第7話① 拭いきれない恐怖と不安
教室内は今朝の事件の話題で盛り上がっていた。ただし、各生徒の誇張表現も混ざっており、それが重なりに重なって、本来の事件の様相は原型を留めていないに等しい。
事件の調査に携わった隼人も、教室にやって来たのはチャイムが鳴ったのとほぼ同時。見計らったかのように入って来たため、誰もが訊ねることができなかった。
だが、朝のホームルームの時間で、担任の男性教師からその件についての説明があった。
「皆も知っていると思うが、今朝、この学校で最古参の九十九が『破壊』された状態で発見された。まだ犯人は見つかっていないが、状況からして生徒が太刀打ちできるような相手ではないことは確かだ」
ただならぬ事件の内容に教室内がざわついた。
生徒が口々に噂と照らし合わせる様子を見て、真相を知る隼人は溜め息を吐いた。この様子では、好奇心から犯人探しを独断で行う生徒も出るかもしれない。巡回を強化するしかないなと今から疲れを感じてしまった。
「それで、治安部隊からしばらくは夜間の外出を控えることと、九十九には不用意に近づかないようにとの通告があった」
「え……」
夜間の外出はともかく、九十九に不用意に近づかないとなると小虎達はどうなるのか。
未だ帰ってきていない二匹を思い浮かべた有栖だったが、別の生徒がそれについて質問をした。
「なんで九十九に近づいちゃダメなんですか?」
「今回のもそうだが、ここ数日続いてる事件は、どれも九十九が被害に遭っているんだ。そこで、治安部隊も生徒会も九十九が標的になっていると考え、皆が巻き込まれるのを避けるために出した結果だ」
「家に九十九がいる場合はー?」
「なるべく外に出さないようにするか、今回は申請さえあれば治安部隊で保護をすると仰っていたから、家族で話し合って、保護申請を出したいときはまた俺に言ってくれ」
どうして九十九が狙われているかはまだ不明だが、標的にされているのは間違いない。
九十九は基獣と違って数が多い。そのため、治安部隊ですべてを監視して護衛にあたるのは難しいが、預かってしまえば場所が限られるために守りやすい。また、それを狙って犯人が現れる可能性もある。
保護と囮が両立するならばこれほどいい案はない、と誰もが異論を出さずにまとまった結果だ。
教室内がまた九十九についてざわつく中、有栖は小虎達をどうするべきかと思案した。
(私は小虎ちゃん達の持ち主ではないし、かといって、前野のおばあちゃんもいない家に置いておくのも何かあったときに気づけない。そもそも、前野のおばあちゃんがいても、何かあったら危ないし……)
申請を出せるのはあくまでも持ち主とその家族だ。有栖は小虎の持ち主と知り合いではあるが家族ではない。しかも、持ち主の前野祥子は今は入院中だ。親族は隣町にいるようだが、場所までは知らない。
果たして病院に押し掛けて申請をお願いしてもいいものか、とさらに考え込む有栖の耳に疲労の滲む聞き慣れた声が入った。
『はぁー。つっかれたー。お雪ー、おいらちゃんと話してきたでー』
「にゃああぁぁ」
「…………」
ざわついていた教室内が、その声ふたつでぴたりと静まり返った。
誰もが、教室の後ろの扉から堂々と入って来た二匹の九十九の姿に注目した。ただでさえ、九十九が昼間の教室に侵入することはあまりない。しかも、つい数分前に教師が「九十九には不用意に近づかないように」と言ったばかりだ。
真っ先に我に返った担任が怪訝な顔で何かを言い掛けた瞬間、有栖は自分でも驚くほどの早さで立ち上がり、きょとんとする二匹を素早く掬い上げて教室を出ながら言う。
「す、すみません! ちょっと、気分が悪いので外の空気吸ってきます!」
「え? あ、お、おお……」
九十九の存在は誰もが認識しているため、今さら誤魔化しはきかないのだが、有栖はまるでそこに何もいませんでしたと言うかのように教室を飛び出した。
