第10話 抑えきれない感情


「っとぉ!?」


 生徒会室に入ろうと扉に手をかけた透真だったが、扉は自身とは違う力によって勢いよく開かれ、中から飛び出してきた美少女に驚いた。咄嗟に避けられた自身の反射神経に拍手を送りたい。変な声が上がったのは記憶から消し去りたいが。

 ぱたぱたと走り去る美少女の後ろ姿を見送りながら、たしか、あれは数日前から庵に付きまとっていた三年生だと記憶と一致させる。

 一瞬だけ見えた表情から察して、こっぴどく振られでもしたのだろう。何人目だと思いつつ中に入れば、生徒会室の後ろにあるロッカーの前に立ったまま窓の外を見ていた庵がいた。


「あの先輩、怯えてたぞ。そんなに鬱陶しかったのか?」

「…………」


 入口で見た彼女の顔は恐怖に染まっていた。一刻も早く逃げたい、と物語る表情を思い返しつつ、庵にしては珍しいことをしたものだと思った。

 告白をされて振る際、泣かすことはあっても怖がらせるようなことはない。もしくは、告白ではなく、ただ彼女が庵の地雷を踏み抜いたか。

 鞄を自身の定位置のイスに置きながら問うも、庵は窓の外を見たまま動かない。

 何かを考えているようにも見える横顔に首を傾げつつ、彼に近づいて顔の前で手を振った。


「おーい、庵さーん?」

「……ああ、透真か。じゃあ、さっきの変な悲鳴も君か。なに?」

「いや、『なに?』じゃねーよ。あの先輩に何したんだ? あと、悲鳴は忘れろ」


 透真からの咎める視線と言葉に、庵は表情ひとつ動かさずに淡泊な、まるでなんでもないことのように返した。悲鳴に関しては記憶に刻みつけておいて。


「忠告はしていたけれど、どうも彼女は本当の気持ちを抑えきれなかったみたいだ」

「ふーん?」

「大事なものだからね。傷をつけられては大変だから、刻みつけただけだよ」


 一体、何があってそうなったのかまでは聞く必要はないだろう。

 庵が大事にしているものが何かは透真もよく知っている。透真だけでなく、この学校の生徒すべてが知っているだろう。だからこそ、誰もが「それ」に深く関わろうとしないのだ。下手に傷つけてしまえば、瞬く間に『厄介な人』を敵に回してしまうから。

