第6話 最初の被害


 早くに目を覚ましたおかげで、今日は学校へ行く準備もすぐに終わった。

 たまには自分から迎えに行こうと有栖は小虎を腕に抱え、子猫を肩に乗せて家を出た。昨日はいなかった二匹の九十九を見た両親は少し驚いていたが、小虎とは顔見知りのため、「前野のおばあちゃんが入院してて、退屈だからって夜に来てたの」と適当に誤魔化せば納得してくれた。

 恭夜の家は歩いて五分も掛からない位置にある。インターホンを押して出た恭夜の母親に「おはようございます。有栖です」と言えば、「あら! おはよう! ちょっと待ってね」と明るい声が返ってきた。

 少しして開けられた玄関からは、有栖の母親と同級生である恭夜の母親が顔を出した。


「今日は有栖ちゃんが迎えに来てくれたのね。それに小虎ちゃんも。そっちの猫ちゃんが、具現化したっていう新しい九十九?」

「あ、はい」

「にゃあ」

『おはよーさん!』

「はい、おはよう」


 有名九十九の小虎は、笑顔で自身を見る恭夜の母親に片手を挙げて挨拶をする。子猫のことは恭夜から聞いたのだと教えてくれた。

 微笑ましげに見ていた彼女だったが、一向に姿を見せない自分の息子に呆れたように溜め息を吐いた。


「まったく、女の子を迎えに来させるなんて、あの子は何をしているのかしら」

「い、いえ。いつもは私が迎えにきてもらってますし……」

「それくらいさせていいから! ほら、恭ー! 有栖ちゃん来てるわよー!」


 遠慮がちに言う有栖だが、恭夜の母親はそれが当然だと言わんばかりに返し、リビングに向かって声を上げた。

 すると、まだ準備途中だったらしい恭夜が少し苛立ったように言い返す。


「朝から煩い! 聞こえてるから!」

「誰に向かって煩いって!?」

「母さん!」

「あんたも煩いわよ! ごめんなさいねぇ。朝から煩くって」

「あはは……」


 リビングからは「母さんもな!」とまだ応酬が続いていたが、この親子にはよくある光景だ。

 どう返したものか、と曖昧に笑っていれば、制服の上着を羽織りながらリビングから恭夜が出てくる。それと交代するように、恭夜の母親は「気をつけてね」と行ってリビングの方に戻って行った。


「悪い。待たせた」

「ううん。私も何も連絡しなくてごめんね?」

「いや、大丈夫。有栖が早く起きれたの、その二匹が原因だろ」


 驚かせようと思い、連絡をせずに出てきてしまったのが裏目に出てしまった。

 だが、恭夜は有栖の抱える小虎と子猫を見て粗方の理解はしたようで、特に気にした様子はない。


「また有栖に何か面倒事起こさせるなよ?」

『なんもしてへんし!』

「どうだか……」


 昨日、小虎が学校に招き猫を持ってくることがなければ、具現化騒ぎは起こらずに済んだのだ。

 深い溜め息を吐く恭夜に、小虎は拗ねたように頬を膨らませた。


『にーちゃん、弱いモンに優しくしとかな、お雪に愛想つかされるで!』

「はぁ!?」

『お雪、冷たいにーちゃんなんてほっといて先行こ!』

「あ、待って! 小虎ちゃん!」


 有栖の腕からするりと抜け出し、小虎はすたすたと先に進んでしまう。

 慌ててそれを追いかける有栖を見て、靴を履き替えた恭夜は朝から疲労を滲ませた。


「お前に言われなくても大丈夫だっつの」


 既に姿が見えない小虎にぼやいてから、恭夜も家を出る。

 先に進んでいた小虎を有栖が捕まえて再び抱え上げ、恭夜と共に通い慣れた道を歩く。

 小虎は最初こそ拗ねて口を尖らせていたが、時間の経過でそれも消えていき、学校が見えてきた今となってはすっかり元通りだ。

 ふと、恭夜は正門を入ってすぐの駐車場にある一台の白いトラックに気がついた。


「何かあったのか? あれ」

「え?」

「ほら、正門のとこ。あれって治安部隊の車じゃん」


 首を傾げる有栖に教えるように恭夜は正門を指し、学校ではあまり見慣れない白いトラックを示した。

 トラックは大きなコンテナのついたもので、コンテナの側面には濃紺で二つの頭を持つ鷲が描かれている。紋章の下には「Public Safety Force」と記されており、誰もがその二つを目にすれば「治安部隊」であることは明白だった。

 さらに、周辺には軍服に似た意匠の黒い制服に身を包んだ二十代半ばから三十代後半の男女が数人立っており、誰もが警戒したように辺りを見渡している。

 腰に差した黒い鞘に収まる刀は、治安部隊だからこそ許されている武器だ。基獣だけでなく、基主も戦えるようにと。

 治安部隊が学校に来るということは、校内で生徒会では片付けられない基獣か九十九、最悪、怨獣の事件が起こったということだ。事件の関係者が校内にいるという可能性もあるが、それにしては人数が多すぎる。


「被害の状況は?」

「人的被害は出ていないようですが、また九十九がやられています」

(九十九が被害に……?)