注意するべき担任も呆気にとられて頷いたが、有栖の言葉を反芻したのか少しの間を置いてから、「保健室じゃないのか!?」と突っ込みを入れる。だが、時既に遅く、有栖の姿はもう見えなかった。
別の意味で教室が再びにぎやかになる中、隼人は有栖の行動に笑いを抑えきれずに吹き出した。
「あっはっはっは! さっすが、御雪ちゃん。テンパると何やるか分かんないなー」
「笑ってる場合か」
「いてっ」
「ヒナ」
「いった!? お、おい、ちょ、待った。叩かないで!」
心底可笑しい、といった様子で笑う隼人に向けて、右斜め後ろの恭夜が消しゴムを投げつけた。
恭夜の前に座る凛は自身の基獣、ヒナを呼んだ。
出るたびに鳥類のどれかに姿を変えるヒナは、今回は白いペンギンだった。手での往復ビンタは地味に痛い。嘴で突かれなかっただけまだマシだが。
隼人の非難の声は無視して、凛は飛び出した有栖を案じる。
「大丈夫かな。あの子」
有栖には基獣がいない。さらに、九十九を襲撃した犯人は未だ見つかっていない。そんな中、標的とされている九十九を連れ出して大丈夫なのか。今朝は大丈夫だったとしても、今も大丈夫だという保証はどこにもないのだ。
タイミングよくチャイムが鳴り、担任が今ひとつ締まらなかったホームルームの終わりを告げる。
生徒が各々仲の良い生徒で集まって話をする中、恭夜は溜め息を吐いて立ち上がる。
「迎えに行ってくる」
「いってらっしゃい」
教室を出る恭夜を凛はひらひらと手を振って見送った。恭夜が探しに行ったのなら問題はないと動かないことにしたのだ。
有栖の身を案じてはいるものの、昨晩と違って今は学校内に学生も教師もいる。九十九を襲撃した犯人が襲ってこようものなら、教師陣か生徒会役員は気配に気づくだろう。特に庵辺りは。
凛は、未だにヒナからの執拗なビンタを食らっている隼人を見ながら、「あんなのでも、実力はあるのよね」と呟いた。
教室を飛び出した有栖は、南館を出てすぐの中庭に来ていた。
北館との間にあるこの場所は、中央に噴水のある公園のような造りになっている。噴水の周りは一定の範囲だけ石畳になっており、石畳以外の場所は芝生が敷かれていた。生徒が休めるようベンチがいくつか設置されており、昼休みになれば昼食を摂る生徒も多い。
朝のホームルームも終わり、1限目が開始する前の短い休み時間の今、中庭にあまり人はいない。せいぜい、移動教室のために南館と北館を繋ぐ渡り廊下を歩く生徒くらいだ。
手に筆記用具や教科書を持って歩く生徒を尻目に、有栖は近くのベンチに二匹を降ろしてその前にしゃがむと、自身も遅刻しないように手短に伝えた。
「ごめんね。大五郎さんの件で、小虎ちゃん達も学校に来ちゃ駄目ってなったの」
『えっ、なんで? 今まで自由に出入りできてたやん』
「うーん……。なんて言ったらいいかな……」
狙われている九十九と一緒にいたら危険だから、と言うのは、狙われている本人達を突き放すようで可哀想だ。
しかし、オブラートに包んで言ったところで本人達が納得するとは思えない。
「ほら、ここって九十九が襲われた場所だし、ふたりは犯人を見たんでしょ? なら、また犯人がここにやって来るかもしれないし……」
そこまでを言って、結局は自分達が危険に晒されるからと言っているも同然だと気づいた。
はっとした有栖が補足を口にするより先に、拗ねた様子だった小虎は何かを閃いて名案だと言わんばかりに声を上げる。
『せやったら、おいら、お雪と一緒におるよ! そしたら、あの黒いのきてもすぐ分かるやろ?』
「え」
『おばあが帰ってきたら家におるけん、それまでお願い! おいらだけじゃ、コイツ守れるか分からんし!』
「でも、私と一緒にいても危ないよ?」
基獣がいない有栖は、もし、犯人や怨獣が出たとしても対抗手段を持たない。下手をすれば両者共に襲われて死んでしまう可能性もあるのだ。
それでも、小虎には不確かながらも有栖に頼る理由があった。
『そんなことないよ。お雪はなんか、こう……分からんけど強い気がする!』
