第2話 心を具現化した存在


 高い電子音が静寂を保った室内に響き渡った。

 聞き慣れたアラームの音に気づいて、御雪有栖みゆきありすは目を覚ました。藍色の目が見慣れた天井を映し、しばしの間ぼんやりと眺める。まだ瞼は重く、思考も働かない。

 主の行動を急かすように鳴り続けるアラームに顔を僅かに歪めると、まだ覚めない頭のまま枕元のスマホを手に取ってアラームを止めた。

 ベッドから上体を起こしてスマホを見れば、時刻は午前七時を数分だけ過ぎている。学校は八時半までに登校しなければならないが、自宅から歩いて十五分ほどのため、準備に手間取らなければ間に合う。

 眠気を払うために両腕をゆっくりと上に伸ばして体を解す。胸元まである栗色の髪を手櫛で整えていると、一箇所だけ跳ねていることに気づいた。撫でても押さえても直る気配はない。

 嫌な予感がしつつベッドから出たところで、扉をノックする音がした。


「有栖ー。もう七時回ってるのよ? 『恭ちゃん』が迎えに来てくれるんだから、早く準備しなさい」

「はーい」


 母親の心配する声に返事をし、部屋の南側にあるカーテンを開けた。

 差し込む陽射しに目を細める。気持ちが良いほどよく晴れている空を見れば、あれほど眠たかった頭も少しすっきりした。

 窓は開けないまま、少し離れた場所にある幼馴染の家を見てから、有栖は支度に取り掛かった。



   ◇ ◆ ◇ ◆



 幼馴染が迎えに来たのは、有栖が直らない一箇所の寝癖に悪戦苦闘していたときだった。

 インターホンが鳴り、食器を洗っていた母親が素早く対応に出る。


「おはよう、きょうちゃん」

「おはようございます、おばさん。有栖は?」


 挨拶の後、すぐに出た娘の名前に有栖の母は胸が温かくなった。

 家が近所、両親も友人同士であったこともあって幼い頃から一緒に過ごしてきた二人は、実の兄妹のように仲が良く、高校生になった今でも共にいることが多い。二人揃って中高一貫教育の学校に進学してからも、毎朝迎えに来てくれているのだ。

 母は片手を頬に当てると、笑みを消して困ったように溜め息を吐いた。


「まだ洗面所から出てこないのよー。大方、寝癖でしょうね」

(あ、当たってる……)


 玄関先での二人の会話が、扉を開けていることもあって、有栖のいる洗面所にまで鮮明に聞こえてくる。

 朝食を摂っているときは軽く結わえていたが、それでも寝癖に気づいていた母の目敏さに内心で精神的ダメージを受けつつ、有栖は髪をまとめるために手を動かす。ハーフアップにすれば寝癖も誤魔化せそうだ。

 すると、母の声が別のものへと向けられた。


「あら、『すばる』ちゃんも一緒なのね。お散歩?」

「はい。なるべく出しとかないと、こいつすぐ機嫌損ねるし」

「ふふっ。わんちゃんだもの。ご主人様と一緒に遊びたいわよねぇ」


 洗面所を出れば、廊下は玄関まで続いているおかげですぐに幼馴染――時原恭夜ときはらきょうやの姿が視界に入った。

 恭夜も有栖に気づき、琥珀色の目に有栖を映すと片手を小さく上げて挨拶をした。


「おはよ。もう大丈夫?」

「大丈夫。昴、おはよう」

「あれ? 俺には?」


 頭を指さす恭夜に軽く返しつつ靴を履く。そのとき、母の陰に少し隠れていた一匹の白い犬――昴にだけ挨拶をして恭夜に返さなかったのは、冷やかしてきた彼へのささやかな抵抗だ。

 昴の濃紺の瞳が嬉々として輝き、ふさふさの尾が激しく左右に揺れる。恭夜が尾の小さな攻撃を受けて「痛い痛い」と声を上げるも、昴に止める気はなかった。

 ピンと立った耳の先と足先、揺れる尾の先は赤く、一般的な犬とはかけ離れた色をしているが、昴の場合は『あり得ること』なので誰も驚いていない。

 有栖は昴の頭を撫でてやってから、準備の良い母から鞄を受け取った。

 扉を開けた恭夜に続き、玄関を出たところで振り返って「いってきます」と二人で声を揃えれば、母は優しく微笑んだ。


「二人とも、いってらっしゃい。気をつけてね」




 二人が通う高校は、中高一貫の私立九曜学園高等学校しりつくようがくえんこうとうがっこうだ。中学と高校の校舎は道路を挟んで隣接しているため、通学路はずっと変わりがない。

 町の名前を冠した学園は学力のレベルは中の上程だが、『とある方面』で優れた学生が多く在籍していると有名の学校であり、授業内容も一般の学校よりもやや特殊なものが多い。そのため、学力が基準より足りていない学生でも、『その方面』において秀でていれば特別優遇で入学することもある。