 正門の外で警戒していた隊員の横を通りながら会話を聞いて、有栖は今朝、小虎から聞いた話を思い出した。


 ――「こーちょー」の熊さんが、変な黒い霧に食べられとったんよ!


「もしかして……」

「何か知ってるのか?」


 有栖の呟きを耳聡く拾った恭夜が問えば、有栖は戸惑ったように腕に抱えた小虎を見下ろす。

 それに習って恭夜も小虎を見下ろすが、肝心の小虎は目を瞬かせて首を傾げている。深夜に遭ったという事は忘れているのだろうか。

 小虎達がたまたま同じ夢を見ただけだと思いたかったが、やはり、現実はそううまくはいかないようだ。


『なに?』

「小虎ちゃん。今朝、言ってたあれって――」

「おはよー、お二人さん。あれ? 小虎と新人ちゃんも一緒なんだ?」


 有栖が言い掛けた言葉を遮って、後ろからやって来た凛が声をかけてきた。

 彼女は有栖が何かを言い掛けていたことは気づいていないようで、抱えられた小虎と肩にいる子猫を見て不思議そうに言った。

 有栖も挨拶を返してから、「今朝、うちに来たの」と手短に説明する。


「そっか。で? あれはなに?」

「いや、それが俺らにもさっぱり」

「治安部隊が来るなんて珍しいじゃない」


 正門を潜った今、治安部隊の車はすぐそばにある。

 否が応にも視界に入るそれに、凛も疑問に思わざるを得なかった。

 駐車場の奥に見える職員棟。その西側には黄色いテープが引かれており、それより先への進入を禁止している。高校の西側には野球やソフトボール、サッカーの専用グラウンドがあり、そちらとは高いフェンスで区切られているため、回り込んで確認するのも一苦労だ。

 すると、小虎はそちらを見て何かを思い出したかのように声を上げる。子猫も固まったのが伝わってきた。


『あ!』

「お前ら、何か知ってんのか?」

「ちょっと待って。新人ちゃん、管理証はいつの間に着けてもらったの? 隼人が、『昨日は見つけられなかった』ってぼやいてたのに」


 身に覚えのある様子の二匹を見て、すかさず恭夜がまた厄介事をやらかしたのかと訝るように見た。

 だが、それを止めたのは子猫の首に管理証を見つけた凛だ。

 昨日、管理証を着けるように庵から言い渡されていた隼人だったが、結局、二匹を掴まえることができずに見つかったときは素直に叱られようと腹を括っていた。しかし、今、子猫の首には管理証がある。

