

「ヒナ!? やめなさい!」


 見れば、意識を取り戻したヒナとコンが互いに睨み合って対峙していた。

 幻覚に惑わされているのだとは分かるが、二人が焦っているのはそれだけではなかった。


「早く二匹を解現しろ!」

「やってる! でも、言うことを聞いてくれないの!」


 恭夜の言葉に凛は苛立ったように返す。

 幻覚に惑わされたときの対処は二人も知っている。だが、肝心の解現は基獣によって拒否されているのだ。

 恭夜も昴を解現しようとするも、倒れたままの昴が消える気配はない。


「コン! お前、正気を取り戻したら死ぬほど後悔するぞ! やめろって!」

「ちょっと。それどういう意味?」


 「仲間を傷つけて後悔する」だけの意味ではない気がして、凛は冷静に追及した。

 コンが威嚇の声を上げてヒナに飛びかかる。だが、ヒナは上空に回避すると、蝶を襲ったようにコンを鋭い爪で引っ掻いた。

 なんとかして止めなければ、取り返しのつかないことになりかねない。

 無理やり間に入って引き離すか、と考えた隼人だったが、踏み出した足に力が入らず、その場に崩れ落ちた。

 地面に手を突き、周囲に漂う青紫色の鱗粉を睨んだ。濃い靄に紛れている上、鱗粉は触れてもすぐに異変が起こらないため、すっかり油断していた。


「あー、くそっ。さすが怨獣ってか?」

「感心している場合? 基獣が消えたら、私達もただじゃ済まないのよ……?」


 凛も体の自由が利かずに地面に座り込んだ。

 小虎達を抱える有栖もあっという間に辺りを靄に囲まれ、「せめて、九十九達だけでも……」と二匹の首根っこをそれぞれ掴んだ。

 突然の有栖の行動に、不安げな顔をしていた二匹はきょとんとして眼を瞬かせる。


「ごめんね。ちょっと乱暴だけど、誰か呼んできて」

『え? だ、誰かって?』

「にゃー!」


 慌てる小虎達に答えるより先に、有栖はありったけの力を込めて二匹を投げた。直後、足に触れた靄が全身の力を吸い取る。

 靄がまだ薄い地面に着地した小虎は、すぐさま振り返って地面に崩れ落ちた有栖に向かって叫んだ。


『お雪ぃ!』

「にゃああ!」

「行け! 誰でもいいから、治安部隊に連絡してもらえ!」


 有栖に代わって言った恭夜も既に地面に片膝をついていた。

 コンとヒナは激しく衝突を繰り返している。蝶はどこから片をつけようか考えているのか、靄を多く流しているものの動く気配はない。


(庵さん、何してんだよ……。ちょっと、遅いって……)


 全身が痺れ、しゃがんでいるのも辛い。

 隼人はなんとか顔だけを動かし、辺りの様子を把握しようと見渡す。

 連絡を取った生徒会役員が誰か一人でも着いた様子はない。ただ、靄に気づかずに触れてしまえば厄介だ。特に、位の高い透真は。庵ならば、触れる前に靄の影響に気づくだろう。

 怨獣がようやく動き出した。羽も動かさず、静かに空中を浮いて移動する光景は異様だ。

 その怨獣が向かう先は、やはり、狙いを定めていた有栖だった。


「……っ」


 体を動かせない有栖は、数時間前にも見た光景に息を飲む。あのときと違うのは、怨獣の正体がはっきりと見えていることだ。

 凛はもはや声すら上げられない。恭夜がなんとか動こうとするものの、気づいた怨獣が口である管をしならせて恭夜の体を打った。

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