 有栖と恭夜は中学の時に一般入試で入学し、そのまま高校に進学したエスカレーター組だ。ただ、有栖においては「異例」と騒がれたが。

 その理由は、周囲とは決定的に異なる点にあった。

 有栖は高校に上がってからというもの、毎日のようにそれに対して劣等感を抱いていた。


「時原君、おはよう! 今日は昴ちゃん、『顕現けんげん』してるんだね?」

「おはよ。たまにはな」


 学校が近づくと、周りも九曜高校の生徒が増えてくる。

 クラスメイトの少女が恭夜に気づいて歩み寄って来た。

 恭夜は挨拶を返しつつ、自身と昴しか見ない彼女に内心で小さく溜め息を吐いた。高校に上がってからまだ一ヶ月も経っていないが、周りの生徒は異例である有栖にあまり関わろうとしない。かといって、有栖を完全に無視するわけではないので余計に厄介だった。

 また一人、恭夜を見つけたクラスメイトの男子が近寄ってきた。


「お、恭夜。今日の『基獣学きじゅうがく』は実習だってさ」

「げっ。マジかよ。有栖、大丈夫か?」


 恭夜は「実習」と聞いてすぐに有栖を心配した。

 『基獣きじゅう』と呼ばれるものを、有栖はまだ有していないからだ。異例と言われるのもそこにあった。

 基獣とは、この日本に暮らす人ならばほとんどの人が持つ存在だ。基獣を具現化した人は『基主きしゅ』と言われる。「人の心が具現化した生き物」と世間一般では提言されており、大体の人が十歳から十二歳の間に基獣をこの世界に具現化させる。一度、具現化した基獣を再度、現実世界に現すことを『顕現』と呼び、自身に戻すことは『解現かいげん』と呼ばれる。

 なぜ、基獣が生まれるのか原因は未だはっきりしていないが、この世のありとあらゆるものに流れる不可思議な力、『響命力きょうめいりょく』が影響しているとされている。

 基獣の姿形は様々だが、その人の心や響命力が強ければ強いほど、より力のある基獣が具現化すると言われ、力の強さを明確にするために基獣を持つ人は『位』を与えられる。最上位を『特等位』、その下は『第一位』から『第五位』と並ぶ。

 恭夜の基獣は犬、位は上から四番目の第三位だ。

 困ったような笑みを浮かべて視線を落とした有栖を見てか、少女はあっさりと言ってのける。


「基獣いないと実習できないもんね。でもさ、あたしの基獣、まだ具現化して三年くらいだから遅れがちで」

「俺も俺もー。具現化できたのなんて、世間一般のギリギリの年齢だったしな。恭夜は早かったみたいだし、俺らと同じ第三位でもなんか違うよな」


 九曜高校には、優れた基獣や基獣の扱いに優れた生徒が多く在籍している。

 中学の間に基獣を具現化できなかった生徒は、大抵、高校は外部を受験するのが暗黙の了解だ。

 それでも、有栖が九曜高校に進学できているのは、ある一人の青年による鶴の一声があったからだった。

 ただ、その青年と有栖は特別な何かがある関係でもないため、なぜ、彼が有栖の進学について教師陣に進言したかは未だ不明だ。

 しばらく一緒に歩いていた二人のクラスメイトは、それぞれが別の友人を見つけるとすぐに離れて行った。

 再び恭夜と二人になると他愛ない話をしながら校舎に入り、三階にある教室に向かう。途中ですれ違う顔見知りの生徒は、やはり、誰もが恭夜は見ても有栖を視界に入れることはない。


(表立って何かされるわけではないから、まだマシなのかなぁ……。話す用事も特にないし)


 元より、人付き合いが得意なほうではなかったため、その点においては気楽ではある。

 また、恭夜以外の誰もが有栖に関わろうとしないわけでもなかった。


「おはよー、雪」

「おはよう、凛ちゃん」


 教室に入れば、有栖と恭夜に気づいて近づいてきた一人の少女がいた。両サイドが肩に少しかかる程度の前下がりのショートヘアーは、艶のある黒の中に赤紫のメッシュが混じる。綺麗な顔立ちと冷静沈着な性格が相まって、周囲から「クールビューティ」と言われる少女だ。

 彼女――秋谷凛あきやりんは、この学校で数少ない有栖の友人の一人だ。中学のときからの付き合いということも大きいが、彼女にとって基獣の有無はあまり気にするところではなかった。

 基獣の具現化ができないままの有栖が「一緒にいても平気なの?」と恐る恐る聞いてみたことがあるが、「私は基獣と話してるわけじゃないからね」と冷静に返されただけだ。カッコいい、と素直に感動した。