「アバウト……」
抽象的な言い分に、もはや返す言葉も出てこない。
具現化したばかりの招き猫の九十九はまだこちらの世界に詳しくないため、何が危険で何が安全かの区別も難しいだろう。また、小虎も見た目こそ虎だが、今まで老夫婦と平穏に暮らしていたこともあって戦いには慣れていないのだ。
庇護欲は沸き起こるものの、やはり有栖の手に負いきれない。かといって、恭夜や隼人、凛に頼むのも申し訳ない気持ちがある。
どうしたらいいかと思案する有栖の耳に、穏やかな声が届いた。
「九十九に慕われるのはいいけれど、少し、甘やかしすぎかな?」
「……御巫先輩」
声のした方を見れば、渡り廊下から歩いてくる庵の姿があった。手には教科書と筆記用具があり、移動教室の途中なのだと分かる。
後ろの渡り廊下には、先に行くことにしたのか透真が一人で歩いていた。
北館へと入って行くその姿を見てから庵に視線を戻せば、彼は「僕に任せて」と言うと小虎と招き猫の九十九の前に片膝をついて視線を近づける。
有栖もしゃがんでいるため自然と同じ態勢になったのだろうが、視線を合わせる気遣いは彼の性格の一端を覗かせていた。
「今から言うことは秘密だよ」と前置きをしてから、庵は二匹に言い聞かせるように言う。
「まず、最近、学校を中心として、近隣の九十九が襲われているのは気づいているかな?」
『知っとるよ!』
「うん。なら、話は早いね。例の犯人は、どうもこの高校の敷地内にいる可能性が高いんだ」
「ここに、ですか?」
どこに潜んでいるか、ある程度の憶測は立てられていたのだろうが、昨晩の一件で特定できたことに驚いた。
庵は頷くと、先ほども口にした前置きについてもう一度念を押す。
「そう。だから、外に出られないように特殊な結界を張ることにしたんだ。これはさっきも言ったように、ごく一部の人にしか知られていない秘密事項だから、誰にも言わないでね?」
「分かりました」
小虎達を説得するためにあえて明かしてくれたのだろう。
一部の人、ということは、治安部隊や教師、生徒会役員くらいか。もしかすると、生徒会役員でも知らない者はいるかもしれない。
口にしないよう心に刻んでおくと、小虎が納得のいかない点について追究する。
『ここにおるんやったら、どうして捕まえへんの? 隠れられそうな場所も限られとるし、かいちょーさんならすぐ見つけられるんとちゃうん?』
「あはは。鋭いなぁ。でも、相手が一枚上手なのか、尻尾を掴む前にどこかに隠れてしまってね。気になることもあるし、それを調べていると、捕縛までもう少し時間が掛かりそうなんだ」
当然ながら、捕縛の前に調査をすると九十九への被害が広がってしまう可能性が高い。そこで、校内への九十九の立ち入りを規制することにしたのだ。あとは、治安部隊が常に学校を監視していれば、万が一犯人が外に出たときには捕まれられるため、少なくとも校外での被害は減るだろう。
庵の話から、彼は犯人をこちらから探し出して捕まえることを、今すぐには望んでいないようだ。
自分に関わりのなさそうな調査が優先されていることに、小虎の表情が迷惑そうに顰められた。傍らの招き猫の九十九は退屈になったのか、丸まって寝始めているが。
『ええー。そんなん知らんわ。はよ捕まえてや』
「貴重な意見として参考にしておくよ」
『調査っちゅうのは、捕まえてからじゃできんの?』
「今までもしていたし、捕まえた後でもできるけど、泳がせておくことで進展がありそうだからね」
(なんの調査だろう……)
生徒会はたまに外部絡みの仕事をすることもあると隼人が言っていた。内容までは教えてはくれなかったが、庵の言う「調査」はそれと同じのような気がする。
庵は左手首に着けている腕時計を見ると、ゆっくりと立ち上がって小虎の頭を軽く撫でた。
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