心象インカーネイション

村瀬香

一章 基獣のいない少女

第1話 光の獣


 住宅街の中にある小さな公園。滑り台やブランコ、砂場は、日暮れ前までは近所の子供達が占領して遊んでいるのが常だ。

 だが、日没の近い今、公園にいるのは一人の少女と彼女を庇うように立つ一人の少年。そして、その前に立つ数人の少年のみ。


「お前ら、いじめるのやめろって言っただろ!」

「おれ達は何にもしてねぇ! そいつが勝手に泣いたんだよ!」

「うっ、ひぐっ……」


 しゃがみ込んで泣きじゃくる少女は、ほぼ毎日のように目の前に立つ数人の少年に苛められていた。また、助けてくれるのも決まって背を向けて立つ少年だ。

 スカートから覗く膝は擦り剥け、痛々しい傷を露にしている。

 少女を庇う少年は、確かに少年達がわざと足を引っ掛けて少女を躓かせたのを見たのだ。少女の反応が面白くて何かとちょっかいを掛ける少年達だが、毎回、度が過ぎるところがある。

 なかなか反省の色を見せない少年達に少年が歯噛みをしたときだった。


 『それ』は何の前触れもなく、目を眩ませるほどの光を放って少女の傍らに現れた。


 神々しいばかりの光に包まれた姿は輪郭がぼやけており、四足歩行であるということ以外、どんな動物なのかは分からなかった。ただ、この場にいた誰よりも遥かに大きな体躯をしている。

 真っ白い光の中に浮かぶ、青い二つの瞳が少年達を見下ろして細められた。


 “彼女を傷つけたのはお前達か”


 言葉にはされていないものの、瞳は確かにそう


「ひっ!」

「ごっ、ごめんなさいぃぃぃぃ!!」


 獣が苛めていた少年達に向けて地を蹴るが早いか、少年達が駆け出すが早いか、あっという間に少年達は公園から出て行った。悲鳴が住宅街を駆け抜け、やがて聞こえなくなった。

 光に包まれた獣は深追いはせず、少しの間、公園の出入り口付近をうろうろとしていた。だが、泣きじゃくる少女と宥める少年を視界に捉えると、その動きをぴたりと止める。


 ――やばい、来る。


 光の中の瞳と目が合った少年は、本能的に危機を感じ取った。冷や汗が頬を、背を流れる。全身が「逃げろ」と訴えているようだ。

 堅い物が地面を打つ音がやけに辺りに響き渡った。光の獣が新たな標的――残された少年を定めたのだ。

 少年は少女を巻き込まないために突き飛ばすも、自分が逃げる暇は与えられない。

 少女の耳が、尻餅をついた痛みで反射的に閉じた瞼の向こうで、肉を突き刺す嫌な音を拾った。次いで、地面に何かが叩きつけられた音。

 目が眩みそうな光が弱まったのを感じ、恐る恐る閉じていた目を開く。涙で視界は霞んだが、目を擦ってもう一度辺りを見渡す。

 少年の姿は最後に見た位置にはなかった。


「……え?」


 獣は既に消え去っていた。光もなく、獣が駆けた跡もない。

 代わりに、少し離れた場所には倒れていた。

 何事か、と脳が整理を始める間に、それの下からは真っ赤な液体が広がっていく。

 やがて、幼い頭は倒れているそれが先ほど自身を突き飛ばした――物心つく前から共に過ごしてきた、大切な少年だと認識した。


「っ、恭ちゃん!」


 慌てて少年のあだ名を叫んで駆け寄るも、少年からの応答はなかった。ぐったりとしたままの少年はぴくりとも動かない。

 ただ、獣に襲われ、大きく腹を穿った穴から鮮血が溢れるばかりだった。

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