 教室の一番後ろ、前から五番目の窓際にある有栖の机の横に立った凛は、ふと、足下に擦り寄ってきたふわふわとした感触に気づいて視線を落とした。


「おっ。昴だ。相変わらずもふいね」

「わふっ」

「『もふい』ってなんだよ」


 恭夜は自身の机に鞄を置いて中身を机の中にしまいつつ、凛の言葉に疑問を抱いた。

 昴の毛を堪能しようと、凛は昴の首もとを両サイドから挟むように手を添えて撫でてやった。気持ちがいいのか昴は嬉しそうに目を細めている。

 そのもふもふの感触は、校内の一部にファンを作るほどの気持ちよさだ。基主である恭夜はファンの存在は知らないが。


「もふもふだから。『可愛いね』っていうのと同じ感じ」

「はいはい。……ほら、昴。一旦、戻っておけ。また授業のときに呼ぶから」


 撫で回される昴を見ながら軽く返し、そろそろ予鈴が鳴る頃だ、と昴を自身の体に戻そうとする。

 すると、昴は少し寂しそうに一鳴きしたものの、素直に戻ることにしたようだ。昴の体が光に包まれると、光は形を変え、一つの丸い玉となって恭夜の胸元に吸い込まれた。

 光の玉が完全に恭夜の中に入ったのとほぼ同時に、教室に新たな人物が入ってきた。


「おっはよー、お三方!」

「おー。朝から元気だな、隼人」


 元気良く入って来たのは、肩につくくらいの蜂蜜色の髪をハーフアップにした青年――東雲隼人しののめはやとだ。彼もまた、有栖に気兼ねなく接してくれる中学からの友人だった。

 鳶色の目は気だるさや眠気を感じさせず、恭夜は感心したように言った。

 だが、それを聞いた途端、先ほどまでの元気さが一気に消え、疲労を滲ませた。有栖の隣の列、前から三つ目にある自身の机に荷物を置くと、振り返って今朝の出来事を話す。


「いや、それがさ、この学校の近くでまた基獣絡みの事件があって、生徒会役員に召集かかったんだよ」

「また? 最近、多いな」


 隼人は中学の頃から生徒会に所属している。

 この学園の生徒会役員は特に優れた基主が所属することが多く、その発言力は教師陣にも影響を及ぼすことがあるほどだ。また、生徒会では基獣に関する事件が学校内、学校近辺で発生すれば、調査に当たることもある。

 ただ、学校内での事件ならばともかく、学校近辺での調査は決して多いわけではなく、基獣関連の事件を相手にする組織から協力依頼があって動くくらいだ。

 不思議そうに目を瞬かせた恭夜に、隼人も同じことを思ったようで頷いた。


「そー。それも、朝早くからね。まぁ、生徒会の仕事自体は嫌いじゃないからいいんだけど、『治安部隊』からの依頼もないのに、こっちから申し出てやるのもどうなのって思うわけよ」

「大変だね」

「分かるー? 御雪ちゃんくらいだよ。そうやって労ってくれるの」


 深い溜め息を吐いた隼人からは日頃の苦労が滲み出ており、有栖は苦笑を零した。

 隼人が言った『治安部隊』とは、基獣関連の事件の対処に当たる専門の組織だ。日本の各都道府県にいくつかの拠点があり、ここ、九曜町にも拠点がある。所属する隊員は誰もが優秀な基獣を連れており、この学園の卒業生も多く在籍すると聞く。生徒会が学校内外の基獣事件に関わるのも、卒業後に治安部隊に所属しても即戦力になるようにという考慮からだ。

 しかし、生徒会役員もあくまでも学生であるため、学校近辺で起こることの大半は彼らが対処に当たってくれる。

 今回、生徒会役員が対処に当たることになったのは、ここ数日は学校を中心に基獣絡みの事件が頻発しており、生徒に危害が加わる前に解決すべきだと生徒会長自ら治安部隊に申し出たからだ。

 そこで、今まで黙って話を聞いていた凛が調査の結果を訊ねる。


「で、犯人の目星はついたの?」

「機密情報なので言えませーん」

「腹立つ」

「いたたたた! 痛い! 痛いって!」


 口の前で人差し指を交差させて黙秘を示すと、むっとした凛がその指を握りしめた。

 抗議の声に動じなかった凛だったが、予鈴が鳴るとその手もすぐに離した。

 痛みを飛ばすように両手を軽く振る隼人に、恭夜が真剣に問う。


「もしかして、生徒が犯人、とか?」

「……なんで?」

「学校近辺の事件で生徒会が協力依頼もないのに乗り出すってことは、生徒が被害に遭ったか、生徒が犯人かの二択だろ? でも、生徒に被害はまだ出てない」


 冗談ではない言い方に、隼人の表情も引き締まった。どこか恭夜の内側を探るような視線は、彼の決して表面だけを見ない性格にあるが、事件を調査しているという今は疑われているようにも思えた。

 その視線から目を逸らさず、恭夜は自身の考えを述べると、先に目を逸らしたのは隼人だった。

 何かを考えるように沈黙したあと、真剣な表情が嘘のように悪戯な笑みを浮かべた。


「残念。さっきも言ったろ? 『生徒に危険が及ぶかも』って。ほら、散った散った」


 隼人は犬を追い払うように手を振り、恭夜に席に着くように促した。

 こうなると追究することはできない。

 恭夜達は諦めて席に着いた。

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