 だが、あの三年生はそれをしてしまった。

 透真は入ってきた扉を見ながら、走り去る背中を思い浮かべる。これで終わればいいが、どうも胸騒ぎがする。


「大丈夫なのか?」

「さぁ、どうだろうね?」


 答えをぼかす辺り、庵も透真と同じく事が丸く収まるとは思っていない。

 透真は窓枠に背を預けつつ、虚空を見つめて言葉を続ける。


「『二度ある事は三度ある』って言うしな」

「まだ一度だけだよ」


 さすがに、今回の事がもう一度あれば、今度こそ彼女の命はないかもしれない。と、我ながら物騒なことを思ってしまった。

 ロッカーを殴った手は殴った衝撃が残っている。飛び出しそうな基獣をなけなしの理性で押さえつけただけ、まだマシだった。

 すると、透真は「そうじゃなくて」と首を振った。


「お前の“忠告”は“二度目”だろ。『三度目の正直』にならなきゃいいんだけど」

「それを言うなら、『仏の顔も三度まで』かな」

「自分で仏言うな。お前が仏ならこの世に鬼はいないぞ」

「……確かに。でも、そもそも、この世に鬼はいないよ」

「揚げ足取んなしばくぞ」


 すかさず突っ込みを入れた透真をようやく見た庵は、目を瞬かせて頷いた。もちろん、透真を茶化すことは忘れずに。

 苛立つ透真を軽く流し、「ああ、でも、鬼みたいな人はいるよねぇ」と呟く庵の様子は、透真がよく知るものとすっかり同じだった。


「お前の場合は閻魔とか魔王とかそっちだろ」

「あはは。酷いなぁ」

「どっちがだ」


 溜め息を吐いて窓から背を離した透真は、庵が見ていたものが何かを知ろうと振り向いた。

 そして、視界に収めたその人物が予想どおりすぎてまた溜め息を吐く。


「お前もホント、飽きないな。あの子のどこに気に入る要素があるんだよ?」


 顔立ちは可愛いと言えば可愛いが、目立つほどでもない。

 そもそも、顔で気に入っているとは思っていないが、基獣もいない分、他のどこに惹かれたのかと首を傾げたくなる。

 すると、庵はさも当然と言わんばかりに返答を拒否した。


「愚問だなぁ。教えるわけないだろう? 君が気に入ったらどうしてくれるの」

「はぁ?」

「まぁ、その内分かるよ」


 訊ねつつも教えてもらえるとは思っていなかったが、まさか嫉妬の対象になるとは思わなかった。

 あっさり言ってのけた庵は透真から視線を外し、また窓の外を見る。


「飽きないことをしてくれるからね。あの子は」


 正門を出て少し横に逸れた場所にいる姿を視界に入れ、庵は優しく微笑んだ。




 本当に殺されるかと思った。

 今も生きた心地などしない。

 解放された瞬間、脱兎の如く部屋を飛び出した。途中、すれ違った友人が何かを言っていたが、それに構っている余裕などなかった。

 北館の北側にある駐輪場に着き、屋根を支える鉄柱に手をついて息を整える。


「はぁっ、はぁっ、はぁっ……!」


 刻まれた恐怖に体が震える。

 顕現した基獣が気遣うように周りを飛ぶ。

 小さな黒い蝶に手を伸ばせば、指先に静かに留まった。


「ありがとう……」


 自身の心を具現化した黒い蝶は、いつからか美里自身も予想しない動きをすることがある。

 人は自制心を覚えるうちに、本当の思いを隠してしまう場合があるのだと聞いた。そして、基獣がそれを教えてくれることがあると。美里に基獣の動きが予想できないのはその一端の現れだ。

 周りに人はいない。部活で残っている生徒の声が遠くに聞こえる程度だ。

 支柱に寄りかかり、美里は基獣に話しかけた。


「私ね、庵のことは位が高いからとか、顔がカッコいいからとかで好きになったわけじゃないのよ」


 きっかけは些細な事だった。それまで、中学の頃から庵の存在は嫌でも知っていたが、なんとも思わなかった。

 庵が高校に入学したとき、彼は生徒会長ではなく、普通の役員として生徒会に所属していた。そして、校内で起こる基獣絡みの事件の対処に当たっていた際、たまたま怪我をしたところに遭遇したのだ。

 一人で片をつけたと思われる庵は、腕から流れる血を押さえることもせず、ただただ眺めていた。

 まるで、怪我が珍しいかのように。まるで、怪我したことを喜んでいるかのように。


 ――ちょっ……! あなた、大丈夫!?

 ――え? ……ああ。これくらい平気です。

 ――平気なわけがないでしょう!? ほら、保健室!


 なんでもないと言わんばかりににっこりと笑ってみせた庵だが、流れ続ける血は地面に吸い込まれることなく血溜りを作り始めており、とても大丈夫な怪我には見えない。彼には痛覚というものが存在しないのかとさえ思った。

 慌てて庵の怪我をしていない左腕を取り、保健室に連れて行こうとすれば、掴んだ手はやんわりと解かれた。


 ――ありがとうございます。でも、おかしな話ですが、こんな怪我をしないと、皆と同じだっていう実感が沸かなくなるんです。


 特等位である彼は幼い頃に基獣を具現化して以降、さらに将来を期待されるようになり、常に特別扱いをされ、周囲からの羨望の眼差しを一身に受けていた。

 だが、彼はそれに慢心することなく、周りと同じだという証明を常に求めていたのだ。


「それから、庵のことを見ているうちに、すごい努力家だっていうことも知ってね。気がついたら好きになってたの。でも……」


 見ていたからこそ、好きになったからこそ、分かってしまった。どんなに好意を向けられたとしても、決して異性に気を許すことのなかった庵が見ている人が誰か。

 ちらついた姿に、恐怖で叩き壊されたはずの嫉妬が胸の奥で燻る。

 好きになった人は、別の人を想っていた。それが恋かどうかは別として、その人がいる限り、彼は美里を見ることはない。

 ふと、駐輪場の北側にある学校の敷地と道路を仕切るフェンスの向こうに、見覚えのある少女の姿があった。昼間、屋上庭園で会った青年も一緒だ。


「……おかしいよね」


 青年に何かを言われたのか、少女はふわりと微笑んでいた。

 あれほど庵に大事に想われているというのに、彼女はどこか庵を避けているようにも見える。だというのに、庵は気にした様子はなく、構う姿勢を崩さない。

 うまくいかない関係に苛立ちが募る。基主の変化に蝶の触覚がピンと張った。

 せめて、彼女も庵を想っていたなら、まだ幸せを願えたかもしれないのに。


「どうして、あの子なの」


 なぜ、自身を見ようとしない少女を想うのか。なぜ、これほどまでに想っているのに振り向いてくれないのか。なぜ、自分が突き放されなければならないのか。

 収まっていたはずの感情は、あっさりと顔を覗かせた。


「絶対に、許さない」


 指に留まっていた漆黒の蝶が宙に舞い上がる。

 飴を入れていたポケットの縁から紫色の光が溢れていたが、美里は見向きもしなかった。

 黒い靄に包まれた蝶は、やがて姿をかき消した。



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