 有栖にも質問の答えを促すように視線を向けるが、それに関しては有栖も聞きたいところだったため、「分からない」という意思を込めて首を左右に振った。

 そこへ、タイミング良く隼人が職員棟と繋がる南館校舎から出て走ってきた。

 有栖達には気づいていないのか、真っ直ぐに立ち入り禁止の場所に向かう彼の襟首を凛が素早く掴んで止める。


「ぐえっ!?」

「ちょっと。いろいろと聞きたいんだけど」


 蛙を潰したような声が聞こえ、有栖と恭夜は哀れみの目を隼人へと向けた。

 隼人に対する凛の扱いはやや雑だ。だからといって、隼人が凛を嫌って遠ざけることがないため、直ることがないのだが。

 首が締まったことで噎せた隼人は、咳込みながら涙目で凛を見る。


「げほっげほっ。……お、お前、その前に俺に言うことない?」

「……おはよう」

「違う! いや、違わないけど!」


 やや間を置いてから返された凛の言葉はあながち外れではない。ただ、それが首を締めた後でなければだ。

 頭を抱えて「あー、もう」と唸る隼人を、後ろからやってきた一人の青年が怪しいものを見るような目で眺める。

 艶のある黒髪は短い後ろ髪に反して長い前髪が右目をやや隠していた。左サイドの髪は耳に掛けてヘアピンで留めている。

 彼は襟首を掴まれたままの隼人を見ると、少しつりがちな墨色の目に呆れを滲ませつつ言う。


「こーら。遊んでいないで、早く調査に向かうぞ」

「は、はい。……あとでまた説明すっから、ちょっと離してくんない?」

「……しょうがない。『副会長』に言われたんじゃ、あたしも引き留めておけないしね」


 先を促した黒髪の青年――榊透真さかきとうまは、この高等学校の生徒会で副会長を務めている。

 庵とは所謂『腐れ縁』というもので、幼い頃に知り合って以来、透真が嫌がったとしても何かと関わることが多かった。そして、透真の位も『第一位』と上位であるため、流れで生徒会に入って現在に至る。

 隼人の襟首から手が離され、「じゃあ、またあとでな」と立ち去ろうとした隼人達の耳に飛び込んできたのは、戸惑いがちな小虎の声だった。


『な、なぁなぁ。もしかして、こーちょーの熊さんが被害に遭ったん?』

「「!?」」


 透真も隼人も足を止め、目を見開いて固まった。

 なぜ、小虎がそれを知っているんだ、と語る目に、有栖は恐る恐る小虎から聞いた話を説明する。

 小虎の言葉が本当だということは、二人の反応から察して間違いない。


「昨日の晩、小虎ちゃん達が学校に来たとき、変な黒い霧が大五郎さんを食べてたって言ってて……」

『おいらもこいつも必死に逃げて、でも、途中から覚えてなくて、気がついたら家におったんや。それで、怖くなってお雪の所に行ってたんよ』


 小虎達の家から有栖の家までそう遠くない。しかも、有栖は招き猫を九十九として具現化した本人だ。自然と頼ることになったのだろう。

 だが、有栖の所に行くことで、もし犯人があとをつけていたら、対抗手段のない有栖に危険が及ぶ可能性がある。

 恭夜の非難めいた視線に気づいた凛は、軽く頭を小突いてから「心配性が出てる」と軽く窘めた。

 犯人と接触しているなら、話を詳しく聞いておく必要がある。そう思った透真は、自然と体の向きが小虎を抱いた有栖に向いた。


「なるほど。で、その招き猫の九十九の管理証は隼人が着けたのか?」

「え!? あ。あー……すみません。昨日はこいつらを捕まえられなくて、俺は着けてないです。夜は家で大人しくしてましたよ」

「そうか。なら、一体誰が……」


 透真は子猫の首にある銀色の首輪に気づいた。関係ないような話題に隼人は意表を突かれて返答に遅れたが、すぐに質問の意味を理解して返す。

 もしかすると、子猫に管理証を着けた人物も犯人を見たかもしれない。管理証は生徒会室に置いていたため、生徒会役員であれば誰でも持ち出せる状態だった。

 あとで各役員に話を聞いてみる必要があるか、と逡巡した透真の耳に、制するような少し強い口調の声が届いた。


「そんなことよりも、今は校内に犯人が潜んでいないか探ることが先だよ。共喰いともなれば、基獣や九十九では説明がつかない。つまり、『最悪の状況』だってことを忘れてはいないだろうね?」

「庵」


 新たにその場に現れたのは、普段の柔和な雰囲気とはまったく違う、神妙な面持ちの庵だった。

 周りに構っている余裕がないのか有栖がいる前では滅多に見せない表情に、有栖はもちろんのこと、透真や隼人達も息を飲む。

 だが、彼は安心させるためか、小虎達を見ると柔らかく微笑んだ。


「よければ、君達の話を治安部隊の人達にもしてほしいのだけれど……いいかい?」

『え』

「大丈夫。ちょっと話をするだけだよ」


 恐ろしいことは何もないから、と笑顔を浮かべる庵に裏はない。

 とはいえ、小虎としては、すっかり慣れた有栖のそばを離れるのは少し心細い気もした。


『お雪は?』

「雪ちゃんは授業があるからね。連れて行っても大丈夫かい?」

「あ……」

『…………』


 庵の問いに「いいえ」の選択肢はない。

 思わず返事に言葉が詰まり、腕にいる小虎を見下ろすと不安げな目と合った。肩にいる子猫も肩にしがみつく手に少しだけ力が入っている。

 小虎達と親しくはあるが、あくまでも主従関係というわけではない。問いかけられること自体が一応の気遣いだった。

 困惑する有栖を見てか、庵に向き直った小虎の目から不安が消えた。


『おいら、大丈夫やで! せやから、ちょっとお話してくるけん、帰ってきたらおいらの「お願い」聞いてくれへん?』

「え?」


 お願い、と聞いてまたしても九十九の具現化か、と誰もが脳裏に昨日の有栖の具現化が蘇った。

 すかさず、しかめっ面の恭夜が牽制するように言う。これ以上、面倒事はごめんだと。


「また変なものじゃないだろうな」

『にーちゃん、しつこいわぁ。なんやったら、にーちゃんにも一緒に頼むけん、勝手に帰らんといてや!』


 有栖の腕から飛び降りると、治安部隊の隊員のもとに向かうために庵に歩み寄る。だが、有栖のときのように腕に抱かれるつもりは毛頭ないらしく、腕を伸ばして「くるかい?」と訊ねる庵に『歩く!』と威勢良く返した。小虎を追うように有栖の肩から降りた子猫も庵の横をするりとすり抜けていった。

 抱き上げたかったのか、断られた庵の表情はやや残念そうだ。

 一方、恭夜はまさかの自身も含まれたことに戸惑いを隠せなかった。


「ちょ、ちょっと待て。せめて、どんな内容かだけでも――」

『なーいーしょ、や!』

「腹立つな」

『にーちゃんに言われたかて構わんもん!』


 リズムよくウィンクつきで言った小虎に苛立ちを覚えたが、小虎にとってあまり親しんでいない者に嫌われたところで痛くも痒くもない。

 そっぽを向いた小虎は、視界に庵を収めると、自身が向かうべき先を訊ねる。


『で。かいちょーさん、どこ行ったらええのん?』

「生徒会室だよ。それじゃあ、あの生徒達は君達に任せるから、よろしくね」

「は?」


 片手を小さく挙げた庵は、すっかりいつもの笑顔を浮かべていた。

 「あの生徒達」というのは、規制線の張られた場所から距離を置いて見物している生徒達のことだ。

 透真が物申したげに庵を見るも、彼は既にこちらに背を向けて生徒会室に向かうために校舎へと歩いて行っている。


「はぁ……。あいつの面倒くさがりは今に始まったことじゃないし、構わないが……」

「はは……俺、あとで庵さんに怒られるんじゃないかって、既に憂鬱なんですけど」


 溜め息に諦めを混ぜつつ言う透真は、すっかり慣れた様子だ。

 ただ、隼人は子猫の首にある管理証について言及されそうで、先が思いやられた。隼人は着けていない上に、生徒会室に保管していた管理証を勝手に持ち出されているのだ。事件がなければ真っ先に調べに入っているところだった。


「仕方ない。――小太郎こたろう、頼んだぞ」

「コン。仕事だ」


 二人はまずは目の前のことからと気を取り直し、それぞれの基獣を呼び出した。

 「小太郎」と呼ばれた黒い狐は中型犬ほどの大きさだ。耳先と足先、尾の先が白く、その尾も四本ある。

 主人の前に顕現した二匹は地面を蹴ると、人だかりの前に瞬時に移動した。

 突然の基獣の出現にざわつく生徒達に向かって、コンも小太郎も牙を剥いて威嚇する。

 身の危険を感じて数歩下がった生徒達に透真が声を張り上げる。


「重要事件の調査中だ! 生徒は速やかに教室に戻れ! 従わない場合は強硬手段に出る!」


 透真の言葉を強調するように、小太郎がひとつ吠え、空気を噛む仕草をして歯を鳴らす。歯と歯のぶつかる硬質な音が嫌に響く。

 それに合わせてコンも唸れば、生徒達はさらに下がった。半数は既に校舎に向かって移動している。


「あえて従わずに戦闘実習もいいけど、容赦はしませんよー。はい、解散、かいさーん」


 上級生もいるため、隼人の口調は雑ながらも敬語だ。気怠げな態度は上級生に対するものではないが。

 だが、効果は抜群だったようで、残っていた生徒達もすぐに教室に向かって動き出す。

 一連の様子を端で見ていた有栖達は、内心で「力ずくにも程がある」と突っ込みを入れた。


「俺達も教室行こう。ここにいても何もないし」

「そうね。隼人、あとでちゃんと教えてね」

「おー」


 一応は収束した事態を見て恭夜が促せば、有栖も凛も異論はなく素直に頷いた。

 凛がこちらに背を向けたままの隼人にそう言えば、彼は片手をひらひらと振って返す。適当な返事の仕方といい、こちらを見ない彼の様子を見て、凛は「あいつ、都合悪いと言わない気ね」と不満げにぼやいた。


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